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第七天子の魔術儀典  作者: 大野水城
異世界少年漂流記 無人島サバイバル編
5/27

第四話 それぞれの日誌

 ネリス王国南方探索船エルソレール号は、天暦895年灼月7日、シルル諸島沖で座礁。

 魔物に襲われ、クルーは全員、死亡もしくは行方不明、と船長ウィルヘイム・ゴールデンバット伯爵が記した航海日誌には記されている。

 それ以後の日誌は、無人島に漂着した卿のその後の日々を綴った記録となっていた。

 その最後のページより、抜粋する。


※※※ 


 漂流、425日目。

 これが最後の日誌になるかもしれない。破傷風にかかったようで、熱が一向に下がらない。

 しかし、私は海に出たことに、後悔はしていない。

 私はもう長くはない。この島で果てることになるだろう。

 今回の航海の何よりの収穫は、幻の海龍と呼ばれる【玄武龍】に出会ったことだ。ルーシーと名付けたこの子はとても賢い。私が動けなくなっても、毎日魚を運んでくる。私が一年以上、この島で生きながらえることができたのも彼女のおかげだ。

 賢獣は人に寄り添って暮らすというが、たとえパートナーを失っても、その死を理解し、前に進んでいける獣だという。だから、死ぬときは、彼女のそばで死のうと思う。

 私がこの世を去るということ彼女には伝えておかねばならない。それがせめてもの恩返しだろう。私にとっても悪いことではない。決して孤独な最期ではないのだから。

 愛する妻と娘よ。私の遺骨はそなたたちのもとには戻らないかもしれない。だが、せめてこの日誌は、いつの日か、そなたたちの手にもどることを切に願う。


※※※ 


 日誌は一旦ここで途切れている。

 文字の乱れから、この時の卿はかなりの重篤な状態であったことが推測される。

 これ以後、卿の記述がないことをみると、ウィルヘイム・ゴールデンバット伯爵はその後まもなくして亡くなったのである。


 しかし、この日誌は、卿の死後、別の漂流者の手によって加筆されていた。


※※※


 船と海を愛してやまなかったネリス王国貴族ウィルヘイム・ゴールデンバット伯爵閣下が残した航海日誌の残りのページを借りて、魔導師エグゼリカ・セレスティが記します。

 私がこの島で目を覚ました時、閣下はすでにお亡くなりになっており、ご遺体も白骨化していました。日付けを逆算してみますと、閣下のご逝去から、およそ二年半が経過しているようです。僭越ながら、閣下の亡骸は壺におさめ、この地に埋葬しておきます。もし、ネリス王国の心ある方がこの島を訪れ、この日誌を読まれたら、せめてご遺骨がご家族のもとに戻れるよう、どうかご手配をよろしくお願いいたします。


 私が今更日記など書き始めたのは、もしかしたら私も閣下のように、この島で最期の時を迎えるかもしれない、と覚悟したからです。

 私も、同じ身の上の漂流者です。この島に漂着して、ちょうど一週間が経ちました。ただ、私が目を覚まして一週間なので、今日の日付はわかりません。

 閣下が残してくれた海図のおかげで、ここがシルル諸島に属する無人島だということは把握できました。しかし、今のところ、私も帰還の目途は立っていません。

 【オーガスティア大陸】に戻るには、巨大な海魔が出没するという【ダイダロス禁域】を抜けなければなりません。筏を作って海を渡るのは自殺行為でしょう。ネリス王国の『船乗り卿』と謳われたゴールデンバット伯にもできなかったことですから、帰還は簡単ではありません。ただ、私は治癒術が使えますので、ある程度の怪我や疾病への対処はできると思います。しばらく、この島に滞在し、方法を考えたいと思います。


 私がこの島に流れつくまでの経緯についても書き込んでおきましょう。

 私は、船乗りではありません。同盟領の【自由都市ゼフィーリア】に住む魔導師です。治癒術が使える魔導師は珍しいですから、ちょっとは有名なのではと思っております。

 端的に申し上げれば、私は、私の能力に利用価値を見出した悪い人たちに誘拐されました。彼らは呪術で私の魔力を封印し、船に乗せてどこか遠くへ運ぼうとしていました。

 その悪人たちの正体については、現時点では私の憶測の域をでませんので、ここには記述しません。

 ただ、その手際の良さから考えて、『その道のプロ』なのは間違いありません。自分の技術や能力を世のなかの為ではなく、悪事に使う人たちがいるというのは、すごく残念なことだと思います。


