第七話 進水
漂流十三日目。
同志諸君のなかには、水泳が得意な方もいるかもしれないが、ゲーム的なスキルもなく約3000メートルという距離を泳いでわたろうという猛者は、現実世界で競泳かトライアスロンでもやってた筋金入りのアスリートだけだろう。
往復で6キロだ。
50メートルを泳ぐのに1分かかるとしても、まるまる2時間。
陸上でいえばフルマラソンを走るような時間、泳ぎ続けなければならないということだ。
自身の体重をキロ単位で減量できそうなハードワークである。
では、筏か小舟をつくるというのならどうだろう?
うーん。外海だからな。ちゃちな作りだと波にさらわれそうだ。海が急に時化る可能性も考えれば、頑丈さに加え、迅速に岸にたどり着けるだけの速度も必要だろう。
目標の島は南西にそびえている。
遠目には岩礁。むき出しの岩肌に緑が苔のように張り付いているように見えるが、おそらく背の低い植物である。
この島に比べれば、それほど薪や食料が豊富にあるとは思えない。
つまり、俺としてはいまいちメリットを見出せないのだ。
しかし、とうのお館様はやる気まんまんであった。
「さぁ、まずは作業場ですねー!」
まぁ、筏を作るのは俺じゃなくて、エグゼリカだ。
あの迸る情熱を削いじゃいけないだろう。
俺はアイデアを出したり、所々を手伝うだけ。俺のメイン業務は相変わらず食料調達である。食い物集めをおろそかにしてはサバイバルが成り立たない。
もちろん、漁に出る前にちょっとだけお手伝いはするさ。力仕事ならまかせとけ!
と、気張っていたのだが、俺の出番はなかったようである。
「シェム・ハ・メフォラシュ………」
エグゼリカが呪文を唱えると、砂がもりもりと立ち上がる。やがて、身長三メートルはありそうな巨人が形作られた。
「サンドゴーレムです」
「マ゛ッ!」
その巨人の顔立ちは鼻が取れる前のスフィンクスのように男前である。上半身からは、二本のたくましい腕が生え、下半身は四足獣である。
巨人が重機のような腕を振り上げ、地面をドカンドカンと叩き始めると、見る見るうちに家一軒建ちそうな土地が整地されていった。
「さーて、次は木材調達ですよー!」
「マ゛ッー!」
その働きぶりを描写すると……
ハーイ、マイケル! 何やってるの?
やぁ、スーザン。実は今ね、この庭の大木を切り倒そうと思っているんだ。
わーお、太っーい! 大丈夫なの?
大丈夫さ。こいつを見てごらん。ほら!
すっごーい! 大ーきいのね。
だろう? このサンドゴーレム・デラックスの背丈は三メートルもあるんだ。頼りがいがありそうでしょう? 僕みたいな庭仕事初心者でも、このサンドゴーレム・デラックスがあればね。このゴツイ腕でひと押しするとあの巨大な【吐露非狩古鬱の木】が根本から、ほーらほーら。
すっごーいパワフル! メキメキ倒れていくわ!
これがサンドゴーレム・デラックスさ。庭木だって頑固な根っ子ごとあっという間に倒しちゃう。倒した庭木はこうやって、材木にして……
とってもエコロジーだわ! でも、こんなの組み立てるのが大変そうじゃない?
ノーノー! サンドゴーレム・デラックスに必要なのは砂だけ。砂に呪文を唱えるだけで、この高性能!!
使い終わったら、また砂に戻せばいいのね?
その通りさ!! それが、サンドゴーレム・デラックス!! 今なら、このパワフルなサンドゴーレム・デラックスがお電話一本で、あなたのものに! さらに30日間の返品保証!! 効果がなかった場合は代金は頂戴しません!!
どうかみなさんもこの全米で大ヒット! サンドゴーレム・デラックスのパワーをご家庭で実感してください!!
と、アメリカ人男女が深夜にヨイショしまくりそうなほどの高性能だ。
魔法使いっていう連中は呪文一発でこんなものが作れるんだろうか?
