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神域のあけぼし  作者: 夕凪悠弥@ゆのみん
第3部 翼なき刃
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第58話 トルディンゲンの獅子

 ムルスデナルフ捕虜収容所での面会を終え、ティルはカズキとトルディンゲンを訪れていた。

 領都ディーヌガルドの総督府。その一室にティルたち一行は通されていた。

「先日の防衛戦ではご助力を賜り誠に幸甚にございます」

 ティルが深々と礼をすると、対する老人はからから、と笑う。

「我らは何もしておらん。ベルデナに兵を集め、ひとしきり恐怖に震えた後、勝利のおこぼれに預かったまでよ」

 トルディンゲン総督。深い皺が刻まれた顔に愉快そうな笑顔を浮かべながら、しかしその瞳の奥には鋭い光があった。ティルを、その後ろのカズキたちを値踏みするような鋭い光だ。

 ……気を抜くな、私。

「いえ、後方を抑えていただけたからこそ、我らも安心して戦うことができました」

 礼を尽くし、言うべきことを言う。まずはそこからだ。 

「先の戦いでご理解いただけたことかと存じますが、魔の者どもの“山越え”は、ザッフェルバルのみならず、山脈に接する東方三領国共通の脅威と考えております。

 此度の大規模な“山越え”を教訓に、我々三領国はより緊密な協力関係を築きたいと考えております」

「結構、結構。実に聡明なお嬢さんだ。――して、そのご構想に、陛下は何とおっしゃられているのかな」

「提案通り進めてよいと。陛下の証書はここに」

 ティルが手を挙げると、随行のザッフェルバル法官が木箱をトルディンゲン総督の使用人に手渡した。使用人は木箱の中を改め、恭しくトルディンゲン総督へ中の書面を差し出した。

 トルディンゲン総督は内容を一瞥すると不敵な笑みを浮かべ、

「なるほど。――であれば是非もない。詳しい話を聞かせていただこうか」


    *


 ティルは準備してきた協定の草案を一通りトルディンゲン総督へ説明した。

 ザッフェルバルからトルディンゲンへ、改良した農作物の提供と衛生環境の改良支援を行い、見返りとして求めるのは、トルディンゲン総督府の法官を交代で征伐軍での訓練に参加させ、有事の予備戦力としたいとの依頼。

 改めて、この協約案については、皇帝陛下からの承諾を得ていることも念押しで。

 ティルの言葉を黙って聞き通していたトルディンゲン総督はゆっくりとその口を開いた。

「貴殿らに旨味があるとは思えんな」

 疑念の言葉にティルは息をのみ、トルディンゲン総督はさらに言葉を継いだ。

「そも、貴殿らが出すと言う掛け金は、いささか領国の分を超える額だとは思わんか。――のう、お嬢さん」

「領国統治の常道を外れるものであることは、浅学の身ながら承知しているつもりです。ただ、こちらのイデアのみなさまの協力をいただく形になりますので、当領国の負担についてはお気遣いは無用と」

「そこだよお嬢さん。天の御遣い“ではない”という――彼らは何が目的だ? 何を欲して掛け金を積んでくる?」

「……それは」

 どこまで伝えていいか。カズキから聞き及んだ内容を瞬時に頭に巡らせ、口を開こうとしたとき。

「発言を、許可いただけますか?」

 ……カズキさん!

 後ろから聞こえた馴染んだ声。思考が止まり安心感が胸に広がるが、表には出さぬよう表情は崩さない。

「ほう。聞いたことのない訛だ。……もちろんだとも。貴殿等の腹のうちを教えていただきたい」

 先方の許可の言葉に、ティルは改めて振り返りカズキと目線を合わせる。静かに頷き合うと、カズキが改めて口を開いた。

「我々は流浪の民。根を張るための土地を探して帝国まで参り、皇帝陛下よりザッフェルバルの地をお貸しいただいております。

 そのザッフェルバルに危険が迫ったとあれば、我らはそのご恩に報いるため、ひいては住まいたるザッフェルバルを守るため、尽くせる限りの手を尽くす所存」

 カズキは流暢に言葉を続ける。

「翻って見れば、先の“山越え”は、ザッフェルバルどころか、東方三領国、征伐軍の総力をもってすら危うい、恐るべき侵攻でありました。我らイデアとしても、並大抵の出費ではなかった。だからこそ、“次”を見据えた掛け金も、それ相応のものになる――先の戦の経験から、我々はそう判断しました」

「まったく、穏やかな話ではないな。羽虫一匹通さず勝ちきった貴殿等にしてはいささか大げさにも聞こえるが」

「勝ったからこそ解るのです。奇跡はそう安いものではないと。現に、“山越え”で捕らえた幾人の捕虜より、このように聞いています。『前回の戦は“下見”であった』と」

「……ほう」

「“下見”の結果がどのように相手方で作用するのか、それはわかりません。ただ、“下見”があるのならば、来るべき時は必ず来る。そしてあの規模の“下見”ができるのなら、“本番”は想像を絶します」

「……なるほどな」

 そう言うと、トルディンゲン総督は腕を組んで目を閉じる。

 ひとしきり静寂が続くと、老総督はおもむろにティルを見て、

「陛下は、この話をお聞きになられたのか。そのとき、陛下は?」

 ティルは即座に皇帝陛下の言葉を思い返し、

「陛下は、征伐軍の増強を考えてくださると、そう伺っております。だからこそ私どもザッフェルバルの協約案にも、証書をいただけたものと」

「“来るべきとき”に、貴殿はどうする」

「戦い、守ります」

「即答か。頼もしいことだ」

 ティルの言葉を聞いて、トルディンゲン総督は肩の力を抜くように笑みを浮かべると、

「乗ろう」

 と、一言。

「気に入った。貴殿と不気味な黒子。そして山の果ての魔の者ども。有象無象が小生と、この領国を取りに来ようとしている。――実に刺激的だ」

 ……褒められてないどころかめちゃくちゃ警戒されてます……っ!