 彼らの末路についても書いておきます。

 きっと、その悪事を天がお許しにならなかったのでしょう。彼らの乗った船は、海難事故に遭遇し、沖合で沈没しました。よくわかりませんが、巨大な鉄の塊が空から降ってきて、船体が真っ二つになったようです。

 彼らはパニックになり海の藻屑と消えていきました。

 あえて言わせてください。


 テロリスト、ざまぁー m9(^Д^)


 第七天子様は、「天に頼るな」とおっしゃいましたが、天罰というものは本当にあるものだと実感しました。

 ただ、それもつかの間、その時は私も他人の不幸を嗤っている場合ではありませんでした。

 実は、私、泳げないんです。

 海を見るのも初めてでした。もし教育に携わる方がこれを読んでいたら、生徒さんには水練だけは叩き込んでおくことをお勧めします。人は勉強ができなくても死にません。魔法が使えなくても死にません。でも、泳げなかったら死ぬんです。わりとマジで。

 幸運なことに、私はこの島に流れ着いて、生きながらえています。海に落ちた際、ダメ元で【停滞】の魔術を使って、新陳代謝を遅らせてみたのですが、効果があったようです。

 しかし、そのせいで覚醒に少々時間がかかり、今が何月何日なのかはわかなくなってしまいました。

 

 島には、私より少し年上の若い男の人がいました。

 名前はリュージというそうです。現地の人ではなく、彼も私と同じ漂流者です。言葉は通じません。しかし、いい人です。

 リュージは私と話をするために大陸公用語を必死にを覚えようとしています。

 魔力をもたない【庶民】のようですが、頭は悪くはないようで、簡単な会話はできるようになりました。


「リュージはどこから来たの?」

「………ジャペアーン」

「ジャペアーン?」


 『JAPAN』と砂浜に字を書きます。


「リュージ来た、なまえ」

「国の名前?」

「クニ?」

「人がたくさんいるところ」

「うん。ジャペアーンはクニのナマエ」


 こんな感じで、身振り手振りを交え、砂浜に絵をかいたりしながら、彼は言葉をどんどん覚えていきます。


「どういう国?」

「大きくてきれいなヤマ、青いウミ。ある。

 北、南、とても長い。北、とても寒い。南、とても暑い」

「帰りたい?」

「うん。………でもエグゼリカの近い。リュージのクニ、遠い。地図、ない」


 私のクニも近くはないんですけど、閣下が残した海図の端の方にゼフィーリアはありました。彼の故郷はもっと遠く、その海図にも載っていない場所にあるようです。

 彼は海での暮らし方をよく知っています。そして、いろいろと私に気を遣ってくれています。

 料理上手で、毎朝、目が覚めると朝食が用意されています。

 島には鶏もいました。どうやら閣下がもちこんだ鶏が野生化していたようです。リュージが罠を作って捕まえることに成功し、現在は卵を採るために何匹か飼育しています。ホント逞しいです。この人。

 今日の朝食は、オニサザエのつぼ焼き、ダルマシャコの素揚げ、貝出汁とヤドカリの味噌を使った味噌汁。山芋とタケノコのサラダでした。白いご飯がないのが非常に残念ですが、無人島の素材でこれだけのものを作れるのはすごいと思います。

 それから、熱中症対策でしょうか? 粗塩とサトウキビの汁、そして、柑橘系の果汁を入れて経口補水液まで作っているので、なかなか教養もあるようです。

 最近は時化で漁に出れない日に備えて、干物まで作っています。


 ただ、彼にも知らないことはあるようで、一昨日は猛毒の【フグガニ】を食べて岩場で泡を吹いて倒れていました。解毒魔術でなんとか治せましたが、もし私が治癒師でなければ今頃死んでいます。

