第一話 無人島
まぶた越しに日光が差し込んみ、俺は目を覚ます。
気が付くと、口の中に塩分の含んだ砂を噛んでいた。
「一体、どこだ? ここは……」
俺は、漣の音が鳴り響く明けの砂浜に仰向けになり、空を見上げていた。
目の前に広がるのは朝焼けの海岸。
どこまでも広がる空と、その陽光を吸い込んだような淡いサンゴ礁の海。
まるでクリスチャン・ラッセンの絵画を一大パノラマにしたような景色に、俺はしばらく呆然としていたが、やがて、気を失う前の記憶を引っ張り出した。
「そっか、飛行機……墜落したんだったなぁ」
大変な事件に遭遇してしまったものだ。この御厨隆二は、齢十七して、おそらく人生最大のクライマックスを経験したことになる。
乗っていた国内線が墜落。
不時着ではない。真っ逆さまに『墜落』したのである。決して評判の悪い航空会社ではなかったのだが、こんなこともあるのか。
飛行機がバラバラに分解し、人がゴミのように吹き飛ばされていく光景が目に焼き付いている。あの状況だと、乗員乗客の生存は絶望的だろう。そんな筆舌に尽くしがたい大惨事に遭遇したのである。
たしか航空機事故に遭遇するのは、80年間毎日飛行機に乗っても巡り合えない確率なのだそうだ。
しかも、あれはおそらく人類史上最悪クラスの飛行機事故だ。災難に遭遇するのも奇跡なら、生き残っているのも奇跡だ。奇跡ってのは起こるもんだな。
宝くじなんていくら買っても当たらないのに………。
どうやら、俺は海に落ちた後、見知らぬ海岸に漂着したらしい。
真っ白な星の砂の海岸には、ゴミ一つ落ちていていない。せいぜい嵐の日に流れ着いたのであろう巨大な流木程度。むき出しの岩山。丘陵には緑が生い茂るのみ。
民家などは見当たらない。
「……ま、まさか、無人島!?」
俺は「あんな最悪の大惨事に遭遇して今も自分が生きている」という幸運に感謝し、次に、「こんな状況に追い込まれても生きていかねばならない」という現実に途方に暮れた。
無人島じゃなかったとしても、人里から遠く離れた僻地には違いない。
そうでもなければ、野ざらしで朝まで寝てるはずがない。浜辺の上に人が倒れていたら、誰かが気付いて救急車を呼んでくれたはずなのだ。
俺は、空中分解した機体から投げ出され、海に落ち、なんとかしばらくは泳いでいた。海水が温暖で低体温症にならなかったのは不幸中の幸いか。
一人の女の子を抱きかかえたまま、我ながらよくやったと思う。
うん。年端もいかない女の子を、こう、ぎゅううううと腕に抱いたまま………。
抱いたまま………。
「…………うおおおおぉぉうぉっ!!!」
その女の子は、いまも俺の腕の中にいた!!
俺は知らず知らず、女の子の胸をしっかり触っていたことに気づいて、慌てて突きはなし、背面歩行で距離を取る。
あー、びっくらこいた。
そして、思わず彼女を突き放してしまったということに、すさまじい罪悪感に苛まれる。
砂浜に放り出された女の子はぴくりとも動かない。
し……しまった。
女の子になんて乱暴な。
恐る恐る彼女に近づく。
砂まみれになったセミロングの淡い栗色の髪をたくしあげると、天使みたいなあどけない小顔が現れる。
思わず息をのんだ。
めちゃくちゃかわいい子だ。 同じ飛行機に乗っていたのだろうか?
日本人ではない。しかし、白人女性のような、堀の深い顔立ちでもない。日本人に親しみがもてそうな端麗さ。まるで『おとぎの国のお姫様』みたいな幻想的な雰囲気を醸し出している子だ。
雑誌の表紙になっていたら、普段立ち読みしない雑誌であっても手に取ったかもしれない。
そんな美少女だった。
……って、悠長に人物描写なんてしてる場合じゃないだろ、俺。
マジどうしよう?
とりあえず、俺は応急処置の基本として、まず意識確認をしてみる。
「お、おい! おーい!! 大丈夫ですかーーー!!」
耳元で呼びかけるが、それでも反応がない。
顔色に生気がない。脈があること、彼女が小さく呼吸していることは確認できたが、もし頭を打っていたのなら簡単には動かせない。
助けが必要だ。
俺は周囲を見回した。
だが、あたりには人影はない。文明の匂いすらしない。
淡いエメラルドグリーンの海に、白い砂浜。こんなにきれいな海岸なら、民宿でもやれば食っていけるだろう。なのに、この砂浜は、ヒトの手が全く入っていない完全な天然のものなのだ。
潮が満ちてきた。
俺は、しかたなく女の子を移動させることにした。
本来なら、倒れて意識の無い人を動かすのは厳禁だと聞いている。もし、脳挫傷でも起こしていれば、より深刻な事態を引き起こすからだ。
しかし、あんな事故のあった後、俺たちは数時間も波に揺られていた。
もし、彼女が脳にダメージが負っていたとしても、俺にはもう手の施しようがない。こうなっては「ただ気を失っているだけ」と信じるしかなかった。
俺は、彼女を抱きかかえて、立ち上がる。海水で濡れたデニムのジーンズはずしりと重く、シャツはべっとりと肌に張り付いて気持ち悪いが、幸運にも俺は五体満足である。
小柄な子だ。たぶん背丈は150センチ前後で、体重も40キロないと思う。俺自身、全身の筋肉に疲労がたまっているようだが、この子ぐらいならなんとかなる。
つか、この子。
なんてカッコしてんだ?
