本の中の世界にて
✳︎
気がつくと、ボクは草原の真っ只中にいた。
「……」
見知らぬ土地、見知らぬ風景。
服装は先ほどまでと同じ簡単な布のシャツにズボン、癖で剣だけは腰に付けてきている。
「ラフィネル、いるか!」
呼び掛ければ答えてくれると聞いていたので名を叫んだが、心地良い風が吹きすぎて行っただけだ。
……冒険物と言っていたので、とりあえず進めば良いのだろうか。
降り立った場所に意味があっても困るので、目印だけでも付けようと、近くに一本だけ生えている不思議な形の木にシャツを割いて括りつけた。
周囲には、何者も生物の気配がない。
長期戦になるのなら、飲み水なども確保する必要がある。
周囲が全て草原なのかも確認したいし、それぞれの方位に同じだけ進みながら呼んでみようと、まずは北へ歩こうとした時だった。
「あれっ」
女性の声がしたので振り返ると、小さな生き物が浮いていた。
手のひらくらいの大きさの、桃色の髪に空色の瞳の少女が、物語に出て来る妖精のようなフリルの多い服を着て、蜻蛉に似たまっすぐな羽を背中に現した姿で宙に浮いている。
「呼ばれた気がしたから来てみれば、アルバ、お前どうしたん、だっ!?」
とりあえず、掴んだ。
目の前の生き物は必死に手の中から抜け出そうと、暴れている。
どう見たって先ほどまで眠っていた妻が、ラフィネルが、元気な妖精の姿で四肢を突っ張ってもがいていた。
「やめっ、こらアルバっ、お前を案内してやろうと思って出て来たのにっ」
「君がここで何をしているのか、知らないが。
シャグマも先生も、書務大臣まで集まって、医務室は大騒ぎになっている」
そう言うと、ぴたりと手の中にいる妖精の動きが止まった。
信じられない様子のラフィネルと目を合わせたが、徐々に手足の力が抜けて、空を仰いでいる。
「……あれ? ちょっと待てよ、本の外はまだ昼なんじゃ……呼び出しは……あ、しまった、切っていたのか」
何をしているのか、知らないが。
彼女はしばらく空を仰ぐと、ボクに向けて「てへ」と可愛らしく微笑んだ。
「すまなかった、起こしても起きなかったんだろう?
あと少しだけ待ってくれ。調整がそろそろ終わるから集中したくて、外部との接続を遮断していたんだ。
もう少しだけ、もう少しだけだから」
額に青筋が立つ感覚だけは、分かった。
妖精は遊ぶことが大好きな種族だとは思い知っていたが、心配して迎えに来たのに帰ろうとしないなどと『子供ではないのだから』と、流石に湧き立つものがある。
叱り方を考えていると、小さな妖精は名案を思いついたかの如く、ぽん、と自分の拳と手のひらを叩き合わせた。
「ああ、お前にも手伝ってもらえばいいのか。
ここに出現させればすぐに調整も出来るな、早く帰れるぞ」
……言葉を発する間もなかった。
全身が、一気に総毛立つ。
小さな妻から顔を上げると、目の前には突然、巨大な生物が出現していた。
蜥蜴のような顔。
大きな目鼻に、虎や獅子よりも大きく鋭い牙。
全身は固そうな鱗に覆われている。
「ドラゴンという伝説の生物だ。お前なら倒せるか?」
「いや、何を」
「ああ、でも装備が貧弱だな……まあお前なら、初期装備で縛るのも楽しくていいか」
呑気な妖精が言うや否や、目の前のドラゴンなるものが吠えて、噛み付いてきた。
紙一重で避けたが、すぐさま呼気を吸った蜥蜴顔が何かを吐き出そうとするので、横に跳ね退ける。
炎の渦のようなものが、傍を吹きすぎて行く。
草原を焦がす熱い余波が体を撫でたのを感じながら、連続で迫る炎を避けた。
狙い澄まして執拗に炎の呼気を吐き出してくるが、一吹きで大地が焦げる威力の炎だ、食らっただけでひとたまりもないだろう。