 おそらく彼の故郷にはフグガニはいないのでしょう。あるいは、もしかしてですけど、馬鹿が付くほどの食いしん坊なのかもしれません。


 一時は、このままでは彼と私がこの島のイザ・ナギとイザ・ナミ(第七信仰における天父神と地母神のこと)になってしまうのか、とか心配しました。

 この島で、私は一張羅ですから、時に結構『はしたない恰好』をするしかありません。そんな私に彼は上着をくれました。草を鞣して草鞋を編んでくれました。

 若い女と二人きりだというのに、私に手を出そうとする素振りはなく、むしろ私に遠慮しているようで、洞窟の外に屋根を作ってそこで寝起きしています。肌を見せると、どぎまぎして顔をそらすので、女の子に興味がないというわけではないようですが、ひょっとしたら故郷に可愛い彼女でもいるのかもしれません。

 彼も、この島から脱出する気があるようで、狼煙台などをせっせと作っています。 


 とはいえ、男はいつ豹変するかわからない生き物といいますから、警戒はしておきます。

 まぁ、彼は兵士や冒険者のようではありませんし、魔力切れにさえ注意していれば、たとえ力づくでこられても負けることはないでしょう。

 もちろん、襲われたって初日みたいに、 全身火傷、心肺停止にまで追い込む気はありませんが………。


 ………すみません。彼の名誉にかかわるので明記しておきます。

 襲われたわけではないです。寝起きでパニくった私の過剰防衛っした。てへ♪

 ホント、サーセン。


 それにしても、『ジャペアーン』という国はどこにあるのでしょうか?

 そんな遠くから流れ着いたというのなら、帰るのも一苦労です。

 冒険者組合に相談してみるしかないでしょうが、外洋に出るのは命がけです。もし本気で帰るつもりなら、大変な旅になるでしょう。

 仲間を集め、船で海を越えるというのは一大事業です。しかし、海の果てに見たこともない国があり、その国との貿易航路を確立することができれば、莫大なお金が手に入ります。そういう夢のある話をうまくアピールできれば、力を貸してくれる冒険者もいるかもしれません。

 彼はまじめでいい人ですから、大陸にたどり着くことができたら、身の振り方について、相談に乗ってあげようと思います。


 私は、今のところ、病気も怪我もありません。いたって健康です。

 ただ、心配なことはあります。私自身のことではありません。

 私は治癒師ですので、ゼフィーリアには担当していた患者がいました。今、私がいるべき場所にいないことで、多くの方に迷惑をかけていることでしょう。本当にごめんなさい。

 また、誘拐犯は私を拉致する過程で、かなり乱暴な手を使いました。私の知人や友人、もしくはそこに居合わせただけの何の罪もない人々に危害を加えていったのかもしれません。それを考えると胸が痛みます。

 みなさんの無事を祈るばかりです。


 最後に、無人島二人暮らしですが、男と女の関係を持ったりとかは断じてありません。

 でも、あ゛~~!!!

 溺れて気を失ってた折、マウス・ツー・マウスぐらいされたかも。

 彼、ブ男じゃあないんですが、いくらなんでも気を失ってる間にファースト奪われちゃったと思うと、う゛~。


 …………やっぱ、みなさん。水泳はちゃんとやっときましょう。


 かしこ


※※※ 


 エグゼリカ・セレスティはその後、毎日、島での生活について書き綴っている。

 また、この島で別の書物も発見された。

 小さな手帳のようなものに記されている文字は、遠い国の言語らしい。

 この手記を翻訳するにあたり、専門家に協力を要請した。


※※※


 異世界生活、十日目。


 世間一般の異世界トリッパーの同志諸君、ならびに転生者各位へ。

 皆様、そろそろ魔法や必殺スキルの一つでも習得なされた頃合いでしょうか?

