心持ちテディと繋がる少女
『長い年月大切にした物には命が宿る』そんな事、誰が決めたんだろう?
器物百年って言ったっけ? そんな言葉は、物を物としか考えられない人間達が勝手に決め付けた言葉に過ぎない。ハッキリ言って嘘の塊。
――だって、既に僕は『自分』という意識をもってここに座っている――
――けど、座っていることしか出来ないって言うのは結構辛いかも……
暖かく心地の良い太陽の光が部屋の中に差し込む。窓が締め切ってある為感じ取る事は出来ないが、外では青々と茂った木々の葉が風に揺られてざわめいている。
『こういう時は窓を開けて気持ちの良い風邪を感じながら寝転がりたいんだけど……』
心の中で嘆息しながら、自分の体に視線を落とす。
前に投げ出された両足。自分の体を支える形で置かれた両腕。それらは見るからに柔らかそうな茶色い毛に包まれている。最近まで首に青いネクタイを付けていたのだが、僕の主人の趣向で赤いリボンに変えられてしまった。
彼女にやられるばかりの僕。向かいにあった鏡が僕の姿をはっきりと映し出す。
頭の上に三角形の小さな耳が二つ、小さく黒いつぶらな瞳。ちょっぴり膨らんだ目元の先には逆三角形の小さな黒い鼻。それら以外全て茶色いモコモコの毛に覆われた顔。
――そう。僕は実にハンサムな(自己陶酔)テディベア。首元に付いているのが真っ赤なリボンじゃなくて、ネクタイにしてくれれば文句なしの美男子に――
部屋の机に一人(一匹?)座らされている毎日。誰も話しかける相手が居ないせいで、完全に癖になってしまった自己陶酔。
だが、それは時計を見た瞬間に停止し、思考が凍りつく。
時間は午後の3時半。空の色が変わり始めるにはまだ早く、お昼寝時というにはちょっと遅い、そんな時間――
『……ま、マズイ。ヤツが、ヤツがやって来る――自命混沌大魔王、ヨーコゥク・ラ・アッサーミンが!』
何となく頭に浮かんだ肩書きと名前を叫んだ瞬間、下の階から勢い良く開くドアの音。それに続く元気の良い「ただいま〜」という声。
心の準備が出来ぬまま時が来てしまったことにしどろもどろになる僕。
だが僕の気持ちをよそに、テンポのよい階段を昇る音が響く。次いで回されるドアノブ。
「ただいま、テディちゃん! 今日は何して遊ぼっか?」
『だから、ちゃんはやめて! 僕はれっきとした男なんだから、せめて君とかに――』
聞こえないとは分かっていても、譲れない第一線がある。それが、彼女がする『ちゃん』付け。この真っ赤なリボンといい、彼女は僕の事を女の子と勘違いしている節があるよう。
僕の批判など気にも留めない、真夏の太陽のように明るく元気な笑顔。真っ赤なリボンでポニーテールに纏められた髪を揺らして僕を両手で持ち上げる女の子。
帰ってくるといつも必ずランドセルも下ろさず、制服の上着も脱がないまま僕を抱え上げる彼女。
そう、この子が僕の主人であるヨーコゥクー・ラ――もとい、横倉浅海。まだ『小学三年生』という枠組みらしく、成長期はまだ来ていないらしい。
今でさえ自分の何十倍の大きさなのに、それはマズイ。
――これ以上大きくなってしまったら、勝てる見込みが無くなってしまう。
とは言っても、こっちは動けないのだから勝つも負けるも無いのだが……
そうこうしている内に、浅海は僕を再度机の上に座らせる。ランドセル、制服の上着を投げ捨てて、白いブラウスと紺のスカートのみになる。
「それじゃ、一緒に下へ行こう!」
浅海は元気良くそう告げて僕を抱えあげる。急いで帰ってきたのか、彼女の息は荒かった。だが、表情からは楽しい、嬉しいという喜びの感情しか読み取れない。
『……僕と一緒に居るのがそんなに楽しいの?』
決して返って来ないと分かっていてもしてしまう彼女への質問。
きっと、浅海が浮かべる表情が答えなのだろうが、それを言葉にして欲しい。そんな叶わぬ思いが確かにあった。
やはり浅海は僕の問いに答える事無く部屋を出る。そして心には自然と出てくる諦めの色。
