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京飴と金平糖

作者: 清田花音

20xx年、大阪市内


ピッ・・・

ピッ・・・


総合病院の高層階のとある個室。

医師と看護師、仕事仲間、そして・・・唯一の肉親である孫娘に見守られながら、彼女は最期のときを迎えようとしていた。

薄れゆく意識、聴こえにくくなっていく声・・・死へと向かっていく中で思い浮かべたのは、若かりし頃のある数日間の思い出だった・・・


2013年


「お願いします!先生の下で修行させてください!」

「そういわれてもな~・・・弟子とかそういうの採るつもりないし・・・。」

「お茶くみとか、雑用とかなんでもします!」

「そういわれてもな・・・」

「お願いします!」


 京都のとある場所にたたずむ路地裏のバーが、緊迫した雰囲気に包まれている。

バーカウンターに座る中年の男に、スーツ姿の若い女が、原稿用紙の束を持って土下座を繰り返しているのだ・・・。

 男の名前は、新崎博重。数々の作品を世に送り出してきた42歳の作家。一方、土下座を繰り返すこの女の名前は、小原紗江。26歳の作家志望のフリーターである。



「私・・・先生をテレビでお見かけしなかったら・・・作品に出会わなかったら、今の私にはなれませんでした。だから、先生のような作家になって、たくさんの人を助けたいんです!お願いします!」


泣きながら、自分の気持ちを訴える小原に、新崎はついに根負けし「わかった。」と言うと、紙のコースターの裏に何かを書き始める。

すらすらと動くペンと新崎の手に、小原の視線は釘付けになっていく。


「はい。」


新崎が小原にコースターを渡す。そこに書かれていたのは、この近くのホテルの住所だった。


「明日の朝9時、ここに来なさい。」


それだけを言い残し、新崎はポケットから金を出してカウンターに置く。そして、そのまま店を出ていった。


「あっ・・・ありがとうございます!」


ドアを開けて出て行く新崎の背中に、小原がそう叫ぶ。そして、ゆっくりとバーのドアが閉まっていった。


翌日

京都市内のホテル。

エレベーターは、新崎のいる25階へと向かっていた・・・

小原の手には、白く小さい紙袋。八坂神社の近くにある和菓子屋で購入したそれは、小さな箱に詰った金平糖と京飴。収入のない小原にとって、贈答用の菓子を買えるほどの貯えはない。これが限界なのである。


25階に到着したエレベーター。小原の心臓は緊張のあまり悲鳴を上げ続けていた。

約束どおりの時間。小原は新崎の部屋の前に着く。


「原稿・・・OK。お菓子・・・OKっと・・・。」


震える手で荷物を確認すると、そのまま目の前のベルを押す。


ガチャ・・・


「はい、いらっしゃい(笑)」


黒のTシャツにジーンズ姿なのだが、髪が寝癖だらけで爆発している新崎が現れた。小原は、震えながらも「ぉ、おはようございます。」と挨拶をする。すると、新崎はニコッとしながら「おはようございます(笑)」というと部屋へと招き入れた。


新崎の部屋は、京都市内を一望できる大きな窓が特徴的な部屋だった。しかし、窓際のデスクの上には書類が散乱し、ごみが広がっていた。言葉を失う小原をよそに、新崎はその机の上の書類を床にがさっと落とすと「どうぞ。」といって小原を座らせた。


「よいしょっと。」


向かい合うように座った新崎。そして、小原にこう伝える。


「僕の京都での滞在期間は、あと3日なんだ。」


あと3日・・・

“これは、断られる”と腹をくくり、覚悟を決めた小原。そこに、新崎はこう話を続ける。


「その3日間だけ、僕の書生として入ってもらう。それでいいかな?」


その言葉に、小原の思考のすべてが止まってしまった。そして、数秒待って、事のすべてを理解し、我に戻ると・・・


「は、はい!よろしくお願いします!」


小原は頭を下げた。その視界に、すっと小さな包みが目に入る。


「とりあえず、食べる?」


それは、新崎の右手にちょこんと乗った二人静だった。小原は遠慮がちに「ありがとうございます。」と言って、その菓子を受け取ると口に入れる。和三盆独特のあっさりとした甘さが口の中に広がっていく。


