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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
62/117

第62話 迷宮の幽鬼

 魔法光にぼんやりと浮かび上がる巨大な柱の間を俺たちは進んでいった。

 前方に見え隠れする白い影は、消えたかと思えば少し離れたところに再び姿を現す。それは人が歩くほどの速さで移動していた。

 幽霊なのか、人なのか、それとも魔物か。相手から見れば、魔法光を灯しながら接近する俺たちの存在はそうとう目立っているはずだが何の反応も示さない。逃げるでもなく、向かってくるでもなく、一定の速さで動き続けている。


 俺たちはその後ろをどこまでも追っていった。

 やがて、それとの間の距離は少しずつ縮まり、その後姿が見えてきた。

 それは白っぽい服を着た人間、もしくは人の姿をした何かだった。


 俺は足を速めた。

 いまや前を行くその姿がはっきりと見えるようになった。それは白に近い灰色のローブの裾を床に引きずりながら巨大な石柱の間をよろよろと幽鬼のように歩いていた。背中に垂れた長い黒髪は腰近くにまで達している。

 それは女だった。そして、その馴染みある後姿、歩き方は見間違えようがなかった。

 彼女だ。まさかこんな所にいたとは。

 俺はこれまでの疲労も忘れ、彼女に向かって駆け出した。



「待て!渡辺!止まれ!様子がおかしい」後で倉本が何か叫んでいた。

 だがその声は俺の耳に届かなかった。

 俺は立ち止まらずに彼女との距離を一気に詰め、そしてついに追いついた。


 俺は息を喘がせながら言った。

「……ガエビリス、俺だ、助けに来たよ」

 彼女は足を止めた。だが振り向かない。


「どうしたんだ、ガエビリス。大丈夫か?お前が酷い目にあったと聞いて俺は……」

 咳を切ったように口から言葉が飛び出した。しかし彼女は無言のまま、こちらを見ようともしない。怪訝に思い、俺は彼女の正面に回り込んでその顔を覗きこんだ。



 そして俺はショックを受けた。

 それはたしかにガエビリスだった。だがその顔からはすべての表情が拭い去られていた。それは人形のような無表情、無感情の異様な貌だった。ガラス玉のような青緑の虚ろな眼球には何も映っていなかった。すぐ目の前にいる俺の姿さえも。


「ガエビリス……おい、どうしたんだ」

 俺は手を伸ばし、彼女の手に触れようとした。

 その時、ひゅっと空を切る音がして、目にも留まらぬ速さで彼女の手が動いた。一瞬遅れて俺は手にヒリヒリする痛みを覚えた。

 同時に俺は背中をつかまれて、ぐいと後ろに強く引かれた。

 その勢いで俺は転倒し、迷宮の冷たく硬い床にしたたかに体を打ちつけた。

 倒れた俺を引きずり、倉本はさらに俺をガエビリスから遠ざけた。


 俺は倉本に抗議の声を上げようとして、そしてその時、ようやく自分の右手が手首からほとんど切断されかけていることに気がついた。骨にまで達する傷口から血がどくどくと溢れ出している。俺は呆然とそれを眺めていた。ガエビリスに手刀で斬られたのだと気づくまでに時間がかかった。

 倉本が動脈血が噴き出す傷口を強く握った。指の間から白い湯気が立ちのぼる。治癒魔術だ。激しい痛みを伴いながら肉が融着して傷口を塞いだ。とにかく血は止まったようだ。



 ガエビリスの両手の爪は長く伸び、ナイフのように鋭く尖っていた。

 その魂の宿らない瞳がくるりと動き、俺と倉本を捉えた。獲物を狙う蜥蜴の眼のようだ。

 倉本は背中の鞘から二本の剣を抜き両手に握った。


「シィィィィ……」

 ガエビリスの唇がわずかに開き、蛇が威嚇するような不気味な音を放った。どう見ても正気ではない。操られているのか、あの邪悪な兄ギレビアリウスに。


「この地の永遠の静寂を乱す者は何人たりとも許さぬ……」

 彼女が氷のように冷たく平板な声で言った。

「……お前は誰だ」倉本が静かに問うた。

「我は迷宮の巫女。とこしえの静寂の継承者。聖なる地ガルヴチュナを汚す侵入者は排除する」

 そう言うと、スッと手を掲げて鋭く長い爪をこちらに向けた。


「……多重人格か、あるいは憑依されてるのか」

 倉本は彼女から片時も目を離さず、小声でつぶやいた。

「どちらにしろ、話は通じ無さそうだな」

 そう言うとガエビリスを見据えて剣を構えた。その眼光が鋭くなる。


 

