104話.ヤクザ、囲い込む
「学者と言ってもまだまだ駆け出しで、パトロンもついてないんですけどね……」
熱いお茶が注がれた素焼きのカップで両手を温めながら、女――レイエはおずおずと口を開く。
「お金ないから、私塾の方で講師をやったり、写本してばっかで。マトロさんに例の件――えっと、言っていいんですよね? 伏見様が持ち込んだ腕時計の解析に呼ばれたのも、そんなアルバイトの一つだったんです」
「蟹男の……」
マトロの名前に反応して、ファティは露骨に嫌そうな顔をした。
人格とファッションはともかく、マトロは一代で商会を立ち上げ、祭祀座にまで手を伸ばした傑物だ。特に人を、商機を見る彼の目は信用に値する。見た目がいくらダメっぽくても、彼女は将来性のある人物なのだろう。
「やっぱり解析の中心は有名どころの先生が押さえてましたから、私は触ることもできなくって。夜中にこっそり盗み見しようとしてたら、今度はイミュシオンに襲われちゃったんです。咄嗟にイミュシオンの弱点である岩塩を呑み込んだんですが……体内に入り込まれたあとだと効果は薄かったみたいですね。貴重な体験でした」
「……倒れた原因、その塩じゃねぇの……?」
一般的に、塩の致死量は体重の二千分の一程度だと言われている。体重一キロあたり約一グラムだ。間違っても真似してはいけない。
「オマケに、あのアウロクフトにまで入ることが出来たんですよ! このご時世にああも純粋な神話を保っていられた都市は本当に貴重で! ちゃんと調べて本にしたら大儲け間違いなし!」
鼻息荒く、レイエがぐっと拳を握りしめて立ち上がり――そのままふらりと椅子へ座り込む。体調は未だ思わしくないらしい。
学者という身分であっても思考がすぐ儲け話へと流れるのは、アルカトルテリアの住人ならではと言えるのだろうか。とはいえ学問には金がかかるものだし、単純にレイエが貧窮しているという線も捨てきれない。
この世界における神学者、それも若く有能と来れば是非とも欲しい人材だ。運がいいことに、こちらへ恩義を感じてくれているらしい。
どう使うべきだろうか。じっくりと相手を値踏みしながら、伏見は女の会話に付き合う。
「まぁ、なにはともあれ無事でなにより。森ん中をわざわざ連れてった甲斐があるってもんだ」
「本当に、伏見様にはなんてお礼を言ったらいいのか……」
構わん構わん、と伏見は鷹揚に手を振る。
「困ったときはお互い様、ってな。いつかうちのモンが困ったときに助けてくれりゃあそれでいい。ついでにまぁ、その伏見サマってのもやめてくれるとありがたいね」
ヤクザの若頭、と言えば大仰に聞こえるけれど、ようはチンピラの大将だ。客でもないのに様付けされるのはケツの座りが悪い。
レイエはしばらく戸惑ったあと、笑みと共に伏見の名を呼んだ。
「じゃ、じゃあ……ふしみん」
「急に近すぎない?」
嘆息しつつ、伏見は頭痛をこらえるように眉間をさする。ふしみんはいただけないが、様付けよりはまだマシだ。
財布代わりの革袋を懐から取り出しつつ、伏見は村長に話を振る。
「ちゅーわけで、体調が回復するまでレイエさんに便宜計ってやってくれ。代金はまぁ、こんなもんでいいか」
「はぁ、それはもちろん構いませんが……」
差し出された硬貨をうやうやしく両手で受け取りながらも、村長は不満そうに眉をひそめていた。
伏見に言われずとも、村長はレイエを助けるつもりだったのだろう。トルタス村がゴブリンもどきに襲撃された時、伏見らは縁も報酬も抜きに助けてくれた――と、村長は思い込んでいるのだ。
助けられた者が、今度は助ける側に回る。
大変結構なことだ。美談ですらある。かといって、伏見は立場上、諸手を挙げて賛同するわけにもいかない。
トルタス村はもはや田舎の農村ではなく、村長は契約商業都市・アルカトルテリアの中で恵比須顔の商人どもから村を守る立場にあるのだから。
「……滞在費は全部ウチにつけとけ、って言いたいとこだけどな。そんな空手形を切っちまったらあっというまに破産しちまうんだよ、この都市じゃ。村長さんも気ィつけてくれよ?」
窓のない小部屋の中で、石壁の向こう――たき火を囲んでいた商人らを睨みつけるように伏見は告げる。
「集まってる商人連中も、いいように便宜を図ってくれたろ? 麦を高値で買い付けたり、アルカトルテリア特産のガラス製品を安く売ってくれたり。決まり文句はこうだ。――これから、良い関係を築いていきましょう」
一言一句とはいかずとも、心当たりはあったのだろう。
村長は素直に驚き、動揺した心中を露わにする。
「そ、それが一体――」
「商人も詐欺師も、まずは信頼関係からってことだよ。騙すためにはまず信じてもらわねぇとな。今日集まった連中の中にもそういう手合いが紛れ込んでるだろうから、警戒はキッチリしてもらわねぇと」
伏見の指摘に、ようやく村長は事態を把握してくれたらしい。、
アルカトルテリアに編入された際、トルタス村は多くの土地を失っているのだ。土地は人口を食わせていくために必要であり、人口はそのまま力となる。その力は武力や労働力に限らず、技術や文化を発展、進化させるための原動力にもなり得るものだ。
大雑把に言ってしまえば。
人口を百人増やす度に百人に一人の天才を得るのが文明というものなのである。
人はいずれ増えるが、増えた人口を賄うための土地はそう易々と増やせはしない。普通ならそこで詰みだ。状況を改善するためには――色々方法はあるけれど、やはり一般的なのは外部からの助力を得ることだろうか。
「もぅ。伏見さんは脅かし過ぎです。この街はそんなに危なくないですよ」
助け船を出したのは、村長の三分の一も生きていない少女だった。
「もちろん契約は絶対ですけど、よそと違って暴力沙汰もありませんし。それでも不安でしたら、当商会から担当者をつけましょうか。契約の前に相談していただくだけでも大分違うと思いますよ?」
「ファティさん……!」
年端のいかぬ少女相手に、村長は縋りつかんばかりだ。テーブルさえなければ本当に縋りついていたかもしれない。
脅すだけ脅しておいて助け船を出す。よくあるやり口である。
どこぞの馬の骨とも知れぬ輩に騙されるよりは、伏見達に騙されておいた方がマシだろう。何、仲介料としていくらか貰うだけだ。保険や税金みたいなものだと考えて欲しい。
「にしても外の連中は多すぎやしないかね。アウロクフト目当てにしても、耳ざとい連中ならウチが交渉権押さえんのは知ってんだろうに」
「今はどこも買いのターンですから。在庫を増やすのに必死なんですよ」
「あー、秋口だとそうなんのか」
今さら語るまでもなく、秋は収穫の季節だ。厳しい冬に備えて家畜も潰すし、麦を代表とする穀物や豆類は保存も効く。商人としては倉庫のスペースが許す限り蓄えておきたいところだろう。
「そちらさんも今は買い付け優先かい」
「もちろんですよ。冬はとにかく物が出ていきますから。それにもうすぐ戦争がはじまりますから」
「……今なんて?」
可憐な少女の唇から飛び出した物騒なセリフに、伏見は思わず尋ねた。
対するファティはそんなことも知らないのかと首を傾げ、言う。
「戦争ですよ、戦争!」