 中には、二十一世紀の最新テクノロジーを文明の遅れた異世界土人のお歴々にご披露したり、神級の超魔法で敵を蹴散らして「フッ、九十番台の詠唱破棄はやはり難しいな」などと忌々しいドヤ顔きめちゃってる上級者もおられることでしょう。

 皆様の天下無双のご活躍、うらやましい限りです。

 俺なんて活躍どころか、いつ『お館様』に見捨てられやしないか、びくびくおどおどして日々を過ごしております。


 かくいう俺が今、何をしているかと申しますと、さっと貝の出汁で湯通しした鯛(らしき魚)のお刺身に、食用菊(タンポポ)(っぽい花)を乗せ、食材をより美しく装飾するという責任重大な職務に従事しております。

 ハイ。これが社会通念的には、いかにも負け組の仕事であるとは存じております。しかし、この世の仕事には貴賤なんてございません。どんなにかっこ悪くても仕事は仕事です。生きるためにやっているのです。何を恥じ入ることがありましょうや?

 俺の異世界生活には、いまだに無双の「無」の字もでてきません。しかし、幸か不幸か、無職の「無」の字もでてきてはくれません。お館様の視覚、嗅覚、味覚、そして、胃袋を満足させるべく、日々の精進を食材にぶつけるつもりで、今日も俺は、この戦国ならぬ『南国のキュイジーヌ』に立っているのでございます。

 

 さて、俺こと、御厨隆二(17)のプロフィールについても述べておきましょう。

 身長は175センチ、体重64キロ。

 中途半端に進学校を自負する公立高校に在籍しておりました何の取り柄もない二年生です。

 特筆するような特技もなく、彼女もおりません。

 しかし、そんなこの身に降りかかった運命は、世にも数奇なものでした。

 九州在住の母方の祖母が急遽入院したというので、お見舞いに行った帰りでのこと。乗っていた飛行機が墜落し、気がついたら異世界にいたのです。しかも、無人島で、『お館様』こと、エグゼリカと名乗る美少女と共に!


 なんで俺がこんな目にあうのでしょう?

 故郷日本でなんの取り柄もなかった一介の高校生に、『オーラ力』のような特殊能力でもあったというのでしょうか?

 一応、陸上部に所属しておりまして、体力はそこそこあると思っておりますが、インターハイに出れるほどの才能ではございませんでした。まぁ、走り込みだけは熱心にやっておりましたので、短距離やりたいのに員数不足の長距離組に動員され、駅伝に駆り出されるという弊害もございました。

 水泳もまぁまぁ得意なほうですが、細かいスポーツや球技などは苦手です。フットサルやバスケットボールなどもやってみましたが、反射神経のある友人はうらやましいな、などと思っただけでやめました。サッカー部やバスケ部に入っても万年補欠だったでしょうね。

 学業はといいますと、成績は中の上から中の下を行ったり来たり。理系を専攻しましたが、英語や社会科の方が得意で、理数系はやや難儀しておりました。

 美術や音楽などは苦手ですが、家庭科などは割と得意です。

 つまり、俺のスペックを簡単に申し上げれば、『教科書通りにやればいいことや、努力の積み重ねでなんとかカバーできる分野』はともかく、『特殊なセンスが必要な分野』には、とことん向いていないということなのです。

 今は、現地語をおぼえねば命にかかわりますから、必死で学習しています。そして、一番最優先で学習している分野とは、この島の植物や海産物のうち、どれが食べられて、どれが食べられないかというサバイバル知識です。だから私は毎日地味で愚直なフィールドワークに明け暮れているのですが……。


 そんな俺が異世界で無双? フラグ構築? ハッ、ばかばかしい。

 昨今はいわゆる『剣と魔法の世界に召喚されて無双プレイ』が異世界の醍醐味といいますが、俺など、このとおり何の技能もない凡人でございます。

 せめて、オールドタイプの民間人が乗っても敵軍の仮面騎士相手に無双出来ちゃうレベルの最新鋭リアル系戦闘ロボットでも提供していただかない限り、殺し合いの世界に身を投じる気になんてなれません。

 ええ、根性なしと笑ってくださってかまいませんとも。俺は、三八式小銃を担いで戦地に赴いたかつての日本男児ではなく、平和憲法下でぬくぬくと成長した典型的草食系日本人なのですからね。

