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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
ヤクザ、異世界に行く
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010話.ヤクザ、鉄砲玉を手に入れる

 千明組の敷地には古い蔵がある。

 詳しい由縁などな伝わっていないけれど、江戸後期からそこに建っていたものだという。幾度となく補修を重ねはしたが、経てきた年月は隠せない。補修の出来が少し悪く、そのせいで文化財指定を辛くも逃してしまった。

 納屋にある様々なガラクタよりもなお古く、得体のしれない物品が、土蔵の中で一年に一度のすす払いを待ちわびている。

 千明組の誰もが、普段ならば近寄らない。

 そんな土蔵の地下に、座敷牢はあった。

 江戸時代の悪習だ。少々困った性質の人間――それでいて殺すに忍びない、けれど世間様に見せる訳にもいかない身内を閉じ込めておくための部屋。

 あまりにも前時代的な、鉄格子付きの四畳半。

 何度も埋め立てが計画されたが、なんだかんだ存続し、現在に至る。

 当然、千明組の人間だって――もちろん、一度だって、使ったことのないことになっているその部屋に、今は来客がいた。

 身内ではない。

 インターホンも押さず、ちょっとばかし強引に千明組へお邪魔しようとした挙句三ツ江に意識を落とされた鉄砲玉さんである。

 今は部屋の隅っこで体育座りしている。

「やっぱ反応しねぇーっスね、コイツ」

 牢の鍵を開けて、三ツ江は狭い入口をくぐる。

 靴のままだ。畳が腐りかけ に入るが、鉄砲玉の少年は一瞥もしない。両膝の間に頭を挟み込んで、見ざる聞かざるを決め込んでいる。

「伯父貴、コイツは使いもんにならねぇんじゃ……」

「いいから見てろって」

 山喜は気軽に手を振ると、その足……地下足袋のつま先を少年へと押し当てた。

 年齢にそぐわぬバランス感覚で少年の額を持ち上げると、そのまま壁へと叩きつける。

 怪我もさせない、瘤一つ作らない。ただ、衝撃は土壁を揺らし、少年の目を開かせた。

「よーし、こっち見たな? こんばんは。歯ぁ磨いた? 顔洗った? 昨日何食った?」

 足で頭部を抑え込んだまま、山喜は少年に顔を寄せる。

 滑らかで、それでいて抵抗の余地などない暴力。

「はぁん。見えてるけど、見ちゃいねぇってか」

 それでもなお、少年の瞳には色がない。焦点は合わず、口も半開きのまま。意思というものがない。

「おぅい。聞こえてるかー?」

 なので、ほんの少し、体重を右足に預ける。

 たったそれだけで土壁が崩れ、補強に使われていた植物の茎が露出した。少年の痛みはどれほどのものだろう。鈍く、喉の奥から悲鳴が絞り出される。

「まったく、最近の若ぇのはなっちゃいねぇなぁ。今時のじじいは話し相手が少ねぇんだ、寂しいんだよ。……返事をしなければ殴る。わかるかー?」

 返事がなかったので、足を浮かせ、もう一度壁に叩きつけた。

 再び、うめき声。

「よーしいい子だ。挨拶は大事だよなぁ」

 山喜は少年を解放すると、しゃがみ込んでその顔を覗き込む。

「返事は?」

「……あい……」

「さて、名前は?」

「……やつ、ふさ」

「八房? 八犬伝かね。それとも唐辛子かい」

「……おとうさん、が、八年、牢屋に入れられて……」

「学があるのかねぇのか、わかんねぇ名前だねぇ」

 ようやく、少年が口を開き始めた。

 着古されたスウェットの上下にサンダル。バリカンで丸刈りされた髪をそのまま伸ばしたような見すぼらしい頭に、痩せこけた頬、生気のない肌。

 年の頃で言えば、この場の誰よりも若い。山喜にとっては孫のような年齢だ。だというのに髪には白髪が混じり、何もかも諦めたような瞳は誰よりも老いて見えた。

 とてもじゃないが、ヤクザには見えない。精々、お得意様の麻薬中毒者といったところだろうか。けれどそれにしては禁断症状もなく、薬を欲しがる様子もない。

 当然と言えば当然の話。八房と名乗った少年は、到底まともな人間とは呼べなかった。

 言葉よりも暴力で、食事ではなく餌で育てられた人間。

