114話.例えば、彼らの食卓。
伏見らと両祭祀の面談が行われた、その日の夜――ジャダ・カイラム手工業組合を取りまとめる祭祀、ハウロンは未だラオの私邸に留まっていた。
ファウラ・ラドに関する情報交換や方針の取り決め、他の祭祀を含む祭祀会の動きから実際の取引。
普段のハウロンならば、それらを終えてすぐに自らの商会へ帰っていただろう。彼は実務に重きを置くタイプの経営者だ。社交の為の会食すらほとんど断り、身内との食事を好む。
そんな彼を、ラオはあの手この手で引き止めていた。
「……ラオ。いい加減本題に入ってくれないか。もう夜も深い。君の道楽に付き合っている暇はないんだ」
「そう焦るな。君も私も、小銭を稼ぐため走り回っていたあの頃とは違うんだ。食事を楽しむ余裕くらいはあるだろう?」
「もう食べ終えたよ」
「ならお代わりだ」
ハウロンが断るより早く、ラオは使用人に指示を出す。
テーブルに並んだ食べ切れないほどのごちそうに、ハウロンは諦めてため息を吐いた。
「……君はもう少し、節制という言葉を知るべきだ」
「節制。それはつまらない言葉だろう。私たちのような者こそが率先して金を使うべきじゃないかね?」
ハウロンの言葉は正しいのだろう。経営者が共に働く姿勢を見せてこそ、労働者もまた働く意欲を見せるものだ。しかしまた、ラオの言葉も正しい。
制作に何年もかかるような芸術や工芸品、宝石は金を払う者がいるからこそそれらを磨く技術が発展する。結局は、誰に金を払うかというだけの違いがあるだけだ。
「しかしまぁ……そろそろか。あの伏見とかいう男、君はどう思うかね?」
本題に入ったことを悟って、ハウロンは慎重に言葉を選ぶ。
「……話の通じる相手だ。少々常識知らずな点は見受けられるが、いずこかの都市でそれなりの教育を受けているのだろう。何より、彼らの所有する奇々怪々な品々や技術は驚嘆して余りある。ジャダ・カイラム手工業組合としては是非とも良い築きたいものだね」
「そうじゃない、そうじゃないだろうハウロン。そもそも、あの男はどこから来た!」
芝居がかった仕草で椅子を蹴倒し、ラオは大仰に両腕を広げる。
伏見が両祭祀の情報を収集していたように、両祭祀も伏見ら千明組を探っていたのだ。
マトロがアクィールの祭祀座を奪おうとした計画を邪魔した時点から――
否。
トルタス村に向かった先行商隊が馬もないのに走る奇妙な馬車を目撃し、その情報が祭祀の下に届いた瞬間から、だ。
伏見らが情報を集め始めたとき、既に千明組はその一挙手一投足を観察されていた。
「遠方から流れ者が紛れ込むことなどよくあることだ。その事実が私たちの目を眩ませていた! 彼らは確かにアルカトルテリアを変えるだろう。だがな、分かるかハウロン。世界は既に変わっていたんだ!」
はち切れんばかりの腹を震わせて叫ぶラオを、ハウロンはうんざりした様子で眺めている。演説好きは結構だが、語られる内容を知っているのだから退屈極まりない。
「分かっているよ。彼らは見たこともないような品々を所有し、そしてそれらを作ることは出来ない。ならばいるんだろうさ。我らの想像すら及ばぬような都市が」
ハウロンが言及したその都市は――存在しているが、しかしこの世界にはない。
「……問題は、彼らが来たという事実だ。いずれ彼らが付けた道を辿って様々な商品が我らの販路に流入するだろう。まず、君たちが割を食うぞ」
「だからこそ、彼らを厚遇するべきだ。例え一時不遇を甘受しようとも、千明組さえあれば逆転の目はある」
「厚遇することに異存はないよ」
声のトーンを落とし、ラオはテーブルに目を向ける。
面談の席に出したものと同じ、マルガニシンの酢漬けだ。柔らかな身に、ラオはナイフを突き立てる。
「だが、時間はないと思うがね。伏見は海を知っているようだ。少なくとも、これには驚かなかった。もし海路を開拓したのだとすれば――分かるだろう?」
アルカトルテリアの長所は、契約を絶対とする戒律、そしてその大質量を生かした莫大な輸送力だ。
一方で、海を越えることはできない。いずれかの都市が長距離航海を可能にしたとすれば、アルカトルテリアに比肩し、あるいは凌駕しうる。
――ラオとハウロンは、伏見ら千明組の背後に幻想を見ていた。
日本という幻想を、だ。
彼らの想像する都市は確かに存在しているが、しかしこの世界にはない。
とはいえその幻想を否定することなど出来ないだろう。異世界からこの世界に転移してきた、などという荒唐無稽な事実に比べれば、彼らの推測こそが現実的だった。
「どうやら伏見は技術の核心を独占するつもりらしい。私たちに与えるのは切れ端のような技術ばかり。自らの利益にばかり目を向けて、アルカトルテリア全体の危機を気付いてもいない」
伏見には、見えていなかったのだ。
なまじ事実を知るばかりに、この世界の人間が千明組の背後に怯え恐怖する可能性を見落としていた。
「彼らを厚遇すべきだという意見には大いに賛同しよう。だが、伏見という男は実につまらん。守りに入るばかりで欲というものを知らないようだ」
面談での言葉を、ラオはあっさりと翻した。
魚のエラに突き立てたナイフを引いて、その首を落とす。
「あれはいらん。彼らを取り込むならば邪魔になるだけだろうよ」
扉の前に控えていたのだろう。ノックもなく姿を表したティエロの背後には彼の配下が続く。
運び込まれたのは巨大な長持だ。ちょうど――人体が一つ、収まるような。
木箱から漂う異様な生臭さに、ハウロンはいよいよ頭を抱える。
「ラオ祭祀。ご注文の品、お届けに参上いたしました。こちら確認していただいても?」
床に置かれた長持の蓋が開かれて、血腥い匂いが部屋に充満していく。
自らの血に沈んで。
千明組若頭、伏見の死体が恨みがましく虚空を見上げていた。




