ロック・コンサートなんて嫌いだ~っ!
つい、最近の出来事です。
先ず、値段が高い。
中古のCDでよければ1枚七百円から千円で買えるし、コンサート料金で、十数枚が入手できる計算となる。
好きな時に、何回も繰り返して聴けるCDファンこそが真の音楽ファンのはずだ。
と、もちろんこれは負け惜しみである。
09年の秋だったか、クラプトンとマライア姫がほとんど同時に来阪し、行きたかったのだが、金欠病だった。その時、イソップの『酸っぱい葡萄』の論理よろしく、コンサートなんか嫌いだと呟いた次第。
であったのだが今回、11年、秋のクラプトン、ウィンウッド公演には誘われたこともあって、「城ホール」まで行ってきた。
会場で驚いた。
かなりご高齢の観客が実に多いのだ‥‥‥自分のことは棚に上げての感想だが。日本で洋楽ファンの最高齢者であれば80歳前後であろうし。このことは以前、郊外のCDショップで白髪の老婦人がボブ・ディランの作品を物色してるのを目撃し、感動のあまり、不躾にもインタビュー?させていただいたこともある。
で、実際にクラプトン、ウィンウッドが登場すると、観客のほとんどが着席したままであることにも、様がわりしたなぁと思った。
僕らが若かった頃のコンサートであれば、当初は演者の登場とともに舞台にこぞって殺到し、それで不幸な事件もあったりし、殺到は避けても、椅子から立つのは普通の光景だったのに‥‥
今回、左側には席を立って踊ってる観客もいたが、そのくらいは当然である。
右側は、と見ると、ご家族と覚しき、約三名が着席のまま、一心不乱に曲に合わせて手拍子を打ってらっしゃった。拍手なり手拍子なんかも、このテのコンサートでは当たり前なんだが、その三人の、横顔から推定される年齢が不思議だった。
お母さんが70歳前後、お父さんが60歳、息子さんが30歳という見当か‥‥
その三人が、曲の途中で、曲に合わせ、身体を揺すり、手を打って拍子をとり、曲が終わると強烈に拍手する。特に母親と息子さんは至福の表情となっている。
もちろん、そのことに特に文句を言いたいのでもない。各人が思い通りに楽しめばいいのだ。70歳の老婆(失礼!)がロックファン、ブルースファンであることはむしろ歓迎すべきことかもしれない。
だが一面、待てよ、という気もしてきた。
先日(11年11月26日、深夜)Eテレで放送してた坂本龍一教授の音楽番組でも、ロックという音楽の印象に学生?が「反抗」と言ってたではないか。
すると、この家では、さしずめ夕刻からお母さんがクリームを掛けながら夕飯の準備をし、息子さんが帰ってきて踊りだし、やがてパパが帰ってきて、CDをクラプトンに替え、食事をし、ブルースを語り合い、酒を飲み、手拍子をとり、少々踊り、踊り疲れて眠るんだろうか?現在はやってないかもしれないが、十年前はやってらっしゃったと、の想像も特におかしくはない。
年齢的にはどんなもんであろうか?
計算すると、クリームが活躍してた時代、その男性20歳、女性、30歳。ロックな興味をもちはじめた男子学生に、すでに社会人の女性が、こんなんいいと思うよ、とレコードを貸したりする。
最初、『レイラ』がでた頃、男性は25歳、女性、35歳。
二人の人生の選択肢は色々とあり、別れ話もあったかもしれない。
波風はあったものの、それから数年後、ジョン・レノンが暗殺された前後、男の子を授かる。
母親、40歳、父親は30歳か。不可能ではない。
別れ話があったり、自殺未遂の事件もあったのだが、それらを忘れて幸福な家庭を維持するために、家族では常にロックやブルースをBGMとして流していた。ご子息も当然ながら、ロックに育てられ(プレスリーの曲にあった歌詞)、ロックを愛してる。
むしろ、微笑ましい歴史なのかもしれない。
だが、それでも敢えて異を唱えてもみたい。
既成の社会に、No!と叫び、反抗するのがロック魂ではないのか?
僕らは、親に隠れてやることを増やしていきながら、大人になっていくのではないか?
少なくとも僕にとって、ロックてはそういう音楽だった。
などと考えていたら、アンコール曲の最後のシーンであり、僕ら観客が一斉に「コッケ~ン!」と応えるべきところだでた。
コンサートなんか、大っ嫌いだっ!
武道館公演が、まだであったことを忘れてました。行く予定の方に悪影響なきことを祈ります。