――はぁ、また慌しい時間がきちゃったなぁ……
浅海と一緒に居ると、自分の身が危ないのは長い付き合いなのでわかっている。
壁にぶつかったり、床に落とされたりするのは日常茶飯事。
ある時は、水溜りの中に落とされ、泥だらけの水浸しにされたり、またある時は主人と隣の家に遊びに行った時、その家で飼われていた犬に拉致されたり。
……まぁ、それらは浅海の悪意から来る犯行では無いので、百歩譲って許すとしよう。
でも――僕はこれだけは嫌だった。
「テディちゃん、今日のおやつだよ。どうぞ?」
そう僕に話しかけながら、目の前に一枚のクッキーを差し出す浅海。
もう片方の手で僕を持ち上げ、クッキーをついばむ様に口を付けさせられる。
「ありがとう、浅海ちゃん。とっても美味しいよ。私、こんなに美味しい物食べたの初めて!」
彼女は裏声で僕の言葉を代弁し、僕の頭を小さく倒してお辞儀させられる。
女の子であるなら誰でもやるのであろう『お人形遊び』。
そうやって遊ぶ彼女の表情は生き生きとしており、笑顔も眩しく可愛らしいと思う。
――でも、僕はこういう事をさせられるのが一番嫌だった。
僕は目の前のクッキーを食べられる事が出来ない。なのに、彼女は勝手に僕の感情を作り上げる。僕が美味しいと感じていると信じて、そのように行動させる。
僕の感情なんて全て無視。僕の事なんて何も分かってくれず、自分勝手に体を操り、思ってもいない事を言わされる。
――それって残酷な事じゃないだろうか?
持ち主である彼女は満足かもしれない。楽しいかもしれない。でも、僕は何にも楽しくないし嬉しくないし満足じゃない。
『僕には僕の意思がある。なのに、浅海が勝手に僕の気持ちを決めるのはやめてほしい――』
そう思い始めると、次々と湧き上がってくる浅海への不満。
だがそう思うのと同時に、不満に思う事すら無駄に思えてくる。
――だって、僕は人間達に作られた『物』なんだ。僕が意思を持っていようが持っていまいが、そんな事この人達にとっちゃ関係ない。僕はただ、持ち主の思うように動かされるだけの人形。作られた側の僕がこんな不満を持つことさえおこがましいんじゃないのだろうか?
どこか暗く重い場所に沈んでいく僕の心。なんだか全てが嫌になり、視界は虚ろ。頭にも霞がかかりはじめて朦朧としていく。
そんな時、おぼろげな視界の中に人影が入ってくる。
霞がかる意識を無理やり叩き起こすと、目の前には不安げな顔つきで僕の顔を覗き込む浅海。
「ねぇテディちゃん、怒っちゃった?」
今にも泣き出しそうな声色。躊躇いがちに聞いてくる浅海に、僕は目を丸くしてしまう。
心配そうに潤んだ瞳。申し訳なさげに上目遣いで見てくる彼女。突然の出来事に僕は戸惑いを隠すことが出来ない。沈んでいた心も、虚ろだった視界も瞬く間に晴れ渡る。
「なんだか怒ってるみたいだけど、やっぱりこう言うのは嫌だった? 嫌だったんなら、ごめんなさい……」
嘘偽りの無い澄み切った瞳。そして心の底から謝っていると信じられる素直な声色。そして頭を下げる彼女の態度。
――そう。浅海は唐突にこうやって僕に謝る時があった。それはお芝居でやっている訳では無い、彼女の本心から来る謝罪。
僕が彼女の行動に心底不満に思った時、必ずと言って良いほど浅海はこうして謝ってくれる。
僕の心を読み取っているのかは分からない。でも、何かを感じ取っているのは確か――だと思う。
必死になって謝る浅海。そんな彼女に対して不満を持っているのは確か。だけど、申し訳なさそうな顔をして謝られるのはそれ以上に嫌だった。
できるなら、彼女にはいつも笑顔で居て欲しい。僕で遊ぶなら楽しく、生き生きとした表情を見せて欲しい。
明らかに矛盾している僕の心。そう言うのはズルイって自分でも分かっている。でも、どちらの思いも心の中にあるのだからどうにもならない。
『別にいいよ。確かに怒っちゃったけど、僕は浅海の事を嫌ってる訳じゃない。だから、そんな悲しそうな顔しないで』
