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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第3話 過去の経緯

 俺の両腕は半ば自動的にスコップを動かし、水路の底に積もった砂を掻き出していく。

 一方、現実から遊離した俺の想念は過去へと漂っていった……。



 ――そう、あれは七年前の事だった。

 大学の新歓合宿で、俺たちはマイクロバスで山奥にある大学所有の合宿施設へと向かっていた。

 季節は春。車窓を爽やかな新緑が流れていた。

 ついに夢に見た大学生活が始まったあの頃、俺の胸は新生活への期待でいっぱいだった。暗く孤独な高校時代、受験勉強だけの浪人時代を耐え、そしてようやく到来した春だった。うるさい親から離れて新天地での念願の一人暮らし。この町では俺の事を知っている人間は誰もいない。これまでのみじめな自分を捨てて、生まれ変わる機会だ。友人をいっぱい作って、サークルに入ってバイトもしよう。これから俺の青春が始まる。当時の俺は何の根拠もなくそう信じていた。


 外を眺めながら大学生活を妄想していた時、ふいに声をかけられた。

「あの、……渡辺くん?」

 通路を挟んだ隣りの席に座る横井さんだった。同じ学科の同回生の女子だ。あの時の彼女はグレーのパーカーにジーンズという垢抜けない服装で、いかにも勉強ばかりしてきた真面目な娘といった雰囲気だった。入学から一か月近くが経過していたが、彼女とはまだほとんど会話したことがなかった。


「え、なに?」

 それほど親しくない女子に急に話しかけられて、俺は少し焦った。


 彼女は照れくさそうな笑みを浮かべながら、俺に向かってポッキーの箱を突き出していた。

「あの、これ、よかったらどうぞ」

「え、あ、いいの?じゃあ一本。……いただきます」

 俺は一本摘み取り、ポリポリと齧った。中にはチョコが詰まっていた。


「あの、せっかくなので、何かおしゃべりしませんか?こうして隣同士になったのも何かの縁ですし……」

 しまった。彼女に気まずい思いをさせていたのか。

「そ、そうだね。自分の世界に入りこんじゃっててごめん。人見知りなもんで」

「いえいえ、そんなつもりで言ったんじゃないんで」

 …………。


 そんなぎこちないやり取りで彼女との雑談ははじまった。互いに手探りの感じで、遠慮から少し堅苦しさが伴っていた。話題は互いの出身地や、年齢、入部を希望するサークルといった無難なものだった。

 彼女、横井紗英(よこいさえ)は現役合格で俺の一つ年下だった。石川県出身で大学の近くに下宿していて、バイトはまだ採用されていないが近所の喫茶店で働くつもりである。朝が苦手なので独り暮らしで毎朝遅刻しそうになっている。サークルはまだ決めていないがバトミントンかテニスをしたい。最近巷で話題の大ヒット映画を見に行ったが感動して泣いた。云々……。


 俺は彼女の言葉に相槌を打ったり、ときおり言葉を挟んだりしながら基本的に聞き役に徹した。横井さんの口調はおっとりしていて朴訥だったが、よく話した。女子の少ない学科であり、大学で親しい友人はまだできていない様子だったので、話し相手に飢えていたのかもしれない。


「うーん、ずっと座ったままだと疲れますね。あと何時間かかるのかな」

 彼女が座席でぐーっと伸びをした。胸のふくらみが強調され、ふわりといい香りが鼻先をかすめた。美人というタイプではなかったが、健康的で可愛らしい娘だ。こうやって隣り合って何時間も話し、しだいに彼女の事を知るにつれ、横井さんの好感度は俺の中でぐんぐんと膨らんでいった。窓の外の緑がまぶしくて仕方がなかった。



 前の座席では、車内でも帽子をかぶったままの男子が、別の男子と話していた。帽子が野村、もう一人が秋本だった。そう、後のノムラ商会最高経営責任者の野村博信(のむらひろのぶ)と、それに「勇者」、秋本俊也(あきもとしゅんや)だった。


 野村は二浪して大学に入った学科の最年長者だった。どこか風変わりな学生で、あご髭を伸ばし、金田一耕助が被っているような帽子を常に頭に載せていた。授業中でも被っているものだから、一度ならず講師から注意を受けていたが、それでも取ろうとはしなかった。

 野村は秋本に向かって饒舌に語りかけていた。漏れ聞こえてくる話題は、競馬に株、FXなど金にまつわるものばかりだった。


「へぇなるほど。面白いね」

 野村のマシンガントークに、秋本は爽やかな笑顔で応じていた。

 秋本は入学当初から学科のリーダーの位置に自然と収まっていた。リーダーと言っても大声を上げて場を仕切ったりはせず、気が付くと何となく、周囲が彼を中心にして動いているような感じだった。面倒見がよくて誰にでも分けへだてなく親しく接し、彼がいればいつもその場の会話が盛り上がった。おまけに身長は高くルックスも申し分なかった。その完璧人間っぷりには羨望を感じないでもなかったが、俺もあいつの事は嫌いじゃなかった。



 バスは俺たちを乗せて、平和な春の午後の日射しの中を進み続けた。

 だが、俺たちが合宿所に辿り着くことはなかった。

 バスがあるトンネルに入り、ナトリウムランプの光が車内を暗いオレンジ色に染め上げた瞬間だった。

 何の前触れもなくそれは起きた。

 白い閃光が走った。カメラのフラッシュなどの比ではない強烈な光だ。急ブレーキの音と悲鳴が響くのを聞きながら、俺の意識は急速に薄れていった……。



 意識を取り戻すと、俺は草の上に横たわっていた。慌てて起き上がり見回すと両隣りには横井さんと野村が眠っていた。

 秋本ほか数名はすでに起き上がり周囲を調べていた。そこは山の中だったが、これまでバスが走ってきた山中とは明らかに異質な場所だった。植生が違う。それに気温も違った。急に真冬に逆戻りしたかのような寒さに俺は身を縮めた。横井さんたちもすぐに意識を取り戻し、そして俺と同じように呆然とした。


 こうして、俺たちは異世界に転移した。


 マイクロバスに乗車していた全員ではなく、バスの後方の座席に座っていた学生11人だけが転移していた。誰も怪我は負っていなかった。


 その後、混乱しパニックに陥りかけた俺たちを野村が何とか落ち着かせ、全員で山を下った。人里に辿り着くまでの過酷で絶望的な旅の事は詳しくは説明すまい。ただ、途中で怪物に襲われ3人が死に、1人が発狂して山中に走り去り、そして1人が朝冷たくなっていたことを言うに留めよう。



 命からがら麓の村に着いた時、真の驚愕が待ち構えていた。

 見慣れぬ家並み、風変わりな人々、それに聞いた事もない言語……。俺たちは途方にくれた。そんな俺たちを救ってくれたのは村人たちだった。言葉が通じないながらも彼らは最大限に親切にしてくれた。数日間山中をさまよい衰弱しきった俺たちを介抱してくれ、体調が回復すると村はずれの空き家を一軒貸し与えてくれた。生き延びた6人はしばらくそこで暮らすことになった。

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