第106話 下水処理場の戦い②
反応槽の中から出現した怪物たちは手すりをなぎ倒し、通路に立つ四人に猛然と襲いかかった。
だが次の瞬間、怪物たちの最前線はばらばらに切り刻まれ、肉片になって飛び散った。激しい反撃に恐れをなしたのか、後続はぴたりと動きを止めた。
怪物に対峙する四人の姿は一変していた。正体を隠していた偽装魔術を解除し、真の姿を解放したのだ。
倉本の手には二振りの刃が光を放っていた。背中には圧倒的な防御力を誇る古エルフのマントが翻る。佐々木は重厚な甲冑に身を固め、身の丈を超す特大の戦斧を担いでいた。紗英は深紅のローブに身を包み、霊木から削り出された魔法の杖を携えている。そして聖騎士オダリスは純白の甲冑をまとい、白銀に輝く聖槍を握っていた。
いずれも先の魔王との戦いに用いられ、その後、聖教会の宝物殿に封印されていた伝説の武具だった。
「やれやれ、やっとおいでなすったか。待ちくたびれたぜ」佐々木が巨大な斧を持ち上げ、笑みを浮かべた。
「同感ですねササキさん。私もそろそろ一暴れしたいと思っていた所です」オダリスが槍を構え、涼しい顔で言った。
「二人とも油断しないで。来るわ」紗英が警告した。
その言葉の通り、怪物たちの攻撃が再開された。
鋭い歯列をむき出しにしてドラゴンが倉本に襲いかかった。だが倉本は素早い身のこなしで攻撃を回避し、眼に斬りつけた。怒り狂ったドラゴンは背びれを逆立て、灼熱のブレスを吐き散らした。
その背中めがけ、佐々木が戦斧を振り下ろした。重い刃は背中を覆う硬質の鱗と頑丈な骨格を易々と打ち砕き、胴体を真っ二つに切断した。ドラゴンの残骸は溶けてスライムに戻っていった。
溶けつつある竜の残骸を乗り越え、巨大な蜘蛛の怪物アラクネが現れた。人型の頭部に不気味な笑みを浮かべ、蜘蛛は尻から大量の糸を撃ちだした。糸は触れるものすべてを切断する極細のワイヤーだった。倉本は降りかかる糸を火炎魔術で焼き払って胴体の下に入り込むと、ぱんぱんに膨れ上がった腹部を一気に切り裂いた。大量の体液がどっと溢れ出し、蜘蛛は萎んで動かなくなった。
縮んだ蜘蛛を蹄で踏みにじって、ミノタウロスの巨体がぬっとそびえ立つ。巨獣は手近にあった配管を力任せにもぎ取った。
その時、ミノタウロスの足下にもう一体の怪物が現れた。頭部にうごめく黒い触手の群れと、その下から見つめる不気味な巨眼。メデューサだ。
メデューサは短い足でぶざまによろめきながら近づいてくると、いきなり頭部の触手を四方八方に射出した。猛毒の刺胞を備えた触手は戦士たちを追ってどこまでも伸びてくる。突然、すべての触手が凍り付き砕け散った。紗英の凍結魔術だった。触手を失ったメデューサは絶叫し、眼を見開いて怪光線を放とうとした。だが、その眼球をオダリスの槍が串刺しにした。
四人の頭上に影が落ちた。見上げるとミノタウロスが四人に向かって配管を振り上げていた。「危ない!よけろ!」倉本が警告した。だがメデューサから槍を引き抜いていたオダリスが一瞬遅れた。その頭上に配管が容赦なく振り下ろされた。コンクリートが砕け散り、激突音が下水処理場全体に鳴り響いた。
直撃を受けたオダリスは即死したかに思えた。だが次の瞬間、配管がゆっくりと持ち上がった。
その下から姿を現したのは佐々木だった。激突の瞬間、身を挺してオダリスをかばったのだ。強烈な打撃を全身で受け止めていながら、額からの流血を除いて、佐々木はほぼ無傷だった。
「痛ってぇなぁ……この野郎!」
佐々木は巨大な戦斧を横なぎに振った。大木のようなミノタウロスの両膝はあっけなく粉砕された。落下した上半身はなおも向かってきたが、唐竹割りに一刀両断した。
「申し訳ございません。不覚を取りました」オダリスが頭を下げた。
「礼は後にしとけ。まだまだ来るぞ」
佐々木が言った。そして新たに出現したヒュドラに向かって突撃した。ヒュドラはたちまち肉塊へと変じた。負けじとオダリスも雄叫びを上げ、急降下してきたワイバーンを槍で串刺しにした。
「きりが無いぞ。やつら、物量で圧倒する気か」荒い息を吐きながら佐々木が言った。スライムの体液と肉片を浴びて全身ずぶ濡れだ。
