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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
105/117

第105話 下水処理場の戦い①

 錬鉄製のフェンスに囲まれた広々とした敷地に、大きめの倉庫のような建物が点在している。一見、工場のようにも見える。だが周囲の空気にははっきりと下水の異臭が漂っていた。

 魔王討伐部隊第二班、すなわち倉本と佐々木、紗英、そして聖騎士オダリスの四人が訪れたのは市立中央下水処理場だった。魔王討伐作戦の第二の攻撃目標、セクター2はこの敷地内にあった。



 今回の来訪は、表向きには倉本市長代理による公共インフラ施設の視察だった。

 野村市長は魔王側に通じている。そう疑うだけの状況証拠はすでに集まっていた。だから今回の魔王討伐作戦は野村に知られないよう、倉本たちと聖教会により極秘裏に進められていた。

 これまでにも何回か、倉本は市長の代理として、市内視察に参加したことがあった。それに下水処理場は近年、施設の老朽化が進み、その立て替えや改修工事の費用をめぐって市議会では活発な議論が行われていた。それだけに今回の倉本の行動は自然で、野村市長の疑いを招く恐れはなかった。ただし同行する他のメンバーについては正体を隠くす必要があり、一般職員という立場で参加していた。



 今、倉本たちは入場門で守衛に来所目的を告げた後、応対役の職員が出てくるのを待っていた。

「まだかよ。やけに出てくるのが遅いな。やっぱ正面玄関から強行突入すべきだったんじゃねえのか。こんな、まだるっこしい事なんてしねぇでさ」一般職員に変装した佐々木が言った。待つのに焦れて、はやくも背嚢から武器を取り出そうとしている。

「いや、待て。行動を起こすのはセクター2に到着してからのほうがいい。それまでは可能な限り穏便に済ませるんだ」倉本が言った。佐々木は不承不承といった感じで従った。



「それにしても、下水処理場か。やっぱりこの世界の下水処理は浄化魔法とか使ってるんだろうな。俺たちが最初にいた村でも使ってたじゃん、浄化魔術」佐々木が言った。

「たしかに使っていたけど、あれは汲んできた川の水を飲み水に変えるための魔術だったじゃない。し尿は発酵させて肥料に変えて畑に撒いてたわ。この都市ではどうやって処理しているのかしらね」紗英が言った。

「ま、それを今回の視察で勉強させてもらおうぜ。まさか魔王退治の前に社会見学をするはめになるとはね」



 下水処理場正門の横には銅像が立っていた。トーガのような布をゆるく裸体に巻き付けた女性像だった。女性像の頭や肩はハトの糞で白く汚れていた。倉本が銅像を見上げていると、後ろから男の声がした。


「……水の女神クォリリアです」

 聖騎士ヴェルム・オダリスだった。討伐部隊第二班で唯一、この世界出身の人物だった。代々聖騎士隊隊長を輩出してきた高貴な家系の出身で、さきの魔王ユスフルギュスとその配下の魔王群との戦いにおいては聖騎士たちを率いて勇敢に戦った戦士だった。


「聖教会の神話では、女神クォリリアは魔王の毒に汚染された湖の水を浄化し、多くの人々の命を救いました。この故事にあやかり、この市立中央下水処理場のシンボルになっているのです」

「なるほどね。……ようやくおいでなすったようだな」



 その時、正門が開き、中から下水処理場の職員が姿を現した。気さくな感じの中年男だった。

「……お待たせしました。視察に来られた方々ですよね?わたくし、場内を案内させて頂きますマレクと申します。今日はよろしくお願いいたします」そう言うとマレクは作業帽を脱いで深々と頭を下げ、守衛と一緒に正門を開いた。倉本たちは下水処理場の敷地に入った。



 マレクは倉本たちの先に立って施設を案内していった。

 一行はとある煉瓦造りの建物に入った。体育館ほどの広さの室内では床に鎮座した巨大な機械が轟音をあげていた。

「……この十基のポンプで、市内全域から流れ込んできた下水を地上に汲み上げています」轟音に負けないようマレクが声を張り上げて説明した。彼の話では、一時間あたり一万トンにもおよぶ大量の下水を地上にある下水処理施設まで汲み上げているという。

 見ていると、一基のポンプが激しく震動して停止した。非常ベルが室内に鳴り響く。「何が起きたんだ」「ポンプが詰まったのです。最近は多くて困ってるんですよ。すぐに作業員が修理に取りかかります」


 次に案内された沈殿槽は、下水中のゴミを沈めて取り除くための施設だった。室内には小蠅が飛び交い、悪臭が充満していた。そこでは長い竿を持った作業員が、水面に浮かんだゴミをたぐり寄せて回収していた。灰色のつなぎを着た大柄な作業員たちは無関心な目つきで倉本たちを一瞥しただけだった。

 作業員が回収したゴミは傍らに置かれた缶の中に放り込まれていた。倉本が何気なくその中を覗き込むと、腐った布きれや紙屑に混ざって、不気味にうごめいている塊があった。スライムだった。