伝わらないと分かっていても、口を突いて出る慰めの言葉。だが、伝えずには居られない言葉。
申し訳なさそうに「ごめんなさい」と何度も呟く浅海。彼女は僕を抱きしめ、頭を撫でてくれる。
そんな彼女の事を嫌えるはずが無かった。ただの『人形』に思いを注いでくれる彼女。
僕は彼女が謝るのを止めるまで、伝わらない言葉を紡ぎ続けた――
そんな出来事があった週の日曜日。
日も暮れ始めた夕焼け空。真っ赤な太陽に照らされながら、浅海はただがむしゃらに走っていた。
もちろん僕も一緒。彼女に体を掴まれたまま、目的地も分からず連れまわされる。
だが、そうしたくなる彼女の気持ちが少しばかりだが分かっていた。
悲しみ、怒り、憤り、寂しさ。それらの負の感情に彩られた浅海の瞳からは、止め処なく涙が。
だが、彼女は大声を出して泣き喚こうとはしなかった。下唇を噛み、嗚咽を飲み込み、様々な物から耐えていた。
――なんでこんな事になってしまったんだろう……って、問いただすまでもないか――
そう、事の始まりは浅海の友人宅へ一緒に遊びに行った事からだった。
浅海の友人3人がそれぞれ自慢の人形を持ってきて、みんなで一緒に遊んでいた。
僕も渋々その遊びに付き合っていたのだが、ある一人の女の子が浅海に尋ねてきたのだ。
「ねぇ、浅海ちゃん。そのクマさん随分古いけど、新しいお人形は無いの?」
その友人にしてみれば、何の気なしに口走った言葉なのだろう。
だがその言葉が切り口となり、周りにいた友人もそろって僕の古さに矛先を向けてくる。
僕の事を「古い」と言い、「可愛くない」、「お洒落じゃない」、「ボロボロ」と3人は矢継ぎ早に浅海を捲くし立てる。
明るく元気の良い浅海であったが、3対1の口論となっては勝ち目も薄い。
始めの内は「そんな事ない」とか、「可愛いと思うよ?」と僕を庇ってくれていたが、やがて数に押されて何もいえなくなってしまう。
僕を守るように両腕で抱きしめ、完全に縮こまってしまう浅海。そこへ、一人の友人が名案を思いついたと言わんばかりに嬉々として声を張り上げる。
「――そうだ、浅海ちゃん。そのクマさん捨てちゃいなよ」
その一言に、黙り込んでいた浅海の体が小さく跳ねて反応する。
僕はその動作につられて浅海の顔を見上げる。
見開かれた彼女の瞳が小刻みに揺れる。何を言っているのか理解できないとでも言いたげに、口をわずかに開けたまま呆けてしまう。
そんな彼女の変化に気付いた様子も無く、友人は自慢げに言葉を続ける。
「それでさ。お父さんやお母さんには無くしたっていって、新しいお人形買ってもらえば――」
その瞬間、僕を抱く浅海の腕に力がこもる。必死で何かに耐えるように、震える両腕を抑え込もうと両の手を固く握る。
だが、押さえ切れない彼女の心情は、激しい憤りとなって溢れ出る。
「私はテディちゃんを捨てるつもりなんてない! 新しいお人形もいらない!」
内に溜め込まれていた浅海の思いが弾けてしまう。
悲鳴に近い浅海の怒号。友人が全ての言葉を言い終わる前に言い放った、明らかな拒絶の意思。
突然の叫び声に一同静まり返ってしまうが、『捨てちゃいなよ』と勧めていた友人が、口を尖らせ浅海に食いつく。
「な、なによ! そんな古い人形のどこがいいの!? 私達みたいな新しくて綺麗な人形の方が良いに決まってるじゃない」
浅海の意思を一掃する友人の一言。だが、浅海はその言葉に揺らぐ事無く僕を抱く。
――浅海からは何も言わない。だけど、確かに伝わってくる気持ち。僕を大切に思ってくれる彼女の愛情。友人と喧嘩してでも譲れない僕への思い。
――しかし、友人には伝わらないその思い。そして浅海を突き放すその言葉。
「そんなボロボロの人形使うんなら、もう私達の仲間に入れてあげないんだから! ねえ、みんなもそう思うよね?」
そう言い放った彼女は、戸惑いながらも静観していた残りの二人に同意を求める。
突然話を振られた彼女達は、戸惑いながらも頷き彼女に同意してしまう。
