いざ冒険へ
「戻ってきた!? アルバおかえりっ、よかったあぁ」
私が目を開けると、石造りの天井が見えた。
シャグマは寝巻き用のシャツとズボンの上に白衣を着た姿で、ベッドに横たわる私の手を握りながら、後ろへ振り返っている。
口髭を蓄えた先生がさまざまな医療器具を私の足につけていたけれど、気付いたらしく放り出して夫の肩を叩いた。
「弟子、こちらも起きたぞ!」
「えっ……本当だ! ラフィネル、気分は? 具合悪いところはない?!」
「医務室か……すまない、大丈夫だ。心配させて悪かった」
アルバが本の中で言っていたように先生も大臣も、夫たちも大騒ぎになっていたらしい。
ベッドに起き上がると、今日も整った口髭の国王専属医の先生にはすぐさま頭を叩かれた。痛い。
「心配させおって、この馬鹿娘!」
「先生、痛い。悪かった。つい夢中になって体の感覚を切ってしまったんだ。もうしないから許してくれ」
空腹や疲れ、眠気などの情報が邪魔になったので、身体感覚を切り離して本の世界を堪能してしまったのだが……とにかく怒られた。
理由はわかるので黙ってお叱りを受けると、先生の『体の状態を何でも見通せる目』で状態を確認してもらったアルバも、ベッドのそばに用意されている見舞い用の椅子に座った。
書務大臣も控えているので、彼の能力で本の世界に入れてくれたのだろう。
先ほどの戦いなどは本の世界の話なので、アルバに服の破れや汚れなどの名残は無くなっているが、可愛らしい顔を険しく顰めているのはそのままだった。
「ラフィネル」
「はいっ」
調整前のドラゴンすら倒してしまった男が、目の前に座っている。
あまりの強さに感服したのもあって、素直に先ほどまでのことを詫びるつもりで頭を下げた。
大臣がいるからわずかに俯く程度になったが、アルバは気持ちを理解して溜め息を吐いている。
「説明してもらえるな。君が本の中で何をしていたのか」
頷くほかない。
シャグマが本を渡してくれたので、開いて見せた。
「物語を書いて、中で遊べる本を作っていたんだ」
茶色い背表紙の本で、一番後ろの頁には私の署名が入っている。
「この本は妖精の能力が込められた特別な物で、所有者欄に名前を書いた者が、中の世界を自由に作成出来るようになっている」
『世界創造が体験できる』などと、昔、話題になった本らしい。
中に入ると用意された命令を駆使して、生物を出して配置し、物語を書くことができる。
一冊につき一つの目的しか書けないが、自由度が高く何でもできる……それこそ先ほどアルバにやって見せたように、ドラゴンを望むままに出して、強さを調整することも可能だ。
アルバは私の説明を聞いて、腕組みしたまま黒の瞳を鋭くした。
「ボクは君が閉じ込められたのかと思っていた。
しかし……自分で簡単に戻ってこられる代物だったのか」
「そうだ。『栞を挟んで本を閉じる』という命令を使えば、本の外に出られる。
それにこの本は入ってから一日経つと溜め込んだ力を失って、持ち主を入れていられなくなって吐き出すんだ。
私も……寝たまま明日になっていても、仕事の前には起きていたと思う」
だから遊んでいていい、なんてことはない。
妻が何をしても目覚めないなんて大事になって、アルバは相当走り回ってくれただろう。
私の隣で台車に医療器具を片付けているシャグマも、過去に苦い経験をしている。かなり心配させてしまったはずだ。
「つまり、遊びに出たまま夜になっても帰ってこない子供を迎えに行かされていたのと同じことだ、ということか」
「うん。……驚かせて、心配させて、ごめんなさい」
本の世界に耽った結果、気づいたら夜になっていて、しかも迎えに来たアルバを前にしても「調整を手伝ってくれ」などと頼んで、まだ遊んでいたのだ。冷静になると酷いことをしている。
訳のわからないままドラゴンと戦わされた男はため息を吐いたが、それでも困ったように微笑んで……頭を撫でてくれた。
「君に何もなくて、良かった」
アルバの低い声に、何も答えられなくなって頭を下げた。
優しくて大きな指が、桃色の髪を梳く。
俯く私の顎を軽く指先で持ち上げさせると、童顔でいつまでも若く見える夫は、安堵した様子で笑っている。
「反省しているのは分かったし、……ならもう良い。これ以上、叱りはしない。
先生と大臣殿には、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、私も慌てて送った後に『明日まで待てば良かった』と気付きまして。
