12
彼らが通う高校には、生活調査アンケートなるものが年に数度ある。読んで字の如く、生徒の日ごろの生活についてのアンケートであるが、ソラはいつも面倒くさがっているばかりだった。しかし、今度のそれへの関心は今までの比ではなかった。というのも、このアンケート、公立高の分際で、この学校独自のものらしいと知ったからである。公の施設とは言え、判で押したように何処も同じというわけでないのは、さすがに知っているが、この学校の体質を考えると、自ら面倒事を請け負うのは意外だったのも事実。
何はともあれ、これを利用しない手はないだろう、とソラは提案する。質問項目に、飼い犬の有無、有る場合は頭数や犬種などを盛り込む。尤も、犯人が本当に例の二種を飼っていたとして、そう正直に答えないかもしれないが、牽制くらいにはなるだろうと考える。何にせよ、行動を起こすことはマイナスにはならないだろう。そう息巻く彼とは対照的なのが、自身の机でタバコをふかす那須原だった。キャスターマイルドの甘ったるい匂いに、ツキがえづきかけているのに、まだ気付いていない。
「あのなあ…… 前に俺が言ったこと聞いてただろう?」
「ええ。先生に任せておけってヤツですよね」
「そうそう。手すきの教員と、生徒会のやつ等にも協力してもらってるんだ」
「……」
一体どれほどの成果を挙げられているのか。問い詰めてやりたい気持ちがあった。ぐっと堪えたソラは、努めて冷静な声で言った。
「こっちの二人が……」
付き添っていたツキとヒナタ。順に目を配ってから、
「悪戯の被害にあったんです」
押し出すように言葉を繋げた。
「丸々一本、クソを放り込まれていたんです」
結局。言外に、見回りに懐疑的であると言っているようなものだった。那須原は顔を顰めたまま、短くなったタバコを最後に一口吸って、灰皿に擦りつけた。
「なるほどな、お前がやる気になってるから何事かと思ったら」
「……」
「確かに、例のアンケートってのは、ある程度内容は流動的だからな。現に年によって少しずつ違ったりする。そういう意味ではフレキシブルではあるが」
チェインスモーカーの彼は、再びソフトパックを揺すって、飛び出してきた一本を上手く口で咥える。百円ライターを取り出す。ヤスリの歯車が回り、砂利を踏んだような音がした。
「ふうう。正直、俺の一存でどうこう出来るもんじゃない。だが、まあ提案はしてやるよ」
「え?」
てっきり話の流れからして、すげなく断られると思っていたソラは、やや面食らう。那須原は理解のある教師ではあるが、それでも多少なりプライド(ソラから見れば、大人の体裁とも保身とも言えるようなそれらなど、唾棄すべきものであるが)があるはずだ。そこを曲げて協力してくれると言う。しかもだ。ソラの説明では、それが実効性のある方策と断言できるわけでもないのに。
「正直な…… 俺も、下らない悪戯だと甘く見ていた部分がある。だけどな…… あ、いや、なんでもない。とにかく、ケツに火がついたってこった」
いまいち要領を得ない所もあったが、那須原は「とにかく進言してみる」と確約してくれた。
そして、那須原が言いかけてやめた内容については、三人はすぐに知ることとなった。
あの日、傘にウンコを入れられていたのが、ツキとヒナタの二人だけではなかったこと。そして、それ以外の被害者のうち一人が、例の女子生徒同様に精神的に参ってしまい、学校へ出てこなくなったこと。それに関して、保護者から痛罵にも近い陳情が学校側へ寄せられたこと。
放課後、部室に集まった三人は、一様に神妙な顔をしていた。
「しかし、よくそんなホットな情報手に入れたな」
そう、その情報は、那須原も言葉を濁したように、現状部外秘の扱いだった。それを運良く(と表現していいのかは定かではないが)手に入れてきたのが、ツキだった。
「うん…… あたしもそこそこ仲の良い子だったんだ」
被害に遭った生徒とは、共通の友人を介して友誼を暖めている間柄で、今回の情報も、その共通の友人に話を聞いているうちに出てきたらしい。別段さぐりを入れていたわけではなく、あちらから話してきたということらしい。不登校となったその生徒から、彼女宛へ今朝方、メールがあり顛末を知ったということ。
人の口に戸は立てられないとは言うが、ツキに話してしまうのは、正直ソラとしては、その共通の友人に思うところがないわけでもない。だが、話を聞いているうち、その彼女自身も、親友の身に起こった不幸に、随分とショックを受けている様子だったということらしい。一人で抱えるにも、重たかったのかもしれない。そして、信用のあるツキに話を聞いてもらいたかった。そういうことなのだろう、とソラは一応の落着を自身の中でみる。
「お前は…… 大丈夫なのか?」
何の気なしに、ソラは口にしてからはっとした。幾らか無神経だったのではないかと。ツキにしても、自分に引き続き、知らぬ仲ではない人間がクソを引っかぶって不登校となったのだ。だが、ソラの心配は杞憂に終わる。多少は弱々しかったが、微笑を浮かべたツキの瞳は揺れていなかったから。
「うん。だって、ソラが捕まえるって言ってくれたんだもん」
「……そっか」
なんと言っていいかわからず、ソラは頬をかく。ヒナタに続いて、ツキもまた、例の宣言を喜んでいた。その事実に、面映いような誇らしいような。
「ソラ君、それで、次の一手はどうするんですか?」
割り込むように声をかけてきたヒナタに、ツキは一瞬、邪魔者を見るような瞳で応じたが、特に何も言わなかった。
「そうだなあ……」
窓の外を見やる。今日も相変わらずの雨模様。下校する生徒は皆、傘を差していた。ビニール傘が多いのは、没個性を好む日本人気質のせいばかりではないだろう。透明なら、何か異物を入れられていても、一目瞭然なのだ。
すっと目線を切ったソラは、ロッキングチェアーみたいに揺らしていたパイプ椅子を床につけた。
「今度は聞き込みだな」
「え? それはやったじゃんか。これ以上やっても、生徒じゃ知ってることも限界じゃない?」
怪訝そうなツキ。ソラはそんな彼女を流し見て、にやりと笑った。
「おう、良い線ついてるじゃねえか。そうだよ、今から聞き込みに行くのは、生徒じゃない」