ネズミくんとの対決
やがて私たちはニコメの町にたどり着いた。
小さな案内妖精の姿に戻ったが、往来は今までの村よりも賑やかで、さまざまな道具やぬいぐるみが行き交っている。
集合住宅や大型の宿屋などの高い建物も建てられており、海底洞窟へ向かう者たちの休憩所としても賑わっていた。
「人通りが多いから、ここなら色んな話が聞けそうだね。
まずはギルドで討伐報酬の換金、そのあとは情報収集しながら歩いてみようか。
……そういえばラフィネル、ギルドには依頼の掲示板なんてあるんだっけ。やってみたほうがいい?」
「必須ではない……といったところだな。ギルドの依頼は本筋には関係ないことばかりとなっている。
住んでいる道具との交流を深められたり、お礼に冒険に役立つものがもらえたり、お助け要素のつもりだ。
旅に慣れるにはいいだろうが……私はお前たちの自由に任せようと思っている」
「そっか……うーん、せっかくだし一度はやってみたいけど……盗まれた鍵のせいで工事が遅れてるみたいだし、そっちを先に取り戻しちゃおうか。
この世界には時間の概念があって自動的に解決されることもあるってラフィネルが言ってたし、遊ぶのはやることやってからにしたいけど、アルバはどう?」
「ボクも鍵を優先したい。
物流の考え方もある様子だから、早めに開通させたほうが誰にとっても良いはずだ」
うちの夫たちは鋭くて、本当に困る。
アルバも同意したため、二人は冒険者ギルドに寄り、討伐報酬を受け取ってから情報収集に出かけた。
街ではさまざまな話を聞けたが、鍵を盗んだのは『ネズミくん』だという情報を得た。
しかし鍵を返してもらうためにはニコメの町で一番の俊足自慢となっている彼とのかけっこに勝たなくてはならないと、住民たちから教えてもらえる。
「かけっこか……アルバなら勝てるよね。長距離走でも短距離走でも、妖精に勝てるくらいだし」
「ラフィネルが単純にかけっこをさせたいとも思えないが……そうだな、取り返しのつかない要素はないと以前にも言っていたくらいだ。情報に従おう」
私は何も言わない。
ただこの問題の解決策も多数用意したから、どうするのか見守るつもりで黙っている。
やがて夫たちは、情報にあったごろつきの溜まり場に入った。
ネズミくんが同種族の不良仲間とたむろしている姿と遭遇できる。
子供ほどの大きさのぬいぐるみたちが色眼鏡をかけて談笑しているが、近づいてきた夫たちに気付くと不穏な空気に変わり、早速凄んできた。
「んだコラテメー」
「やんのか、あーん?」
真っ先に路地裏に入り、先頭を歩いていたアルバが絡まれた。
背は高いが十八歳くらいの若くおとなしい少年に見えるからだろう、取り巻きまで得物を手に出てくる。
……ただしその男は、普段から屈強な軍人たちを相手に戦っている男だ。
凄まれた程度で怯むことはなく、鋭い黒曜石の一瞥だけで、逆に相手が震えて黙ってしまった。お前は威圧の能力持ちかと、吊り目がちなだけで本当は優しい男を見つめた。
「この中に鍵を盗んだ者がいるはずだ。……ネズミくんと聞いたが……鍵を身につけているな。お前か」
「ちゅ、ちゅーっちゅちゅ、そうだ、俺様だ!」
ネズミくん本人は取り巻きの中央にいる。
成人女性が抱えられるくらいの大きさのぬいぐるみだが、やる気で立ち上がると、腕輪として装備中の鍵束を見せつけた。
「その鍵を返してもらおう。海底洞窟が開かずに、誰もが困っている」
「へへん、渡してやってもいいぜ。ただし俺様とかけっこで勝負だ。
勝負がしたいなら、一回五百十ラールで乗りな。
言っておくが俺様はかなり強い。勝てなければ絶対に鍵を返さないからな!」
「五百十ラール?」
「中途半端な額だね……あ、もしかして相手を見て釣り上げてるのかな。
さっき討伐報酬を換金したけど、俺たち二人の所持金を合わせた額と、多分ほぼ同じだよ。
序盤にしては金額も大きいし……『解決方法はこの方法じゃない』ってことを暗に示してるのかも」
「可能性はあるが……ここで引くのも情けないな。
ものは試しだ。やってみてもいいか、シャグマ」
「アルバがやりたいなら、もちろん。全額投資するよ」
かけっことはいえ、先ほどからアルバに自信はなさそうに見える。
しかし負けず嫌いだし、戦うことは好きな男だからだろう、ネズミくんの誘いにも乗った。
夫たちが冒険者カードでの支払いを終えると、早速『勝負が始まるぜ』とネズミくんの仲間が囃し始めた。
ごろつきたちが道を開ける。
「裏路地の出口にある布へ、先に触れた方の勝ちだからな」
ネズミくんがそう伝えると、説明を受けているアルバにも、一緒に冒険している仲間にも、説明画面が自動的に開く設定にしている。
裏路地の地図が拡大され、道筋が何本か赤く例示されるのを確認したシャグマも、目で追いながら考えている。
「地図があっても難しい道だね……迷路みたい。
裏路地の出口って言ってたのは、ここ……うわ、どうやっても結構走る……」
実はかなり入り組んだ複雑な道を走ることになる。
シャグマも画面を指で追って、思わずと言った風情で私を振り向いた。
「もしかしてこれ、初見で勝てないやつ?
