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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
102/117

第102話 異世界下水道清掃員②

 瓦礫の上に立つキンク・ビットリオの姿は以前よりも凶悪さの度を増していた。鋭利な前歯は(のみ)の刃のように研ぎ澄まされ、赤黒いビー玉めいた瞳には人間らしさの片鱗も見られない。全身を覆う汚らしい毛皮には、スライムの欠片や粘液がへばり付いていた。

 キンクは間欠的に頭部を痙攣させながら、甲高い耳障りな声で話しかけてきた。


「聞いたぜワタナベさん。あんた、勇者になったんだってな、すげぇなあ。キキキ……。俺、魔王様から、あんたを殺すよう命令されたんだ。残念だよなぁ。俺もあんたを殺すのは忍びないよ。でも、命令だししょうがねぇえ。あんたは偉大な魔王様の宿敵、勇者なんだからな」


「お前、魔王の下に付いたのか……」


「そうさ。あの御方は俺を自由にしてくれたんだ。ガエビリス姐さんも解いてくれなかった、精神矯正措置の呪縛から俺を解放してくださったのだ!」


「ガエビリス、どういうことだ。あいつの措置は解除しなかったのか?」


「……そうよ。キンクもあなたと同じ被矯正者だった。でも、彼はあなたとは違ったわ。キンクは幼女を手にかけた卑劣な性犯罪者だった。再犯を防ぐため、彼にはある条件付けが施されていたわ。少女に対して異常な恐怖心を覚えるような条件付けが。私としても、彼の強制措置を解除して、怪物に戻すつもりは毛頭なかった」


 そういう訳だったのか。俺は内心で納得した。地下の街で行動を共にしていた時から、俺はキンクに嫌悪感を覚え、気を許すことができなかった。やはり人の道を外れた者は、自ずとにじみ出る嫌な雰囲気でそれと知れるものなのだ。


「なるほどなぁ。俺はずっと地下の街にも不満だったよ。地上のモラルや規則から完全に自由なユートピア、殺人、強姦、麻薬、何でもやりたい放題の暗黒の天国、俺が望んでいたのはそんな場所だったのさ。でも実際はあそこも地上と何も変わらなかった。やっぱり俺はあそこでも嫌われてたってわけだ。ワタナベさん、あんたも俺のこと嫌ってたよな。わかってたよ。ううう……悲しいなぁ。畜生、みんな殺してやる!」



 キンクは猛烈な勢いで突進してきた。速い。以前、ハルビアと戦った時をはるかに凌ぐ敏捷さだ。床、壁、天井を縦横に駆け巡るにじんだ影にしか見えない。


 だがこちら側も歴戦の強者揃いだった。

 シャモスは背嚢から黒い金属製のロッドを取り出した。ごつい増幅器(ブースター)が取り付けられた特注品だ。ロッドは重々しいうなりを上げて励起すると、たちまち凄まじい勢いで雷火魔術を連射しはじめた。瓦礫が欠片となって弾け飛び、射撃の閃光が地下空洞全体を照らし出す。


 キンクは巧みに弾幕を避けて逃げ回っていたが、果敢にも反撃に転じてきた。鋭い前歯を光らせて跳躍したキンクを鋼のジェライルが迎撃する。二人が交錯した瞬間、火花が散った。反転した二人はさらに剣と歯を交えて打ち合った。キンクのすばやい連続攻撃に押され気味になった時、ジェライルの剣にオレンジ色の炎が走った。燃えさかる炎の剣がキンクの毛皮を焼き焦がし、その下の肉と骨を深々と切り裂いた。キンクは悲鳴をあげて跳びすさり、ジェライルの剣から距離を取った。


「ギギギッ、痛てぇ。グギギ……お前、なかなか腕が立つな。名は?」

「ふん、鼠に名乗る名など無いわ」


 ジェライルは炎の剣で斬りかかった。闇の中でオレンジ色の弧を描き、燃える炎が鼠の怪物に襲いかかる。俺はその迫力に圧倒されていた。これが長年にわたって実戦で鍛え上げてきた戦士の剣か。聖剣を手に入れたとはいえ、しょせん付け焼き刃の俺の剣の腕とは雲泥の差だ。助太刀に入ろうものなら、かえって邪魔になるだけだろう。

 ジェライルの剣を嫌って跳躍したキンクに、シャモスの重装ロッドの射撃と、ハルビアの魔術がまともに命中した。キンクは体中から煙を上げて吹っ飛び、瓦礫に叩きつけられた。

 ぐったりとうなだれるキンクの前に、大きな黒い影が立ち塞がった。親方だった。手には頑丈なスコップの柄が握りしめられていた。その(ふち)は長年の作業で研磨され、まるで斧の刃のように研ぎ澄まされていた。親方はスコップを振りかぶると、キンクの脳天に力いっぱい振り下ろした。グシャ。頭蓋骨が砕ける音が響き渡った。


