やがて、千年王国となる日まで
辛い。
『本当にあの方場の雰囲気を読まないわね』
『愛する二人を引き裂くような真似をして。なんて酷い』
『派閥も家柄の問題もないのなら、あの方である必要なんてないでしょうに』
苦しい。
『知っています? ああいうの、娯楽小説では悪役令嬢って言うようですのよ』
『まぁ、ぴったりではありませんの』
『もっとも、あの方にその自覚はないのでしょうね』
悲しい。
『もう少し、優しくしてあげればよろしいのに』
『お可哀そうに。同じ家では逃げ場もないでしょう』
『せめて、お茶会などに誘って心の憂いに寄り添うくらいはしてあげましょう』
『そうね、それがいいわ』
声を上げても届かない。
どうせ誰もマトモに聞いてはくれない。
最初こそ傷ついていたけれど、それがいつしか無駄な事だと思うようになって。
好きで、婚約しているわけじゃないのに。
どうして自分ばかりが悪者にされなければならないの。
言ったところで、無駄なこと。
それでも、心に降り積もった悪意は自分でもどうしようもないくらいになっていって。
もういいわ。
私がいなくなれば、それできっと話は終わるのだから。
そう思って、だから私は――
ごうごうと唸りを上げる河川に身を投げた。
晴れた日に外に出るには人目がある。
けれどその時は少し前から続いていた雨で、私が抜け出したところで誰も気付いたりはしなかった。
横殴りの雨に晒されながらも辿り着いた先は、いつもは美しい光景であるはずだったのに雨で荒れて、全然知らない景色に見えた。
でも、それが妙に救いに思えたから。
そのままぐっと身を乗り出して、あとは力を抜くだけで良かった。
落ちる。
落ちていく。
泥のような色の川が間近に迫って。
『どうしようもなくなったら、私のところにいらっしゃい』
「あ」
どうして今更思い出したのだろう。
思い出したところでもう遅い。
声は、ドボンという音と共に飲み込まれていった。
――空の青さとは裏腹に、女の心は曇りに曇っていた。
一体どうして。
そんな風に思う。
あの時確かに身を投げて死んだはずだ。
憶えている。
濁流にのみ込まれ、息ができなくなったあの瞬間を。
今更のように怖くなって、死にたくないと藻掻いて水底に沈んでいった身体を。
そうだ。
確かに自分はあの時に死んだはずなのに。
……どうして生きているのだろう?
もう一度死ぬ勇気はなかった。
ちょっと身を乗り出して落ちるだけでもとても怖かったのに、また死ぬような事をするなんてとてもじゃないができそうにない。
あのままだといずれ殺されると思ったから、だからそうなる前に自らの手で幕を引いた。
たったそれだけの事がとても恐ろしくて。
けれど、では。
自分で幕を引かないのであったならば。
次はきっと、私の事を邪魔だと思っていたあの人たちに殺されるのだ。
そう思っただけで、身体が震える。
愛する二人を引き裂く悪役令嬢。
そんな風に言われて悪意をぶつけられる事に疲れて、いずれ自分は本当にそういうものとして消費されるのだろうと思ったからこそ、そうなる前に逃げ出した。
令嬢としての生き方しか知らない自分が身一つで逃げたところでマトモに生きていけるとはとてもじゃないが思っていなかった。
平民となって暮らそうにも、そんなのはきっと無理だと思ったから。
だから死ぬ事を選んだのに。
死んだはずのあの日から、気付けば時が巻き戻っている。
どうせ巻き戻るのなら、婚約が決まる前なら良かったのに。
彼との婚約が決まる前ならば、自分ではなく妹を勧めたのに。
そう思ったところでどうなるものでもない。
ここで呆けてまた流れに身を任せるよりは、即座に行動するべきだ。
以前であればこの頃はまだ一人で着替える事もできなかった。
けれど、愛する二人を引き裂いた悪役令嬢と噂されるようになる以前から、少しずつ。
少しずつアリアの周囲からは人が遠ざかっていったので。
忙殺されそうな状況の中、頼れそうな人も遠退いてしまったから、だから自分一人でできるようにするしかなかった。
周囲の目は節穴だ。
自分が妹を虐めた?
そんな時間の余裕なんてどこにもなかった。
愛する二人を引き裂いて、無理矢理婚約者の座におさまった?
