第104話 異世界下水道清掃員④
「どうしてあなたがここに」ガエビリスが言った。
「あれから色々と紆余曲折があってね。経緯を詳しく話すと長くなるので端的に言うが、私は魔王になったのだよ」ギレビアリウスはくつろいだ様子で地面に胡座をかいた。
ハルビアが静かな口調で言った。
「ヴィルタス教授はノムラ市長主導の変異型スライム掃討作戦で死亡した。巨大なスライムに飲み込まれ溶解される場面をクラモト隊長やササキ氏が目撃したからこれは確かな情報だ」
ハルビアはガエビリスに顔を向けて言った。
「変異型スライムは取り込んだ生物をそっくりに模倣する能力がある。ここにいるのはただの擬態に過ぎない。つまり、外見だけ似せた魔王の操り人形だ」
「あはははははは」ギレビアリウスが哄笑した。
「ハルビア総隊長殿の言うとおり、いや、今は夜警を辞職したから元総隊長殿か。たしかに私のもとの肉体はスライムに溶かされて消滅した。だが、私の精神はスライムの中で生き続けた。私はスライムに転生したのだよ。そして、内部から徐々にスライムを支配し、魔王の地位を受け継いだ。ここにいるのは紛れもなく私自身だよ。それを客観的に立証するのは困難だが。哲学的な議論をお望みなら付き合うよ」
「いや結構。魔王を名乗るからにはどちらにしろ、我々に敵に変わりはない」ハルビアが言った。
「市長の右腕から魔王に鞍替えしたか、ヴィルタス。ところであんた、こんな所で何をしている」ジェライルが言った。
「私は今、あらゆる計画を同時に進めているが、ここで行っているのは地核虫の復活さ。今の私の本体はこの都市の地下を支配する超巨大スライム群体だ。いまや私の体は地下のあらゆる間隙に侵入している。下水道や坑道跡のような地表付近だけでなく、これまで人間が誰も足を踏み入れたことがない大深度の地下洞窟にまでな。そんな場所のひとつで見つけたのだ。アースワームのミイラ化した死骸を。体長100メートル程度と、化石から推定される標準的なサイズから見ればかなり小物で、おそらく未成熟個体だろうが、外気と隔離されておかげで保存状態は非常に良好だった。遺伝子を取り出せるほどにな」
「アースワームを復活させてどうするつもりだ」ハルビアが言った。
「……暗黒期については知っているね。地殻変動の激化により世界全体で大量の火山が噴火し、舞い上がった粉塵で太陽の光が地上に届かなくなった時代のことだ。かつてこの世界には七回、暗黒期が到来した。一番最近では数万年前だ。地上は闇に包まれ、光合成に依存した従来の生態系は崩壊し、大量絶滅が発生する。しかし、かわりに繁栄する生物もいる。魔物さ。魔物は魔力をエネルギー源としているので、植物が全滅しても生きていける。暗黒期には大気中の魔力レベルが現在の数千倍に達したという。エネルギー源には事欠かないと言うわけだ。
だが、なぜ暗黒期に魔力レベルが上昇するのか?それは地殻変動の影響だ。地殻変動により、地下深部のマントルから大量の物質が上昇しマグマとともに地表に流れ出す。マントル物質には高濃度の魔力が含有されているので、これが全世界で魔力レベルの急上昇をもたらすのだ。
現在の世界は魔力レベルが低下した状態にある。枯渇していると言ってもよい。もし地殻変動を誘発し、人為的に暗黒期を到来させることができれば、地上に横溢したマントル物質で、より潤沢に魔力を使用できるのだ。現在のような貧魔力世界では行使できないような、超強力な魔術も扱える。それこそ、この世界を動かし、太陽を操れるほどの魔力をな。そのために、このアースワームが必要なのだ。地殻プレートの境界にある地震の巣をアースワームで刺激することで、激甚な地殻変動を引き起こすつもりだ」
「……こいつ、狂ってやがる」親方が言った。
「やはり、このレベルの話は人間には難しかったか。魔王になって始めて、見えてくる景色があるのだ。今の私と人間のレベルの差は、人間と昆虫の差よりもはるかに大きいからな」ギレビアリウスはやれやれといった感じで肩をすくめた。