「どうやら倒したようだぞ」

 親方はしゃがみ込んで、キンクを観察した。頭は真っ二つに割れ、そこから白い脳味噌がこぼれ落ちていた。両目とも眼窩から飛び出し、視神経の先にぶら下がっていた。

 だがその時、死んだように見えたキンクが突然、驚異的なスピードで跳ね起きた。キンクは親方の前腕をひと噛みすると、その横を脱兎のごとく走り抜けて瓦礫の上に逃れた。まさに窮鼠猫を噛む、だ。肉を抉られた親方の腕から血が流れ落ちていた。



「ギギギギギギギギギッ!!!くっそーっ!六対一ってずるいぞ!痛てぇ、痛てぇよお」

 脳天を割られたキンクが瓦礫の上で叫んだ。叫ぶたびに脳味噌がこぼれ、眼球がぶらぶらと揺れた。


「お前たち、俺を怒らせたな。絶対許さねぇぞ。全員、血祭りに上げてやる!新しく手に入れた俺の能力、見るがいい、キキキッ!」


 キンクは体毛を逆立たせ、全身を激しく震わせた。その全身が無数の毛玉にばらけて崩れ落ちた。ついさっきまでキンクの立っていた場所にはうごめく毛玉の塊ができていた。灰色の毛玉、その正体は数百匹という小さな鼠の群れだった。


 次の瞬間、うごめく鼠の塊が二倍の大きさに膨れ上がった。次の数秒でさらに倍に。山は急激に大きくなっていく。

 ようやく俺は自分の目の前で何がおきているかに気付いた。鼠どもは繁殖していたのだ。手当たり次第に交尾しては一度に五匹以上の子をばらまくように産み落としている。生まれた子鼠は一瞬にして大人と同じ大きさになり、手近にいた他の鼠とつがってまた新たな子を増やしていく。その増殖速度は、まさにねずみ算式だった。

 鼠の山はどんどん膨れ上がり、ついには六人の頭上に高々とそびえ立つまでに成長した。無数の鼠どもが立てる鳴き声や物を囓る音、動きまわる音が折り重なり、ゴーッという耳を聾する轟音となって地下空洞を満した。

「…………っ!」横にいるガエビリスの声さえまったく聞こえない。


「……これが使徒になって得た俺の能力、鼠群(スウォーム)だ」轟音が言った。

「全てを食い尽くす貪欲な鼠の群れ。この姿になった俺を止められる奴は誰もいない。全ては俺の餌食さ。苦痛を感じる間もなく骨まで囓られて、一欠片も残さずきれいさっぱりなくなっちまうだろうよ!」


 鼠群は毛皮の津波となって押し寄せてきた。

 俺たちは地下空洞から急いで撤退した。ついさっきまで立っていた場所は鼠の群で埋め尽くされた。鼠どもはスライムといわず瓦礫といわず、出会った物体を手当たり次第に鋭い前歯で噛み砕いていった。それは回遊魚やムクドリの群を思わせる不定形の動きで、地下空洞の床を舐めていく。

 撤退しながらシャモスとハルビアは振り返り、鼠めがけて魔術を乱射した。だが、何百匹か殺したところで、天文学的な数に膨れ上がった群にとってダメージは無に等しかった。


 再び水没した旧行政局の地下室跡にまで後退した俺たちは、腰まで下水に浸かりながら必死に走った。鼠の群れはそのすぐ後ろまで迫っていた。鼠どもは水面全体に薄く広がって器用に泳いでくる。「馬鹿か、ドブネズミは泳ぐのが得意なんだよ。こんなところに逃げ込むなんて、自分から墓穴を掘ったようなもんだな」鼠の鳴き声の集積があざ笑うように言った。

 こっちに逃げろ。鼠群が押し寄せたとき、鋼のジェライルはそう言った。だかそれは明らかに失敗だった。すいすいと泳ぎ渡ってくる鼠が体に取り付き、這い上がってくるのも時間の問題だ。


「……そろそろいいだろう。みんな、水から上がれ!」

 ジェライルが言った。俺たちは各々の近くにあった瓦礫や倒れた棚などの上に急いでよじ登った。その時、俺の鼻はある匂いを捉えた。油の匂い。

 その匂いに気付いたのと、ジェライルの剣が再び燃え上がったのは同時だった。ジェライルは燃える切っ先を、鼠がうようよ泳いでいる水面に近づけた。そこには虹色に光る油膜が漂っていた……。爆ぜるような音を立てて水面が一気に燃え上がった。水面を燃え広がる炎に包まれ、鼠どもは次々に焼け死んでいった。