むしろアルバ様に、ご迷惑をおかけしました……」
立ち上がってお詫びとお礼を伝えているアルバを見て、ますます申し訳なさが募る。
……書務大臣の能力で入ったのだとしたら、広大な世界を前に、私一人を当てもなく探すなんてことになり途方にも暮れただろう。
初期登場地点をただの平原にしてあったのに、それでも見つけようとしてくれたし、戻ってきたから良いと許してくれた彼の優しさが、一番胸に堪えた。
ようやく片付けを終えて戻ってきたシャグマも、アルバの隣に立つと、腕の中に抱き寄せてくれた。
何も言わずに抱きしめてもらっていると、彼がどれだけ不安だったのかも伝わってくる。
「心配させて悪かった、シャグマ」
「……いいよ。無事に戻ってきてくれたのを見て、俺もほっとした。
でも、もう黙って行かないで。一生懸命本を作ってたのは分かったけど……君が戻って来なかったらと思うと、怖いんだ。
次からは誰でもいいから、連れて行くことは出来ない?」
私がこの本を作る理由を、彼らには伝えていない。
……何を書いてもいいのに、冒険物にわざわざ仕立てた本。
シャグマが私から体を離すと、膝の上に置かれていた茶色い装丁の本を持ち上げて広げた。
意図を語るのは恥ずかしいけれど……彼を悲しませるくらいなら正直に言った方が良いと判断して、口を開いた。
「お前たちと冒険に出かけたかったから、内緒にしていたんだ」
目を見張られたが、事実だ。
この茶色い本には、私の夢を閉じ込めている。
……大国の国主として、私は長く国を空けられない。
危険な目に遭うわけにはいかない。
冒険なんて、許されるはずがない。
でも夫たちだけで外遊に出すと、彼らは様々な冒険をして帰ってくる。
パルムクル王国の英雄レイト王との真剣を使った勝負や、巨大な猪退治のお話。東方諸国の旅のお話。
聞くだけしか出来なかった心躍る冒険譚が、帰ってくるたびに夫たちには増えていく。
私も、アルバの実力が見たい。
シャグマはきっと冒険をたくさん手助けしてくれて、楽しいはずだ。
夫たちと、色んなところを旅して回りたい。
――本を作ってその中で冒険して遊べるなんて話は、長い外遊すらままならないこの身には、とてつもなく魅力的な話だった。
「お前たちと色んなところを旅しながら、一緒に笑えたらな、と思って作っていたんだ。
だから中途半端に見せたくなくて……連れて行けなかった」
結果、迷惑をかけてしまったけれど。
どうしたら楽しんでもらえるだろうと、一生懸命考えながら作っていた。
「大人が試して遊びきれたら、子供たちも招いて一緒に冒険に出るのもいい、と思って作り込んでいて。
一緒に作っていたら驚かせてやれないと思ったから、一人でこっそり作っていたんだ。
……秘密にしていて、すまなかった」
見舞い用の椅子に座るアルバが「本を見たい」と言って手を差し出したので、隣に立つシャグマが渡した。
黒髪を俯かせた少年は頁をめくっているが、前書き以外は何も書かれていない。
……ここから先の物語は、遊びながら書かれていくものだ。
白紙がすぐに出てきたので、鋭くも見える黒の瞳がじっと私を見詰めた。
「君の監修する遊びだから大丈夫だとは思っているが、懸念があるから今のうちに解消しておきたい。
中で戦わされたが、あれで命を落としていた場合はどうなるのか。製作者などの安全は担保されているのか」
アルバは私の護衛もする。
先ほどドラゴンと戦った時にも、死の危険を感じただろう。
当然の疑問に、私も頷いた。
「安全は確保されている。本は『物語』で『現実』とは別のお話なんだ。
中で戦って冒険中に命を落としても、時間経過で蘇るようになっているし、そのまま物語を出ることもできる。
お前も本の中ではシャツが破れていたと思うが、今は戻っているだろう」
「あ、あのっ。誰もが一日経てば本の中から、必ず吐き出されます。
私の能力で入っても、同じく危険はありませんっ」
書務大臣も慌てながら『説明は正しい』と補足してくれた。
アルバはその言葉を聞いて、私に本を差し出した。
「そうか。……なら問題はないな。
内緒にしたいなら、してもいい」
黒髪黒目の夫が笑みをこぼす姿を、信じられない気持ちで見つめた。
私と見つめあって照れくさそうに目を逸らした彼が、瞼を閉じた。
「君は物作りに集中し過ぎただけなんだろう?
