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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
鏡面相克都市・ファウラ=ラド 上
101/130

100話.だいたいコイツのせい。

「そうですね……。まさとしって分かりますか」

 誰ですかそれ。

 と、そう返すのが自然な流れだろう。よくある人名だし、お嬢にも何人か覚えがある。昔の同級生や先生の中にそんな名前の人はいた。

 けれど、彼らと向山には何の接点もないはずだ。少なくともお嬢は知らないし、そもそも話の流れがまったく分からない。第一、人名などの固有名詞は翻訳されないのではなかったのか。

 脳裏に浮かぶ様々な否定要素とは裏腹に――向山が呟いた「まさとし」という言葉は、翻訳を通し、ニュアンスだけをお嬢へと伝えてくる。

 名詞と動詞を組み合わせたそのイメージは――「眉毛」と「抜く」だった。

「なんで『まさとし』にこんなイメージがついてるんですか……!」

「説明しましょう。……子どものころ、家族や友達との間でしか通じない言葉ってありましたよね。『ぱんぱんする』が布団を干すことだったり、高橋君がお漏らしをして以来、お漏らしのことを『高橋する』って呼ぶことになったり」

「その高橋君も、異世界でお漏らしのことをバラされるとは思ってなかったでしょうね……」

 高橋君のことはともかく、今はまさとしである。

 向山の言いたいことはなんとなく理解できた。小学校の頃、音楽の先生があまりにも厚化粧だったものだから、濃い化粧を見るたびにその先生の顔を思い出してしまうのだ。

 言語は私たちが思うよりずっとあやふやで、常に変化を続けている。

「まさとし君は……僕のクラスメイトでした。学年で一番眉毛が濃くて、よくそのネタでイジられていた人気者です。本人はいつも笑っていましたけど……実は気にしてたんでしょうね……」

 俯く向山の目元に、前髪が影を落とした。

 表情に混じるのは憂いと後悔の色だ。……正直、こんなネタで深刻ぶられてもリアクションに困る。

「ある日の授業中、まさとし君はこっそり自分の眉毛を毟っていたんです。それ以来、同級生の間では眉毛を抜くことを『まさとし』と呼ぶように」

「ほぼイジメじゃないですか」

「うーん……それは難しい所です。本人も普段から眉毛ビームとかやってましたし。お互いの眉毛を毟り合う『まさとしゲーム』が流行ったこともありましたね……」

 その辺の定義は複雑極まりない上に炎上しかねない案件なので、割愛するとして。

 本題は、確か――

「――あれ、何の話でしたっけ。まさとしの印象が強すぎて……」

「私たちの間にも翻訳機能が働いている。その証明です」

 同じ日本語を使っていても、お嬢は『まさとし』の意味を知らなかった。当たり前だ。誰だって知るかそんなの。

 普段の会話が翻訳されないのは、誤差が小さいためだろう。

「僕、篠原さんとは仕事上よく話すんですけど、お互いの専門分野を語ろうとするとすぐに翻訳されますよ。難しい横文字とかでも雰囲気が伝わってきますから便利なものです」

「同じ日本語を使ってるのに、ですか……?」

「――そもそも、僕たちが同じ言葉を喋っているということこそが幻想なんですよ。極論ではありますが、人間は一人ひとりまったく異なった言語を使っています。たまたま似ているから、意思疎通できてしまうだけで」

 まさとしはともかく。

 言語は生き物だ。

 国、地域、仕事場、学区、教室、友人らのグループから家族まで、集団が異なれば全く異なる会話が繰り広げられている。昨今ではインターネットを介した趣味、カルチャーによる言葉の違いも顕著だ。

 生息地域が違えば生態も多様化する。辞書などでは到底追えないほどに細分化した言語という生物を「日本語」という枠に収めるのは不可能に近い。

 ましてや、それらを自動的に翻訳することなど、狂気の沙汰か神の御業としか言いようがないだろう。

「僕たち一人ひとりを辞書だと考えてみてください。この世界における神域は、それらの辞書を収める書架のようなものなのでしょう。書架を通し、収められた無数の書籍を参照することでようやく翻訳が可能になり――時には誤訳も発生する」

