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昨夜から降り続く長雨は、放課となった今現在も弱まることを知らなかった。
窓ガラスに当たっては伸びていく雨粒をぼんやりと見やりながら、小窪ソラは長く尾を引く溜息をついた。
「それで?」
教科書を鞄に詰めている途中に掴まってしまい、結局部室に着くまで用件を聞かせてもらえなかったものだから、ソラの声にもいくらか不機嫌な響きがある。しかし、それと同時に、頭の中を諦念が支配していた。どうせ、どんな無茶な用件だろうが、自分を巻き込むのは、相手の中では決定事項なのだろうと。
相手、雛森ツキとは、小学生時代から続く腐れ縁で、幼馴染と言ってしまえば幾らか上等に聞こえるかもしれないが、ソラにとっては、疫病神と同義だった。
「捕まえるんだよ」
わかりきったことを聞くなという雰囲気で、ツキは言う。
「何を? ツチノコか? ネッシーか?」
ちなみに、ソラは冗談を言っているのではない。実際に小学生の頃に、一度UMA討伐作戦は敢行されている。もちろん、ツキの発案にソラが付き合わされる格好だった。
「あのねえ。あたしたちの活動内容忘れたの?」
「……なんだっけ?」
「探偵部でしょうが」
「そういや、そんなんだったな」
二人が所属しているのは、推理小説研究会。人数が少なくなって取り潰しとなりかかっていた部に、ツキが入部。さらに遅れて、ソラが入部。これもツキに請われる形だった。
ツキは入部に際して、既存の部員にひとつの条件を提示した。自分とソラの活動を制限しないこと。有体に言ってしまえば、部員数減少で消滅の憂き目に遭いかけている部を救ってやるかわりに、こちらには干渉するなということだった。ソラには、ツキの行動がわからなかった。好き勝手やりたいのなら、わざわざ部活に入らずとも、帰宅部で自分のやりたいようにやればいい。そういう忠言も勿論おこなったのだが、彼女は一蹴。なんか推理研と探偵って相性よさそうだから、という言い分に、更に頭を抱える羽目になった。
そんな経緯で、二人は推理研内、探偵部(仮)に所属するたった二人の部員ということになる。
「それで? 探偵部は何を捕まえるんだ? チュパカブラか?」
「ガッデム。探偵部が捕まえるって言ったら、決まっているじゃんか。凶悪犯だよ、凶悪犯」
「官憲に任せておけよ」
「何を言ってるの! それでも探偵部の副部長なの? キバが折れてしまっているの?」
「……凶悪犯っても、居ないだろうそんなの。ここ最近なにか事件あったか?」
ソラは眉間を揉みながら、ツキではなく、その向こうへ疑問を投げる。
部室内はカタカナのコの字型に木製の長テーブルが配置され、入り口に近い側が探偵部サイド、奥側が旧来の推理研サイドとわかれている。人当たりの良いソラは、推理研側の人間ともそれなりに関係を築いているが、ツキの方が向こうのボス、つまり部長と折り合いが悪く、引きずられる形で他の部員とも積極的に関わろうとしない。そんな冷戦状態が、エリアわけを助長してしまい、現状に至る。コの字の縦線に当たるテーブルはさしずめベルリンの壁か。
そんな西側では(主義のことじゃなく、単に方角の話である)ソラの声に、黙って文庫を読んでいた少女が顔を上げる。黒縁のメガネの奥で、丸っこいどんぐり目が小さく揺れた。相川ヒナタ。二人とは同学年だが、クラスが違う。ヒナタは顎に手を当てて、ちょこんと小首を傾げる。
「ええっと。記憶にはありませんね。東京の方で通り魔があったくらいですか。今朝方つかまりましたが」
血色の良い唇から紡がれる言葉はいつも整然としている。
「そっか、ありがとう。捕まったってよ。日本の警察は優秀だな」
ツキに向き直って肩を竦めてみせるが、肝心の彼女の方は心底納得いかないという表情だった。
「ちっがうよ! そんな三流犯罪者じゃなくて! うちの学園にも居るでしょうが。時代が時代なら賞金首ものの犯罪者が」
通り魔が三流かどうかは議論を差し挟む余地がおおいに有りそうだが、とりあえず、ソラは気になった部分を追求することにする。
「うちの学園に犯罪者? 聞いたことないけど」
「アンテナ! 君も栄えある探偵部の副部長なら、もっと色んなところにアンテナ張ってないとダメじゃん」
「テントなら毎朝股間に張っているんだがなあ」
「ひゃー! 下ネタ禁止」
赤くなってプリプリと怒り出す。彼女のこういう所がソラは憎めない。
「それで? 三度の飯よりセクハラ大好き、色欲魔人の俺より悪辣な性犯罪者ってのは?」
「わかってるならやめってってば!」
「大丈夫だよ、相手みてやってるから」
「何にも大丈夫じゃないよ」
ぎゃーぎゃーと紛糾しかけたところで、対面のヒナタが文庫本を閉じる音が聞こえる。
「ひょっとすると雛森さんが言っているのは、アレのことじゃないですか?」
「アレ?」
「ええ。ここ最近、下駄箱に置いてあった傘に悪戯される事件が頻発しているんですよ」
「ふうん」
「その犯人を捕まえたいって、雛森さんは言っているんじゃないかと」
水を向けられるが、ヒナタが会話に混ざってきた辺りから、ツキの口数は極端に減っていた。さすがに無視はしないのか、コクンと僅かに首を振って、ヒナタの推論を肯定する。そんな様子に、ソラはそっと首をすくめるが、すぐに気を取り直す。
「凶悪犯って言うから何事かと思ったけど、えらくショボイなあ」
「ショボくないよ。傘の中にウンチを入れてくるんだよ? 最悪だよ」
「うげ。それは地味に嫌だな」
「地味じゃないよ。派手に嫌だよ。気付かずに傘を逆さにして、頭からかぶった子も居るらしいんだから」
「ウンコが頭頂付近で弾けるわけか。確かにそれは派手だな。近くで見たら絶対わらう自信があるわ」
「笑っちゃダメだよ。女の子だったんだよ? ショックで学校やすんでるんだから」
「そっかー。それは大変だなあ」
「他人事じゃないよ。明日は我が身かもしれないよ」
「ううん、おれ折り畳みだしなあ」
「ヒドイ! 折り畳みだから関係ないって言うんだね。傘の骨がことごとくグニャッてなればいいのに」
そう言えば、とソラ。
「お前、確か普通のジャンプ傘だったよな? いい年して恥ずかしいキャラクターもののヤツ」
しかも生地の中央あたりに茶色いクマのプリントがあるので、閉じた状態で犬の糞を放り込まれたら、ちょうど保護色のようになって見つけにくいかもしれない。
「う、うぐ。あたし個人がどうとかじゃなくて! ほら、道徳心ってヤツ? 義憤だよ、義憤」
「糞害に憤慨ってことか。37点ってところかな」
「勝手に駄洒落にして点数つけないでよ。いいから。皆が困っているんだから、助けてあげると思って、ね?」
両手を胸の前で組んで、上目遣いに頼み込んでくる。ソラとしては、抵抗もここまで。過去の大恩の件もあるし、基本的に彼は彼女の頼みごとは聞くことにしている。長大息を吐くと、ソラは立ち上がる。同時に再び文庫が閉じられる音。
「話は纏まりましたね? では行きましょう」
「……お前が仕切るのかよ」
もう続きを書くこともなさそうな長編をリサイクルします。リサイクルのリサイクル