なんか、あっという間に森がなくなってしまいそうだなー。
そんな懸念を抱いていたら。
「ウィウィ! おまかせください!!」
俺の心を勝手に読んで、小さな精霊の体はおぼろげに輝き始める。
すると、周りの若木がメキメキと音を立てて成長を始めた。
枯れて漂着しているはずの流木まで、芽を吹き始める。勢い余って、己の頭にもぽんと花が咲く。
シシ○ミ様か、こいつは!
「レージュ! まだ木は育てないで!」
「うぃー」
エグゼリカが嗜める。
魔法の力というのは恐ろしい。なんでもありだ。
木を切り倒すのがあっという間なら、森を育てるのもあっという間。
どうやら、俺のやることなんてないらしい。
この分あら、きっと、りっぱな筏ができることだろう。
ぼさっと突っ立っていても仕方ないので、俺はルーシーと共に漁に出かけることにした。
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丘に上がれば、捕食対象にしかなりそうにない賢獣・玄武龍だが、水中では独壇場だ。
エグゼリカによると物理ではなく魔力で水の流れを操っているそうなのだが、なかなか大した推進力である。人ひとりを引っ張って、水中をぐいぐい進んでいく。
たしかに、これならかなり大きな筏を牽引することもできるだろう。もちろん、タダ働きさせるのは賢獣愛護精神に反するので、労働条件として相応の報酬は用意しておかねばなるまい。
エグゼリカがへそを曲げても困るが、こいつに蒸発されても困るんだよな。
ルーシーは生魚も食べるのだが、少し火を通した貝やエビも大好物らしい。一番の好物は、【伊勢ヤドカリ】(伊勢海老サイズのヤドカリだが正式名称は知らない、俺が勝手に命名した)だ。
カニの王様タラバガニや無人島サバイバルで定番のヤシガニは、どちらもヤドカリの仲間であるので、ヤドカリがもしこのサイズだったら不味い訳がない。たしかに、伊勢ヤドカリは美味い。
しかし、【オニサザエ】(なんか今にもカツオを猛追しそうな名前だよな)という通常のサザエの四倍以上もある頑丈な貝の中で身を守っているので、なかなか喰えないらしい。
伊勢ヤドカリは火であぶってやると慌てて出てくるので、人間が料理するのは比較的簡単だが、ルーシーにとっては難物だった。巨大巻貝の中に頭を突っ込んで、不覚にも反撃を食らってしまうという賢獣(笑)を、この数日間で度々目撃している。
まぁ、毒キノコや毒ガニを食って、エグゼリカを呆れさせた俺が言えることでもないかもしれないが。
俺を含めてこの島の住人はみなマヌケだ。
だが考えても見れば、非常にうまい具合に噛み合っている。
俺は、ルーシーのサポートとエグゼリカの治癒魔法を宛てにしていなければ、ここまでアグレッシブな食材集めはできない。
エグゼリカは魔法は使えても、カナヅチで漁に出られず、焼き魚一つ作ることができない。
ルーシーは、食いしん坊な上、結構な寂しがり屋だ。玄武龍は【黒海竜】という魔獣が変異した存在だそうだが、賢獣が単独行動を好んだり、率先して人間のパートナーとなるのは、変異種であるがゆえに同種の友達ができないからなのだそうだ。いわば、『みにくいアヒルの子』である。
レージュはエグゼリカがいなければ、魔力が枯渇し、俺がいなければ害虫にやられて死んでいただろう。だが、そのレージュがいなければ、俺とエグゼリカは会話もままならない。
みんな持ちつ持たれつなのだ。
海面に浮かべておいた桶の上に、魚介類が積み上げられたところで……
「……じゃ、帰るか」
「ピュイー!」
海面に頭を出し、威勢のいい返事を返すルーシー。
おそらく喰い意地で進化したのであろうポケット◯ンスターは、桶いっぱいの食材と俺を引っ張って、岸へ猛然と進み始めた。
こうして俺たちはいつも通り、一時間弱の漁を終え、帰還するのである。
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漁から帰ると作業場は整地され、一応屋根が出来ていた。
壁はなく吹きさらしだが、雨露を凌ぐことはできるだろう。
その屋根の下にあったのは、不格好に組み上げられた、木材と竹材。
「………こ、これは?」
嗚呼、それはまさに、かのロマン主義の画家が描いた筏そのものだ。
一応、中央にマストは立っている。ただ帆はない。その代わり、てっぺんにお子様ランチのような旗が立っている。
「メデューズ号の筏ですか?」
「お望みならば、その名前にしましょう!!」
いいのか?