「ここにもスライムが流れ込んでくるのか」

「当然でしょう。下水道にはスライムがたくさん生息していますからね。ですが、ここ数ヶ月は過去に例がないほど大量に流入してきています。先ほどポンプに詰まったのもおそらくスライムです。そのせいで一日二回はポンプが停止する有様です。スライムは他にも困った問題を引き起こしていましてね。それはこの先見てもらいましょう」


 ゴミを除去された下水は次に反応槽に流れ込んでいた。

 競技場ほどの広さの敷地に何列にも並んだ反応槽では茶色い泥水が泡立っていた。ここでは大量の微生物が培養された槽に空気を送り、水に溶けた汚れを浄化していた。


「浄化魔術は使ってないのか?」佐々木が言った。


「当然でしょう。浄化魔術できれいにできる水の量なんて、せいぜい風呂桶一杯分程度ですよ。強力な魔術師ならプール一杯分でも浄化できるかもしれません。ですが、下水処理場に流れてくる汚水の量は一時間に約一万トン、単純計算で一日24万トン、これが年中休みなく流入してくるわけですよ。これほど大量の汚水を魔術で浄化しようとすれば、いったい何人の高位魔術師が必要になることやら。それに、こんな金にもならない汚れ仕事を昼夜二交代で引き受ける高位魔術師なんていると思います?けっきょく自然の沈殿作用や微生物の力、それに機械を使ったほうがはるかに安上がりで現実的なんですよ」マレク職員が説明した。


「なるほど。魔術は万能ではないってことですね。興味深い」聖騎士オダリスが言った。


 ぶくぶくと泡立つ反応槽の茶色い水面の所々には、汚らしい半透明の塊が浮遊していた。反応槽の列を奥に進むほど塊はかさを増やし、水面を分厚く覆い尽くすまでに成長していた。さらには反応槽から通路にまではみ出し、行く手を遮っていた。


「……スライムです。沈殿槽で取り除くようにしてはいるんですが、どうしても反応槽にまで入り込んできてしまうのですよ。困ったことに最近、反応槽に侵入したスライムが大量増殖していましてね、反応槽内で培養している微生物を食い尽くしてしまうんですよ。そのせいで水を浄化できなくなりつつあるのです。作業員が手作業で取り除いていますが、増殖が早くてとても間に合いません。このまま進めば下水処理場の機能が停止するおそれさえあります。今回、政府の方々に視察に来ていただいたのは、処理場の危機的状況について知っていただく良い機会でした。何とぞ、対応策のご検討をよろしくお願いします」


「承知した、マレク職員。スライムの被害の件、市長や市議会に必ず伝えると約束しよう。この後だが、私たちだけでもう少し、場内を自由に見学させてもらいたいのだが、よいだろうか」倉本が言った。


「ええ、結構ですよ。機械や設備にはむやみに触れないよう、お気をつけください」

「了解した。これまでの案内、感謝する」倉本は礼を述べた。

 マレクはお辞儀をすると、去って行った。



「……どうだ、紗英」

「ここで間違いないと思う。この一帯の空間魔力レベルは周囲に比べて桁違いに高い。ここがセクター2よ」紗英が携帯式の計器の数値を読み取りながら言った。

「だけど、どこなんだ。魔王の活動の中心地ってのはよ。何も見せないぜ」佐々木が言った。

「そうですね……。多少、スライムが発生している点を除き、変わった所は見受けられませんね。下水処理場もほぼ普段どおり動いているように見えます」聖騎士オダリスが周囲を見渡しながら言った。顔を動かすたび、豊かな黄金の長髪が純白のマントの背で揺れる。四人の周囲には、反応槽の泡立つ褐色の水面が広がっているのみだ。


 その時だった。

 反応槽の水面を割って、いくつのも巨大な影が浮上してきた。

 絡み合う長い首、異様に長い腕、うろこに覆われた巨体、毛深い関節肢。カーブした長い角。すなわちヒュドラ、ナックラビー、ドラゴン、アラクネ、それにミノタウロスなどの怪物たち。さらに水面に浮かんだスライムの塊からは大勢の人型が分離し、人間の姿を取りつつあった。怪物たちは通路に立つ倉本たちを完全に取り囲んでいた。


 完全に人間への変態を完了したスライムの一体が前に進み出て言った。

「ようこそお待ちしておりました、勇敢なる戦士のご一行様。これよりマレクに替わりましてご相手を務めさせていただきます、わたくしゾルス・ロフと申します。よろしくお願いいたします」

 下品な花柄のシャツを着た優男は、真面目くさった顔つきで慇懃無礼にお辞儀をした。

 再び顔を上げた時、その表情は一片し、満面に嘲りの笑みが浮かんでいた。


「くくく……、馬鹿な奴らめ。まんまと魔王様の罠の真ん中に飛び込んでくるとは。ここがお前たちの墓場だ。死ぬがよい」

 怪物たちがいっせいいに襲いかかってきた。

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