第30話 囮
俺は倉庫街へと逃げ込んだ。
後ろからシャモスと、彼女からラウスと呼ばれていた男の隊員が追いかけてくる。この姿に変身している今、全力で走れば彼らを振り切って逃げるのは簡単だろう。だが俺の役割は囮。あえて彼らがついてこられるスピードで走った。
彼らが話す声が背後から聞こえてきた。
「大丈夫ですかラウスさん」
「心配いらん、俺は無傷だ。だがあのローチマンは何なんだ。あんな攻撃的な奴は初めて見たぞ」
「まさか襲いかかってくるとは思いませんでした。ふつうローチマンは臆病で非力な連中ですからね」
「そうだな。ひょっとしたら新たな変種なのかもしれん。外見もどこか少し風変わりだった」
「ミノタウロスと関係あるのでしょうか」
「それはわからん。とにかく殺さず捕獲して調査研究部に渡したほうがいいな。このまま後を追おう」
何てことだ。絶対に捕まるわけにはいかないぞ。
俺は廃墟と化した倉庫のあいだのゴミだらけの狭い路地を選んで進んでいった。後から迫る二人組は散乱するゴミに足を取られながらも必死に追ってきた。ときおり真鍮のロッドで魔法を撃ってきたので、それを防ぐためゴミ箱や壊れた機械の残骸などの遮蔽物を彼らとのあいだに必ず挟むようにした。
当初の計画では、ミノタウロスを連れてとある空き倉庫に向かうことになっていた。そこでは別の協力者がほろ付きの大型運搬車で待機している計画だった。ミノタウロス共々それに乗ってこの場から逃走する手はずになっていた。
俺はその空き倉庫とは逆方向に向かってジグザグに進んでいく。
キンクとミノタウロスはそろそろ計画の地点にまで到着しただろうか。
夜警の二人組との間にはすでにかなり距離が開いていた。ここらで全力疾走し、二人を完全に撒いてしまおう。そして俺は計画とは別ルートで地下の街に戻るとしよう。
そう思い、一歩踏み出した時だった。
俺は真横から魔法で狙撃された。
強烈な一撃だった。俺は吹っ飛ばされて倉庫のレンガ壁に叩きつけられた。ずるずると地面に崩れ落ちそうになったが何とか脚を踏ん張って耐えた。脇腹の外骨格が砕け、亀裂から体液があふれ出していた。右中脚は根元からちぎれそうになっていた。
交差した路地の先から別の夜警隊員がロッドを構えて近づきつつあった。
軽率だった。後ろから追ってくる二人ばかりに気を取られていた。夜警は他にもいたのだ。
ロッドの先端が閃光を放った。
俺は路地の前方へと身を躍らせた。一瞬後、背後の空気を灼熱のエネルギーが切り裂いた。
路地の前方つきあたりの路上に、さらに別の夜警隊員が姿を現した。その数三名。右の路地からは俺を撃った男、後ろからはシャモスとラウスが迫る。左手に道はない。
俺は左側の倉庫の壁を駆け上がった。
追手からは丸見えで射線をさえぎるものは何もない。だが撃たれる前に何とか割れた窓から倉庫の中に逃げ込むことができた。
空っぽの木箱を蹴散らし、傾いた扉を蹴破り、広い倉庫の中を突っ切って無我夢中で逃げた。
裏口からそっと外の様子をうかがおうと扉に手をかけた。
その瞬間、扉が粉々に砕け散った。その衝撃で俺は裏口から弾き飛ばされた。
扉にかけた左手の、ひじから先がなくなっていた。きっとあの扉に、触れれば爆発するトラップ魔術が仕掛けられていたのだ。ひょっとしたら、他にもトラップがそこらじゅうにあるのかもしれない。その可能性に思い至って俺はぞっとした。
いつしか見かけたローチマンの死骸のことを俺は思い出していた。
通勤途中の朝の街角に転がっていたローチマン。通行人に遠巻きに取り巻かれ、内臓を飛び散らせて死んでいたローチマン。
あいつも夜警に追われ、撃たれて死んだのだ。