「紗英、まだか!」倉本が叫んだ。数知れぬ敵を倒した倉本にも疲労の色が浮かんでいた。
「……待たせたわね。みんな、目を閉じて!」紗英が言った。
三人の男たちが戦っている間、紗英は上位攻撃魔術発動用の魔力をチャージしていた。それがたった今、完了したのだ。霊木の杖で何十倍何百倍にも圧縮された魔力により、下水処理場の反応槽エリア全体に巨大な魔方陣が描かれていく。紗英はトリガーとなる最後の呪文を口にした。
次の瞬間、純白の光が周囲の光景をかき消した。
上位攻撃魔術「太陽の剣」。成層圏に作り出した巨大な魔力のレンズで太陽光線を一点に収束し、標的を焼灼する。天空からの白い光が雲を吹き飛ばし、地上に焦点を結んだ瞬間、世界は光に包まれ、衝撃波と熱波が走り抜けた……。
四人は目を開いた。まぶたの裏に焼きついた残像が薄れていくに従い、周囲の状況がゆっくりと見えてきた。
もはや怪物はいなかった。反応槽の汚泥は沸騰し、もうもうと蒸気を噴き上げていた。その水面には、ゆで上がったスライム群体が浮かんでいた。もはやそれが怪物を生み出すことはなかった。それは白く不透明に濁って、明らかに死んでいた。
敵の本体であるスライム群体を叩かない限り、怪物たちの攻撃はいつまでも終わらない。そう考えた倉本は紗英に指示を出し、本体を一挙に殲滅できる破壊力を持った上位攻撃魔術を発動させたのだった。
「どうやら今ので倒せたみたいね。でも、下水処理場をちょっと壊しちゃったかも……」
汗を拭いつつ紗英が言った。たしかに、金属製の手すりや配管の類は溶けてしまっていた。水を浄化する反応槽の微生物もスライムもろとも死滅してしまっただろう。
「……紗英ちゃんドンマイ。それにしてもすげえ威力だな」佐々木が若干青ざめながら言った。
「なんか、前よりも強くなってる気がする。空恐ろしい」倉本がぼそりと言った。
「さて、残るはあいつらか」倉本は視線を上げ、処理場内のあちこちに立つ魔王の使徒たちを見た。彼らは戦いには加わらず遠巻きにして眺めていたため、「太陽の剣」の灼熱地獄を免れていた。
佐々木は使徒たちに戦斧を突きつけて叫んだ。
「てめぇら、やる気あんのかコラ!ボケッと突っ立ってねぇで、かかってこいや!今度はお前らの番だぞ」
その声は先ほどまでとは一転して静まりかえった反応槽周辺にこだました。
その時、拍手の音が聞こえた。
見ると、手を叩いているのは遠くの通路をこちらに向かってくる作業着姿の男だった。それはマレク職員だった。マレクは数名の男たちを従えていた。すぐ後ろの大柄の体格のつなぎ姿の男たちは、沈殿槽で働いていた作業員だろうか。最後尾にいるのは身なりの良い人物だ。作業員には見えない。ここの責任者か。
「いやいや、皆さん素晴らしい。想像以上の強さでしたよ」拍手を続けながらマレクは言った。
「やはりあの程度の擬態獣では、皆さんを倒すことなど無理でしたね。考えが甘かったと言わざるを得ませんね」
マレクは何気ないことのようにさらりと言った。その表情は作業帽のつばに隠れてよく見えない。
「貴様、一体何者だ?本当にマレクか?」倉本が剣を突きつけて詰問する。
しかし、マレク職員は倉本の問いをはぐらかして続けた。
「ところで、当処理場の所長が是非とも皆さんに挨拶がしたいと申しますので、遅ればせながら連れて参りました。……所長、よろしくお願いします」マレクは後ろに立つ正装した初老の男に向かってうなずきかけた。口ひげを蓄えた恰幅のよい紳士が一歩前に進み出る。
「…………」下水処理場所長は無言のまま、血走った異様な目つきで四人をぎろりと睨めつけた。わずかに開いた口の端から涎が垂れている。
「仕方ありませんね。うちの所長は口下手でしてね。ですが、こう見えてもかなり立派な方なんですよ。
ある日、下水道から侵入してきた魔王様がこの処理場を支配された時、厳しい選別が行われましてね。百名以上いた職員、作業員の中で生き延びたのは私と所長を含め、たったの五人だけでした。私たちは魔王の使徒となったのです。さらに所長はこのとき、魔王様から偉大な能力を特別に賜りました。では、所長、お願いします。皆さんに偉大なる力をお見せしてあげてください!」
所長は天を仰ぎ、目をむいて絶叫した。