「ラフィネル、あれを倒せと言うのか!?」
「うむ、頼む。いい素材が取れる予定だ。
無理そうだったら、もう少し弱くするが……お前なら出来るだろう、遠慮なく倒していいぞ。
そうだ、いい機会だからお前の能力も参照しておこうかな」
妻が何を言っているのか、さっぱり分からない。
しかしはしゃぐ妖精は、ボクがこのドラゴンと戦うのが当然だと思っているらしい。
「うわお前むぎゅ」
片手が使えない状態では、十全に戦えない。
せっかく見つけた妖精をズボンのポケットへ押し込むと、剣を構えた。
……妻を探しに来た先で、ボクは一体何をやらされているのか。
とにかく考えている暇はない。
吠えるドラゴンに立ち向かい、一息に接敵すると、首を剣で斬りつけた。
……予想はしていたが、まったく刃が立たない。
鱗が全身鎧のように固く、殴った衝撃は入っても、内部までは損傷させられない様子だ。
すぐさま、尻尾の振り払いが来る。
後方へ飛んで距離を取ると、再び炎が大地を焼いた。
「ぴえー」
ポケットの中から悲鳴が聞こえるが、潰さないようにも気をつけている、彼女は問題ない。
弱点は、何か。
硬い鱗は全身を覆っている。隙間などはない。
……生物の定石なら、目だ。
鱗が固くとも、これだけは瞬きの合間にしか守られていない。
急所にあたりを付けて駆け出すと、ドラゴンはボクを追って炎を吹き出してくる。
横方向に薙ぐ吐息。
その間隙を縫い、狙った場所に刺突で迫ってやった。
ーーギャオオオオォッ!!
眼の深くまで、金属の刃を突き立てる。
両足で頭を蹴り付け、剣を抜きながら後ろへ跳ね飛ぶと、反撃もいなしながら状態を確認した。
効いている。
蜥蜴の尻尾のように再生する可能性もあったが、片目をつぶったまま眼光鋭く睨みつけてくるだけだ。妖精が作り上げた生物であっても、回復能力は所持していないらしい。
「ラフィネル」
「なんだぁっ」
泣きそうな声が聞こえたが、文句なら後で聞く。
突然ドラゴンと戦わせる妻がポケットにしがみついているのを確認し、剣を構え直した。
「倒すから、見るなら見ておけ」
声をかけると同時、一息に蜥蜴頭へと距離をつめた。
握りしめた剣での刺突を、先ほどよりもさらに素早く放つ。
ドラゴンの片目を潰しながら、今度は掌底を剣の柄に叩き込んだ。
この生物の形からすれば構造上、目の奥に脳があるはずだ。
頭の大きさと剣の長さを勘案し、二度目の拳で骨すら砕き、最奥まで届かせた。
断末魔の叫びを上げて暴れるドラゴンから距離を取ると、猛獣のような巨体がそのうち事切れて体躯を伸びさせた。
驚いたことにボクが刺した剣だけ残して、光になって消えていく。
……落ちた剣を回収したが、特に変わった様子はない。
焼け焦げていた草原もいつの間にか青々とした草が生い茂り、周囲に危険そうなものもなかった。
「ラフィネル。これでボクの役目はおしまいか」
つい渋面になりながら、ポケットに入れた妖精に声をかける。
無邪気だった女王は、ガタガタ震えている。
「あ、あんな戦い方は、想定外だった……」
引っ張り出そうとしたが、怯えている自分を見られたくないらしく、必死にポケットの中で踏ん張っている。
……もう大っぴらにため息を吐いた。
意味のわからない世界に連れてこられて、意味のわからない猛獣と戦わされて、さらに最愛の妻には怯えられる。踏んだり蹴ったりだ。
「とにかく事情を聞くから、調整とやらは諦めて帰ろう。
皆が君の帰りを待っている」
「……うん……集中し過ぎて、悪かった。
栞を挟んで、閉じる」
素直に言うことを聞いてくれるようになったラフィネルの言葉と共に、ボクの目の前の風景は先ほどまでの医務室に代わっていた。
✳︎




