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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第14話 被矯正者

 精神矯正措置を受けた俺は、翌日から再び下水道清掃の日々に戻った。


 その日のスライム除去作業は東地区の繁華街だった。ここは飲食店などから高濃度の排水が出ているので特にスライムの発生が激しい。

 マンホールを開けると、強烈な悪臭が立ち上ってきた。中を覗きこむと、はしごの手すりは上の方までスライムに覆われ、下水管内に入っていくのも困難な状況になっていた。突然日光に触れて驚いたスライムどもは慌てふためき、ばらばらとマンホールの底に落下していく。それでもまだ大量のスライムが至る所を這いずりまわっている。


「おい、ワタナベ、お前から中に入れ」作業員の一人が言った。

「えっ……」

 さすがにこんな気持ちの悪い、状態の悪いマンホールになんて入れない。せめて高圧ホースで洗い流すなりしてから入るのが普通だ。いったい何を考えているんだ。そう思い作業員に問いただそうとした時だった。その作業員は再び俺に命じた。

「どうした、聞こえなかったか?入れワタナベ」

「………わかり、ました」

 なぜか、俺は作業員の言葉に従ってしまった。


 俺は身をかがめ、スライムだらけのマンホールに潜りこんだ。マンホールの壁から剥がれ落ちたスライムが体中に降りかかり、全身にへばりついた。光を避けようと服の中にまで入り込んできたのが肌の上を這いまわる。俺はむずがゆさと嫌悪感に気が狂いそうになった。はしごを下に降りるほど悪臭は強烈になっていった。


 下水管の中には茶色い汚泥の塊が山をなしていた。膝近くまでブヨブヨとした汚泥に埋もれ、歩くことも困難な状態だ。その間を、細流となってドロドロした灰色の汚水が流れていた。汚泥の表面では黒っぽくて小さい何かが無数に蠢いていた。何だかよくわからない虫の大群だった。

 下水管の天井を見上げると、そこには生きたスライムの群れがへばりついて垂れ下がっていた。それを見て足元の汚泥の正体に気付いた。スライムの死骸。死んだスライムが床に落下して大量に積み重なって腐敗していたのだ。汚泥から足を引き抜くたびに死骸の表皮が裂け、茶色い腐汁がぶちゅっと飛びだした。

 下水道の清掃作業には慣れていたが、ここまで状態が悪い場所はなかなかお目にかかったことがなかった。


 その時、頭上から作業員の声が降ってきた。

「いいかワタナベ、今日の作業はお前一人だけでやるんだ」


 無理だ、こんな大量のスライムをどうやって一人で片づけろというんだ。俺は抗議の声を上げようとした。しかし、


「……わかりました」

 口から出てきたのは、またしても意に反した言葉だった。


「よろしい。頑張りたまえワタナベくん」

「ハハハ」

「おいワタナベ、さぼるんじゃねーぞ。休憩はナシだ」

 作業員たち数名がげらげらと笑った。


 そうだ、これこそが第六段階の精神矯正措置の効果なのだった。被矯正者は市民の命令に従わなくてはならない。自分の意志で自由に行動することは許されない。


 俺は汚泥と化したスライムの死骸をスコップですくい取り、袋に詰めていった。体中を這いまわるスライムとゴキブリ、鼻や目に飛び込んでくる小蝿を無視して、ひたすら作業を続ける。続ける事しかできない。全身の筋肉が悲鳴をあげていたが、休むことができない。