何本も道があって、行き止まりまで途中に用意されてるんだけど……」
「暗記すればいけるだろう。
カードの瞬間記憶と同じで、私も同じ道を示せと言うだけなら出来るぞ」
「普通の人間には無理難題だよ!?
初めての裏路地を全力で走って勝たなきゃいけないのに……あ、もう地図から切り替わった」
私たちの画面はそのまま続き、勝負を俯瞰視点で見ることが出来る。
アルバの前からはすでに画面も消えて、手元には何も残らずにいる。
軍の休めの姿勢で考え込む黒の格闘家相手に、ネズミくんが勝利を確信した様子で口の端を上げた。
『さぁネズミくんとのかけっこ対決っ、入り組んだ街並みの道中にはもちろん裏路地ならではの障害物も用意されていますよっ。
五百十ラールもの大金を支払った挑戦者は、果たして裏路地を知り尽くしたネズミくん相手に勝つことが出来るのかーっ!?
それでは位置についてっ、ヨォーイ、はじめっ』
実況解説の声と、けたたましい笛の音と共に、ネズミくんとアルバが同時に駆け出した。
先行したのはネズミくんだ。
だから裏路地に置かれているゴミを掴むと、挨拶がわりにぶちまけてきた。
『おおっとぉ、ネズミくんのゴミ攻撃が炸裂ぅ! 中にはスライムの粘液がたっぷりだぁ!
挑戦者が踏むと一定時間の速度低下効果がつきますがっ……挑戦者、なんとか避けたっ!』
しかし避ける動作がある分、アルバとネズミくんの距離は開いた。
ネズミくんは小さな体の分、遠心力で外に振られにくい。
だから建物の角を曲がるときにこそ、速度を上げて撒きにかかる。
アルバも追いかけてはいるが、レベル不足で体が重いのか遅れを取っている。
平原でかなりの数の彫刻像も相手した後だ。シャグマ相手に休憩を欲しがったくらいなのに、体力が回復しているはずがない。
先頭を走るネズミくんが振り返った。
距離はそこまで開いていないが追いつけない挑戦者を知って、笑った。
「ちゅーっちゅちゅ、弱い弱いっ、五百十ラール儲けたぜっ」
『さらに上から大量のゴミが降ってくるっ。仲間の援護かぁ!?
しかしこの裏路地では日常茶飯事、卑怯だなんて言わせないっ。全員で連携攻撃だぁ!』
「うわ、アルバの下に穴が……っ」
「裏路地には下水道の蓋があるからな。外して落とそうとしてくるんだ」
「え。……落ちたらどうなるの?」
「下水道を攻略してもらう。もちろんこの勝負は負けとなるぞ」
「ねえラフィネル、これ絶対に勝たせないつもりで用意してるよね!?」
白髪緑眼の探検家は画面に映る親友の走りを祈るように見つめているが……まあ正直、彼も察しているように、このかけっこは挑戦者が負けるように作られている。
街を巡回している警備員に伝えたり、海底洞窟を通れずに困っている町人と共闘したり、ネズミくんの真の目的を探ってそちらから接近したり、様々な方法で解決に導ける相手なのだ。
足元の蓋が次々に外れるのを避けて、次の曲がり角を曲がった時には……ネズミくんはもう十分に距離を開けて、アルバの前から消えている。
『あーっとぉ!? ネズミくんが本気を出したぁっ、もはや挑戦者、追いつけないぃっ』
誰もが『相手が悪かった』と悟るのは、この時だ。
……そのはず、だった。
「ふ……っ」
壁の上を仰いだアルバが走る勢いそのまま、壁に足を掛けた。
王城の壁を走り登る妖精兵の如く、彼も垂直の建物を一気に登りにかかる。
アルバは理解している。
説明者の誰も『道順を正しく走れ』などとは言っていない。
気配を感知した彼は、相手が真っ当に戦わない事実に気づいてしまった。
壁を駆け上った先で、曲がりくねった道を進まなかったネズミくんが屋根の上をまっすぐ走っているのを、天井を掴んで飛び上がったアルバは見つけている。
出口は、直進すればもう間近だ。
あと少しなのに後ろから勢い良く駆けてくる足音が聞こえて、ネズミくんも飛び上がって驚いている。
「ちゅーっ!? お前どうしてこんなところまでっ」
「どうして?