「ここまで油を撒きながら逃げてきたんだ。奴め、まんまと引っかかったな」

 炎に照らされて、ジェライルが不敵に笑った。


「成程ね、塊になられると塊内部の個体にまでダメージを通すのは難しいが、水面だと鼠どもも薄く展開せざるをえないので各個体が無防備になり、一気に殲滅するのが楽になる。この一瞬で、よく考えたものですな。ところで、その油はどこで?」ハルビアが言った。

「地上から持ってきた。化け物を燃やすのに役立つだろうと思ってな」



 だが、炎ですべての鼠が一掃されたわけではなかった。少なくとも半数以上の鼠は壁や水の上に突き出た瓦礫の上に難を逃れていた。油が燃え尽きて火勢が衰えるとともに、鼠の群れは再びじりじりと動きだした。そして水面に浮かぶ焼け焦げた仲間の死骸を食らって繁殖し、たちまち個体数を回復させていった。


「やれやれ、あれでも倒せませんでしたか。なかなかしつこい敵ですな」

 ハルビアが言った。水面に突き出た瓦礫の上に鶴のようにすらりと立ったハルビアめがけて、周囲の水面から鼠の群れが殺到してくる。鼠どもはハルビアの立つ瓦礫に次々と上陸してきた。


「お前とはいつしか、下水道で戦ったな。その決着を、今ここで付けるとしよう」

 ハルビアは真鍮のロッドを水平に構えた。その足にはすでに多数の鼠が群がり、靴やズボンの生地に歯を立てている。それにも一切動じることなく、ハルビアはロッドを捻り、その中に隠されていた金色の刃を引き抜いた。そして狙いを定めると、地下室の向こう側めがけて投擲した。黄金の光を曳いて一直線に飛んだ刃は、影に包まれた部屋の隅の壁に突き刺さった。


 鼠の群れ全体に動揺が走り、すべての鼠の動きが静止した。

 そして、少しずつ、鼠の群れはばらばらになって、地下室のあちこちへと散らばっていった。もう少しで俺とガエビリスがいる棚の上にまで這い上がろうとしていた鼠たちも急に興味を失ったように方向転換すると去って行った。


「……どうやら、今度こそ終わったみたいだな」

 俺とガエビリスは棚の上から降りると、ハルビアの剣が突き立った壁の前まで歩いて行った。


 そこには一匹のドブネズミが、刃で貫かれ、壁に張り付けになっていた。

 その鼠はまだ生きていた。


「うぅ……、死にたくない。助けて、ワタナベさん」弱々しい声で鼠が言った。


「……その一匹が群れ全体を制御する頭脳だったのです」

 いつの間にか俺たちの後ろに立っていたハルビアが言った。


鼠群(スウォーム)も、魔王のスライム群体と同じく中枢を持たない分散ネットワークだと、私も最初はそう思いました。ですが、群れの行動パターンを詳しく観察した結果、どうやらそうではないということが見えてきました。つねに一ヶ所を重点的に守るように動いていたのです。常にその中心にいたのが、目の前にいるこの個体だったのです。中枢が見つかれば、後はそれを倒せば済む話。たった一体の頭脳個体に依存しているのが判明した時点で、この鼠の群れは恐ろしい物ではなくなりました」

 ハルビアはまるで講義でもするように流暢に言った。


「シャモスさん、魔物対策の基本はまず第一に相手を観察すること。それを忘れないように」

「はい!ありがとうございます前総隊長殿」シャモスは気をつけをして言った。


 俺たちの見ている前で、キンクだった鼠はどんどん衰弱していった。致死効果を付与された刃に生命力を削られ、魔王の使徒は死を迎えようとしていた。


「……いやだなぁ、こんな死に方。こんな鼠の姿で死ぬなんて。俺の人生、なんでこうなっちゃったんだろう。こんな……どうして……。俺も本当は、正義のヒーローに、なりたかっ……た……」


 死んだ鼠はたちまち変質し、どろりとした黒い粘液になって壁の上を垂れ落ちていった。


 俺はキンクに哀れみを覚えた。あいつだって好き好んで異常な性癖を持った訳ではなかっただろう。どんな人生を歩み、どんな人間になるかなんて、しょせん運みたいなものだ。あいつは悪いカードを配られたのだ。地下の街で一緒に行動していた時に、俺が毛嫌いしていなければ、あいつも道を誤って魔王の使徒になることもなかったかもしれない。


「いくぞ、勇者。まだまだ先は長いぞ」シャモスが言った。

 そうだ、俺には勤めがある。こんな所で感傷にとらわれている暇はない。俺は壁のシミとなったかつての友に背を向けると、再び作戦の目的地、セクター1へと向かい始めた。

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