ちなみに、『メデューズ号の筏』は、フランスのルーブル美術館に所蔵されている有名な絵画の名前だ。
メデューズ号とは西アフリカ沖で座礁した軍艦である。乗組員たちは大海原に投げ出され、筏で漂流することを余儀なくされた。巨匠ジェリコーが描いたこの絵には、水平線の先にようやく船を見つけ、歓喜に湧く男たちが描かれている。
彼等は救助後、国から英雄的扱いをうけたそうだが、漂流中は死んだ仲間の肉を食いながら飢えを凌いおり、光輝く『希望の船』の対角線側に、暗い色彩でその死体が描かれている。まぁ、いろいろと考えさせられる絵画だ。
「早速、海に浮かべてみましょう」
「俺はこれで沖へ出る勇気はないですねー」
「大丈夫ですから!! ほら!」
俺は止めたが、エグゼリカは自分が乗った筏をゴーレムに引っ張らせ、ロープで引っ張って、波の上に浮かべた。一応、人一人を載せて海に浮くことはできたようだ。
しかし……。
「きゃあああああああああああ!!」
案の定、波打ち際から十メートルほど離れたところで、あれよあれよという間に『メデューズ号』は崩れていく。
溺れるエグゼリカ。
この子、ホント泳げないんだな。
もしかして悪魔の実でも食ったのだろうか?
ライフセービングのため海に入ろうとするが、彼女は幸いにも、筏の残骸とともに砂浜に打ち上げられた。
「ほーら、だから言わんこっちゃない」
「………大丈夫だと思ったのに……」
あれを見て不安にならない君の神経がわからないヨ。
ぜえぜえと息をしながら、砂浜の上に両手を付いて、へこたれるエグゼリカ。
しかし、テンカウントを待たずに再び立ち上がる。
「……気を取り直して、次を作りましょう!! メイク・ミラクル! 失敗は成功のマザーです!!」
めげないなー。
精霊の翻訳ファンクションをミスター語にチェンジしてしまうほどのポジティブシンキングである。
だが、家臣としてはマイ・ご主人様に同じミステイクをリピートさせる訳にもいかない。
「まぁ、待て待て。エグゼリカ。
再挑戦するのはいいけど、失敗を分析せずに作っても同じだ」
「…………む」
エグゼリカはちょっと恨みがましい目をしながら振り返る。
「原因は何だと思う?」
「原因?」
「まず、木材を繋ぐロープが全部『蝶々結び』だったことだ!!」
「…………………」
エグゼリカはしばらく沈黙する。
真剣な顔で。
そののち彼女に電流走る!!
「ハッ!!」
そして、マジック発動を宣言した後でそれを無効にする相手のカード永続効果にいまさらに気付いた凡骨デュエリストごとく視線を上げ、愕然とした。
「……し、しまった。どうやって作ればいいんだろう?」
ア・ホ・の・子・だ。
数日前から何気なく気付いていたが、間違いなくアホの子である。
無知や愚鈍だからではない。
教養はあっても、なにか仕事をしている時、根本的な重要事項を忘却してしまうタイプなのだろう。ある意味、無能者よりも致命的なのだが。
「もちろん、蝶々結びなんて、直せばいい」
だが、改善すべき点はロープワークじゃないと思う。
そもそも、こんなブサイクな筏で3000メートルの海を渡るのに何時間かかる?