道を知らないかけっこで、相手に勝つにはどうすればいいのか、知らないのか」
駆ける男の黒髪が揺れる。
鋭い黒の瞳が、焦りながら走っているネズミくんをついに横目にした。
「先導させればいい。……最後に抜けばボクの勝ちだ」
追いつけないように見せかけていた。
相手の油断を誘い、奥の手を出したところで巻き返す手を持っていた。
アルバは最後、駆けた勢いのまま壁から飛び降りた。
出口に張られていた布を掴んで、自在にどこでも駆け抜ける強靭な足で立ち上がる。
格闘家姿の男が勝利したことを讃える歓声が響き、実況解説も華やかに勝利を飾っている。
『なななーんとっ、挑戦者の勝利ですっ、大番狂せの勝負が決着ですっ』
「すご……」
「ちゅーっ、まさか俺様が負けるなんて!」
「そ、んな、ばかな……最初に屋上を走り出せば『卑怯者』と言い出して終わる設定だ……まさかネズミくんが奥の手を出すまで、わざわざアルバは待ったというのか……っ?!」
「……ねえラフィネル、その台詞、今どっちの味方?」
「私はアルバが負けると思っていたんだ。
シャグマからもお金を預かって、相手の実力も知らないまま戦ったんだぞ!?
あいつが心底恥じらい、悔しがる姿をついに見られると思っていたんだ……っ!」
「敵だね、うん。じゃあ親友のためにも、この案内妖精は俺が倒そうかな」
素直に喋ってしまった私はシャグマのくすぐり攻撃を受けて笑い叫ぶことになったが、ネズミくんはガックリと地面に膝をついている。
「……ああ、ネズミちゃん……やっぱり俺様、だめだったぜ……」
「……? ネズミちゃん?」
「俺様の彼女だ……夢を叶えるために、中央大陸に渡ろうとしている……」
シャグマの手が止まったため、二人で画面を見つめた。
放送されている映像の中で、ネズミくんは項垂れている。
自分が装備して逃げ回っていた鍵に触れて、震える手で外した。
「でも鍵さえなければ、海底洞窟は崩れたまま、工事は止まるんだ……。
だから鍵を盗んだ……彼女はこの町で、夢をあきらめてくれると思っていた……なのに……俺様は、負けちまった……」
町の中にはネズミちゃんもいる。
詳しく話を聞くと『早く夢を叶えるためにも中央大陸に行きたいけど、海底洞窟が崩れているから行けなくて困っている』ことや『でもネズミくんのために行かないほうがいいのかな』などと悩んでいることを聞ける。
しかし、それを知らないアルバは首を傾げている。
「お前にはやりたいことがあって、ここにいるのか。
それとも不良仲間と、ただ集まって騒いでいるだけか」
ごろつきの溜まり場にいるネズミくんに、彼らしい冷ややかな声が浴びせられる。
肩を落としたネズミくんが言葉も返せずにいると、アルバはしゃがみ込み、ネズミくんが差し出した鍵を受け取った。
「海底洞窟が開けば、お前の彼女は夢を叶えに向かうだろうな。
しかし鍵があってもなくても、お前がその様子ではいずれ見限られたはずだ。
好きな女性が夢を叶える応援もしてやれないような狭量さが、お前を置いていく判断に繋がったと思うが。違うのか」
「……ああ、その通りだ……無様晒して、わかったぜ。
俺は、あの子にゃふさわしくないってな……」
「その発言こそ無様だ。
ボクは今、ふさわしいかどうかの話はしていない。
お前が好き合った相手を諦められないのなら、彼女が進む道を追いかけて支える方法もあるはずなのに、なぜそう考えられないんだと聞いている」
放送される言葉に、誰もが息を呑む。
黒髪黒目の近衛兵長は、ネズミくんが顔をあげたのとも真正面から向き合っている。
「本当に愛しているのなら、燻らずに背中を守ってやれるはずだ。
道を塞ぐなどという回りくどいことをせずに、隣に立つための努力を始めろ。
今までと環境が変われば慣れないこと、苦しいことも多く出てくるだろうが……ボクは愛した女性が夢を追うのなら、そうするべきだと思う」
一目惚れしてから十年以上、妻になる可能性もない女性のためにも、努力を続けてきた男だ。