「……なぜ。なぜ、そんなに力を求めるの。世界に暗黒期をもたらしてまで手に入れた力で、いったい何をするつもりなの、兄さん。ひょっとして、人間を滅ぼすとか、ダークエルフの古代王朝を復活させるなんて馬鹿なこと、まだ考えてるの?」ガエビリスが言った。
「う~ん。確かに以前は人間を憎んでいたさ。だがそれはもうどうでもいい。人類の滅亡など、今の私の目的とするにはあまりにも卑小だ。今の私はただひたすら、知識と力を欲している。私はずっと力を求めてきた。そのために地下の街を組織し、ノムラに接近し、そして魔王になった。これからもそれは変わらない。私の活動の余波で人類が滅ぶのなら勝手に滅ぶがよい。
だがその前に、余興を楽しみたい。やはり私はダークエルフ。ダンジョンに潜み、挑んでくる冒険者たちを待ち受けるのがこんなに楽しいとはな。血は争えないものだ。私の活動にともなって人類が滅ぶまで、このゲームを続けるのも悪くはないな」ははははとギレビアリウスは笑った。
「……けっきょく、あんたは怖いんだ。わかるよ。心の底では自分に自信がないから、過剰なまでに力を求めるんだ。あんたも俺と同じだよ」
口を開けたまま、ギレビアリウスの笑みが凍り付いた。
その顔が、しだいに黒ずんでいく。
「今なんと言った?俺と同じ?……貴様ごときと一緒にするな!魔術も使えない出来損ないの勇者が!」
「がはは、こいつ切れたぞ。意外と器が小さいな。いいぞワタナベ、もっと言ってやれ!」親方が俺をけしかけた。
「俺も言うぞ。何が魔王だ。てめえなんざ下水道を詰まらせるただの障害物だ。下水道で糞だの残飯だのを食らって生きている下等生物のくせに偉そうな口をきくんじゃねぇよスライム野郎が!俺のスコップで掻き取ってやるぞ」
親方の胸を槍が貫いた。
ギレビアリウスの左腕が変形して生じた肉の槍だった。
「親方!」俺は叫んで駆け寄る。だが親方は心臓を貫通されて即死していた。
「もういい。お前たちと話していても時間の無駄だ。殺す。だがワタナベ、お前だけはすぐには殺さない。お前は私を二度も愚弄した。一度目は私から妹を奪うことで、二度目はこの私を貴様ごとき屑と同格として扱うことで。お前の死は緩慢で苦痛に満ちたものになることを約束しよう」
「その前に、ひとつ聞いても良いかな」ハルビアがいつもと変わらぬ静かな口調で言った。
「君はノムラ市長と組んで政権の座に就いたが、それに先立つ怪物の襲撃と、隕石の落下も君たちの仕業だね」その眼差しも常と変わらないが、その顔の裏側では激しい怒りが沸き立っているのが感じられた。
「今更隠しても仕方がないし、どうせお前たちはすぐに死ぬのだ。教えてやろう。その通りだ。怪物については、地下の街の住人を材料に、長い時間をかけて下地を整えてきた。そこにいるガエビリスの協力でな。そして隕石については私がやった。私が見いだした古代魔術「降星」の効果は絶大で、非常に満足がいく結果だったよ」
「ありがとう。それだけ聞ければ十分だ」ハルビアが言った。
「では、死ぬがよい」ギレビアリウスはハルビアに向けて無造作に肉の槍を振るった。だがハルビアの姿はそこにはなかった。ギレビアリウスの背後を取ったハルビアはその背に致死効果をもつ黄金の刃を突き立てた。
「ふむ、常人離れしたなかなか素早い動きだな。加速魔術か。だが残念だったな」
ギレビアリウスの右腕が万力のように変形し、突き出されたハルビアの刃をしっかりと挟み込んでいた。力を加えられ、黄金の刃はあえなく砕け散った。ギレビアリウスの口が早回しのように動き耳慣れない呪文を唱えた。次の瞬間、凄まじい圧力が生じ、ハルビアの体を弾き飛ばした。崖に叩きつけられたハルビアの体は、ぐしゃっと骨と内臓が砕ける嫌な音を立てて岩盤にめり込んだ。
雄叫びを上げてジェライルが炎の剣で斬りかかった。
