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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
108/117

第108話 下水処理場の戦い④

 狂戦士と化した佐々木は倉本に襲いかかった。

 重量数百キロにおよぶ巨大な戦斧を軽々と振り回し、周囲の全てを破壊しながら佐々木が迫る。だが倉本は紙一重で回避して間合いに入り込むと、佐々木の腕に斬りつけた。深々と肉を切り、骨を断つ感触があった。佐々木の手首から血が噴き出し、その先は皮一枚残してだらりと垂れ下がった。

 これでもう斧は握れまい、倉本がそう思った時だった。手首の切断面からぶよぶよした肉塊がはみ出し、ちぎれかけた腕を元通りに繋ぎ治した。


「寄生スライムだよ。彼らは宿主の肉体が破壊されればただちに修復してくれるのさ」ギレビアリウスが言った。


 倉本は何度も佐々木に剣の刃を浴びせた。だが、何度斬りつけても即座に寄生スライムが傷口を修復してしまう。狂戦士化により痛覚は麻痺し、筋力のリミッターは解除され、その上、寄生スライムによる修復で武器が通用しない。ダメージを恐れる必要がない完全なる兵士。自分のすべてを攻撃に全振りして、佐々木は竜巻のような激しさで襲いかかってきた。


 しかも敵は狂戦士化した佐々木一人ではなかった。正面からの佐々木の猛攻に気を取られていると、背後からはオダリスの狙い澄ました一撃が突き込まれた。佐々木とは対照的に、オダリスは冷静沈着で、倉本の動きを読んでつねに的確な攻撃を加えた。倉本は、左脇腹、右太もも、右肩と順番に槍でえぐられていった。

 つい先ほどまで味方だった二人に追い込まれ、倉本はやがて地に膝をついた。



「すごいですよクラモトさん。流石です。私たち二人を相手によくぞここまで持ちましたね。でも、もうそろそろ終わりのようですね」オダリスが言った。その丁寧な物腰はいつもと変わらない。倉本はその顔を睨み付けながら言った。「どうやらそのようだな……」


 オダリスが身を引くと、その後ろから佐々木がぬっと前に進み出た。そして倉本を真っ二つに切断しようと、頭上高くに戦斧を振りかざした。



 その時だった。佐々木の手から斧が落ちた。凄まじい重量の斧は地響きを立てて落下し、地面にめり込んだ。

 佐々木は痙攣していた。口の端から白い泡を吹いている。


「……毒か」ギレビアリウスが言った。

「その通り。150種類以上の毒魔術のカクテルだ。そう易々とは解毒できない。俺は戦いながら、この剣に猛毒の効果を付与した。傷口に付着した遅効性の毒はやがて体内に入り込み、内部から臓器を破壊する」


「かつての仲間を躊躇なく毒殺するとはな。なんと容赦ない男だ」ギレビアリウスが言った。

「毒殺?いや、俺は佐々木を殺すつもりはないぜ」「なんだと?」

「俺が狙ったのは佐々木の体内の寄生スライムだ」


 スライムは佐々木の傷を修復するとき、必ず傷口に接触していた。それを見て倉本は思いついた。傷口に毒を付着させれば、佐々木よりもスライムを毒に暴露させられるかもしれないと。

 さらに、毒の致死量は体重に左右される。寄生スライムは佐々木に比べはるかに小さいから、佐々木が耐えられる量の毒でもスライムにとっては致死量になるはずだ。倉本は佐々木とオダリスと戦いながらこれらを考え、実行に移したのだ。


「だが、ササキも無事では済むまい。見ろ」

 ギレビアリウスの言うとおり、佐々木は倒れて全身を激しく痙攣させ、口から血と吐瀉物を吐き散らしている。


「まあな、だけど俺はあいつを信じてる。あいつの生命力のタフさをな。魔王ユスフルギュスとの戦いの時も、あいつは俺たちの中で一番タフだった。スライムなんかに負けるはずがねえんだよ」

 佐々木の口から、血液にまじって半透明の粘液の塊が吐き出された。寄生スライムだ。スライムは地面の上を這っていくと、やがて激しく泡立ちながら分解していった。


「おっと、新しい寄生スライムを準備したって無駄だぜ。まだ佐々木の体内には毒が残ってる。体内に入れても耐えられず、すぐに死ぬだろうさ」倉本は言った。ギレビアリウスは苦々しげに顔を歪めた。