この婚約を決めたのは両家であり、そこにアリアの意思なんてなかったのに。
冷酷、冷徹。
そんな風に言われた事もあったような気がするけれど、あまりにもやるべき事が多すぎた。自分のことで手一杯だったにも関わらず、挙句に周囲のミスの尻拭いまでする事になっていたのだ。
心にこれっぽっちも余裕なんてなかった。
なのに周囲はもっと大目に見てやれだとか、勝手な事を言う。
自分だってそこにいなければそう言ったかもしれない。
婚約者も自分以上に忙しそうで、手が回らずに後回しになっている執務もいくつかあった。それをそのままにしていたら他にもっと困る人がいるのはわかっていたから、手を貸した。
婚約者だから。
いずれ夫婦になるのだから。
支え合うのは当然だった。
けれど婚約者は、アリアのそんな献身に気付く事なんてなかった。
アリアが気付いた時には既に、彼は妹と恋に落ちていたのだ。
あまりキツイ物言いをされては、あの方も息が詰まるわ。
もっと優しくしてさしあげては?
自分の方こそが彼を気遣えるのだとばかりに、知った風な口をきく妹を思い出す。
誰のせいだと思っているのだ。
忙しくさえなければ、自分だってもっと自由にのびのびと年相応の乙女でいられた。
息抜きの時間だってロクになかったのに、かろうじてできた自由時間で婚約者と語らおうにもそれを奪ったのは誰あろう妹だ。思い返せば昔から妹は要領よく美味しいとこ取りをしていた。
でも、もういい。
もういいのだ。
どうせまた同じ道筋を辿る事になるのであれば、今のうちにとっとと舞台から降りるに限る。
幸いにして、この時間帯、屋敷の使用人たちがどこにいるかを知っている。
多少の誤差はあれど、どういうルートで移動しているかも大まかに把握できている。
であれば、彼ら彼女らと出くわす事なくこの屋敷から逃げおおせるのなんて簡単だった。
そう、あの雨の日、屋敷から逃げ出した時だってできたのだから、今はもっと簡単にできる。
最低限の荷を持って、アリアは速やかに部屋を出た。
そうして使用人の誰とも遭遇しないよう動き、驚くくらいにあっさりと屋敷を出る。
気付けば時を遡って、心はどんより曇ったままだったけれど。
こうして屋敷を出た今は、その心に少しだけ光が差した気がした。
今はまだ、この空のように晴れ晴れとはいかなくても。
それでも前回に比べれば少しくらいは、自分のための人生を送ろうと心に決めて――アリアは石畳の道を軽やかに進んでいくのであった。
――アリアが屋敷から抜け出した一時間後、慌ててアリアの部屋にやってきた者がいた。
「お姉さまッ!?」
妹のエリスである。
既に起きて身支度を整えているだろうと思った姉の姿はどこにもなく、誰かがいたという痕跡も感じられない。
とっくのとうにいなくなった、というのがわかる室内に、エリスは何かを言おうとして唇を開くも、結局言葉は出てこなかった。
すぐさま踵を返して、手近な場所にいた使用人へ声をかける。
「お姉さまがいないの! 探して! 大至急よ!」
驚いた様子の使用人を見て、エリスは急いで! と声を上げる。
役立たず! と叫ばなかっただけの自重はできた。
朝起きて、目が覚めたら懐かしい室内だった。
夢を、見ていたのだろうか。
そんな風に思って、エリスはゆっくりと身を起こした。
いつもより少しだけ起きる時間が早かったらしく、まだ起こしにくる侍女は来ていなかったが、もし夢じゃなかったら……なんて思ってエリスは足早に姉であるアリアの部屋へとやってきた。
「お姉さまは、憶えている……」
無意識のうちに漏れた声は震えていた。
もし憶えていないのであれば。
次は間違えないようにしようと思った。
目が覚めた直後すぐには理解できなかったけれど、それでもボロボロになりながら身体を横たえたはずが、気付けば懐かしき生家にいるとなれば。
夢を疑ったものの、それでもすぐに起き上がったのだ。
もし夢ならばなんて残酷だろうか。
だが、現実であるのなら。
もしかしたら、やり直せるかもしれない。
愚かにもそんな風に考えてしまったのである。
時が戻る前、姉のアリアの婚約者であるケルヴィンにエリスは恋をしてしまった。
ケルヴィンは第一王子で、いずれ王となる存在。
姉はいずれ王妃となる……はずだった。
多分、だけど。
姉はケルヴィンの事を愛してなどいなかった。
愛が芽生える以前の話だったと言ってしまえばそれまでだが、相性も良くなかったのかもしれない。
アリアの言動の些細な部分にケルヴィンは苛立ち、衝突こそしないものの二人は積極的に言葉を交わそうとはしていなかった。