たしかにルーシーの遊泳速度と馬力は確かになかなかのものあが、自重の何倍もある荷物を牽引したことはない。沖合いで消耗し、立ち往生というのが一番困る。
急に海が時化て波に晒られたら、それこそ死ぬな。
海を舐めたらあかん。
「試行錯誤を続けるしか無いのでは?」
「むー」
とりあえず、昼食をとった後、俺が設計図から見なおすことにした。
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まずは、洞窟の奥より、継ぎ接ぎだらけの襤褸を引っ張り出し砂浜に広げる。
生地はエグゼリカのベッドのシーツと同じもの。もとはどちらもこの近くで難破したという大家さんの船の帆だったらしい。
頑丈なロープと凧糸なども見つけた。
これだけあれば天の助けというやつだ。
「どうやって作るんです?」
別に本格的なヨット部というわけではないが、小学生の夏休みにヨットスクールでディンギーをやったことがある。
そのときの知識を駆使して、工夫を凝らしてみることにした。
「まず丈夫な板が要る。幅は1メートルぐらい、厚さは最低3センチ。長さも1メートルあればいいかな」
「メートル? センチ?」
「1メートルは約3分の2メイル。3センチは親指の第二関節の長さぐらいかな」
漂流した日から浜辺に打ち上げられていた巨大な流木を俺は指差す。
「あの流木から、心材の部分をきりだせる?」
「わかりました」
エグゼリカは即座に目を輝かせて、作業に取り掛かった。
呪文一発。ウォータージェットが巨大な流木を切り裂く。ぎっしりと詰まったみずみずしい木目があらわになり、一枚の板となる。
何年海水につかっていたかわからない朽ち果てた流木の中身は、フナ虫に食われているかと思いきや、なかなかどうして上等な素材だった。
さらに俺は、エグゼリカが切り出したヤシの木の丸太をさして言う。
「……次にこの柱ぐらいの丸太を二本。橇みたいに削って欲しいんだけど?」
「橇ですか?」
「できそう?」
「やってみます」
その間に、俺は長方形の一枚板に面積の七割を残すぐらいの角度で斜めに線を入れる。
「橇、できました!」
「早っ」
「次はどうすればいいですか?」
「そしたら、この板を図のとおりに切り出して……」
エグゼリカのウォータージェットは、まるで機械のように正確に線をたどり、板を切り出していく。
これだけのことができてて、さきほどの筏のクオリティはなんだったのか?
「次に、この角材に穴を開ける。さっきの板が通るぐらいの大きさで」
俺は、凧糸を使って真っ直ぐに、そしてなるべく正確な長さを計った。
「なんなんです?」
「センターボードの代わりだ。縦帆船にしようかと思うから」
「縦帆船?」
その方が、タグボートになるルーシーも楽だろう。
「進行方向は南西。帰りは北東だろ?
この島では、天候が安定していれば、東南の風が吹いているから、上手く風を捕まえさえすれば、終始横風を受けるだけ。ほとんど舵を切ることなく往復できるはずだ」
風を受けるとヨットの帆はふくらみ、飛行機の翼と同じように揚力を発生させる。この揚力とセンターボードでうける水の抵抗で、船は風に向かって斜めに進むことも可能になる。
真横から風を受けるウィンド・アビームは、追い風よりもスピードがでる。
まぁ、ハンドメイドの筏でどれほどの速度が発揮できるかは分からないが、前には進むはずだ。
「帆はとりあえずメインセイルだけ。ジブやスピンネーカーはいらないと思う」
「メインセイル? スピンネーカー?」
「メインセイルは可動式の縦帆だ。ジブセイルはその補助。風に合わせて角度を変えて向かい風でも推進力にする。もちろん帆船は向かい風には進路は採れないけど、タックを繰り返してジグザグに進むことで、風が吹いている方角にも行けるんだ。
スピンネーカーは順風の時にだけ広げて、追い風を捕まえて速度を上げるんだけど、帆が二つあると操作が難しくなるから、人数が少ないときは無理だと思う。だからメインセイルだけで十分」
レースじゃないんだから、速度なんかより安定性が第一だろう。何しろカナヅチを乗せるわけだからな。
俺がイメージとしているのは、ポリネシアで使われているような三胴船だ。
真ん中に重心があるだけではカヤックみたいにひっくり返りやすい。しかし、左右にフロートがあれば、安定するはず。橇の形に削った丸太が左右のフロートになるのだ。
センターボードを上から出し入れできるようにしておき、使わないときは砂浜の上げて舟屋に入れておく。
「問題は船体とマスト、ブームとマストの結合部の強度かな。なるべく頑丈に作りたい」
船の部品について余計な説明が要らないのも、やはりレージュのお陰だろう。
そんなありがたい精霊様も、俺達がやろうとしていることをなんとなく理解しているのか、ヤシの実の植木鉢で舟遊びに挑戦していた。遊ぶのはいいが、うっかり潮をかぶって枯れてしまわないだろうか? ………って、思ってる傍からドボン。
しかし、ルーシーに助けられ浮上。思いのほか大丈夫そうである。どうやらマングローブのように耐塩性があるらしい。
船体のパーツを削りだすエグゼリカの作業を見ながら、俺は帆を縫い合わせる。古くなっているが丈夫な綿布だ。しかし、マストやブームとの連結部は、特に念入りに縫製しておかないと裂ける可能性がある。
「できましたー!」
速いよ。エグゼリカが張り切っちゃうとこんなスピードなのか?