――3対1。浅海には立つ瀬が無く、この場の雰囲気は彼女を締め出そうと険悪になっていく。
浅海に向けられた敵意の眼差し。それらに耐え切れなくなった浅海は僕を抱えたまま立ち上がり、瞳に涙を滲ませながらも3人に思いをぶちまける。
「何でそんなイジワル言うの!? なんでテディちゃんを捨てなきゃいけないの!? 私がこの子を大切にしてたって良いじゃない!」
そう言い残して友人宅を飛び出し、それからずっと走り続けた。
何かを振り切るように。込み上げてくる思いから逃げるように。
そして、僕達が辿りついた場所は人気も少ない河川敷。
浅海は急な下り坂もかえりみず、雑草が無造作に生えている堤防を下って河原に降り立つ。
目の前には大きな川。濁りの少ないその水面は沈みかける太陽を映し出す。川の流れによって揺れるその光は、眩しく煌く花火のよう。
走り疲れたのか、肩で息をしながら呼吸を整える浅海。視線はどこか虚ろで、何を見るのでもなく、ただ呆然と川の流れを眺めていた。
「――なんで、こんな事言われなくちゃいけないの?」
そっと彼女の唇から漏れでた一言。その声色に力は無く、ただあるのは途方も無い悲しみ。
僕は彼女に両手で持ち上げられ、顔と顔を見合わせる。
絡み合う視線。走っているときに流していた涙は鳴りを潜めていたが、僕は彼女の顔を見ていられなかった。
これほどまでに追い詰められた浅海の顔を見るのは初めてだったから。
「――なんで……」
言葉が詰まる。小刻みに肩を震わし歯を食いしばる。だが、瞳から流れる涙は止められない。
力なく崩れて落ちてしまう浅海。石ころばかりの河原だが構わず、座り込んでしまう。
僕を持ち上げていた手は、いつの間にか片足に伸び――
彼女の手が僕の足を掴んだ瞬間、視界が歪む。彼女を映していた視界は、いつの間にかオレンジ色に焼ける空を映しだす。
「なんで、みんな私を虐めるのよ!!」
それは、僕自身にも伝わってくるほど辛く、痛い彼女の思い。
やり場の無いその思いを乗せて、僕の体は振り下ろされる。勢い良く地面に叩きつけられ、転がっていた小さな石ころを弾いていく。
叩きつけられた瞬間、またも視界が歪む。だが、もう一度振り上げられた時にはもう既に視界は良好。体は汚れてしまったが、どこにも傷は負っていないよう。
「私がテディちゃんを大事にしたって良いじゃない! なんで捨てろとか言うの!? なんで、新しい人形じゃないといけないの!?」
浅海の激情に流され、何度も僕を地面に叩きつける浅海。
彼女の体の中に納まり切らない思い。湧きあがる思いの消化方法が分からず、彼女は叫ぶんだろう。僕を振り回して八つ当たりするんだろう。
――僕は人形。人間みたいに神経はない。だからどれだけ痛めつけられても苦痛を感じる事はない。もし僕の手足が千切れてしまったとしても全然平気。
……でも、僕には心がある。潰れてしまいそうな浅海を見ると、心が痛いよ。苦しいよ――
僕の気持ちを無視して操っていた浅海。だけど、それを代償として僕に深い愛情と、太陽のように明るい笑顔を与え続けてくれた浅海。そして、不意を突く様に僕の気持ちを気遣ってくれ、謝ってもくれた。
でも、その関係は対等じゃない。僕達が『人形』と『その持ち主』という立場上、対等になる事は無い。
でも、対等とか、立場とか。僕を大切にしてくれるとか、僕の思いを無視して操るとか。浅海の良い部分も悪い部分も全部ひっくるめて。
――僕は、彼女の笑顔を取りもどしてあげたかった。
今にも壊れてしまいそうな、悲しみに溢れた顔を変えてあげたい。
何もできない自分が悔しい。そう思えば思うほど胸が締め付けられる。苦しくなる。
それほどまでに僕は……彼女の事が好きなんだ――
だから、僕は喜んで彼女の憤りを受け入れよう。
これで少しでも彼女の心が潰れないで済むなら、僕も本望だと思う。
気持ちがまとまり、僕は彼女の行為を真っ直ぐに受け止める。