 従順なる子羊でございます。

 片や、この世界の『魔法使い』は超人といってもいいでしょう。なにしろ、魔法を駆使して、無人島生活で必要な大抵のものは作ってしまうのですから。

 あの力を前にすると、つくづく自分の無能さと無力さを実感せざるをえません。

 たとえば、昨日、朝食後、俺が食器を片付けた後のことです。


「何を、しているの?」


 と、俺の作業を横で見ていた、『お館様』が簡単な言葉でお尋ねになりました。

 この言語には敬語や丁寧語、王侯貴族が使うような尊大表現らしきものがあるようですが、俺にはまだ理解できないので、あえてフランクな言い回しのみで話しかけてくださるのです。まぁ、なんと勿体ない。

 俺は半分に割ったヤシの実に入った油を、竹ひごで作ったホイッパーでかき混ぜているところでした。


 瓶には大家さんの物置で見つけた白い粉の溶液が入って言います。

 濁った水と油に、お館様は好奇心を抱かれ、手を突っ込もうとされたので、俺は慌てて抑止しました。

 食べ物に見えますが、食べ物ではありません。


「ダメ」

「なんで?」

「食べ物、ない」

「なに? それ?」

「あぶら、ぶくぶく」


 俺は、これが何かを説明するために、子供番組のお遊戯みたいにアライグマさんの真似をして見せました。

 この瓶に入っている白い粉は、大家さんの部屋で見つけた『重曹』なのです。

 化学的には炭酸水素ナトリウムといいます。大家さんは歯磨き粉として使っていたらしいのですが、それに焚火の灰などを加え、あの不思議な『吐露非狩古鬱』から採った油に少しずつ混ぜて撹拌しているところでした。

 植物性油脂とアルカリの溶液。その材料を見ただけで(バケ)学の知識がおありの方はお分かりになるかと思います。もちろん、聡明なお館様もその慧眼にてすべてを御見通しになられました。


「ああ、サポーネ?」

「さぽーね?」

「そう、saponem!」


 どうやら、石鹸のことをこちらではサポーネというらしいです。

 ええ。いかにも、石鹸(サポーネ)です。

 そろそろあったほうがいいだろうと思って拵えておりました。

 お館様の御所を不潔にしておくわけには参りません。

 海に潜って、海綿も探してきました。


 お館様は、いかにも期待に胸を膨らませた表情をなさいました。

 しかし、俺は拙いと思いました。


 次のご質問はたぶん「いつできるの?」です。

 石鹸を作るには、油脂をアルカリと反応させて、数日かけて乾燥させなければなりません。まして、重曹も草木灰も弱アルカリなので、そこまで著しく鹸化反応を示すわけでもありません。

 海水を電気分解して、強アルカリの苛性ソーダでも作ることができれば別なのですが、ここは無人島です。電気なんてありません。

 俺だって無人島で石鹸など作った経験はありませんから、いつできるのか目処すらついていないのです。

 しかし、期待させてしまった上、あまりお待たせするのはいかがなものでしょうか?

 俺が、そのような浅慮を巡らせていた矢先のことです。


 バチバチバチッ! とお館様の指先からスパークが迸りました。

 すると、あら不思議。なかなか混ざらなかった油とアルカリ水溶液が、ドラ〇ンボールのような半透明の植物由来成分100パーセントの真ん丸石鹸に大変身しているではありませんか!


「じゃ、これ貰うね」

「……………あ、うん」


 お館様は、風呂用、掃除用、食器洗い用、トイレでのケツ拭き用など、さまざまな目的のために俺が集め、乾燥させておいたスポンジ・〇ブの一つをひょいと拾い上げ、あの洞窟に手ずから拵えあそばされたシャワー室に、スキップしながら足を進められたのです。