何か手作業をしながらだと、指図が追いつかない。
「次は何をすればいいですか?」
「えーと、滑車とか作っといて欲しいな」
なら、細かい作業ならどうだ?
「滑車?」
「ブームに取り付けて、セイルの角度を変えるための動滑車だよ。
風を目いっぱい受けた帆を動かすためには、滑車を使って力を分散する必要があるんだ。
ブームがスムーズに動かないと、舵を取ったとき帆が裏打って船足が鈍ってしまうから……」
風力にもよるが、おそらく百キロ以上の重量が掛かるわけだから、滑車の軸はもちろん金属じゃないと困る。木材の加工は得意なようだが、鉄板を削ったり曲げたりはできるだろうか?
「鉄板はあったかな?」
「作ればいいじゃないですか」
「はえ?」
「土砂には一定の割合で鉄分が含まれますから」
エグゼリカが手をかざすと、土の中から黒い砂がわさわさと集まっていく。
やがて、ヤシの器いっぱいの砂鉄が集められた。
「これを炉で沸かして、木炭をつっこめば鉄はできます」
なるほど。
溶鉱炉にするのなら、やたら火力だけはあるエグゼリカの炎の魔法も有効だ。
もう、なんでもありだな。
エグゼリカはその調子で、小刀やノミやドリルのような手道具まで作ってしまう。「無人島に何か一つだけ持ち込めるなら、何を持っていくか?」と質問されたら、俺は『こいつ』と答えることにしよう。もちろん、エロい意味はないよ?
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俺の背丈の倍はあろうかという三角形の縦帆に俺とその隣にたたずむエグゼリカの影が映る。
日が西に差し掛かったこともあり、長い長い影となっていた。
本日の作業の成果を見上げて、誇らしげに胸をそらすエグゼリカ。
「できましたねー!!」
「ええ、できましたねー」
やや唖然として台詞を棒読みする俺。
船体はトリマラン。センターハルは筏だが、左右に浮力のあるフロートを取り付けている。艤装はシンプルなキャットリグ。問題は、舵を操作するティラーを中折れ式にしていないので、現状ではメインシートの操作と舵の操作で二人が必要になってしまうことだ。
もちろんこれには理由がある。エグゼリカが一人で海に出たりしないように、敢えて二人乗りにしたのだ。
恐るべしは魔法使いか、エグゼリカか。
その圧倒的工作能力により、日が沈むころにはトリマラン・ディンギーは完成してしまった。
魔法の力というものはすさまじい。
異世界の同志諸君は、こんな力を身に着けて『俺TUEE』ぐらいにしか思わないのだろうか?
俺は怖いとすら思ったよ。
魔法使いは、高度な工作機械がなくても、徒手空拳で船一艘作ってしまうのだ。
人類は外敵から身を守るために、集落を作り、石器をつくり、武器を作り、犬や馬を飼育し、少しずつ文明を進めてきたのだが、こいつら魔法使いは巨大ゴーレム召喚するわ、ウォーターカッターで大木をスパスパ斬るわ、あっという間に製鉄所作って即日のうちに鉄器拵えるわ。
きっとこの世界。持たざる者が持つ者に対して抱く、嫉妬と羨望の念は計り知れない。
そして、貴族という連中が選民思想を抱くのも当然である。このエグゼリカが自分より上と評するなら、もうサ○ヤ人か何かだと思っていた方がいいだろう。もしかしたら原始時代から、無敵だったんじゃないだろうか?
