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夜半には小康となった雨は、翌朝にはあがっていた。とはいえ、鈍色の空模様は相変わらずで、いつまた癇癪を起こしても不思議ではないといった様子だった。ソラの星座である射手座は八位で、降水確率は五十パーセントとのことで、今日も鞄に折り畳み傘を放り込み、家を出た。
二軒先の雛森家は、築五年ということで、非常に新しい外観だ。通学路の途上にあるため、ソラはいつも彼女の家の前を通って登下校する。そして、いつも彼が通りかかる頃に、
「おはよう、ソラ」
ツキは見計らったように玄関から顔を出す。特に示し合わせているわけでもなく、ソラが家を出る時間は決まっており、ツキが家を出る時間も決まっているというだけのこと。
オスと気だるげな挨拶を返すソラに並んで、二人は歩き出す。昔は、ツキのとしごの弟も加わり三人で登校していたのだが、姉と登校するのが気恥ずかしい年頃になってからは、少し早めに家を出ているようだ。
「今日はどうするの?」
「何が?」
「凶悪犯の捜査に決まってるじゃん」
「あー。本気で丸投げなのな、お前」
小憎たらしく舌を出すツキの横顔を見ながら、ソラは一応は昨晩にまとめた考えを言って聞かせる。
「まずは一にも二にも、情報が足らん。情報収集からだな」
「情報は足で稼ぐ、だね。悪くないと思うよ」
「なんでちょっと上から目線なんだよ……」
ともあれ、方針としてはそういうことになった。
昼休み、隣のクラスのヒナタも誘い(ツキは少し渋った)とりあえず職員室へ向かった。ノックの後、ソラが先陣きって中へ失礼する。ただでさえ梅雨のじめじめした空気に閉め切った室内に、白いタバコの煙が充満して、不快指数はストップ高。所狭しと並んだ教員の机の一つから、彼らの担任である那須原教諭が姿をみとめて顔を上げた。立ち上がって、三人のもとまで来てくれる。まだ三十代の半ばで、歳が近いこともあって、生徒からは比較的話しやすい教師として親しまれている。無精ひげを撫でつけながら、
「珍しいな、小窪。先週の宿題でも持ってきたか?」
「すいません、もう少し待ってください。もうちょっとで何か降りてきそうなんです」
「降りるも糞もねえだろう。利子つけるぞ、馬鹿野郎」
口は悪いが、丸っこい体をゆさゆさ揺らして笑う姿は、どこか愛嬌がある。
「今日は別件なんです」
口を挟んだヒナタに、教諭は目を丸くする。同じ部活であることくらいは承知しているかもしれないが、ソラツキのコンビに他の人間が混ざっているのは珍しいのだろう。
昼休みと言えど、悠長にしている程長くはないので、そのままヒナタに説明を任せた。自分たちが今やろうとしていること。それについての情報を求めていること。やはり整然とした説明で、ソラの判断は良かったと言える。
「なるほどなあ。だが、それには及ばんぞ?」
説明を聞き終わった教諭の返答はそれだった。
「ちょうど、朝の職員会議でその話題が出たんだよ。今までは、まあ悪戯の範疇ってことで放っておいたんだけど、さすがにショックで休む生徒まで出てくるようだと、動かんわけにもいかんだろうってことでな」
ツキが話題にしていた生徒のことだろうか。
「手すきの先生方が交代で、校内の巡回をするってことになった。俺も授業のない時間は、徘徊だよ」
「はあ」
「まあ、だからお前らの心配も尤もだろうが、教師も動くんだ。ちっと任せてくんねえか」
生徒の出る幕ではないと一蹴することも出来るだろうに、こちらの心情を慮った言葉を使う。こういう所が、生徒に支持される所以なのかと、ソラは関係ないことを考える。ただ、本論を考えても、少し引っかかる所もある。彼の言い草だと、生徒が不安に思うから動くという、やや主体性のないものに聞こえた。
「……先生がたは、被害をこうむってはいないんですか?」
「ん? ああ。俺たちはほとんど車だからな。自転車で通ってらっしゃる先生も居るけど、ほら」
那須原教諭は、その肉付きのよい人差し指で続けざま二点を示す。職員室の出入り口は二箇所あるが、その両方の引き戸の傍に、アルミ製の簡素な傘立てがある。花柄のジャンプと、安っぽいビニール傘がささっている。
「さすがに、職員室にまで忍び込む度胸はないみたいだな」
微苦笑まじりの声に、予鈴が重なる。タイムアップらしかった。
放課後。昼頃までは、降ったり止んだりの不安定な天気だったが、昼過ぎから雨脚は弱まっていき、放課となるころには雲間から太陽が覗いていた。今日はもう打ち止めかもしれない。新しい犠牲者が出ることはないと安堵するところなのだろうか。
部室へ向かった幼馴染コンビだったが、扉を開けると、既に推理研の面々が揃い踏みしていた。昨日は生徒会の集まりで席を外していた原田雲子の姿も見られる。ツキと彼女は特に相性が悪く、冷戦の二極、その盟主同士といった格好である。その属国たるヒナタは、ビロードの装丁の本から目を上げると、二人に弱々しく笑いかけた。
互いに簡単な挨拶だけ交わし、所定の位置へ二人腰掛ける。
「さてと。ツキ」
足を組んだまま、隣の少女へ水を向ける。これまで言いだしっぺのくせに、ろくすっぽ役に立っていなかった彼女だが、ソラは一つ仕事を任せていた。とはいえ、彼自身も休み時間の度に、その仕事に従事していたわけだが。
「へへへ。足で稼いで来たよ。取れたてピッチピッチの情報」
「よーしよし、えらいぞ」
頭を撫でられて、満悦のツキは、クリアファイルを一つ、鞄から取り出した。
「あたしが確認できたのは六人かな」
はじまった説明は、ソラが集めた情報と重なる部分もあり、異なる部分もあった。それらすりあわせを行った結果、確定情報としては三つ。
まず一つ目。彼らの学年、つまり二年生の間での被害者は、女子四名、男子二名。これには、知られている分がという但し書きが付く。特に女子などは、被害に遭ったと声を大にして言うのは憚られることもあるだろう。潜在的には、もっと多くの被害が出ている可能性もある。現に、女子三名の顔ぶれを見るに、かなり明け透けな、言ってしまえば男のようにさっぱりした性格の者達であると、ソラは認識している。しかも、誰も頭から被っているわけではなく、みな傘を開く前に気付いたということだった。
次に、二点目。先程、三名の女子としたが、残りの一人。再三、話題に上っているが、彼女こそが、頭から糞をひっかぶり、ショックで休んでしまった子である。何故露見したかと言うと、彼女の親が学校側へ苦情を寄せ、そのことを彼女の担任教諭がクラスのホームルームで口を滑らせて以降、噂となってしまったという経緯がある。このことの功罪は、それぞれ、教師を動かす契機となったこと。そして、被害に遭った女子にあまり嬉しくない事実が周知となってしまったこと。
そして三点目。被害に遭った全員が全員、同じ場所ではなかったこと。補足すると、生徒の傘は、まず集合下駄箱の隅にある傘立てに立てるか、そうでなければ、各クラスの教室内にある傘立てに立てておくことになるわけだが、被害がどちらか一方に集中しているわけではないらしいということ。女子のうち二名は、クラスの傘立て。もう一人は下駄箱の傘立て。男子二名のうち、一人はクラスのもの。もう一名は、どっちに立てていたかあんまり覚えていないというボケボケっぷりだが、恐らくは下駄箱の方ということ。ちなみに、プチ不登校になってしまった女子は、不明。何にせよ、見事にばらけている。