「落ち着いた?」

「はい。ありがとうございます。」

小原はその時、新崎の顔を見た。少し口元がもぞもぞしている。

「この飴おいしいね(笑)」

新崎は早速、差し入れの飴を食べていたのだった・・・。

「じゃ、今日は書類の整理をお願いします。」

「はい!」

初日は、部屋に散らかった書類整理という名のお掃除。小原が必死に片付けている横で、新崎はパソコンに向かい原稿をまとめていく。小原はその姿を拝めるだけでもうれしかった・・・。


夕方4時。

新崎の部屋を後にした小原は、家に向かう途中、八坂神社に足を踏み入れる。

本殿の前でパンパンと手を叩くとこう願った


“先生のような作家になりたい。”

“先生とずっと一緒にいたい。”


と・・・


2日目

ホテルではなく、八坂神社の近くのパン屋で待ち合わせ。

甘いパンの香りが小原の体を刺激するが、ただひたすら我慢…

そんな時、新崎は、黒のタンクトップの上に白のワイシャツ、下はジーンズとかなりラフなスタイルで小原の前に現れた。


「おはようございます。」

「おはよう。じゃ、行こうか。」


八坂神社へと足を進める二人。大きな鳥居をくぐり、本殿へとただひたすら足を進めた。


「どうして、八坂神社なのですか?」

「うん?それは…」


少し言葉を詰まらせたと思うと、いきなりくすくすと笑いだし…


「ここを小説の舞台にしたいから、取材にするんだよ(笑)」


「そ、そうですよね…」


腹を抱えて笑い出す新崎の横で、意気消沈の小原。小原が聞きたかったのは、そんな事ではなかった…


本殿につき、きちんと礼をして祈りを捧げる。新崎は、早々と目を開け、隣りの小原を見る。頭を少し下げ、真剣に目をつぶる彼女をカメラの中に納める新崎がそこにいた。


その後、八坂神社の中にあるすべての社を回る二人。美の神様のいる社等、様々な社があるここを堪能するかのように取材していく…


「小原さんて、彼氏いるの?」


いきなりの質問でびっくりする小原。その顔が面白かったのか、携帯に納める新崎。


「も~!先生!」

「ごめんごめん!ちょっと聞きたかったから。」

「……いないです。」

「そっか…ごめん。実はさ…」


ドキッ…


「僕、既婚者だから、今の若い子の恋愛事情って分からなくって…」



忘れてた。



小原の心の中にその言葉が響く



新崎は、既婚者で子供もいる。

新崎を好きになっても、自分には…



「どうした?」



急に我に変える小原。それを不思議そうに見つめる新崎。


「いえ、何でもないです…」


少し悲しそうな小原の顔を見た新崎は、何かに気付いて、それ以上何も聞かなかった。




祇園や木屋町、先斗町と周り、様々な場所を写真に納める新崎。


そして…


「はい、お昼。」


移動販売で売られていたおにぎりを一つ、小原に差し出した。


「ありがとうございます。」


口にしたおにぎりの味は、口の中をほんのりと酸っぱくさせた。


ホテルに帰って、取材内容をチェック。パソコンで写真を確認しながら原稿を書く新崎。テーブルで、取材場所の資料やパンフレットなどをファイルにまとめていく小原。

紙が擦れる音やパソコンを打つ音・・・それ以上の音はなく静かな空間がそこにはあった。


「小原さん!」

「はい。」

「フロントに連絡して、プリンター借りれるか確認して。」

「分かりました。」


数分後新たな音が加わる。印刷される音。何枚もの紙が流れていく音。


「ふ~っ」


椅子に座りながら背伸びをする新崎。そして、くるっと小原のいる方角に身体を向けると・・・


「終わり(笑)」


と微笑みながらそういった。

小原はそれに呼応するように「お疲れ様でした。」と笑顔で返す。そこから、たわいのない話が始まる。

たわいのない話・・・そこから新崎は小原の心を覗いていった。


「小原さん、彼氏いないって言ってたでしょ?」

「はい。」

「片思いとかもしてないの?」


「・・・」


小原の中で時が止まる。


“自分の気持ちを口にしたら・・・”