「二人とも待ってくれ、聞いてくれ!」

 俺は両者の間に高まる緊張を割るように声を上げた。

「…………」ガエビリスは無言のまま立っている。


 俺は彼女に呼びかけた。

「ガエビリス、俺のことを覚えてないのか。俺だよ、渡辺だ。君と一緒にこの迷宮への入り口を見つけたじゃないか。俺が夜警に捕まったときには本部まで助けに来てくれたじゃないか。本当に全部覚えていないのか」

 彼女は何の反応も示さなかった。


「諦めろ、渡辺。もうお前の言葉はこいつには届かない」

「うるさい!何のためにここまで来たと思ってるんだ。俺は諦めないぞ。ガエビリス、正気に戻ってくれ、頼む。一緒に帰ろう。地下の街は危険な場所になったそうじゃないか。だったら俺と一緒に地上で暮らさないか?きみの弟のリゲリータも地上で待ってる」

「……静寂を乱す者は即刻排除する」


 次の瞬間、ガエビリスが動いた。

 同時に倉本も弾かれたように動いた。俺のすぐ目の前で二人が激突した。鋭利な鉤爪と剣がぶつかって甲高い金属音が上がった。二人はめまぐるしく動き回りながら攻防を繰り広げた。あまりの早さに動体視力がついていかない。切り結ぶたび二人の間に火花と血飛沫が飛び散った。



 このままでは二人のうちどちらかが倒れることになる。だが俺は黙って見ている事しかできない。俺は傍観者として無視されていた。

 またなのか。俺はいつも何もできない。悔しさのあまり拳を固く握りしめる。爪が食い込み、手のひらから血がにじみ出て床に滴った。せめて以前のようにローチマンに変身さえできれば……。


 待て。紗英さんに「治療」されて以来、俺はローチマンへの変身を試みたことがなかった。

 ひょっとしたら、まだ変身能力が残っているのでは。

 あるいは再び体内のローチマン細胞が復活しているかもしれない。

 可能性は低いけど、試してみる価値はある。


 俺はローチマンに変身する感触を必死に思い出そうとした。やがて下腹部からぞわぞわとした不快感が込み上げてきた。そうだ、この感じだ。いけるかもしれない。

 だが以前なら一瞬で完了したローチマンへの変身は遅々として進まなかった。それに痛い。以前の変身ではこんな錐で突かれるような疼痛など感じなかった。俺は歯を食いしばり痛みに耐えながら自分の肉体が徐々に変化していくのを待った。



 ガエビリスと倉本の間で閃光が走り、爆発音が轟いた。それに対抗して青緑色の鬼火が燃え上がった。二人の戦いは魔術を交えたより激しいものに発展していた。床面で急速に燃え広がった鬼火は俺の方にまで押し寄せてきた。俺は燃やされそうになって慌てて走って逃げた。

 重力が存在しないかのようにガエビリスの体が空中に浮かび上がった。その直後、上空から無数の針が降り注いだ。その一本が俺の脚にも刺さった。脚に突き立った黒い針を引き抜くと、それは俺の手の中で身をくねらせた。黒い針は生きた(ワーム)だった。おぞましさのあまり俺はそれを投げ捨てた。



 ようやく全身が黒い外骨格で覆われた。そして目に映る光景が粗いモザイク画のように変化していった。目が複眼に変化したのだ。そして最後に額から長い触角が伸び、ようやく変身は完了した。全身の筋肉が激しく痛み、呼吸まで苦しかった。だけど、今はそれどころではない。

 二人を止めるため、俺は戦いの渦中に身を投じた。

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