 まさにチートです。

 二十一世紀の化学知識といっても、そこいらの高校生レベルでは自慢にもなりません。

 いえ、たとえ俺が理系分野の博士号を持っていたとしても、魔法使いがいれば、科学者なんて必要ないのかもしれません。

 お館様は、教養もお持ちであり、魔法の力もお持ちです。その気になれば、油から石鹸を作ることなんて朝飯前なのです。

 もしかしたら、お館様だけがチートなのかと思い、つたないながら現地語でお尋ねしてみました。


「魔法使いはたくさん?」とお尋ねしたら、「うん。たくさん」

「リュージにもできる?」とお尋ねしたら、「無理」

 そして「もっとすごい人、たくさん」と。


 あの力は一部の人間に先天的に授かるものであって、訓練で身につくものではないということがわかりました。そして、上には上がいるようです。

 すなわち神授の力なのです。

 それを説明するのに、悩みを抱えた人々の集めてセミナーを開いたり、座禅を組んで一生懸命ジャンプしてみせる必要はありません。

 呪文の一つも唱えるならお館様のペースになるし、邪魔するやつは指先一つでダウンなのです。あの二つの胸のふくらみは何でもできる証拠なのです。

 

 お館様が入浴されている間、俺は考えました。

 魔法の力は偉大です。実にすばらしい。

 そういえば、美少女魔法使いが風采の上がらない日本人の少年を『勇者』として召喚して、二人の恋のヒストリーがはじまっちゃうファンタジー小説って、昔からの王道です。

 異世界トリップなんていう珍事に巻き込まれた俺が、「もしかしてその白羽の矢がたっちゃったのか? 奇しくも億千万分の一の確率でこの地に漂着した俺ならば、ハイカラな特殊能力が身についているかもしれない!」などと都合の良い妄想を抱いても無理もないことだと思います。

 俺は人気のない砂浜で、己の魂を解き放つかのごとく、知りうる限りのオサレな呪文を唱えてみました。

 カメのルーシーが見ていますが、このカメとはもはや『フルてぃん』で漁にでる仲です。恥ずかしがることはありません。


「体は剣で出来ている!」

「黄昏よりも昏きもの!!」

「君臨者よ! 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ!」

「我は放つ光の白刃!」

「灰燼と化せ冥界の賢者!」

「俺のこの手が光って唸る! お前を倒せと輝き叫ぶ!」

「震えるぞハート! 戦いのロード!! 光指す道となれ!!」

「パラリロパラリロ、マーキュリースターパワー! マハリクマハリタ、テクマクなんとかー! ぽぽりらぺるぺると!」

「ゲム・ギル・ガン・ゴー・グフォゥ…」

「オラに元気を分けてくれ!」

「いいですとも!」


 しかし、いかにソウルフルに呪文を詠唱しようと、魔方陣を描こうと、小宇宙を燃やそうと、なーんにも起こりません。

 どうやら俺の特技は、100%の確率で失敗するパルプンテだけのようです。あるいは、俺の寝ている間に、枕元でキタキタ◯やじが不思議なスニークダンスでも踊っていったのでしょうか? 

 ……………まぁ、潔く認めましょう。

 この世界では俺は所詮、何の能力もない一般人だってことです。

 怪獣映画でいえば、パニックを起こして逃げ惑うエキストラの一人。アニメでいえばトゥーンレンダリングで処理されてもおかしくないモブAに過ぎません。

 俺のMPはとっくにゼロなのです。


 俺のスペックは、お館様の足元にも及びません。

 お館様は容姿からして、いと愛らしく。ヒロインにふさわしいものをお持ちです。あと数年すればかっこいい男どもがほっとかないでしょう。

 片や俺は、能力も外見も十把一絡げ、つまらない個性しか持ち合わせておりません。

 俺がお館様より優っていることといえば、アウトドア料理と基礎体力と水泳技術ぐらいしかないのです。誰でもその気になって練習すれば、身に着く分野でしかありません。


 まぁ、考えても見れば、当たり前ですよね?

 可能性いっぱいの近代国家に生を受けていながら、特に何の努力もしてこなかった非リア充の若造をいきなり異世界に放り込んでも、何かの役に立つわけではないのです。

 この世界に、魔法使いがどれほどいるのかは知りませんが、箱入り娘っぽいお館様ですら、あんなにチート。予想ですが、軍事分野の人材なんて、それこそ、某世界政府の海軍みたいにバケモノ揃いなのではないでしょうか? ピカピカしたり、ヒエヒエしたり、マグマグしたり。