さらに、もしかしたら、この世界の文明って、庶民はともかく、『中央の貴族』という連中は二十一世紀よりも先にいっているのかもしれない。『魔法』という未知のエネルギーがあればありうるではないか。
「じゃあ、早速、海に浮かべてみましょう!!」
「え、いまから?」
「はい」
それはちょっと躊躇っちまうな。
万一失敗して、一日の作業が無駄に終わったら、すごくネガティブな気持ちで寝床につくことになる。
いやいや、何を言ってるんだ? それは俺の都合。お館様のお言葉はすべてに優先するんじゃないか?
俺は、たったいまお館様のお力を拝見したばかりではないか!!
「……そ、そうだな。欠点があるのなら早い段階でテストして直しておかなきゃいけないし……」
「でしょう?」
万一、あっさりと沈んだりしてしまえば、お館様のご不興を買ってしまうわけで、一応予防線を張った発言をして、承諾する俺。
巨大ゴーレムがディンギーをヒョイと持ち上げ、西の海岸の波打ち際へ浮かべる。
そのゴーレムの膝をステップ代わりにして、レージュを抱えて、エグゼリカが乗り込む。
念のため、滅多にもらえない飛行機のおみやげ『救命胴衣』を彼女に首にかけておく。これがあれば溺れることはなかろう。
「とりあえず。時計回りに島を一周してみますか?」
いきなり難易度の高い処女航海だな、おい。
「風は東南。これに乗って岸を離れ、面舵。
次は、クローズホールドで島の北側を進み、沖合でタッキング。
そして風に乗って順繰りと面舵を切ってベアリング・アウェイしていけば、島を一周できます!!」
すっかりヨット用語も憶えてやる気満々である。
カナヅチのくせに冒険準備万端病とか、サポートする側の身にもなってほしい。
「……では、島の北東で、一度だけ帆が左から右に大きく移動するんで、ブームに頭をぶつけないように気をつけて」
「はい。わかってます!」
そう言われて、エグゼリカは舟の中心部にちょこんと座って舵を操る。
最大の難関はタッキングの時だろうな。島から一番離れる上、舟の傾きが変わるので俺かエグゼリカが海に落ちてしまうかも。トリマランでも沈する可能性はゼロじゃないし。
まぁ、そのときはルーシーにサポートをお願いしよう。
頼りの水棲生物は、船を先導するかのように既に海に入り、海面に顔を出していた。
ええい! ままよ!
ビックリドッキリメカ発進だ!!
俺は覚悟を決めて、メインシートを出す。帆が目一杯広がり、船足が付いたところでエグゼリカが面舵を切った。それに合わせて、俺がメインシートを引き、セイルの角度を調節する。
ラフィングし、クローズホールドに。俺は風を受け浮き上がる右のフロートに、重心を移す。
帆はやや傾くが、それでも舟は前に進んでいる。
思いの外スムーズだった。
「わっはー!!」
船足が上がると同時に、お館様のテンションが上がる。
風は、中風。右前方からの向かい風。
それを飛行機の翼のような形に膨らんだメインセイルが、揚力に変えて進んでいるのだが、船の速度も合わさり、なおさら風に向かって進んでいるように感じる。
「リュージ! リュージ!! これすっっっっごいです!!」
いえいえ、すっごいのはお館様でございます。
「作ったのはエグゼリカでしょう!?」
風音、波音に負けない大声で会話する。
「この舟の名前!! 何にしますかーーー!?」
「エグゼリカが決めてーーー! 俺はタイタニック号、マン◯ョンボン号以外ならなんでもいいですー!!」
沈んじゃった船や敵国の工作船は不吉だからな。
武蔵とか大和とかもかっこ良くてもだめだ。
『三笠』とかどうだろう? 実に駆逐系だが。
「ミカサはどうですかーーー!?」
………妙にシンクロしたな。
レージュの結界のおかげか?
「それにしましょうーーー!!」
タッキングに手間取ってしまったが、帆船ミカサ丸は順調な滑り出しを見せた。