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或る少女とその生死について

作者: 石魚
掲載日:2025/12/17

※この小説は、ゆめたろう様作CoCシナリオ『透明となった君へ』の二次創作作品です。内容にネタバレを含んでいることに留意してください。この作品は「作品内の小説家が書いた小説」として書いています。


鳥は飛びます。

クレープは巻かれます。

人は生きます。


人は生きているのでしょうか。

人は生きているとみんなは言います。

では鳥は生きているのでしょうか。

鳥も生きているとみんな言います。

鳥は飛んでいるし生きているのだというのです。

しかし鳥は飛んでいて、生きていないという人はあまりいません。

人はどうでしょうか。

人は動いているのに、生きていないということがあるでしょうか。

人はどのようにすれば生きられるのでしょうか。

生きるとは何なのでしょうか。


仕事に追われ、責任に潰され、「死にたい」と嘆き佇む人がいます。

彼は動いているだけで生きていないのでしょうか。

あるいは彼を仕事で追立て、責任で潰す人たちの方が生きていなくて、彼はほんとうはとても生きているのでしょうか。

生きるとは何なのでしょうか。


店の中で何を買うべきか忘れただ惑う老婆がいます。

彼女は惑うだけで生きていないのでしょうか。

あるいは即決を是とし、喜びを走り去る人たちの方が生きてなくて、孫を思い過去を懸命に探る彼女はとても生きているのでしょうか。

生きるとは何なのでしょうか。


死んだ人間は、生きていないのでしょうか。

それは死んだから、生きられなくなったということでしょうか。

では生きている人間は死んでいないのでしょうか。

生きるとは何なのでしょうか。


「在る」ことと「生きる」ことはある面から見ればとても隔たっているもので、またある面から見ればとても同質的なものなのかもしれません。

今もし我々が「在る」のであれば、「ない」者たちは我々を見てどう思うのでしょう。

あるいは「在る」とは何なのでしょうか。


私の中で、彼女は「在る」のです。

彼女の中では、もしかすれば彼女は「ない」のかもしれません。

彼女が、彼女のために「在る」ことを、そして「生きる」ということを信じてくれるのであれば、私はそれで満足です。


この文は彼女が「在った」ことと、私が「生きる」ために書いた文です。




ある夏の日の朝、私は彼女の呼ぶ声で起きました。

年若く、また京都中に響き渡るような大きな声でした。近くは四条河原町から果ては滋賀は琵琶湖まで届くのではないかと思ったほどです。

二日酔いの頭痛の中よたよたと起きてみれば、私の布団のそばに女学生と見える少女がちょんと座っておりました。

歳は14か5といったところでしょうか。セーラー服に身を包み、まだ幼さの残るあどけない顔から若さの象徴のような溌溂とした声が聞こえます。

缶ビールの空き缶や丸まった新聞紙、食べ終わったカップ麺のゴミが床に放置されている私の部屋にはとても似つかわしくない存在です。


彼女は寝起きで頭も働いていない私に言いました。

「私がどうして死んだのか、一緒に調べてほしい」と。


彼女は既に死んでいました。

いわゆる幽霊という奴です。記憶も失っているようでした。

立ってみれば足がなく、凝らして見れば確かに奥が透けて見えます。

幽霊を見たのは生まれて初めてでしたが、これほどはっきり見えるものかと感心したほどです。

しかしどうやらはっきりと見えているのは私だけで、そのほかの人にはとんと見えていないようなのです。声も、動きも、なにもかも、彼女の発しているものを感じることができるのは私だけのようでした。

私以外の、この世界に対して透明になってしまった。ただそれだけのことが彼女に起きているのだと私は感じました。



それから彼女と彼女が死んだ理由を探す旅に出ました。

とは言っても彼女は京都から出られないようでしたから、京都の、それも彼女の思い出せる数か所をめぐって見るというものでした。

彼女は幽霊というにはあまりにも活発で、一度街を歩けば甘味の匂いに釣られて喫茶店に向かってしまうような女性でした。幽霊になっても腹は減るようでよく菓子をねだられるのです。私はそのたびに仕方なく2人分の甘味を購入していました。

彼女は特にクレープが好みのようでした。大文字山のように積み上げられたクリームを口に貼り付けながら、大きな口でクレープを頬張っていました。あまりに目を輝かせて食べるものですから、これでも死んでいるのかと疑ってしまったほどです。やはり彼女は透明になっただけなのではないかと、またそう思いました。



ある日、彼女の死んだ日の情報でもないかと図書館に向かいました。

何分あまり図書館になど行かないので、調べ方も分からず大した情報も得られずですっかりやる気を失ってぶらぶらと図書館の中を歩いていると、彼女が一冊の本を随分真剣に読んでいるのが目に入りました。