反省したのなら、妖精女王ラフィネルは二度同じ過ちはしないと信じている。
冒険を一緒にしたい気持ちはボクも同じだし……まだ草原しか知らないけれど、君が考えた物語の完成を楽しみにしている」
「アルバ……」
「えっ、いいなあ。私も是非とも遊ばせてくださいね、陛下。約束ですよっ」
本が好きで国内の図書室や図書館を束ねるまでになった書務大臣が、我慢出来なかったらしく目を輝かせている。
医者先生も私が夫たちに叱られたのを見たことで溜飲が下がったようだし、シャグマもアルバが納得したなら、これ以上の文句はないらしい。褐色の艶やかな指を伸ばして、親友の肩をつついている。
「アルバは本の世界が、意外に楽しかったんだね」
「突然放り込まれてのドラゴン退治ではあったが、落ち着いて考えてみればあり得ないことだろう。
貴重な経験をした気分は、……悪くない」
「ドラゴン退治? うわあ、中に入ったのがアルバで良かった。
さすが大猪も大熊も倒せる男。俺だったらあっさりやられてるね」
冒険の話で盛り上がる夫たち。
彼らを見れば、騒がせたことももう許してもらえているのなんて、分かってしまって……嬉しくなるまま二人に飛び込んで、抱きついてしまった。
シャグマが私の髪に、唇を押し当てる。
軽い感触に顔を上げると、誰よりも綺麗な顔が間近で微笑んでいた。
「いい、ラフィネル。物語を最後まで描くのは難しいって聞いたことがあるんだ。
でも君はちゃんと完成させること。じゃないと、俺たちが騒いだ意味がなくなっちゃうからね」
「……ああ、もちろんっ」
面白い本なのに廃盤になったのは、誰もが流行り物に手を出したけれど、最後まで作るのを放棄する者も多かったから、らしい。
でも私の夢を詰め込んだこの本は、絶対に完成させる。
抱きしめ返してくれる夫たちの腕の中で、改めてそう誓いながら……優しい彼らと冒険がしたい気持ちが、より湧き上がっていた。
その後、改めて迷惑をかけたことを全員に謝罪すると、医務室を後にした。
仕事のある日も晩御飯を食べて入浴した後なら、眠るまで『連絡が取れるようにする』という約束のもと、物語作りに勤しませてもらえた。
ーー戦闘方式は、全変更した。
アルバのおかげで得られた経験を最大限活かして、遊びの中で誰も傷つく必要はないと考える、私らしい戦い方に変えた。
おかげで調整も難航した。
けれど後日、物語はついに完成の日を迎えた。
出来立ての本を引っ提げて、私は夫たちを遊びに誘う。
「さあ、遊ぼう!」
三人とも同じ日に休暇をとった。
食事の時間などは侍従長にベルを鳴らして教えてもらえるようにもお願いした。
意識だけを本の中に移動するので、何があってもいいよう、ベッドに三人一緒に寝転ぶ。
繊細な男が短く整えられた白髪を掻き上げて、緑の瞳を揺らしながら、私の隣に横たわっている。
「うわ……改めて本の世界で冒険するって思うとさ、何が待ってるのか怖いのは俺だけ? 冒険なんだよね?」
「ボクは何が起こってもいい。楽しみにしている」
反対に、堂々と背中をシーツに預けるアルバの肝など座り切っているのだから、面白い。
各々で冒険前の不安や期待を話し合う夫たちの前で、私は茶色い本を開き……二人を物語へ招き入れた。
目を閉じた夫たちを追って、私もすぐさま本の中に移動する。
さあ。
私が考えて、私が作った、私だけの物語が。
夫たちとの楽しい冒険譚が。
今、始まるのだ。