「誤訳って、アレだよな? あの、兄貴がやたらとこだわってたエルフうんぬんの話」

 衰退森林都市・アウロクフトに住まう人々を、この世界の翻訳機能は『エルフ』だと誤訳した。

 確かに、表面上の特徴を数え上げれば彼らはエルフに近似している。

 閉ざされた森の深くに住まい、文明を拒絶して隠棲する古き人。金糸のごとき髪は薫風にたなびき、年経た巨木をも従える森の女王。

 ――けれど、彼らは間違いなく人間だ。

 金髪は生まれついてのものではなく、文明を拒絶するのは神敵による襲撃を避けるため。

 妖精でも精霊でもなく、イルーヴァタールの子らとすら呼べない。

 伏見ら千明組の人々と同じ、元の世界に由来する転移者の末裔。

「そう、この誤訳がきっかけでした。人間である彼らが何故『エルフ』だと誤訳されたのか? 正直に行ってしまうと、僕もちょっとついていけない分野の話ではあるんですが……」

 机に散らばった雑紙の中から一枚の覚書を探し出して、向山は書面に目を落とす。

「ええと、伏見さんが言うには、ですね。アウロクフトの人々は、生物学的に言えばホモサピエンスなんです。けれど、文学的にはエルフと呼んで差し支えないそうなんです」

 ――J・R・R・トールキンは英国の作家だが、家系としてはドイツ系なんだよ。

 ――幼年期を南アフリカやイギリスの片田舎で育ち、後には第一次世界大戦にも一兵卒として参加している。

 ――指輪物語は見たか? 三部作全部エクステンデッド・エディション版で見たよな? 作中で描かれるホビット庄やエルフの森は平和に、あるいは神聖的に描かれる一方で、サルマンが率いるアイゼンガルドやサウロンのモルドールでは木々を燃やし山を切り崩して武器を作っていた。

 ――トールキンは産業革命後、環境破壊が進行するイギリスに生きていた人物だ。これらの描写から推察できる通り、彼はそれらの変化に危惧を抱いていた。

 ――対して、アウロクフトの人々はどうだ? 古アウロクフトは転移者によって公害が生まれるほどの工業化が進められ、そして崩壊した。

 ――ある意味、トールキンの危惧がそのまま現実化してるんだ。

 ――古アウロクフトの崩壊から逃げ出して森に住み着いた人々は、トールキン以前のファンタジー小説に登場する妖精らとトールキン自身が抱いた『古き良き人』のイメージを混ぜ合わせて生み出された『エルフ』と極めて近しい存在なんだよ!

「……とまあ、そんな感じで熱く語っていただきまして。正直ついていくのがやっとだったんですが……」

 お二人は分かりますか、と向山は尋ねる。

 お嬢も三ツ江も、正直さっぱり分からない。

 ぼんやりと、「アウロクフトの人達とエルフは似てたから誤訳されたんだなー」くらいに把握する。

 ――余談ではあるが、トールキンは自身の著作においてどのような寓意をも含まないと主張していた。伏見の考察はその成否に関わらず、著者の意見を無視しているとも言えるだろう。

 ここまでの推測をまとめると、こういうことになる。

『一人の人間を辞書と考えた場合、この世界における神域とは書架のようなものである』

『翻訳機能は人と人との間に神域を挟むことで成立している』

『アウロクフトの人々は生物学的には人間であるが、伏見によると、指輪物語を書き上げたトールキンのバックボーンを考えればエルフであるとも言えなくもない』

 つまり。

「……あれ。つまり伏見さんがいなければエルフだと誤訳されることもなかったのでは……?」

 それな。

祝! 百話!

いや内部的には零話があるので百一話目なんですけどもとにかく百話。

誰も祝ってくれないからセルフで祝っていくスタイル。

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