身体が冷たくなっていく感覚が広がっていく・・・


そんな小原の前に、新崎は一枚の写真を差し出した。それは、本殿の近くに鎮座する縁結びの社に手を合わせる小原の写真だった。新崎は、その写真のある部分をゆび指し・・・



「ごめんね・・・」



とつぶやく。人差し指の先にあったのは一枚の絵馬だった。


小原紗江と名のある絵馬。そして書かれていたのは、新崎への思いだった。

新崎がこの絵馬の存在を知ったのは、この写真をパソコンで確認している時だった。我が目を疑った新崎は、一度パソコンの画面を原稿に戻してもう一度確認。映し出されるのは同じ画面。いまだに受け入れることが出来ない新崎は、この写真を小原に確認させる。真実を受け入れるために。


「先生・・・」


うつむきながら、鳴きそうな声で小原は真実を話し始めた。


「私は・・・先生の作品が・・・好きです。」


少しずつあふれ出す気持ちを、新崎は無言で受け止めようと聞いていく。


「お話が好きになって・・・先生がどんな人か気になったんです。」



「それから・・・先生のインタビューを見て・・・本当にすいません。」



急にどっと泣き出す小原。その姿を無言で眺める新崎がそこにいた。

尊敬と恋愛感情が混ざった小原の感情。それを聞いた新崎には複雑な気持ちが渦巻いていた。

数十分の沈黙。そこに流れている音は、泣き声だけ。次の瞬間、新崎は目の前にあった袋から小さな京飴を一つ取り出した。そして、うつむく小原の顔に手をかけ、きゅっと指先に力を入れる。新崎は、自然に開いた小原の口に京飴を放り込むと、さっと手を離す。呆然とする小原。口の中では、飴の甘さが広がっていく。数分後、飴が融けきろうとした時・・・小原の視界が暗くなった。



甘いキス

小原に残った新崎のキスの感覚だった。



新崎は小原から離れると、また手を顔に回し、さっきと同じようにして赤と白の金平糖を口の中へ放り込んだ。



「せん・・・せい・・・」



顔を紅くして、動揺しながら離そうとする小原に新崎はこう話す。


「セックスはしない、君の将来を考えて。」


小原の口からは、何も返す言葉はなかった。さらに新崎はこう続ける。


「君の願いは、このキスだけで叶ったことにして欲しい。」


小原は、何が言いたいのか少しだけわかった。


これ以上の発展はないということだけは・・・。



「今日はもう帰りなさい。」



新崎は、そういって小原を帰らせた。



最終日

フロントでチェックアウトを済ませた新崎。玄関に向かおうと歩いているときのことだった。


「先生。」


新崎の振り向いた先にいたのは、スーツ姿の小原だった。


「やっぱり来ましたか?」

「先生の書生ですから・・・最後まで先生の傍で学ばせてください。」


真剣なその眼に新崎は何かを感じ取ると「では、お願いします。」と言って歩き始めた。

ホテルからタクシーに乗り込む二人。話すことは何もなく、ただ時間が過ぎていく。数分後、着いた場所は八坂神社の近く。そこから、祇園へと歩き出す新崎にちょこちょこと着いていく小原。新崎は、そんな小原を気にも留めず、いろいろな店に入っては何かを買って小原に持たせる。それの繰り返し。すると今度は「並ぶか。」と少し並びながらその列に並ぶ。そこは、祇園都路利の茶寮。抹茶のパフェで有名なスポット。小原にはまったく縁がなく“雲の上ぐらい”手の届かない場所。今、そこに並んでいることが信じられずにいた。


数分後、窓際の席に通された二人。緊張してメニューにすら触れられずにいる小原に新崎は「好きなもの選びなさい。」といいながらお茶を飲む。小原はメニューを見つめるが、手は震えて声が出なくなっていく・・・。



「つ・・・都路利パフェ・・・」



それを聞いた新崎は店員を呼び寄せると・・・



「“特選”都路利パフェを2つ。」



と頼んでしまった。



「え、せ、先生・・・?」

「こんな時は、素直に欲しいものを頼まないと駄目だよ。」


ニコッと笑う新崎に心を見透かされた小原は、少し笑って「では・・・いただきます。」と言って微笑んだ。

パフェが来るまでの間、二人はこの3日間のことを振り返る。八坂神社でのこと、差し入れのこと、もちろん、バーでのことも。作家と書生として向かい合って座る二人がそこにいた。


「あ、そうだ小原さん。」


そういうと、新崎はバックの中から茶色い封筒を取り出し、小原に渡す。不思議そうにその封筒を受け取る小原。すると新崎は中身を確認するように指示を出す。そこに入っていたのは、今回の取材資料と小原の原稿だった。