彼女が着ている薄い真っ白なワンピースは、たっぷりと水を含んで肌に張り付いてる。
胸は結構大きいから小学生ではないと思うが……。
いやいやいやいや、発育のよい小学生だったらどうするんだ!?
犯罪につながりかねん妄想はやめておくべきだ。
そんなやましいことを考えながらも、俺は慎重に彼女を抱きかかえて、巨大な流木の近くまでやってきた。
どこぞの神社でご神木にでもなってもおかしくないほどの太い幹。枝分かれした根が外に露出し、人一人が入るぐらいの日陰を作り出していた。こんな巨大なものを運んでくるなんて、大自然の力とは恐ろしいな。
辺りには背の低い草が生えている。満潮時でもここまで水はこないということだ。
俺は彼女を下ろすと、自分の上着を下に敷いて、彼女を横にした。空気の入ったライフジャケットを脱いで枕にする。
そして、万一、彼女が目を覚ましてもわかるように砂浜に足跡をつけながら、助けを呼びに行った。
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泳いでいる内に大量の海水を飲んだのだろう。血中の塩分濃度が上がると、それを下げるために大量の水分を欲するという。無性に喉が渇いた。
しばらく歩いて、いろいろとわかったことがある。
あわよくば民家を探しに行った俺なのだが、状況は悪い。
海岸には岩場もあった。あまり奥には入っていないが、森もあった。竹藪もあった。マングローブのような木々が生い茂る湿地帯もあった。
しかし、見渡す水平線はほぼ一直線。極めて透明度の高い非汚染の海。海面下には色鮮やかな魚たちが泳いでいる。遠くに離れ小島を見つけたが、岩礁に近いレベルの島で、人が住んでいそうな気配は無かった。
そんな海岸線を右手に眺めながら歩いて、そして、再び『眠り姫』のもとに戻ってきたのである。
つまり俺は、『島』を一周してきてしまったのだ。
一周は一キロぐらい。せいぜい俺の通ってる高校の敷地ぐらいの面積しかない。
というか、日本かどうかもあやしい。
そもそもこの真っ白な砂がおかしい。
南国の土産物にもなる『星の砂』は、珊瑚の死骸である。珊瑚はたしか海水温が一定以上なければ育たないので、日本では奄美大島以南か小笠原諸島などでしか見られないはずだ。
墜落した旅客機の航路だった東京から九州までの間に、そんな亜熱帯の海があるとは聞いたことがない。
仮に、八丈島あたりにまで流されたとして、これは摩訶不思議な現象だ。
西日本太平洋側の海流は言わずと知れた『黒潮』。北へ流されることはあっても、南へ流されることはないはずである。
そして、この島の昆虫や植物も、見たことがない。沖縄にいったことはあるが、あそこの動植物とも違う。島に生息する動植物はどれも見たことがない。
のどが渇きを潤すため、タロイモらしき植物の葉にたまった朝露を飲んだのだが、その巨大な葉っぱは、俺の記憶にあるタロイモの倍近い。そのまま大の字になれそうだ。
食虫植物がウツボカズラは、なんとバケツぐらいの大きさ。
瑠璃色に輝くカブトムシには、きっとオサレな学名がついているに違いない。
岩場ではもっと珍しいものを見つけたが、未知の生態系での磯遊びはひとまず躊躇われた。あのウルトラ怪獣のようなイソギンチャクが、実は火星ランキングでも上位を狙える危険生物だったらちょっと洒落にならない。
世界遺産に登録されてもおかしくない不思議な動植物のパラダイス。もはや未知の惑星である。
ここは小笠原やガラパゴス諸島のように、外界から隔絶された絶海の孤島かもしれない。
ああ。なんてこった。
御厨隆二、大ピンチである。
自衛隊はちゃんと救助にきてくれるんだろうか?
日本が誇る救難飛行艇US-2でも、航続距離って五千キロメートル弱だったと思うんだが、ちょっと不安になってなってきたよ。
きっと、いまごろマスコミ関係者は、航空会社の社員や犠牲者の遺族に対し、嬉々としてマイクをつきつけ、『報道』という名の血祭り騒ぎを開始しているに違いない。
本当に助けが必要な当事者は、この島にいるってのにな。
俺は生き延びることができるだろうか?