どちらが悪い、とかではなかった。
きっとどちらも悪くなかったし、どちらも悪かった。
互いの言い分を聞けば、きっとどちらの言う事にも一理あるなと思うだろうなとはエリスだって思ったくらいだ。その上で、よりどちらに寄り添えるかでどちらがより悪いのか……周囲はそんな風に判断するのだろうとも。
エリスは姉に寄り添えなかった。
いつだって澄ましたようになんでもソツなくこなす姉。
王子様の婚約者に選ばれた事だって、当たり前のように受け取っていた姉。
それはエリスがケルヴィンに恋をしてしまったから、余計にそう思えたのだろう。
ケルヴィンの目から見た姉は、冷たい女だった。
今なら冷たくなるのも当然だとわかってはいる。
ケルヴィンに恋をして、またケルヴィンもエリスに心を寄せて。
けれど婚約者は姉のアリアで。
婚約者を決める段階であったならまだしも、決まって周知させた以上簡単に挿げ替えなどできるはずもなく。
それでも想いを無かった事にできなくて、互いの心の欠けた部分を埋めるようにケルヴィンと共にいた。
それがいつしか周囲で真実の愛なんて言われるようになったのを、エリスは良しとしてしまった。
この噂を利用して、上手い事自分が彼の婚約者になれないかと目論んでしまった。
姉へ向けられる心無い言葉。噂を振りまく周囲の、意図的な悪意と無自覚な悪意。
それらをわかった上で、エリスはケルヴィン側に寄り添うように、彼から見た姉が真実であるかのようにちょっとだけ、そう、ちょっとだけ姉が冷酷な人間であるかのように話を盛った。
別に虐待などされてはいない。蔑ろにされた事もない……というか、いずれ王妃になるべくして忙しい姉と、家の跡継ぎとなる自分とでは、関わろうにもそんな余裕はなかった。
だからあからさまに話を作ったわけでもなく、ちょっとだけ。
姉の話を聞いた側がちょっとだけ姉に対して悪感情を持つかもしれないように話を運んだだけだ。
あとは噂好きな人々が娯楽とばかりに周囲に噂を振りまいただけ。
そして面白おかしくその噂にある事無い事付け加えただけ。
エリス自身は、やってもいない悪事を姉がやったなんて一言も口に出したりはしなかった。
エリスが直接危害を加えた事など一度だってないけれど。
それでも他人事として周囲はアリアへ悪意を向けるようになったのを放置していた。
いつだって落ち着いていて、何があっても心を揺らす事のないと思っていた姉だが、それでもやはり姉も人間であった。
降り積もった灰のように心にこびりついた大小さまざまな悪意は、姉の心を蝕んで。
ある日姉は城を抜け出し大雨で氾濫しかけていた川へと身を投げた。
死体が見つかったのは、数日後だ。その頃には姉の亡骸は酷い有様であったようで、エリスが直接見る事はなかった。
今まで二人の仲を引き裂く悪の女として噂されていた姉は、最初こそ命を捨てて身を引いたなんて言われて危うく美談のように語られるようになっていったけれど、しかしその噂は別の噂に塗り替えられた。
このままでは結ばれる事がないと思ったエリスとケルヴィンが、邪魔者である姉を亡き者にしたのだという噂だ。
エリスとしては姉に死んでほしかったわけではない。
現にあの後、とても大変だったのだ。
王家との話し合いで、ケルヴィンの新たな婚約者にエリスが選ばれた。
エリスは本来姉が嫁いで家を出るからこそ、家を継ぐ予定だった。
そのための勉強はしていたし、落ちこぼれだったわけでもない。
だから、姉のかわりに自分が王妃となる、という未来を想像して自分にもできると思ってしまった。
だが、ケルヴィンが即位するまで時間は僅かだ。それまでに王妃として、ケルヴィンの隣に立っても問題のないようにならなければならない。
姉と比べて与えられた時間は圧倒的に少なくて、そうしてエリスが考えていた以上に、王妃となるために必要な知識は膨大だった。知識だけならまだしも、経験も乏しい。
所作などは問題ないと思っていたが、しかしやはり王家が必要とする、求めている基準はエリスをそのままではいさせてくれなかった。
それから、何かあるごとにアリアと比べられるようになった。
当然だろう。
今までは土台が違った。
片やいずれ王妃になる女。片や家を継いで貴族として生きていく女。
似ているようでこの差は大きい。
いっそ何もかもが違っていれば、比べられたところでどうという事はなかったのかもしれない。
けれども、その差は一見すればそこまでのものではなかったのだ。
だから余計に比べられた。
姉がやたらと優れていたわけではない。