「一緒に取材した記事だから、記念にどうぞ。」

と話す新崎。そこへパフェが到着。


「さぁ、打ち上げだ!食べよ、食べよう!」


新崎は小原に話す機会を与えなかった。

目の前にそびえ立つパフェ。新崎は普通に口にしているが、小原にとっては紙の中の食べ物でしかなかったもの。幻でもみているかのような感覚だった。震える手で抹茶のクリームを口に運ぶ。

初めて食べる抹茶パフェは、ほろ苦く、ほのかに甘いものだった。


店を出て、南座方面まで歩く二人。先々と歩く新崎の後ろをチョコチョコと荷物を持った小原が歩く。二人は、寺町京極の商店街に足を踏み入れる。ここでも新崎は、ただぶらぶらしては、入った店で何かを買っていく。

そして、河原町駅の近くまでやって来てしまった。小原には、もう恋心はなかった。あの日の新崎の言葉で腹をくくっていたからだ。



駅の改札

切符を買い、改札をくぐろうとした新崎に小原は、こう言葉をぶつけた。



「私、先生と同じ舞台に立ってみせます!だから、待っていてください!」



その言葉に、新崎はこう投げ返す。



「上がっておいで、まってるから。」




そこにあったのは、師匠と弟子のような絆だった。



それから数ヶ月

小原は、アルバイトをしながら原稿を書き続けていた。パソコンの傍には、あの時の茶色い封筒を置いて。


「ちょっと休憩しよう。」


そういうと、小原は原稿を保存しながらWEBラジオを立ち上げる。お気に入りの緑のヘッドフォンをつけた瞬間、流れてきた言葉に耳を疑った。



“作家の新崎博重さんが、都内の病院で亡くなりました。42歳でした・・・”



「うそ・・・でしょ・・・?」



状況が飲み込めない小原。そのラジオを聴きながらインターネットのニュースを片っ端からチェックしていく。どのサイトもこぞって新崎の訃報を伝える。テレビをつけても、コンビニで買った新聞にも、同じだった。


数日間、記事を読んでわかったことは、新崎は癌で、数年前に手術をしたが再発。余命宣告されていたということ。それを隠して取材や執筆を続けていたということだった・・・。

失意にも似た感情。小原の心の中は薄暗く重い空気のような状態。もちろん、何もかもが止まったまま時間が過ぎていく。


「先生の嘘つき。」


そうつぶやくと、ふらふらとなりながら外に出る小原。現実逃避のような感情に任せて、ただ待ちを彷徨ってみたくなったのだ。

薄暗くなっていく街。すごく速いスピードで流れていく時間とは対照的に、小原の心はかなり遅いスピードで時が過ぎていく。商店街も、駅も、バス停も何もかもが、スローモーションよりも遅く、耐え難い時間だった。

いつもの癖で立ち寄ってしまった本屋。玄関を入ってすぐの注目書籍のコーナー。そこで新崎の死を再認識してしまう。

平積された新崎の遺作。タイトル「走馬燈」

平積みの本達の上には、POPが小さく主張し、後ろで笑う新崎の写真をベースにしたポスターが貼られていた。小原は、それを手に取り表紙を開く。そして目次に目をやった時だった。



最終章:待ってるよ、いつまでも。



小原は、その言葉をみただけで誰に何を言いたいか分かった。

小原はその本を買うと、そそくさと自宅に戻る。そして、その本を読み始めた。


一気に読み、最終章に差し掛かった時、外の景色は、黒から青に変わろうとしている。



「・・・・・・」



小原の目から流れ落ちて行く涙。それは止まらない。止まることを知らない。その章に書かれていたのは、小原と新崎が共に歩いた3日間のことだった。


そして、最後の1ページにこう書き添えて終わっている。



僕は、最初で最後の罪を犯した。しかし、それは僕と彼女の為だと思ったから手を染めたと思って欲しい。

僕の希望と過ごせなかった未来を君に託した。待ってるよ、いつまでも。





それから数十年。

作家として第一線で活躍する小原の姿がそこにあった。作家として活躍する一方で、結婚し子どもが生まれ、孫にも恵まれたが…今は彼女が孫を育てている。

小原にとって唯一の肉親、櫻井琴音。祖母である小原のような作家になりたい18歳の女子大生。琴音の両親であり(=小原の娘夫婦)は、琴音が3歳の時、交通事故で彼女を残して天国へと逝ってしまった。