気持ちを吐き出し続ける浅海。僕の体は何度も地面に叩きつけられたせいで土まみれの埃まみれで、薄汚れてしまっている。
そうしている内に、浅海は自然にこの憤りの終着点へと気持ちを進めていた。
「私がこの子を持ってちゃいけないの!? この子を持っているからいけないの!?」
――それは、本来浅海が思っていた事とは正反対の結論。彼女の感情が制御できなくなるまで、突き通していた強い思い。
「この子を持っているから、皆に酷い事されちゃうの!? この子が居るから、こんなに辛くなっちゃうの!?」
でも、僕はその答えでも構わなかった。
今更、『お前の言っていることは無茶苦茶だ!』なんて罵倒する気も無い。
だって、彼女にとってはどちらの答えも嫌なんだと思う。それが、たまたま今回はそっちに重きを置いただけ。
それに、僕は浅海の人形としてそれなりに満足している。ここまで一緒に居られた事に感謝できる。
「もう、こんなの嫌だよ! こんな辛い思いするくらいなら、テディちゃんなんてぇ――」
叩きつけようと振り上げられた僕の体。だが、今度は地面に叩きつけられる事無く、握られていた手の感覚が消えてなくなる。
そう感じた瞬間、妙な浮遊感と目まぐるしく回転する世界。
その世界の中で、巨大であるはずの体を幾分か縮めた浅海の姿が視界を過ぎる。
――やっと理解した。泣き、叫び、八つ当たりして感情を撒き散らした彼女がやっと答えを導き出した事を。
眼下には、ゆっくりとだが流れる川。ここに飲み込まれれば、もう浅海と会う事はできない。不満に思うこともあった。でも、今振り返ってみるとんざらでもなかった日々。
回転しながら落下していく僕の体は、いつの間にか浅海の方へと向けていた。
交差する視線。そして僕は、この別れに相応しいであろう言葉を彼女に送る。
『よかったよ。これで浅海は皆に除け者にされなくて済む。僕が捨てられて丸く収まるのならそれで――』
最後まで言葉を紡ごうとした瞬間、心が軋んで悲鳴を上げる。
言いかけていた言葉が出てこない。その続きが心に引っかかり、声に出すことが出来ない。
僕は、こんな結果になっても構わないって思って、思って――
『思ってなんか――無いよ……』
情けなく漏れ出た弱々しい声。だけど、僕の心が求めてやまない願い。その願いが次々と口を突いて出る。
『僕が――僕が、もっと可愛かったら。もっと新しくて綺麗だったら。こんなボロボロの格好じゃなかったら……もしかしたら、もっと沢山浅海と遊べたのかな?』
声が裏返り、見っとも無いくらい必死な声。過去を取り戻そうと縋りつく情けない言葉。
浅海もこんな情けない声は出さなかったと思う。でも、どんなに情けなくても構わない。だって、これが僕の本当の気持ちなんだから。
伝わらないとは思う。でも、言葉にせずには居られなかったその言葉。
『――もっと、ずっと、浅海と一緒に居たかったよ――』
視線の向こうに居た彼女の目が、大きく見開かれたように見えた。
しかし、その言葉を伝え終わった瞬間、僕の体は川の流れに飲み込まれる。
体は瞬時に水を吸って重くなる。少し流された後、石に引っかかってしまい川の底に沈んで動けなくなる。
浅海との決別。そして、自分が伝えたかった事を全て言葉に出した事。
彼女に捨てられたという悲しみと、全てを出し切ったという脱力感に、僕の心は疲れて無気力。
今の状況がどれだけ危ないのかも分からない。自分がどうなってしまうのかも想像できない――する事ができない。
しばらく、太陽の光が当たって煌く水面を眺めていると、慌しく水をかき乱す音が何度も聞こえてくる。
川の流れが出す音とは思えない騒音に、僕の心は焦燥に刈られる。予測も出来ない自体。何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか僕には全く分からない。だが、それは確実にこちらに向かって近づいてくる。
そして、その騒音が間近に迫ると同時に、煌く水面に影が差す。次の瞬間、気泡を纏った『何か』が水面を破って伸びる。