仮に姉が80点だとすると、エリスは78点といったところだろうか。
そういう風に考えれば、そこまでの差は些細なものだ。
だが、その些細な部分を周囲は大袈裟に捉えた。
愛する者と結ばれる事を許されたのだから、むしろ姉以上にできなければならなかった。
劣った妹は姉を排除しなければこうはならなかったのだから……と、新たなおもちゃを見つけたみたいに一部からは面白おかしく噂されるようになった。
姉が城を抜け出し身を投げた事については、書置きが残されていたわけでもない。
だがエリスは何となく姉は自らの意思で出ていったのだと思っていた。
実際部屋が荒らされた様子もなければ、誰かが侵入した形跡もなかったからだ。
それでも、一部は侵入者を疑ったし、凄腕の暗殺者をエリスたちがけしかけたのだと勘繰る者だっていた。
天国から地獄、という程の落差はなかったが、しかしずっと針の筵みたいな生活だった。
ケルヴィンとの仲も微妙にぎこちなくなって、ぎくしゃくしたものになっていって。
こんな事になるのなら、秘めた恋のまま、相手を想ったままそっと恋を心の奥底にしまい込んで忘れるべきだったのだ。美しい思い出のままであるべきだった。
そう思ったところで後の祭りであるのは言うまでもないのだが。
王妃になったあともエリスの休まる日はほとんどなかった。
毎日くたくたになって、寝台に倒れ込むようにして眠って。
起きても前日の疲れが残ったまま、毎日心か身体のどこかが軋んでいるようだったし、何かが削られていくような感覚が続いていた。
それでもこの道を選んだのは自分たちだ。
だから、どれだけ辛くても諦めてはいけない。
そう思って、それでも心の中だけではやはり後悔もして。
いつものように眠りについたはずだった。
だが目覚めてみればすっかり見慣れてしまった城の一室などではなく、かつて自分が過ごしていた部屋で。
今度こそ間違えないと決めたのに。
姉は、姿を消していた。
どうして時が戻ったのかは知らない。
だが、あれは神様が見せた間違った未来なのではないか。
であれば、今度こそは。
ケルヴィンへの想いを封じ込めて、本来の――姉とケルヴィンが結婚し、自分は家を継いで婿を取る道を進めばいいのだと思っていたのに。
時が戻ったものの、しかし既に姉とケルヴィンとの婚約は結ばれている。
姉が失踪したからとて、エリスがまたケルヴィンの婚約者となるのは避けたかった。
理由も何も残さずに失踪した、となればこちら側の瑕疵となるだろう。
であれば、今度はエリスが選ばれる事はないかもしれない。
前は、エリスがケルヴィンと婚約しなおした後、家については親戚が継ぐ形となっていたけれど。
王家に泥を塗るような形になってしまった以上は、流石にエリスを選んだりはしないだろう。
仮に選ばれたとしても、今のエリスであればその未来をどうにか回避するのは可能なはずだ。
他にもケルヴィンに淡い憧れや想いを抱く者はいた。
そういった家に話を持ち掛けるか、もしくは――
血が近いから、という理由で除外された家。
そちらに話がいくかもしれない。
かつての王族が臣籍降下した公爵家。
王家の血を完全に絶やさないように、との理由から、何代かおきに王家から嫁や婿が送られている家。
立て続けに王家の血を入れるとなれば血が濃くなりすぎるという心配はあるけれど、それでも他に適任がいないのであれば――
そこまで考えて、エリスはその考えをそれ以上広げないよう、そっと頭を振った。
もし、エリスに婚約者の変更という話が仮にきたとして。
その時にうっかりそんな事を言いだしてみろ。
下手をすれば王家だけではなく公爵家までもが敵になりかねない。
その提案をするのは自分ではない。
自分が万一うっかり口を滑らせてしまわないように、今思い浮かべた事は速やかに忘れる必要があった。
その考えが正解だったのかまではわからない、が。
姉の行方は杳として知れないままだったし、エリスが代わりにケルヴィンの婚約者に、という話にはならなかった。少しばかり家の立場が傾きはしたけれど、それだって根底から揺らぐ程ではない。これくらいならば、父が、いずれ家を継ぐ自分が立ちなおすのは充分可能だ。
噂話が少しばかりうるさくはあったが――
それとて、他に新たな話題がやってくればいずれは消えていく。
「――婚約者は他の家の令嬢に決まった」
「そう」
「次はどうなるだろうか」
「さぁ。少なくとも前と同じにはならないでしょう」
二人の関係をどう言い表せばいいだろうか。
共犯者。同盟者。運命共同体。
