009話.ヤクザ、子供をお風呂に入れる
蝋燭の明かりが照らす密室で、組長と村長が二人、愛の芽生えそうな距離で見つめ合ってる頃。
千明組に避難した子供たちは、未知の文明による脅威にさらされていたりした。
「さー、みんなオフロ入ろうねー」
それは、年上のキレイなおねえさんに服を剥かれ、
「おーし、風呂はこんなもんだな。お嬢、一人ずつ順番に連れてきてくれるかい」
寸胴鍋を何倍も大きくしたような釜で煮られる、という。
大人になって思い返してみると、アレ凄いラッキーだったな、なんて思い出になってるタイプの脅威である。
庭に案内された子供たちの目の前にあるのは、焚火と、見たこともないくらい大きな鍋――ドラム缶だった。
すぐそばでは、包丁片手にトシエさんが食材の下ごしらえをしている。リズミカルに、てきぱきと。里芋、人参、玉ねぎに豚肉……メニューは豚汁だろうか。
歩き疲れ、襲撃の恐怖も未だ癒えぬ子供たちに暖かいものを食べさせてやりたいという心遣いだろう。
ただ、子供たちにとっては全く別の光景が見えていた。
「……わたしたち、煮られるの……?」
「食べられちゃうの……?」
と、この場で唯一の顔見知りであるシルセの母親に群がっている。
シルセの母親とて、現状が理解できず、身を強張らせて警戒していた。
トルタス村の人々にとって、「お風呂」というのは未知の概念だった。この辺りは空気も乾いているし、水にもそう余裕はない。水浴びや、温めたお湯で顔を洗う程度が精いっぱいだったのだ。
だから、翻訳されていない。
そんな不安に気付く様子もなく、山喜らは作業を続けていく。
「伯父貴ー。コンクリートブロック洗ってきたっスけど、これでいいっスか?」
「おう。中に積み上げとけ」
風呂に浸かっても足がつくようにあらかじめ底上げしておく。そういう気遣いは出来るのだけど、肝心の子供たちは未知の調理法に怯えていたりした。
「それじゃ、女の子からお風呂に入れちゃいますねー。男性の方は男の子たちを連れてちょっと部屋の中入ってて下さーい」
「なんだい、こんなガキ、男も女もそう変わんないでしょうよ」
「ダメですよぅ。今時、幼稚園児だって女の子なんですから」
「そんなもんかねぇ……」
お嬢の気遣いも子供たちには届かず、女の子たちを庇おうと男の子たちが前に出る。
トルタス村の子供たちは全部で八人。下は三歳から、上は十歳くらいに見える。子供たちの中ではシルセが最年長だ。乳飲み子や妊婦がいないのは――幸運と呼んでいいのだろうか。
風呂に入れて疲れを取った後、豚汁でおなかを一杯にして寝付かせる。そんな算段だったのだけれど。
「さーて、じゃあ誰からお風呂に入ろっかー? んー、じゃあ、キミから――」
「ひぃ」
お嬢に指名された巻き毛の女の子が、喉の奥から悲鳴を挙げる。応じて、周囲の子供たちが一斉に身構えた。
「……三ツ江さん。私、怖いですかね……」
「お嬢はかわいいから大丈夫っスよー」
一方、ゴブリン撃退の準備は子供たちに隠れて進行していた。
納屋やガレージ、勝手口から必要なものをかき集めては、玄関先の軽トラへと詰んでいく。
この段に至っては、ミゾロもお客様気分ではいられない。荷運びを頼まれて、納屋と玄関を何度も往復するのだが。
「コレは……」
「そりゃ鉄パイプ。農具よりは扱いやすいし、使い勝手もいいだろ」
仮設足場用の物だ。近所の――近所だった建築会社から古くなったものを払い下げてもらった物である。両端に突起やボルトを固定する為の穴がある為、何かと便利に使っている。
こんな風に、未知の道具にいちいち疑問を持たれるのが玉に瑕だ。
確かにあんな小さな村では金属加工の技術も乏しいのだろうけれど、いちいち聞かれても困る。
納屋には、ミゾロにとっては驚天動地の品々が雑多に詰め込まれていた。それは例えば、ガソリンで動く発電機やチェーンソー、小型の耕運機など。
残念ながら、ミゾロに見せたところで商売になどならない品々だ。
荷物を積み込み終えると、次に待っていたのは人選だった。
「坊、そっちはどうだい!」
「兄貴ィ! こっちは片付きました!」
内庭から、山喜と三ツ江が顔を出す。
「こっち、手伝えなくて申し訳ねぇっス!」
「あー、構わん構わん。……子供らの様子は?」
「今、トシエちゃんとお嬢が寝かしつけてくれてるよ。こういうのは女に敵わねぇしなぁ」
三ツ江の後に続いて、シルセの母親も姿を現す。
こちらは山喜やトシエさんが上手く対応してくれたのだろう、表情はすっかり和らいで、笑みすら浮かべる余裕があった。深く腰を折り、伏見らに頭を下げる。
「この度は、本当にありがとうございます……。子供たちも、ようやく落ち着いてくれたようで……」
「構いませんよ。礼はまた、別の形でお願いしますから。ねぇ、ミゾロさん」
「あ、ああ……」
ミゾロはすっかり怯えている様子だ。肩に手を置かれるだけでびくりと震える。
「しっかしよう。坊、こりゃ随分派手な出入りになりそうだなぁ、オイ」
軽トラの荷台に並べられた資材の数々を眺め、山喜が言う。
日本での暴対法成立以降――いや、それよりずっと前、平成の世になる頃から、ヤクザが派手に喧嘩するような時代は終わっていたのだ。現代の日本において警察の手は隅々にまで行き届き、口喧嘩一つでおまわりが飛んでくる。
拳銃なんてもってのほか。鉄パイプを持ったヤクザもんが集まろうものなら、全員まとめて塀の向こう。
伏見も知らない時代を、山喜は知っているのだ。
物騒な品々を見て、山喜は懐かしそうに笑みをこぼす。
「俺も手伝っていいかねぇ」
「……いえ。山喜さんや組長には、こっちを守っていただけねぇと困ります。何が起きるか分からねぇのがこの世界だ、行くのは俺と三ツ江……あと向山くらいで十分でさぁ」
ミゾロやシルセの母親にはすまないが、伏見にはこの組を守る義務がある。何よりまず、組、すなわち身内が優先なのだ。ここがどこであろうと関係ない。
伏見の考え通りに行かなければ死人だって出るかもしれない。そんな状況で、出せるのはここまでだった。
「それに、相手は所詮猿の群れですよ。伯父貴にお願いするまでもねぇです」
「……俺ぁ役に立たないかい」
「逆です。……組長に伯父貴、それに篠原や駒田がいればこっちはなんとかなりますから」
人選の理由は、技術の有無だ。
組長がいればひとまず組は存続出来る。山喜は何事でも器用にこなすし、教師役として若衆らを立派に育て上げてくれるだろう。
喧嘩が出来て、なおかつ替えが効かない訳でもない。三ツ江と向山を選んだ理由はそれだけだ。伏見自身は、仕事を請け負った責任を取らなくてはならない。
人選の理由を告げると、山喜は素直に納得してくれた。
納得した上で、一つ、助言する。
「……でもよう。それなら、他にちょうどいい奴がいるじゃねぇか」」