「……後はお前の頑張り次第だ。聞いてるか、佐々木」

 佐々木はまだのたうち回って苦しんでいたが、やがて意識を取り戻した。まだ弱々しいながらも、その目には再び理性の光が点っていた。佐々木はむっくりと身を起こすと、口から血の混じった唾を吐いた。


 それを見た作業員二人が佐々木めがけて飛びかかった。だが次の瞬間、巨大な斧が一閃すると、作業員の上半身は粉々になって吹き飛んだ。上半身を失った二つの下半身が地面に崩れ落ちた。いまだ毒に冒されながらも、佐々木は巨大な斧を手に、再び立ち上がった。


 しわがれた声で佐々木が言った。

「……おい倉本。お前まったく、なんて酷いことしやがるんだ。人の体をこんなに切り刻みやがって。痛ててて、痛覚が戻ってきたから痛くて仕方がねぇ。それに毒まで食らわせやがって。お前は鬼か」


「ふん、お前が無謀に突っ込まなきゃ、こんなことにならずに済んだのだ」

「わかってる。俺が悪かった。寄生スライムを退治してくれてありがとう」

「感謝するのはまだ早いぞ」


 倉本と佐々木の二人はオダリスに対峙した。

「これで二対一だ。形勢逆転だな」倉本は言った。

 だが、圧倒的な不利に追い込まれながらも、オダリスは不敵な笑みを浮かべた。




 ゾルスは紗英の裸体を舐めるように眺めていた。

「へぇ、これが勇者が惚れた女のカラダかあ。きれいな肌だなあ。しっとりとして滑らかで……。このポンポンの中にどんな内臓を隠してるのかなぁ。きっときれいなピンク色なんだろうな。くそう、勃起してきたぜ。ああ、早く解体(バラ)してぇ。今すぐ解体するか?やっちゃうか?今ここで内臓ぶちまけパーティー始めちゃう?いいねぇ……くくく」ゾルスはナイフの平らな部分で紗英の下腹を叩きながら一人つぶやいた。


「でも、その前に、アソコを拝んでおくか。切り刻んでぐちゃぐちゃにしちゃう前にな。……おい雌豚、股を開けよ」ゾルスは紗英に命じた。


 紗英は命令に従わなかった。

 あり得ないことだった。催眠状態の女がゾルスの指示に従順に従わなかったことなど、これまで一度もなかった。ゾルスは激しい苛立ちを覚えた。


「へえええ、流石は勇者の嫁ってわけかあ。豚の魔術の効きが弱いようだな。雌豚、俺の目をもう一度よおおおく見るんだ。絶対!目そらすんじゃねえぞ!」


 ゾルスは紗英に顔を突きつけ、大きく目を見開いて虚無の底に通じるような瞳で紗英のうるんだ目を覗き込んだ。そして残ったわずかばかりの自我を暗黒の虚無に吸い込み、今度こそ女を完全な木偶人形に変えようとした。

 だが、紗英はしっかりと意識を保ったまま、ゾルスの目を真っ正面から覗き返していた。強い意志を秘めた女の視線が、暗黒の虚無を突き破ってゾルスの中に入ってくる。

 ゾルスは恐怖した。だが二人の視線はがっちりと固定され、目を閉じることも視線をそらすこともできない。

「やめろ、やめろ……」ゾルスは弱々しく悲鳴を上げた。



 紗英はゾルスに操られたふりをしていた。

 そして秘かに備えた。再度、催眠魔術を使おうとしてゾルスの精神が無防備になる時がチャンスだ。異常殺人者に裸体を晒すという嫌悪と恐怖にも彼女は必死に耐えた。そしてついに機会が到来した。紗英はゾルスの精神に侵入した。


 それは最悪の経験だった。これまで男が犯した様々な殺人事件の記憶が、見たくもないのに次々と目の前に現れる。その光景はまさに酸鼻を極めた。血に染まったベッドの上に散乱する臓物。生きたまま手足を切断され乳房をそぎ落とされる少女……。

 紗英はおぞましい映像を振り払うようにゾルスの表層意識を潜り抜け、深層意識に入り込んだ。少年のゾルスが義父に暴行されているのがちらりと見えた。猟奇殺人鬼にありがちな、月並みなトラウマ。特に憐れみは覚えなかった。どんな過去があったにしろ、その程度ではこの男が犯してきた悪行の数々には釣り合わない。

 この男の内側には、愛情を注いでくれなかった母への恨みに端を発した、女性への恐怖と憎悪だけしかなかった。意志を持った生身の女に向き合えないちっぽけな男。ゾルスはこれまで多くの女性を殺害し、その遺体を陵辱してきたが、生身の女性と正常な営みを持ったことは一度もなかった。