そういった言葉が恐らくはしっくりくる。
王家の最初、かつての建国王の伴侶は聖女とも魔女とも呼ばれていた。
不思議な力を操る王妃に支えられ、王は国を成長させ、二人の間に生まれた子にも不思議な力は引き継がれたと言われている。
だがしかし、その力は必ずしも受け継がれるものではない。
消えたと思えば蘇り、また消える。
元が王妃の力だったからか、力が発現するのは女性に多かった。
だからといってこの国の長が女王となるわけではない。
現にこの力を今持っているのは、臣籍降下した王弟の子である公爵令嬢、ルーシーだ。
王家の人間の特徴を色濃く継いでいるのはケルヴィンで、ルーシーはかつての聖女――もしくは魔女の力を継いだ。
ルーシーの力でもって、ケルヴィンは既にこの時間を何度か繰り返している。
王家どころか国が崩壊する未来を回避するため奔走し続けていた。
その努力も虚しく国は滅亡。
死の間際、ケルヴィンはルーシーの力で時を遡った。
それを何度も繰り返した。
滅ぶまでの時間は伸びている。けれども滅ぶ以上は、その未来は回避せねばならない。
「今回は二人の記憶は残されているのだろう?」
「えぇ。そうじゃなければ、婚約は決まりまた同じ結末を辿るもの」
「そうか」
「あぁそれから、アリアはこちらで保護をしたわ」
「そう、か……」
「彼女が前回命を落とす前に告げておいたのを頼りに……ね。私が前を憶えている事に疑問を感じはしたみたいだけど、王家に伝わるこの秘術についてを知る事はないでしょう」
「そうだな。知ったところで誰にでも扱えるものではない」
「えぇ」
「以前の事を憶えているからといっても、全く同じというわけではない。それは前回と異なる行動をする者がいるからで、前回の危機を乗り越えても新たな危機が訪れる。
……これ以上は繰り返したくはないな」
「では、もし次破滅が訪れるのであれば、諦めますか?」
「まさか」
「知っています」
否定するだろうなというのは最初からわかっていた。
「彼女は」
「アリアでしたら名を変えて、うちの使用人として働いてもらっておりますわ。
周囲は訳ありと見ていても、彼女が貴方の婚約者だったとまでは気付いておりません。
私が気付かせていないというのもありますが」
「そうか……」
「もう少しして落ち着いたら、彼女の今後についても別の道を示す事は可能でしょう」
「滅びさえしなければな」
「そうですわね」
「そろそろ行くよ」
「えぇ、お気をつけて」
「そっちも」
別れの挨拶はあっさりとしたものだった。
既に何度も繰り返したやり取りだからというのもあるが、互いに別れを惜しむ程でもないとわかっているからだ。
そうしてケルヴィンが立ち去った後、少ししてからルーシーも立ち上がった。
用意してあった茶には手を付ける事もないまま、すっかり冷めてしまっている。
「大丈夫よ、何度だって繰り返してみせるわ」
カップの中のお茶に、自分の姿が映っているのを見ながら小さく呟く。
かつての聖女、あるいは魔女の血を引いた子に力が出る、と王家では伝わっているが実際は違う。
ルーシーこそが、かつての聖女であり魔女と呼ばれた建国王の伴侶の生まれ変わりだから力を使えるに過ぎない。歴代の力を行使できた者たちも、姿こそ違えど中身は一緒だ。
彼女は最初から最後まで、愛する者のために力を行使しているだけだ。
この国が末永く続くようにという願いを叶えるために。
そのためならば、何度だって時を戻してやり直す事も厭わない。
「大丈夫、この国はずっと在り続ける。貴方が望んだ通りに」
愛した彼が創った国。
未来永劫、在り続けるためならば自身の力がどれだけ消費されようとも構いやしない。
この国が終わりを迎えるのは、自分の力が使えなくなり時を遡れなくなった時か、どう足掻いても終焉の未来が避けられないとなった時だけだ。もしかしたらその時はきっとこの国だけではなく、世界そのものが終わりを迎える時かもしれない。
だが少なくともその時までは――
「大丈夫よ、続かせてみせる」
まるで誰かに誓うかのような呟きは、誰の耳にも届かなかった。
次回短編予告
ナディアの妹マリアはよくナディアの持ち物を欲しがった。あげられるものはあげたけど、どうしてもあげたくないものだってある。けれどマリアはそんな時に騒ぎを大きくして、ナディアがマリアを虐める嫌な姉であるかのように仕立て上げた。
奪われるばかりの姉と奪う妹の行きついた先は――
次回 なんでも奪う妹に奪われる側になってもらった
消極的な胸糞系を目指しました。