「ほう、大道芸か。面白い」信じられないことにジェライルの渾身の打ち込みを片手で易々といなしている。そこにシャモスの魔術が襲いかかるが、そちらを見ることさえせず、もう片方の手で弾き返している。その隙を狙い、ガエビリスの爆破魔術がギレビアリウスの顔の真ん前で炸裂した。肉片が飛び散り、ギレビアリウスの顔面はズタズタに引き裂かれた。直後、ギレビアリウスは再び魔術を発動し、三人を弾き飛ばした。
みんなが必死にギレビアリウスを攻撃し、身を賭して奴の注意を逸らしてくれている今しかなかった。
俺は神授の聖剣セクタ・ナルガを上段に構えた。狙うは巨大なアースワームの卵。俺は剣を振り下ろした。すべてを両断する漆黒の刃が伸び、紡錘型の卵を真っ二つに断ち割った。内容物がどっと溢れ出て、洪水のように押し寄せた。ドロドロとした内容物は激闘を繰り広げていたガエビリスたちと、床に横たわった親方の体を押し流した。発生途中のアースワームの胚は外気に触れて黒く萎み、たちまち枯死した。
濃厚なミルクのような白い内容物から、ギレビアリウスが身を起こした。
「ワタナベぇ……貴様は、貴様だけは絶対に……」
その頭部に、黄金の刃が突き立った。
まるで頭に角が生えたように刃の柄を立てたまま、ギレビアリウスは刃が飛んできた方向を見た。
そこにはハルビアが立っていた。
「なぜだ。なぜ生きている。確かに内蔵と脊椎と頭蓋骨を砕いたはずなのに。お前、本当に人間か」
「……あまり大きな声では言えない話だが、お前の言うとおり、私は人間ではない。ヴァンパイアだ。夜警の総隊長には決して許されぬ秘密だ」
ヴァンパイア。言うまでもなく第一種駆除対象種族だ。それがまさか夜警のトップだったとは。そもそも夜警の前身組織が設立された契機は、この都市を数百年前に襲った吸血鬼禍が原因ではなかったか。いったいいかなる経緯で、その組織内にヴァンパイアが入り込んだというのか。
「ふふふふ、どおりで……」ギレビアリウスは薄く笑った。
黄金の刃から伝播する致死の力で、ギレビアリウスを構成するスライム細胞は徐々に死につつあった。
「アースワームをまんまと破壊された今、この分身と拠点をこれ以上保持する意味はあるまい。勇者たちよ、今回はお前たちの勝利だ。喜ぶがよい。だがこの分身などほんの断片に過ぎない。私の総体にとっては、爪垢程度の重みしかない軽い損失だ。次は……これほど……、上手くいく…とは、……思うな……」
ギレビアリウスは溶けて崩れ去った。
「親方……こんな所で死んでしまうなんて」
俺は乳白色の液体に目を閉じて横たわる親方の横に座り込んで泣いていた。
この人には本当に世話になった。感謝しても仕切れないくらいだ。もっと話をしておけばよかったと、今になって悔やまれた。
「親方、俺、魔王のスライムどもをこの都市の下水道から必ず一掃してみせます。それこそが、下水道清掃員の俺が勇者に選ばれた理由だと思うから。今度こそ絶対に諦めたり、逃げ出したりしません。約束します。だから親方、俺にそのスコップを貸してください。これで下水管に張り付いたギレビアリウスの野郎を一片残さずきれいに剥ぎ取って掃除してやりますから」
俺は親方が使っていた年代物のスコップを手に立ち上がった。長年の使用で研磨されたその縁は、どんな剣の刃よりも鋭く、どんな斧の刃よりも力強く見えた。握りしめた柄の感触は、手のひらにしっくりと馴染んだ。
「おめでとう。セクター1、破壊成功だ」ハルビアが言った。
「……あの話、本当なんですか」俺は聞いた。
「私がヴァンパイアか、って?……さあ、どうだかね。忘れてくれたまえ」そう言ってハルビアは話をはぐらかして立ち去った。
「ひとまず、予定されたミッションは成功だ。地上に帰るとしよう。セクター2を目指したクラモトたちの動向も気になる」ジェライルが言った。
倉本と佐々木、紗英さん、それに聖教会所属の聖騎士一名が向かったセクター2。それはすべての下水が必ず最後に辿り着く場所だった。