「おばあちゃん。本当に大丈夫?」

「大丈夫。最後ぐらい…」

「でも…」


小原は、琴音に一通の手紙を渡してある場所へ向かう。


人生最後の作品を仕上げる為に…


「さ、書きますか(笑)」


小原が泊まったのは京都市内のホテルの25階。新崎と過ごしたあの部屋である。小原は、バックから新崎に渡された茶封筒と本。そして、あの日取った写真を出して飾る。


「先生…」


写真の前に京飴と金平糖など幾つかの菓子を置く。そして執筆を始めた。

老体に鞭を撃つように数日間、取材と執筆を繰り返し、いよいよ最終章に取り掛かる。小原の目には涙が浮かんでいた。今からそこに書くことは、大切な事だから。


京都での缶詰生活が終わり数日後、小原は容態を崩し入院する。担当医は琴音に“もってあと数週間”である事を告げた。医師との話しのあと小原の病室に戻る琴音。扉を開けると、少し容態が安定した小原と編集担当の白井が会話を交わしている。



「お帰り、琴ちゃん。」


ニコッと笑う小原をみるのが辛い琴音がそこにいた。


「白井さん来てたんだ。」

「そりゃ、小原先生が倒れたって聞いたから急いで。」

「ジュ、ジュース買ってくるね。」

「気を使わないで。先生、俺が行って来ます。」

「は~い!」


そう言って、編集者は部屋を飛び出した。


「琴ちゃん。」


小原はそういうと、琴音を自分の側に呼び寄せる。


「心配しないの。ずっと琴ちゃんの事、見てるから。」

「縁起の悪い事言っちゃ駄目だって。」

「ごめん。それとね、もし、おばあちゃんが死ぬ事があったら…」


そういうと、小原はあの茶封筒を琴音に渡す。



「お婆ちゃんと一緒にこれも燃やして。」



優しくほほ笑む小原に、琴音は言葉を返せなかった。


「これはね、お婆ちゃんにとって大切なお守りなの。本当は、琴ちゃんに残してあげたいけど、向こうでどうしても会いたい人がいるから。これ持ってないと、多分、わかってもらえないような気がするし(笑)」



「わかった・・・。」



琴音はその後、もう少し口にしたいことがあったが、白井が病室に戻って来てしまった為にその言葉を飲み込んだ。

その日の晩、小原の容態がまた急変し、そのまま意識をなくし、呼吸器で繋がった人形のようになっていた。


「お婆ちゃん・・・」

“オイテイカナイデ。”