 あの作業員たちは、下水龍(ヒュドラ)に食い殺されたキリスと親しくしていた連中だった。奴らが俺にこんな仕打ちをするのは奴らなりの復讐なのだろう。


 六時間後、ようやくスライムを詰めた最後の袋をマンホールから地上に運び上げた直後、俺は路上に倒れ込んだ。

 作業員たちは路上に座り込んで駄弁りながら煙草を吸っていた。運搬車の車内で昼寝をしている者もいる。


「おいどーした、寝てる暇なんかねーぞワタナベ。早く終わらせろ。こっちは待ちくたびれてんだよ」

「……わかり……ました」

 俺は最後の力をふりしぼり、痙攣する手足を叱咤して、袋を運搬車の荷台に放り込んだ。


「うん、ご苦労ワタナベ君。ところでお前、くっせぇぞ。一人で歩いて帰れ。じゃあな」

 作業員たちが乗り込むと、運搬車は黒い煙を吐いて走り去った。

 その場に残された俺は地面にへたり込んだ。



 次の日も、また次の日も俺は酷使された。

 作業員たちは俺を嘲り、蔑んだ。

 同僚キリスの死に対する復讐だけが理由ではないという事に、俺は気がつきはじめた。

 下水道清掃は不潔で危険で、人から感謝されることも尊敬されることもなく、儲かる訳でもない。誰もやりたがらない不浄な仕事で、教育を受けていなかったり魔術の素質がなかったりして他の仕事に就けない者の職業と見なされていた。だからこの社会では下水道清掃員は差別を受けていた。

 そんな彼らが、被矯正者という、自分たちよりも下の立場の人間を与えられたらどうなるか。答えは明らかだった。彼らは嬉々として悪意をむき出しにした。



 疲れのあまり体を清める気も洗濯する気も起きなかったため、俺の全身からはひどい悪臭が漂っていたらしい。らしいと言うのは嗅覚が麻痺しているのか自分ではよくわからないからだ。集合住宅の入居者たちから苦情が殺到し、ついに俺は部屋から追い出された。



 路地の壁に寄りかかり、這うようにして野宿の場所を探している時だった。

 俺は背後から服をつかまれ、路地から引っ張り出された。


「おいゴキブリ野郎、ここで何してんだ」。十代後半くらいの少年だった。

「……の、野宿を」

「はぁ?誰が許可するかよ。ここは俺たちの縄張りだ。出てけよルンペン」。別の少年が言った。

「わ、わかっ……」


「それにしても、こいつ臭すぎねぇ?普通ここまで臭くないだろ」。三人目の少年が言った。

「そうだな、こんな臭い乞食は社会の害でしかないしな、駆除するか」

 最初の少年が言った。どうやらこいつがリーダー格らしい。


「あはは、それ面白れぇかも」

「駆除!駆除!」

 他の二人が同調して騒ぎ立てた。


「ま、ま、ま、待ってくれ……」

 俺は少年たちに引きずられ人気のない工場の裏に連れ込まれた。


 少年たちは笑いながら遊び半分で俺に殴る蹴るの暴行を加え続けた。

 まぶたが腫れて塞がり、鼻が折れ、全身擦り傷と打撲だらけで倒れ込んだ俺を、少年たちは取り囲んだ。その目は異様な光をうかべてぎらついていた。


「燃えろ」。リーダー格の少年が炎の魔術を放った。

 俺の背中が突然火を噴いた。ぎゃあっと悲鳴をあげて俺は逃げ出した。少年たちは身を折りながら大笑いしていたが、それ以上追ってくることはなかった。

 幸いにも炎はすぐに消えたが、俺は背中に火傷を負ってしまった。



 俺は細い路地の隙間に身を潜めた。ここなら誰も来ないだろうか。

 背中の火傷がヒリヒリと痛んだ。

 目の前ではドブネズミが残飯を漁っていた。


 もう、誰にも会いたくない。人間が怖い。

 もううんざりだ。この社会も、この世界も。

 元の世界へ帰りたい。それが無理ならここではないどこかへ逃げ出したい。


 ドブネズミは残飯を平らげると、路地の奥へと歩いていった。その行先を目で追う。

 鼠は路地の突当りまで行くと、排水路の上に敷かれた目の粗い鉄格子の隙間に潜りこんで姿を消した。

 

 そのまま鼠が消えた場所をぼんやりと見ていると、鉄格子の蓋がゆっくりと浮き上がりはじめた。

 何事かと見守っていると、鉄格子の下の影から、黒光りする異様な頭が覗いた。

 ゴキブリ人間、ローチマン。

 俺は喉元まで出かかった悲鳴を何とか押し殺し、後ずさって路地から逃げようとした。

 その時、細く長い鞭のような触角が俺に向かって素早く伸び、先端が二の腕に触れた。嫌悪感に震えながら振り払おうとした瞬間、ローチマンの触角が細かく振動した。


(…まって。にげないで)

 頭の中ではっきりと声がした。どうやらローチマンは触角の振動を通して意志を伝達することができるらしい。振動はさらなるメッセージを運んできた。


(…ぼくについてきて。きみをたすけたい)

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