たとえ生き延びることができたとしても、戦後、南の島で発見された日本兵のように何十年も取り残されちゃったりしないだろうか?
だとしたら俺の人生ってなんなんだろう?
………でも、やるしかなよな。
まぁ、俺だって数日は持ちこたえられるだろう。
いや、やってやるよ。俺一人の生死じゃないんだし。
大の男がパニックになっていたら、この子が目を覚ましたときに不安になるだろうが!!
眠る少女のとなりに腰をおろし、そんな思索に暮れていた。
ふと、俺は、さっきまでなかったものに気づいた。
砂浜を大雑把に耕したような跡だ。砂がやや蛇行しながら畝を作り、砂浜の上に着けた俺の足跡を横切って、海から茂みの中に続いている。
これ知ってる。世界の果てまで珍獣を探しにいくバラエティ番組で見たことがある。平たい翼のような四肢で砂浜を張って進む、あの動物の足跡だ。
「ウミガメか」
時計はなくしてしまったのだが、島を一周するのに、俺は一時間もかけなかったと思う。その一時間の間に、一匹のウミガメが海から這い出て砂浜を横断していったようである。
ウミガメが夜な夜な砂浜に穴を掘って卵を産むのは周知だ。見たかったな。
でも、基本的に海岸からは離れないはずだ。コイツはこの時間、いったい島の奥に何の用があったんだろう?
俺は、ちょっと興味があったので追跡することにした。
正直、そんな無駄なことをしている余裕はないのだが、ウミガメがそんなに速く歩けるわけもない。せいぜい数十メートル先だろう。
草叢にできた獣道を辿って、俺は足を進めた。
予想通り、カメはいた。
裏側守備表示……じゃないな。
真っ白な腹を空に向け、無様にひっくり返っていたのだ。
どうやら、ウミガメのくせに俺の膝ぐらいの段差によじ登ろうとして、失敗したらしい。
ウミガメは体の構造上、ひっくり返ると何もできなくなる。
間抜けな奴だ。
首は、蛇のように長い。スッポンはひっくり返すと、長い首を伸ばして元に戻るのだが、それと同じことをやろうとしているらしい。しかし、岩場に甲羅が見事にはまってしまい、己の首や手足をどう扱おうと、リカバリーできない深刻な状態のようだ。
カメは足をバタつかせ、ピーピーと悲鳴を上げている。
「ピューイ! ピューイ!!」
「………」
そう、「助けて、助けて」と悲鳴をあげているのだ。カメの分際で。
俺の口からはまだ言葉がでてこない。
流線型の甲羅。だいたい大きさは六十センチぐらいだろう。
陸上を歩く前足と後ろ足の機能はもうないが、あのオールのような足の中には、きっと退化した指の骨があるはずだ。クジラやアシカとおなじように。
しかし……
「………よっこらせ」
尋常ではない違和感を感じながらも、俺はそいつを助けてやることにした。
漬物石のように重かったが、スクワットの要領で足の筋力をつかい、何とか甲羅をゴロンとひっくり返す。
すると、ニュッと頭が出てきた。
その頭には二本の角が生えている。
………と、とりあえず、ありのまま、今、起こった事を話すぜ。
こんなカメは見たことがない。
自慢じゃないが、幼いころ俺はこれでも、おばあちゃんに買ってもらった動物図鑑を隅から隅まで覚えてしまう『どうぶつはかせ』だったのだ。動物園に連れて行ってもらって、飼育されている動物の名前をすべて諳んじることができたのだ。
その俺が、動物の名前を検索できない………だと?
しかし、どこかで見たことはある。
いや、「見た」というよりは まったく理解を超えていた。
何を言っているのか、わからねーと思うが。
俺も自分でも何を言ってるのか、わからねーんだ。
とにかく、新種発見とか、突然変異だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。
「ピー、ピー」
つぶらな瞳を俺に向けてくる。
顔を擦り付けるのは、友愛の証なのだろうか?
頭に角があるのは『反骨の相』だと聞いたが、信じていいのか?
カメはしばらく俺の脚に頭を擦り付けると、
やがて回れ右をして再び匍匐前進を開始した。
本来、他に何か目的があるようだ。
俺はそれについていくことにする。
「…………ああ!! 思い出した!」
声を上げた俺に、カメが長い首をねじって振り返る。
「いや、すまない。私事だ。前進を続けてくれ」
つい爬虫類に話しかけてしまったが、カメはそれを理解したかのごとく、再び前進を始めた。
わかった。
どっかで見たことあると思ったら、図鑑で見たことがあるんだ。
恐竜図鑑と、ポケ○ン図鑑でな。
Charactor profile No.1 (ver 1.0)
御厨隆二 …… 17歳 高校二年生
身長175センチ 体重64キロ 陸上部に所属
本作の主人公。異世界トリッパー。
理系だが文系科目がやや得意。
スポーツマンだが運動神経はない方。