 だとしたら俺の出る幕なんてありません。異世界無双なんて夢のまた夢です。

 そもそも、仮に何らかの特殊能力(スキル)を与えられ、剣と魔法と暴力の世界に放り出されたとしても、神は俺に何をせよというのでしょうか? 有事のまっただ中に放り出されたら、挙動不審な異世界人なんて真っ先に殺されかねません。なにか有益な能力があるのならともかく、俺は所詮、言葉も通じない、能力もない、親戚縁者や派閥などの後ろ盾もない漂流者なのです。

 味方にしても役立たず、敵に回しても怖くない。関羽や張飛に真っ二つにされる名も無き兵士以下。

 さらに悪いことに、俺など両親の庇護の下ぬくぬくと育ってきたものですから、多少体力はあっても某地下帝国でモッコを担いだりする根性もありません。奴隷としてすら役に立ちそうもないのです。

 最底辺まっしぐらの『要らない子』なのです。


 嗚呼、なんということでしょう?

 俺の異世界生活は、そんな悲しい現実に満ちているのです。

 もちろん、この世界だって悪い人ばかりではないようですし、真面目に働いていけば平穏に生きていくことはできるかもしれません。

 しかし、それを目指すにしても、最低限の言葉を覚えることは必要不可欠です。そう、まず。言葉から!! 文科省が認定した教科書もなしに、ジィス、イズ、ア、ペンから始めなければならないのです。

 まぁ、この原始人生活では大したボキャブラリーは必要ありませんが……………それでも、ちょっと気が遠くなります。


 そう考えれば、最初に出会った異世界人がたまたま『料理下手』であったことや、出会った場所が平和な無人島だったということはとても幸運だったのかもしれません。

 あの『お館様』は、この島で生きていくのに、俺なんかを必要としてくれるのです。自分の欲しいもの、してほしいことを、俺に伝えるために、身振り手振りで言葉をご教示してくださるのです。

 ともかく、このご厚意を無にするわけにはまいりません。お館様の心象がそれほど悪くない今のうちに、少しでも多くの知識を吸収せねば、悲惨な末路しか想像できません。

 しばらくは、お館様から学ばせていただきましょう。

 そのかわりと言ってはなんですが、お館様の身の回りの世話はすべて俺がいたします。身命を賭しましても!


 俺は毎日、お館様が御命名になったカメこと『ルーシー(♀)』と一緒に漁に出ます。

 彼女がいれば、甲殻類や海藻、貝類など、海産物に事欠くことはりませんし、溺れることもまずありません。

 しかし、お魚だけでは、いずれお館さまが「またお魚なの!!?」とお心を病んでしまわれるかもしれませんからね。無人島生活での楽しみは、お食事だけです。他の食材も集めた方が良いでしょう。

 幸い、この島は食材が豊富でした。

 タロイモっぽい葉っぱを掘ってみると、炭水化物たっぷりのお芋さんが採れました。練れば練るほど色が変わって、トルコアイスみたいに粘り気がでてきて、ゆでると麺になります。

 また、以前、大家さんが飼っていたらしい鶏が野生化していました。外敵がいない島なので罠を作れば簡単に捕えることができました。いまでは毎朝おいしい卵を提供してくれる、島の仲間です。

 ミニトマトのような唐辛子も採れ、食材にアクセントと彩を与えてくれます。

 マングローブの林にはウナギがいました。電撃生物だったのは予想外でしたが、開いて白焼きにするとなかなかです。

 キノコも一通り試しました。毒があると分かったキノコも、日干しにしたり、漬物にしたりすれば、薬や珍味になるかもしれませんが、まぁ、とりあえず、どんな副作用があるかわからないので手をつけないことにしておきましょう。

 それから、落ち葉の下にいた『テラフォーマー』ですが、なんとなく、マダガスカルに棲むという『食べられるテラフォーマー』に似ています。どうやらこの島で野生化した鶏くんたちの主食のようです。

 うーん、こいつはどうでしょう。ちょっと勇気が要ります。しかし、二十一世紀の食糧事情を救うのは昆虫食だといわれていますし、なにより、かのイイ男も言っています。「男は度胸、何でも試してみるもんさ!」と。