 紗英の目的はこの矮小な男の心に潜ることなどではなかった。魔王の使徒は独立した自我を持ちながらも、その精神は根っこの部分で魔王に繋がっている。ゾルスの精神を通り抜けた先に広がる魔王の精神空間への侵入。それこそが紗英の目的だった。異常殺人者の薄っぺらな精神を一瞬で通過し、紗英の意識は広大な空間に入り込んだ。


 そこには不定形の記憶の断片が無数に漂っていた。これまで魔王=スライムが取り込んできた、都市に住む人間の意識と記憶の断片だ。それらはクラゲの群れのようにゆっくりと浮かびながら、ときおり紗英の身体イメージに接触した。断片は触れることでその内容を読み取ることができた。ほとんどは取るに足らない日常の一場面や凡人の思考等だが、中には学者のものと思われる専門知識や、戦士のものらしき戦いの記憶なども混ざっていた。

 紗英は高密度で漂う記憶の断片をかき分けて進んでいった。気をしっかり持たないと、皮膚を通して浸透してくる他者の記憶に心を乗っ取られ、自分が何者かわからなくなってしまいそうだ。


 紗英の目の前の空間に、黒い服を着たスリムな体型の男のイメージが出現した。

「お久しぶりだね、アキモト教授。まさかこんなところでお目にかかろうとは」

 その男、彼女がヴィルタス教授という名で知っていた人物が言った。だが今、すべての情報が共有されるこの精神空間で、紗英は彼の正体を知った。


「ヴィルタス教授、……いいえ、魔王、ギレビアリウス」




 倉本と佐々木はオダリスと交戦していた。

 二人ともこれまで負ったダメージをものともせず、猛然と裏切り者に襲いかかった。戦いの風向きは逆転し、たちまちオダリスは防戦一方に陥った。そしてついに、佐々木の戦斧がオダリスの聖槍を叩き折った。使い物にならなくなった槍を投げ捨て、オダリスは後方に跳びすさった。


「お前が人間なら、ここで降伏を呼びかける所なのだが、魔王に魂と肉体を捧げた使徒とあってはな。もはや容赦はせん。覚悟しろ」倉本は剣を構えた。


「ふふふ、もう勝ったつもりですか。早すぎですよ。早すぎ……」


 オダリスの全身が細かく震えながら変容を開始した。顔面や手の皮膚がざわめき、金色の毛皮に覆われていく。鼻面が前方に突出し、鋭い牙がむき出しになった。全身の骨格がごつくなり、体格が二回りほど大きく膨らんだ。最後に、金色に輝く剣の刃が両手の平から滑り出るようにして現れた。オダリスは金色の毛皮に覆われた美しき人狼に変身した。

 手にした黄金剣を一振りして人狼が言った。


「どうです、この姿。クラモトさんは見覚えがありませんか?」

「まさか、『人狼戦士(ワーウルフ)』ガザン。そして、『黄金剣』アルデリス……魔王との戦いで散った自由騎士団の力か」

「ご名答。いかにも、魔王様は彼らの遺体を吸収し、その力と技を取り込みました。魔王様から信頼厚きこの私は、彼らの力を自由に利用する権限を与えられているのです。見た目ではわからないでしょうが、あと『疾風』のミューリンと『凍結』のヒリアの力もこの身に宿らせています。彼ら一人一人の強さは、生前親しくされていたあなたがよくご存じのはず。どうです、自由騎士団団長クラモト殿。彼らの力がこのひとつの肉体に集約された時、どれほどの力を発揮するか、……その身でとくと味わうが良いわ!」そう言うとオダリスは襲いかかってきた。


 人狼戦士(ワーウルフ)の鋼の肉体と膂力、ミューリンの素早さ、黄金剣アルデリスの卓抜した剣技。さらにヒリアの魔術。これらすべてを兼ね備えたオダリスは恐るべき相手と言えた。だが、戦いながら倉本は感じていた。何かが決定的に足りない。どこか精彩を欠いているのだ。


 倉本と自由騎士団の戦士、すなわち冒険者たちとの付き合いは深かった。かつて倉本は見聞を広めるため、数々の冒険者たちのパーティーを渡り歩いた。その時に培った人脈だった。「災いの日」が到来した時も、魔物を鎮圧した冒険者たちは都市を去ろうとしたが、倉本が団長を務めるということで、彼らは自由騎士団に残ってくれたほどだ。