「どのみち我々も貴殿等の領国と同じ、魔の者どもの最前線である事実は変わらん。なら、我々の損にならぬ範囲で協力してやろう」

「……寛大なお言葉、誠に痛み入ります」

「詳しい話は息子とやってくれ。老骨には細かい文字と約束事はちと荷が重くてな」

 トルディンゲン総督は、そう言ってまた、からからと大きな笑い声を上げた。


   *


「ん~! 風が気持ちいいです」

 夜の港の潮風にティルの銀髪が静かになびく。

 和貴たちは、協約案の実務調整に一端の区切りを付けた帰り道、ティルの希望でディーヌガルド港へ来ていた。

 ティルはザッフェルバル総督の正装、その後ろにI.D.E.A.制服の和貴、更にその後ろには護衛人型無人機。

 まばらに見える現地の人からは怪訝な視線を送られていた。

 ……怪しさ満点の一行だよな。

 昼間に来たら現地の港仕事が一斉に止まっていたかもしれないので、この時間でよかったと和貴は改めて胸をなで下ろす。

「帝都よりは小さいですけど、立派な港ですね」

 南に面した港には、漁船や交易船が並び、大小様々な大きさの木箱が並んでいた。

 向かってくる船があるのか、目的地へ向かっている船がいるのか。いくつかの桟橋は空だったが、日中の活気を思わせる風情だった。

 そんな、“領国”の大きさを想像させられる

「総督って、大変ですねぇ……」

 海風にあたりながら、ティルがしみじみという。

 協約案の実務調整自体は恐るべきスムーズさで片が付いた。元より向こうの取り分の多い協約だ。こちらから提示した案に、不審な条文や要求やただし書きがないことがわかれば、二つ返事で了解を得られた。

 とはいえ、

「それはまあ、確かにそうですね……」

 前段のトルディンゲン総督との会談がいかに神経をすり減らす腹の探り合いだったか。同席した和貴でさえ、ティルの負った疲労感を正確に想像することはできないだろう。

「何ででしょう。大神将閣下を説得したときより、ずっと緊張しました……」

「まあ、あのときは“おおとり”を見せびらかしたら一発だろうとの目算がありましたからね」

 交渉事を主務としない相手に、効果的なデモンストレーションの準備が整っている。その安心感の有無は、やはり大きかっただろう。対して、今回は出せるエサは限られている上に、それを疑ってかかる古狸相手だったのだ。

「冷静に他の領国の総督の立場で見れば、カズキさんたちはとっても得体の知れない存在ですものね……」

「ははっ。まったく否定できないですね」

「否定してくださいよぅ……」

 振り返り、和貴を見上げてぷぅ、と口をとがらせる総督代行。実に愛らしい仕草。

 だからこそ、この小さな両肩にザッフェルバルの、ひいては帝国の未来すらのしかかっていると思えば、和貴は改めて己の無力さを思い知らされることになる。

「でも、通りましたよね」

 ティルは言う。最後は、要求を呑ませて見せましたよ、と。

 だから和貴は応える。精一杯の賛辞で。

「ええ。通りましたよ。ティル様の理屈と意志、きっとどちらも」

「無駄じゃなかったですよね」

「なかったです」

「頑張りましたよね」

「それはもう、持てる力の限り」

 和貴の言葉にふにゃ、と笑うティル。うん。それでいい。

「ここの港も、ティル様が守った港ですものね」

改めて和貴は港に目を向ける。

 トルディンゲン総督の息子から伝えられた情報。あまり交渉事に私情を挟むつもりはありませんが、との前置きで伝えられたのは、魔龍騒ぎでここの交易機能がほぼ死にかけていたこと。そして、そんな危機を、献身の巫女の奇跡によって救われたこと。その逸話から、トルディンゲンの誰もが少なからず献身の巫女に感謝していること。

 もちろん、帝国内で流通する公式の噂話だから、意味のわからないI.D.E.A.だか天の御遣いだかの話は、伝聞の中で自然にそぎ落とされたのだろう。

 ……まだ写真のない文明圏だから、見た目で僕らがそうだとバレるということはないだろうけど。

「あはは。それを言うなら、カズキさんたちじゃないですか」

「いえいえご謙遜を」

「いえいえそんな」

 何のノリだ、と思いながら謙遜のキャッチボールを何度か投げ合うと、ティルが「ふふっ」と笑い、

「でも、あの日必死になったあの瞬間が、帝都だけじゃなくて、この港の、この領国の人たちの助けにもなっていたこと、……目の前のことに夢中で、見えていなかったことに気づけたのは、うれしかったです」

 頑張り屋のティル。異星人の船に生け贄に捧げられ、無我夢中で魔龍とやり合った少女。

 そんな彼女の一生懸命の結果が、港脇にうずたかく積まれた木箱であり、船の戻りを待つ空いた桟橋なのだ。

 ティルは足を止め、波止場の暗がりに目を向け、それから町並みに目を移すと、

「……ディーヌガルドの、トルディンゲンの子らに、絶えなき祝福を――」

 独り言、あるいは祈り。ティルが献身の巫女であったことを思い起こさせるような、澄み切った言の葉。

 ひとしきりの静寂を置いてティルは和貴へ振り返り、銀の髪を揺らして笑った。

「行きましょうカズキさん。次も」

「成功させましょう。ティル様」

 こうして、一行は夜のトルディンゲン港を後にし、トビウオへと足を戻した。

 次の交渉先、ミルトダースへ向かうために。

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