「…………!!!」


 舌がしびれたりすることはありません。ゴマのような風味がします。

 つーか、おいしいです。星三つです。

 試しに、お館様が観賞用にお作りになったガラス鉢の中を泳ぐ熱帯魚に食べさせてみましたが、入れ食い状態です。挙動がおかしくなることもありません。大丈夫そうです。

 ただ、そのまま出すと手打ちにされかねないので、すりつぶしてソースの隠し味にすることにします。


 あと、ハイビスカス(っぽい花)にミツバチ(っぽい虫)がいたので、それを追っていくと、内陸の方でハチの巣を見つけました。ちょっと刺されましたが、すべてはお館様にお健やかな南国生活をお過ごしいただくためでございます。

 ハニカム構造に含まれる粘性のある黄金の液体は、口に含むと、サトウキビよりも雑味の無い、さわやかな甘み、そして花のような香ばしさが鼻腔に抜けていきます。蜂の巣自体もスナックのようにサクサクでした。

 全部もっていくと今後採れなくなるので、カトラスで切込みを入れ、少しだけもらっていくことにします。養蜂箱などを作れば、喜んで数を増やしてくれるでしょうか?

 時間があれば作ってみたいものです。

 こうして俺は、お館様の食卓に上る献立を、地道に増やしているのでございます。


 挑戦の過程で、何度か怪我をしたり、おなかを壊したりはしました。

 その際はお館様にはお手数をおかけしますが、このような3K仕事も積極的に引き受けるぐらいの気概がなければ、俺に存在価値はありません。

 俺のような下賤の者にできることは、お館様をお助けし、その見返りに、俺の生存権を保障してもらうことぐらいしかないのです。


 さて、そろそろ夕食の準備を始めなくては。

 ここ数日で捕獲した鶏も十羽を越えました。あまり増えすぎると飼育が大変だし、目覚まし時計の代用にしても喧しすぎるので、今日は一匹間引くことにしました。

 

「よし、ヴァニラアイス。君に決めた!!」


 俺は鶏小屋に手を突っ込み、二日前捕まえたジークフリート・ヴァニラアイス(♂)の首をつかんで引きずり出すと、手早く目隠しをしました。

 生きるということは、食べるということ。

 食べるということは、殺すということ。

 残酷ですが、これがサバイバルなのです。

 しかし、禽獣とはいえ、殺されるとあっては死に物狂いで暴れます。

 俺はしばし、某スピンオフ漫画の渡り料理人のごとく褌一丁になって、ヴァニラアイスと死闘を演じました。


「コケ―!!」


 ついに、ヴァニラアイスが断末魔の声を上げます。

 さようなら、我が強敵(とも)、ジークフリート・ヴァニラアイス。

 俺は今までに食ったKFCの本数なんて憶えていないけど、君のことは忘れないと思う。

 今夜の食卓の後は、お館様の血肉となって生きてほしい。おもにあの豊かな大胸筋のあたりで。


 追伸。

 そうそう、立派な鶏冠のついた彼の首をなんとか切り落としたとき、一句できました。


「鳴かぬなら 明日は我が身が ホトトギス」


 死ぬ気で鳴かねば殺されます。飛べと言われりゃ、空でも飛びましょう。

 あ、いえいえ。失言でございました。

 お館様は神様です。

 俺は幸福です。そして、幸福は我ら島民の義務なのです。


※※※


 現時点で翻訳できたのはここまでである。

 理解不能な符号が多く含まれており、文章に込められた意味すべてを読み解くには、おそらくは同じ文化圏に属する人間の協力が必要になるだろう。

 特筆すべきは、彼は魔術の行使を試みて、それが不可能だったという記述である。これは、未知の魔導技術の可能性を示唆するものではなかろうか?

 今後はこの手記を専門家の手に委ね、追って報告書を提出する。


 以上、自由同盟 南方調査船団 二番線船長ガロ・イスマエルが記す。

Charactor profile No.3 

ルーシー …… 賢獣・玄武龍

 体長1メートル 甲長55センチ 体重36キロ

 水棲の魔獣・海竜の変異種。高い知能と水中戦闘能力を有する。サメに噛みつかれてもものともしない固い表皮を持ち、遊泳速度は、瞬間で時速100キロを超える。

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