伸びてきたのは二本の腕。僕をしっかりと掴み取るその指に、心のそこから湧き上がる安堵感。
その気持ちに反応して、僕の思い描いていた一つの希望に胸が高鳴った。
水面から救い上げられる僕の体。そのまま胸の中で抱きしめられる僕。
それは、痛いくらいに力強い抱擁。だけど、伝わってくるのは温かい気持ち。その力強さは、もう離さないという意思表示。
ここに来るまでに何度か転んだのか、水浸しの浅海。そして、同じように水浸しの僕。
彼女の閉じられた瞳の隙間からは、幾粒の涙。そして、漏れ出る嗚咽――
「ごめっ、んなさっ……私も、テディちゃっ、と一緒に居たいよおぉっ。うあぁぁぁぁぁ――」
浅海の言葉と、気持ち。その二つに反応して、心がざわつき体全体に言いようのない高揚感が広がっていく。
――浅海は、僕が言っていたことを感じ取ってくれた。伝わらないって諦めていた、僕の思いを受け止めてくれた――
信じられない真実に、僕の頬に一筋の雫が伝う。――きっとこれは、僕の体に吸い込まれていた水が出ただけなのだろうが、今はそれを涙であると信じたい。
浅海は耐える事無く赤ん坊のような泣き声を吐き出す。そうしながらも、言葉を詰まらせながら何度も何度も謝る。
彼女が泣き止むまで慰める僕。感傷的になった為か、声は上ずってしまう。
沈みかけだった太陽は、いつまでも僕達を明るく照らしてくれていた。それは、僕達が泣き止むのを待ってくれているようだった。
その後、彼女は水浸しのまま家に帰り、こっ酷く母親に叱られた。だが、そのお叱りにめげる事無く、僕の古びた部分の修繕をねだった。あんまりしつこくねだる浅海に呆れ顔の母親だったが、結構ノリノリで僕の修繕と洋服を作って着せてくれた。……まぁ、その洋服が全て女の子用だった訳だが、この際触れないようにしよう――
その甲斐あってか、喧嘩した友人達にも僕は認められたし、酷い事を言ったと3人からの謝罪も得た。
その事があってから数年。僕の願いどおり、今でも浅海と一緒に過ごしている。
今では母親にねだらずとも、僕の服を作れる程裁縫の腕前を上げている。悔しい事だが、やはり女の子物の洋服。最近になってようやくズボン等々を作ってくれるようになったが、着る回数的にはやはり女の子物の方が多い。
――浅海に対して武力行使にでようにも、さらに巨大化する一方だしなぁ。やっぱり、一時耐え忍んで和平の道を歩む方が無難かなぁ?
いつも腰掛けている机の上。窓の外はあの日と同じように良い陽気。日は昇ったばかりだが、寒さを感じる事もない。
「おーい、テディちゃん。今日も学校いくよ?」
勢い良くドアを開ける浅海。彼女がやって来るといつも慌しい――けど、全く悪い気はしない。
僕を片手で引き寄せ、首の後ろに付けられた2本の紐で器用に学生鞄の持ち手部分にくくりつける。
「よし、準備OK。さっそく行こうか!」
こんな風にして、僕は最近学校に連れて行ってもらえる。彼女は、僕の願いを叶えてくれていた。伝わるはずが無いと思っていたその願いを。
勢いよく階段を下りていく浅海。
いつものように彼女の顔は明るく笑顔。
『……そんなに僕と一緒に居るのが楽しいの?』
もう、そんな野暮な事を聞いたりなんかしない。
表情にしろ、言葉にしろ。自然に出てくるものは本心なんだって、気付いたから。だから、今浮かべている彼女の笑顔は本物だって胸を張って言うことができる。
そう思えるほどの絆が僕と浅海の間にあるのを感じていた。
数年前のあの日、あの時。一度だけしか交わる事のなかった二人の思い。
だけど、もう僕の気持ちが彼女に伝わらないなんて思わない。
人形と人間。全く違う立場、全く違う者(物)であれ、二人が真剣に思い合い、願いあえば、伝わらない物なんて無いって思う。
――そんな僕達の絆を、心の底から信じている。
改行を多くした方が読みやすいかなぁ?
と思い、事あるごとに改行してみました。
その結果は――どうでしたか??