今の俺と同じように。
怖かった。俺も同じように死ぬのか。そんなのは嫌だ。
俺は人間だ。ローチマンなんかじゃない。この姿のまま死にたくない。
俺はふらつきながら倉庫の中へと戻った。そして積み上げられた木箱の間のすきまに潜りこんだ。
吹き飛んだ裏口から、四名の夜警たちが入ってきた。
「罠にかかったようだな」
「だが、ミノタウロスじゃなくてゴキブリ野郎とはね」
「しかし、いやに頑丈なゴキブリだったな。雷火魔術をまともに食らったのにピンピンしてるとは。ふつうなら胴体がバラバラに飛び散ってる威力だぜ」
「……ここに奴の破片が落ちてる。深手を負ってるな」
「体液がこぼれた跡が床に残ってるな。この跡をたどるぞ」
夜警隊員たちの足音が近づいてくる。
「この木箱のかげに続いている。ここに隠れているな」
夜警隊員たちはロッドを構えた。
甲高い励起音の後、いっせいに放たれた魔力は木箱の山を瞬時におがくずに変えた。
「ローチマンがいないぞ!」
すぐにひとりの隊員が気付いて声を上げた。だが遅かった。
俺は天井からその隊員の上に飛び降りた。そして無事な方の右腕で頭部を殴りつけた。骨が砕ける嫌な感触が腕に伝わってきた。
さらに鋼のワイヤーのような触角を振り回す。別の隊員が両目を切り裂かれて悲鳴を上げた。棘だらけの後ろ脚で別の男の腹を蹴り上げる。蹴られた男は腹を押さえてうずくまった。魔術を撃とうとしていた最後の一人の手から真鍮のロッドをもぎ取り、それで思いっきり顔面を殴打した。一瞬のことだった。
血を流し苦痛にうめく隊員たち。横たわったまま動かない者もいる。
俺は自分の振るった暴力の結果から目を逸らした。
仕方がなかったんだ。こうしなきゃ俺が殺されていたんだ。
俺は手に握り締めたままだった血塗れのロッドを慌てて捨てると、倉庫から逃げ出した。
再び運河沿いの道に出た。
いつしか夜の街には濃い霧が漂っていた。
マンホールから下水道に潜り地下の街に帰ろう。もう地上は沢山だ。
俺はとあるマンホールに歩み寄った。蓋には行政局のマークと「分流式」の文字があった。雨水とは別系統の下水道なので雨でも増水はしない。今回、このマンホールを通って俺たちは地上に来たのだ。俺はマンホールの蓋に右手と左中脚を引っかけた。アンバランスで持ちにくかったが何とか重い蓋をずらして開けることができた。
マンホールの中から、生温かい蒸気とともに下水の匂いが立ち上ってきた。
俺はその匂いに安らぎを覚えた。さあ帰ろう、我が家へ。
「動くな。動くと撃つ」
若い女の声だった。
白い霧の中から、シャモスが姿を現した。さらにその後ろから続々と大勢の夜警隊員たちが現れた。
完全に取り囲まれていた。
俺はマンホールに飛び込もうとした。その時、前に踏み出した右脚の足首のまわりに、オレンジ色に発光するリングが出現した。
いったい何だこれは。俺はリングから脚を引き抜こうとしたが、持ち上げた脚と一緒に光るリングもついてきた。脚を振っても取れない。
と、リングが高速回転しながら急激にすぼまり、俺の足首を断ち切った。
激痛が走り、足首の切断面から体液がほとばしった。
俺は足首を押さえてその場にうずくまった。
「動くなと言った」シャモスは平板な口調で言った。
「ゴキブリに言葉は通じないだろうがな」
シャモスはロッドを構えさらに魔術を放った。
手足の末端から全身に冷たい痺れが広がってきた。
「奴の全身を麻痺させました。もう動けません。捕獲してください」
シャモスは隊員たちに合図した。
俺は縛られて袋詰めにされた。そして数名の隊員に担がれ、車の荷台らしき場所に手荒に放り込まれた。
音を立てて荷台の扉が閉められた。