覚悟を決めていたとはいえ、琴音の心は、複雑にいろいろなものが渦巻いていく。そんな、琴音の横に白井が座る。



「琴ちゃん。先生はそんな顔で見送って欲しいとは思っていない。」



琴音の横にいた白井は、涙を必死にこらえ、無理やり笑おうとしていた。それは、病室に駆けつけた他の編集者達もそうだった。その時だった。



「琴・・・ちゃん・・・。」



朦朧とする意識の中で、うっすらと眼を開けようとする小原がそこにいた。誰もがそれに驚き「先生!」と声をかける。



「琴ちゃん・・・みんな・・・。」



夫や娘夫婦、今まで関わってきた人の名前を出しながら、うわ言を並べていく。


「先生・・・」


その言葉をつぶやいた瞬間、心拍数も血圧も呼吸もどんどん低下しはじめる。


「私・・・先生に・・・」


「お婆ちゃん!」



「・・・・・・」



午後3時28分

小原紗江は、夕暮れの西日が差し込む部屋を後にした・・・。



午後9時

小原は琴音と一緒に帰宅。大阪市内の港が見えるこの家は、葬儀の手配などで慌しくなっている。琴音は、白井の横でどのような葬儀にするのか、ほぼ聞いているだけだった。

琴音は、ふとあの封筒のことを思い出して、自分の部屋に戻った。


部屋に誰も入らないように、鍵を閉め、ソファに座る。そして、気持ちを落ち着いたのを確認して封筒を開けた。

中から出てきた書類と原稿、そしてフォトアルバム。原稿は、赤ペンで誰かが訂正したもの。書類は、小原と新崎の連名になっていた取材レポ。


その中身を琴音はただじっと読んでいく・・・。

すべてを読み終わった時、何かに気づいた琴音は、パソコンの電源を入れ調べ始めた。



“新崎博重”と入力して・・・。



「新崎博重・・・あった!」


文豪やあらゆる著名人に関しての経歴などをまとめたサイト。琴音は、時々このサイトを覗いていた。彼女がここへ来たのには意味があった。


「どこだっけ・・・どこだっけ・・・」


新崎のことが書かれているページを画面に穴が開くくらい眼を通していく。


「あった!」


琴音は、探していた場所を見つけ、その場所をクリックする。



“遺作・走馬燈に関してのページ”



このページは、新崎の遺作“走馬燈”に関してまとめられているページ。このページが作られたのには、ファンの間である話がもちきりになっていたからだ。



“最終章に書かれている「彼女」は、一体誰なのか?”



出版された当初から、新崎ファンの間で憶測が飛び交っていた話題。ファンの中には、出版社にまで聞いたつわものもいたらしい。琴音自身もこの話題が気になっていたのだが・・・


「お婆ちゃんだったんだ・・・彼女は・・・」


その答えを知ってしまった。小原は、この秘密を墓まで持っていく事を決めていたようだ。


「だから、燃やしてくれ・・・か・・・」


小原と新崎が一緒に写る写真を眺めながら、琴音はそうつぶやく。ホッとした表情に、祖母譲りの微笑を混ぜながら・・・



翌日

通夜が終わり、誰もが寝静まった晩。小原の傍で起きていたのは、琴音と白井だけだった。


「琴ちゃん、これ。」


白井が渡したのは、発売前の小原の遺作。タイトルは「青葉舞う時の中で」白とのキャンパスの上を、青々とした葉が舞うようなデザインの本だった。


「この本、少し不思議なところがあってね・・・」


そういうと、最後のページを開けた。


「先生に聞いてみたんだけど・・・答えてくれなかったんだ。」


琴音は、そのページに書かれていたメッセージが何を表しているのかすぐにわかった。


「ふ~ん・・・お婆ちゃんらしい(笑)」

「えっ?わかったの?」

「はい。そりゃ、孫ですから(笑)」


祖母譲りの微笑で返す琴音。白井は、その顔を見て笑い出すと「本当、琴音ちゃんは先生そっくりだ!負けた!」と言って、この話題を口にしなくなった。


夜が開け、小原の亡骸にも朝日が当たりだした頃、納棺され斎場に向かう。


「お婆ちゃん、ゆっくり出来たかな?」


通夜と葬式を別の場所でする。自宅でギリギリまで過ごさせてあげたいという琴音の希望で、そういうスタイルになった小原の葬儀。青空の中、見慣れた景色をひたすら進んでいく車は斎場に到着する。報道陣だらけの玄関を“モーセ”のように道を作らせると、小原の棺とともに琴音は歩いていく。葬儀会社と出版社の編集マンたちが必死で報道陣を押さえている間に・・・。

たくさんの花の中で、ニコッと笑う小原の写真がセットされた祭壇。そこに棺が安置され、葬儀が始まった。何時間も“BGMのお経”を聞き続ける、止まることのない参列者にただ深く頭を下げ挨拶をしていく。そして、出棺の時間を迎えた。

開けられる棺。そこには、眠っているかのような小原の姿があった。泣くことを封印し、笑いながら「お婆ちゃん。」とつぶやくとあの茶封筒を組まれた手の下辺りに置いた。そして顔を近づけこう耳元でささやく。



「向こうで大切な時間、過ごしてね。もう大丈夫だから。」



と・・・


斎場で荼毘にふされている間、琴音は白井からもらった遺作の続きを読んでいた。最終章のタイトルは「今から向かいます。」最後のページにはこう書かれている。



私の作家人生は、ある人からいただいたチャンスから始まった。その人の叶えられなかった時間を私が引き継いで、今に至っていると思う。この本が出る頃には、もう私はこの世にはいない。だから私は、ある人に“私の叶わなかった時間”を託すことにした。

がんばって。私はいつもの場所で応援しているから、ずっと・・・。



琴音は、そのページを読むと本を閉じ斎場の裏口に出て深呼吸をする。



「その時間、しかと引き受けました(笑)」



と微笑みながらつぶやいて・・・



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