 戸籍もなく、学校なんて行ったこともない。そんな人間は、現代においても確かに存在していた。

 七歳になる頃までは、まだ人間であったように思う。

 母親に捨てられ、父親に預けられて以来、彼のルールは非常にシンプルなものになった。

 言うことを聞かなければ殴られる。失敗すれば殴られる。何もしなくても殴られる。

 家畜の方がいくらかマシだ。家畜なら医者に診てもらうことも、殺してもらうこともできる。

 いつの間にか折れていた左足はゆがんだまま繋がって、歩くたびに引きずらなくてはならなかった。その姿がみっともないと言ってまた殴られるのだ。

 死んでしまいたくて仕方がなかった。

 その機会が訪れたのはつい昨日――一昨日だろうか? 

 千明組の近くまで運ばれて、放り出された。車を盗んで、千明組の屋敷に突っ込めと言われた。それで父親との会話は終わった。

 ようやく死ねと命じられて、八房がまずしたのは車を盗み出すことだ。すぐ傍にあったガソリンスタンドで目についた、運転手の居ないタンクローリーに乗り込んだ。

 八房には知る由もない。

 その頃、千明組のもっと上、清栄会のはるか上にある任侠団体に対して同時多発的にカチコミが行われた。弱小団体である千明組など、カチコミの主犯らにはどうでもよかったのだ。

 ちょうどいいからコイツを捨てておこう。

 成功すれば儲けもの。

 父親の論理は、その程度のものだった。

 それから千明組に起きたことは今更語るまでもなく、他の任侠団体がどうなったかなど語るべくもない。

「で、だ。八房君。なんで君がここにいるか、わかるかい」

「……さぁ」

 山喜の問いかけだって、どうでも良かったのだ。どうせ何を言っても殴られるのだから。

 そう思っていたのに、山喜は辛抱強く八房を見据え、説明を続けた。

「君がここにいるのはな、君がうちにカチコミかけたからだ。俺らぁあやうく死ぬところだった。だから君にゃあケジメをつけてもらわにゃならん。分かるかい?」

「……ケジメ……?」

 わずかに、八房が視線を上げた。山喜の顔に焦点が合う。

「そう、ケジメだ。君の親父は教えてくれなかったかい。禊っつってもいいやな。悪ぃことしたから、ごめんなさいして、詫び入れて、それでチャラにしてやろうってんだ。……なんや、何か言いたそうな顔してんなぁ。言うてみ。ホレホレ」

 山喜に促されて、恐る恐る、八房が口を開いた。

 唇が震えている。無理もない、自分の言葉を求められたことなんて、はたしていつ以来だろう。

「僕、は、おとうさんに言われて、カチコミ、して、それで……」

 山喜は笑顔のまま何度か頷くと、笑顔を崩さずに、八房の胸ぐらをつかんで土壁に叩きつけた。

「君のお父さんのことは聞いてねぇんだ。詫びを入れるつもりがあるのかって聞いてんだ。分かるか?」

 返事をしようにも呼吸すらままならない。

 父親に振るわれてきた暴力とは物が違う。

 父親の暴力は痛みと恐怖を与えるだけのものだった。何日も怪我が治らず、夜も眠れなくなるような。

 山喜の振るう暴力は、ただひたすらに抵抗の余地を削いでいくようだった。痛みよりも衝撃を、恐怖よりも無力を与えられる。

 声も出せず、必死に首肯を繰り返して意思を伝えた。

「よし、詫びる気があるんだな?」

 問われるが、息を整えるのに精いっぱいだ。ろくに言葉も次げない。

 そんな八房を見て、山喜は満足げに笑う。

「なに、難しい話じゃねぇ。コイツらの言う通りにすりゃあいいんだ」

「コイ、ツら……?」

 山喜の指を追って八房が顔を上げた。

 背後に控えていた伏見らとようやく目が合う。

「コイツらの言う通りにちゃんとやりゃあ、テメェの面倒は俺が見てやる。……今はうちも人手不足でなぁ。猫の手も借りてぇのよ」

 言われた言葉の半分も分からなかったけれど、八房は頷いて見せた。

 山喜は立ち上がると、その片手で八房を立たせる。

「……にしても、こんだけ痩せてるとなぁ」

 楊枝か竹串のような身体をしばらく眺めると、振り返って伏見に命じる。

「とりあえず、ちゃんとしたメシ食わせてやれ。あと恰好な! こんなんじゃハッタリも効かねぇ」

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