隣国の、種族も年齢も違う相手に初めての恋をし、たとえ叶わずとも妖精女王のためにあろうとしてくれた人間の王子は……アルバは今のように真っ直ぐな想いで、私を支えようとしてくれていたのだろう。
ネズミくんが伏せて手を握りしめているのを見て、それ以上の会話はないのを知って、アルバは私たちのところまで戻ってきた。
再起を願って彼が叱りつける姿を見て、ネズミくんの物語を知らずとも彼が本気で関わろうとしてくれたのが嬉しくて、夫の肩に乗った。
案内妖精の小さな体だが頬を擦り寄せると、アルバが優しく抱き寄せてくれる。
「……その落ち込んだ様子では、ボクが負けた姿を見たいと思っていたんだろう。
君には悪いが、愛した女性にだけは格好悪い姿を見せられないんだ。ボクにも意地があるからな」
「うん……格好良かったぞ、アルバ。
なのに……負けろと思って、悪かった」
武術大会の時に『アルバを信じてやれば良かった』と後悔したのと、同じ気分だ。
しかし彼は黒の髪を私に寄せて、声を優しく響かせた。
「君が最悪の事態を先に想定し、最初に予防線を張って守ろうとすることくらい知っている。
だから落ち込まなくていい。君の想像以上に動けたことこそ、誇らしく思っている」
私のことをよく知るからアルバは慰めてくれるのだと、低い声で紡がれる言葉が胸に沁みる。
……勝つのを信じて、負けた時こそ恐ろしい。
だから負けを先に想定して、自分が傷つかないようにしてしまうような弱さも、全部。
ずっと愛してきたからこそ、彼は私をよく知って、許してくれているのだと……温かく細められた黒の瞳を見ながら、感じていた。
反省した私が精一杯頬擦りすると、優しい指が桃色の髪を撫でてくれる。
シャグマは親友と高く上げた手を叩き合わせて、明るく笑った。
「勝利おめでとう、アルバ。全部が全部、さすがすぎて何も言えないよ。
大陸中の平和を願った女王ラフィネルのため、支えると誓って行動してきた男の言葉はやっぱり重みが違うなぁ……憧れるよ」
「……誓ったところで、ボクがラフィネルのために出来たことなど、何もないかもしれないが。
それでも一個一個の行動が、何かを変えるきっかけにはなったはずだと……そう信じている」
やがて妖精女王の夫となり、叶わないと思っていた恋を叶えたように。
ネズミくんもきっと、これから離れることしか想像できなかったネズミちゃんを支えていくだろう。
一人だった夢を二人のものに変えて、やがて中央大陸にも共に渡れるはずだ。
私が考えていた物語も超えた先を、勝利した男が『すすめ』と、その背中で示したのだから。
アルバの行動を思い出すだけで胸が締め付けられて、若く見える夫の頬に自分から口付けていた。
「なあアルバ、今日は抱いてほしい。……困るか。実は今、滅茶苦茶にしてほしい気分なんだ。
お前のためなら何でもするし、かけっこで高揚した気分のまま襲いかかりたいなら、もう帰ってもいいぞ」
「……それは……今すぐなんて急じゃなくていい。
君が反省したのはわかったから、今晩にしよう」
「む、なぜだ。焦らしているのか」
「いいや。そろそろ夕方のはずだからな……今からなんて中途半端な時間では、ボクも困るんだ」
中途半端?
目を瞬いた私の頬を引き寄せて、アルバが軽く唇をつける。
年上の男と見つめ合うと、彼は唇の端を上げた。
「侍従長に『夕食の時間だ』と止められても困る。
だから全部終わった後、食後に長く、君を味わいたい。
自分から言い出したことだからな……君が疲れて眠るまで、今日は運動させてもらおうか。愛しの女王陛下」
肩の上にいる私が、夜を選択した意味を理解して真っ赤になる。
熱くなった両頬を押さえて頷くのを見て、言い出した癖に同じく頬を染めた夫も優しく撫でてくれた。
「ふふ、純愛だね。
言っておいて赤くなるなんて、二人とも可愛いったらないよ」
そばでのんびり見ているシャグマに揶揄われたが、私を支えてくれる夫は本当に愛情の深い男だと、心の底から感服してしまった。