なにか手掛かりでも見つけたかと思えば、それはある人物の名言集でした。

私はなんだか面白くなってしまって怒る気すら失い、彼女が気づくのをすぐ後ろで待っていました。

ふと後ろから本の中身をのぞいてみると、そこにはこう書いてありました。


「生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである」


彼女はそのページを開いたまま、しばらく考え事をしていました。

いつも活発な彼女とは違う、思い悩む表情でした。

少しして痺れを切らした私は彼女に話しかけました。

彼女はとても驚いたようで、少し慌てたような様子を見せて、それからいつもの彼女に戻りました。彼女の中には、まだ本の中の言葉が残っているようでした。


家に帰って買って帰ったケーキを食べながら、彼女と来世について話したことがあります。

彼女は鳥になりたいそうです。

幽霊なら鳥にならずとも飛べるだろうと私が言うと、彼女は実際にやって見せてくれました。

彼女がむんと力を込めると、ちゃぶだいの少し上までゆっくりと浮き上がり、それからまたゆっくりと降りてきました。これでは飛翔ではなく、浮遊です。

どこぞの宗教家になるのが関の山だなと、すこし笑えました。

彼女は鳥になったら、私のところに餌を貰いに来るそうです。

今の私の家には満足なものもありませんから、鳥でも食べられるものを用意しておかなければと、そう思いました。



それから少し後のことです。彼女が死んだ理由が分かりました。

偶然彼女の母親に会うことがあり、後日死んだと思われる場所にあった遺留品を見せて貰ったのです。


彼女は足を滑らせて、あるいは強い風に吹かれて死にました。ビルの屋上からの転落死でした。


あまりにもあっけなく、どこにでもある死に方です。物語のような壮大なドラマの中の、劇的な殺人劇のような、目を引くようなものではありません。ただ誰の目にも止められず、一人死んでいました。


実は少し前にも同じようなことが起きていました。彼女の友人が、列車に轢かれて死んだのです。


詳細を語ることはできません。語らないのではなく、知らないのです。


ただ女学生が一人、自ら電車に飛び込んで死んだのです。彼女と同様、あまりにもあっけなく、どこにでもある死に方です。


だから我々は知らないのです。だからあなたは知らないのです。


しかし彼女の友人の死はきっと、彼女の死よりも少しだけ多くの人が知ったでしょう。電車のダイヤの乱れやそれによる損失、あるいは飛び散った遺体の回収に葬儀の手間。そういった自分ごとの中で、彼女の友人の死を知ったでしょう。


当然です。自分の損失は自分ごとで、他人の死は他人事ですから。顔も知らない人間の死を、どうして心から悼む事ができましょうか。


ただ、彼女はそれが許せなかったのです。


ビルの屋上のふちに立ちスマートフォンで配信しながら、「今から死ぬ」と宣言して注目を集めようとした上で、彼女は世界への不満を叫びました。


一体何人の人が配信を見たでしょうか。何人の人が彼女の言葉に耳を傾けたでしょうか。


その後、彼女はビルから落ちて死にました。足を滑らせて、あるいは風が強く吹いただけで、彼女は死にました。


そうして私の前に現れて、今は私の後ろで私の小説を手伝っています。彼女は未だ半透明で足がないままです。


彼女は本当に死んでいるのでしょうか。


私の作った食事に文句を言う姿も、私の隣で友人の話をつぶさに語る姿も、私の布団で小さく寝息を立てて横になる姿も、まるで生きているようにしか見えません。


それでも彼女は死んでいるのです。彼女は少し、透明になっているのです。



ある朝私が起きた時、彼女の姿はありませんでした。


散歩にでも出かけたのかと思って、いつも通り朝食のそばとうどんを茹でました。準備ができて少し待っても帰って来ません。このままでは麵が伸びると一足先に席について食べ始めようとしたとき、見慣れぬ文字と絵が原稿の端に書いてあるのが目に止まりました。


震えた文字で「がんばれ」と、そして下手くそな鳥の絵が書いてありました。


どうやら彼女は鳥になったようです。


カーテンが風で揺れて、暖かな朝日が部屋に差し込んでいます。


私はなんだかお腹がすいて、用意したそばもうどんもあっという間に食べてしまいました。ただ2人分の朝食は少し多いなと、そう思いました。




私の思う「彼女」としてのあの少女はもう透明になってしまいました。


それが本当に「死ぬ」ということなのかもしれません。


しかし彼女は確かに「生きて」いました。


世界が彼女を透明にしたかどうかが問題なのではありません。


私にとって透明になるあの日まで彼女は確かに生きていました。



生きるというのは、とても難しいことです。


電車に飛び込んだ彼女の友人の死は、知らない人からすれば些末なことです。ただ死んだだけの情報です。


しかしあの踏切を超える勇気とその勇気を持つに至らせた彼女のそれまでの人生は、間違いなく生きていると呼ぶに足る、人間生命の根源たる尊さです。


そして友人の死を思い、嘆き、それを「死んだ」とする世界にしかと反抗する彼女もまたとても生きていたのです。


彼女の読んだ本の中でオスカーワイルドは言いました。


「生きるとは、この世でいちばん稀なことだ」と。


一方でソクラテスは、人間の根源にある美徳を「善く生きる」ことだと言いました。


「生きる」事は、とても難しく、一番稀なことで、しかしそれでも我々人間の美徳なのです。我々人間がその根底に持っているものなのです。


彼女たちは確かに生きていました。生きて、在ったから私はこれを書いているのです。


もしかすると、あなたは今自分を死んでいるのではないかと疑っているかもしれません。あるいは他人から死んでいるとみなされていると思うかもしれません。


でもそれは少し見えなくなっているだけです。あなたも、確かに生きています。きっとそれを忘れないことが、生きるために重要なのです。


最後にどうかお願いです。


彼女と、彼女の友人が、間違いなくこの世界で生きていたことを、どうか忘れないでいてください。どうか彼女たちを死んだことにしないであげてください。


この話を読んだあなたが明日を生きてくれれば、それはできるのです。多分人は有史以前から、そうやってきたのだと思います。


どうか、どうか忘れないでください。


あなたの明日を、心から願っています。


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