 倉本が間近で見てきた戦士たちの技と能力は、はるかに迫力があった。それもそのはずだ。自分自身が日々の鍛錬と実戦で積み上げてきたオンリーワンの力なのだ。いわば彼ら一人一人が持つ、かけがえのない財産だった。そこに込められた思いの強さが自然とにじみ出ていた。冒険者たちが人生を賭けて磨き上げてきた力と技という宝石。

 魔王はそれを盗み取り、飼い犬のオダリスに気安く投げ与えた。そして与えられたその力をオダリスは面白半分に濫用していた。そこに戦士たちへの敬意はみじんも感じられなかった。

 乱れ飛ぶ黄金剣をかいくぐり、怒りを乗せた倉本の一閃が墜ちた聖騎士の首をはね飛ばした。

 頭部を失った人狼の体が地面に崩れ落ちた。


「同じ戦士でありながら、なぜそこまで墜ちた、オダリス」

 倉本は荒い息を吐きながら言った。


 その時、佐々木が倉本を突き飛ばした。それまで倉本が立っていた場所に槍が突き立った。

「……だから言ったでしょう。勝ち誇るのはまだ早いと」オダリスの声が聞こえた。


「まだ生きていたのか」

 だが、倉本が倒したオダリスの死骸はまだそこに転がっていた。それとは別に、新たなオダリスが出現したのだ。

「おい、あれを見ろ」

 さらに、佐々木が指さした先では一体の使徒がオダリスに変身していた。その先ではもう二体が。四人のオダリスは倉本と佐々木を包囲した。




 精神空間で、紗英はギレビアリウスと倉本達とオダリスの戦いを見ていた。

「どうだね、使徒は事実上不死なのだよ。ご覧の通り、情報がある限り何度でも復活できるのさ。さらに、他者の能力や技術、知識もコピーしてたやすく習得できる。どうだね、素晴らしいだろう。私は君も使徒になってもらいたいのだ。君の傑出した魔術の才能が是非とも欲しいのだよ。かつての同業者として、お願いする」ギレビアリウスは言った。

 だが、紗英は無言だった。


 ギレビアリウスは嘆息した。

「やはり無理か、仕方がない。強制的に吸収させてもらうよ。君の自意識は失われ、知識や能力ごとのモジュールとしてバラバラに分解されて再利用されることになる。できるだけ君の能力は損ないたくないので、時間をかけて一寸刻みに吸収していくが、その分、君の苦痛は長引くことになる。覚悟しておいてくれ」

 ギレビアリウスの手足が木の枝のように無数に分岐し、極細の触手の群れとなって紗英に伸びた。触手が触れた箇所から、紗英の身体イメージが小さなピクセルとなって砕けていく。


 紗英が口を開いた。

「あなたは言ったわね。使徒は情報がある限り、何度でも再生できると」

「ああ、その通りだ。命が惜しくなってきたか。今ならまだ間に合う、使徒になるか?」


「でも、その情報はどこに保存されているのかしら?いえ、誰が記憶しているのかしら」

「何?」

「私たちは魔王の弱点を探し研究してきた。でも判明したのは、魔王は中枢を持たない分散型ネットワークであるということ。つまり物理的な弱点はないに等しい。じゃあ、どうすれば良いか。私は考えた」

「まさか……」

「そう、魔王を形成するネットワークに直接アクセスし、記憶を消去するしかないと。魔王の記憶を消去すれば、使徒は消滅し、魔王はただのスライムに戻る。ゾルスはそのための通り道になってくれた。もう遅いわギレビアリウス。あなたに会う前、精神空間の至る所に忘却魔術をばらまいてきた。……ほら、発動し始めたわ」


「馬鹿な。この精神空間自体が消滅するぞ。そうなれば君の精神も消えるのだぞ」

「覚悟の上よ。そもそも、今回の事態は私の責任でもある。私が体内に持ち帰った魔王ユスフルギュスの細胞がもとになって、この新たな魔王が生じたのだから」

「なぜ、君がそれを?」

「共生体の遺伝子解析の結果よ。そこには私の遺伝子も混ざっていたの」


「おのれええええ」ギレビアリウスは絶叫した。

「さようなら、ギレビアリウス。あなたはとっくに死んでいたの。今のあなたはスライムが記憶している影に過ぎなかったの。不死どころか、とても不確かな存在だったのよ」

 紗英は死を恐れていなかった。これでやっと会えるのだ。天国で待つ最愛の夫、俊也に。周囲で精神空間が急速に消滅に向かう中、紗英はゆっくりと目を閉じた。

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