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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第22話 覚醒

 キンクとローチマンは俺の背後に目をやり、呆然としている。

 振り向くと隠し通路から下水道内に怪物がぞろりと這い出してこようとしていた。怪物は壁伝いに歩いてくる。そいつの鋭い脚の先端が石壁に当たってカチャカチャとリズミカルな金属音を立てた。


 俺たちは下水を跳ね散らしながら必死に走った。その後から金属的な足音が悠然と追ってくる。俺は走りながらガエビリスに言った。


「この怪物も、あんたが下水道に放ったのか?」

「違うわ。これは私が知らない怪物よ」

「じゃあ、例の古代の伝承に出てきた…」

「迷宮からやってきた怪物?何とも言えないわ」


 その時、前を走っていたキンクが派手に転倒した。

「げほげほ。おええ、飲んじまったぜ。苦い……」

「キンク!早く立て!走れ!」


 怪物はすぐ後ろに迫っていた。背後で空気が動く気配。次の一撃を覚悟し俺は身を縮めた。

 その時だった。背後で閃光が走り、破裂音が轟いた。


「ごめんね。警告する暇が無くてね」ガエビリスが言った。

「爆破魔術を使ったの」

 後ろを見ると、怪物はもうもうたる白煙に包まれて動きを止めていた。


「やっつけたのか?」

「わからない。念のためもう一発撃っておくわ。みんな、耳を押さえて!」

 ガエビリスがそう言った時だった。

 白い煙を切り裂いて無数の脚が伸びた。



 足元を流れる廃液の七色に、一筋の深い赤が混ざった。そしてさらにもう一筋の赤が。


「うぐ……痛ぇ」キンクが呻いていた。その右肩を槍脚が貫いていた。


「……ッ!」ガエビリスが無言で脇腹を押さえてうずくまっていた。傷口を押さえた掌の間から鮮血がとめどなく溢れ出ている。


「ローチマン!」一番後ろにいたローチマンの体は五本の脚で串刺しにされていた。まるで展翅台の上に縫い止められた昆虫のように身動きする事さえできない。


 怪物が足を引き抜くと、三人は下水の中に崩れ落ちた。



「おい、起きろよ。しっかりしろ……」

 俺は下水からガエビリスを抱き起した。彼女は意識を失っていた。普段から青白い顔色はさらに真っ青になっている。


 下水道の天井に立ち込めていた白煙が晴れ、再び怪物の姿があらわになった。

 無傷だった。文字通り、黒い外骨格には傷一つついていない。

 怪物はその醜悪な頭部についた複眼で俺をじっと見下ろしていた。

 キシキシキシキシ……

 怪物は何かをこすり合わせるような不協和音を立てた。


 その時、怪物の頭部に変化が生じた。黒い外骨格の継ぎ目が広がり、その隙間からピンク色の肉塊がせり出した。その湿った柔らかそうな器官は下に向かってだらりと垂れさがった。一筋の粘液が糸を引いて滴る。

 肉塊はパッと目を開いた。複眼ではなく人間の眼だ。つぶらな二つの眼は俺を凝視していた。よく見ると、肉塊には目だけでなく鼻も口もついていた。それは人間の胎児のような顔だった。

「キシキシキシ……」怪物から生えた胎児は明らかに笑っていた。



 間違いない、こいつは「闇の落とし子」だ。

 下水道清掃作業員の親方から聞いたことがある。

 下水には人間の精子や卵子も流れてくる。通常ならそれらはすぐに死んでしまうが、下水に違法投棄された回復薬と混ざり合うことで生存しまうことがある。変質した回復薬の作用で異種生物の細胞と融合した人間の生殖細胞は、スライムの内部に寄生して成長し、おぞましい怪物としてこの世に生を受ける。それが闇の落とし子と呼ばれる恐ろしい怪物だった。

 その姿は融合した生物の細胞により様々だが、共通しているのは体の一部のどこかに人間の片鱗を残していることと、そして例外なく人間を憎悪していることだ。



 怪物は俺に向かってゆっくりと進んできた。

 俺はガエビリスを引きずりながら必死に後退した。

 そんな俺を天井から冷徹な視線で見下ろしながら、怪物は脚を引き寄せて狙いを定めた。

 俺は逃走をあきらめガエビリスに覆いかぶさった。


 まもなく俺はその鋭利な脚で全身を串刺しにされて死ぬだろう。

 だけど、せめて彼女だけは守りたい。胸に抱いたこの人の命だけは。

 それは自分でも意外なほど強い感情だった。自分の中にこんな気持ちが眠っていたことに驚きを覚えた。

 俺は歯を食いしばり、次に来る一撃を覚悟した。

「……くそったれがぁ!」

 次の瞬間、八本の槍脚に刺し貫かれて俺は即座に絶命した。



 気持ちが悪い。死んだはずなのにひどいめまいと吐き気がした。

 不快感が頂点に達した時、へそを中心として体の中で何かが急激に膨れ上がり俺は破裂した。

 黒い閃光が弾け、底なしの闇の中を落下していった……。


 …………。

 霧が晴れるようにして闇が溶け去った。

 俺の周囲の世界は一変していた。いや、すべては以前と同じなのだが、それを知覚する俺の側が変化していた。一対の目に依存した視覚による表面的な世界認識に変わって、俺は体全体で周囲を認識していた。目で見なくても周囲の物体の形状、配置、物性、動きが手に取る様にわかった。


 俺は流れる下水に洗われながら仰向きに横たわっていた。

 さっきまで胸に抱いていたガエビリスはいなくなっていた。

 

 俺は知覚の網を周囲に拡大し彼女を探した。

 いた。下水道の下流側。

 天井に張り付いた怪物に、無数の脚で抱きかかえられていた。

 怪物の胎児の顔が、好色そうな笑みを浮かべて彼女の脇腹の傷口に向かって伸びていく。


 俺は立ち上がった。自分の体がまるで未知の物体のように感じられた。

 事実、それは異様な形状に変貌していた。

 体の表面が硬い装甲に覆われている。腕や脚に沿って鋸歯状の棘が並んでいる。そして、頭からは長い二本の鞭のような触角が伸びていた。

 俺は背中の翅を広げ、頭上の怪物めがけ飛び立った。

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