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やって来た楠田彩香は、歳若いが化粧気がなく、着飾ってもいない。だが、手入れされた眉や、ネイルアートの入った爪を見るに、オンとオフで落差のある人間なのだろうと、ソラは寸評した。現に、異性であるソラをみとめて、「ちょっと、男の子が居るなんて聞いてないよ」なんて、ヒナタの肩を軽く小突いていた。口に出してしまう辺り、ざっくばらんとした自分の性格を利用した冗談なのだろうと、ソラは好意的に解釈した。
「うーん。見ただけじゃわかんないなあ」
袋の口から中を覗き込んで、最初のセリフはそれだった。一同が落胆しかけた時、彩香は何の躊躇もなく、袋に手を突っ込んでしまった。
「ちょっと、彩香さん、それ洗ってないですよ!」
ソラが慌てて制止するも、彼女は気にした風でもなく、中身を引っ張り出す。例のあっけらかんとした笑い声を上げながら、
「犬のウンチなんか慣れっこだって」
と、言ってのけてしまう。そして、蛍光灯の下に晒されたそれを、眇めるようにして見て、一度二度うなずく。
「多分だけど、ゴールデンレトリーバーと…… もう一つは、シバか、雑種かなあ」
「すごーい、わかるんですか?」
ツキは少しシンパシーがあるらしく、早い段階で彩香とは打ち解けていた。少し性格が似ている所があるかもしれない、とソラは感じていた。ツキがもう十年もすれば、彩香のような大人になるのでは、と。
「まあ、毎日のように毛並みの手入れやらされてっからねえ。命賭けろって言われたら嫌だけど、まあ多分見立てどおりだと思うよ」
独特の言い回しではあるが、科学的な鑑定をしているわけではないのだから、絶対とは言えないのだろう。それでもそこそこの自信があるということらしい。
「なるほど。ありがとうございます」
代表してソラが言う。
「けどさ。コレでどうするの?」
「何とかして、その二種の犬を飼っている生徒を絞りたいと思います」
「ふうん。でもどっちもご家庭で飼う分には一般的だから、そう絞れないんじゃない?」
「二頭以上飼っているってだけでも、そんなに居ないんじゃないかと。更に犬種までわかっていれば、そう多くは居ないかなと」
「でもさ。一頭だけ飼ってて、もう一頭のウンチは道端のを拾ってきたとか? 或いは犯人は自分では一頭も犬なんて飼ってなくて、両方とも道端のとか?」
「ええ、その可能性も勿論わかっています」
ソラとしても、トライアンドエラーは承知の上である。この絞り込みで犯人が浮き彫りになれば、それはめっけものだが、実際はそう上手くいかない可能性も重々わかっている。それでも、仮に成果が芳しくなくとも、一つずつ潰していくのは無駄ではないし、そうして得た失敗の情報が役立つ可能性もまたある。
「その…… 直接犯人に繋がらないかもしれないことに、彩香さんを付き合せてしまったのは、心苦しく思いますが」
貴重な休日にこれでは、恐縮するばかり。
「ああ、それは別に良いよ。たまには若い子と話さないと、どんどん老けてくしねえ。っていうか、ここまで足伸ばしたんだから、モール寄って行くよ。夏物ほしかったし」
ヒナタのマンションは駅近くで、駅前には最近出来た大型商業施設がある。
「そうですか? でもやっぱり申し訳ないなって思います。何かお返しが出来れば良いんですが」
「いいって、いいって。あ、でもお礼してくれるってんなら、ソラ君にデートしてもらおうかなあ」
冗談なのか本気なのかわからない調子で言う綾香。
「えっと」
返答に困るソラだったが、彩香の目が笑っていて、冗談だと悟る。そして、その笑いを含んだ瞳が見すえるのは、
「……」
「……」
妙な圧力を持ってソラを睨む二人の少女だった。
車に乗り込む彩香に改めて頭を下げた三人は、そのまま夕飯を食べに出ることにした。折角だから、彩香もどうかと誘ったのだが、「これ以上ソラ君を独占してたら、馬に蹴られかねない」なんて問題発言を残して、別行動となった。
雨雲も彼女が連れて行ったのか、暗くなり始めた空には、まばらに星も瞬いていた。
「しかし、何と言うか、パワフルな人だったなあ」
二人に挟まれるようにして道を行くソラは、車の走っていった方向をぼんやり見ながら言う。
「うん、でも良い人だったよね」
そこは議論を差し挟む余地がないとソラも思う。彼女からすれば、児戯にも映っただろうに、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれたのだから。
「ヒナタもありがとうな。お前が頑張ってくれたおかげで、ちょっと前進だ」
もう既に謝意は伝えていたが、あらためてソラはヒナタを褒める。そもそも、三人が食事をしようという話になったのも、ソラがヒナタを労うために飯でも奢ろうかと言い出したのが起こりである。そこにツキが乗っかり、じゃあ全員でと発展し、それぞれ家族にその旨連絡し、了承を得て、今に至るというわけだ。
「いえ。それは良いんですけど、でも、具体的には、この後どうするんですか?」
「まあ、色々と考えてはいるんだけどさ。回る寿司なんてどうだ?」
「いや、そっちではなく」
ソラの勘違いにそっと笑うヒナタ。
「絞り込むって言ってましたけど、具体的には?」
「あー、そっちか。それも色々考え中なんだけど」
「えー! ノープラン?」
「お前には言われたくないんだよ」
割って入ったツキの額を軽く小突く。
「まあ、まだ確定的なことは言えないけど、試してみたいことならあるよ。まあ…… とりあえずは飯だな。ヒナタ、何が良いんだ?」
「ステーキ!」
「お前じゃないってば。あと、お前には奢らないからな?」
「えー! 差別だー」
「何もしてないだろう、お前は」
わざとらしく頬を膨らませるツキ。苦笑いのヒナタ。道中、三人の間に沈黙が訪れることはなかった。