夫の魔法
「メリッサ!」
フェリオのひどく慌てたような声が聞こえた。腕に薔薇の蔦が巻き付いてチクリと痛む。
けれど、それ以上の痛みはいつまで経っても訪れなかった。
目の前で扉を塞いでいたつる薔薇は凍り付いて、まるでガラスのように粉々になった。
フェリオは駆け寄ると手が傷つくことも躊躇わず、メリッサの腕に絡みついていた薔薇の蔓を掴んであっという間に凍らせた。
チクチクと痛む傷の上に小さな金色の魔法陣が浮かび、次の瞬間何ごともなかったように痛みが消える。
「びしょ濡れじゃないか……」
フェリオのほうこそ、メリッサよりよほどびしょ濡れだ。
しかしフェリオが「少し待ってくれ」と目を瞑った途端、メリッサの目の前には複雑な魔法陣が浮かび、フワリと暖かい風が吹いてくる。
メリッサのフワフワした髪が温風に流され、ついでスカートの裾が膨らんだ。
「すごい、あっという間に乾いたわ……」
「他は問題ないか?」
フェリオの前髪からはまだポタポタと雫がこぼれているし、手の平には血が滲んでいる。
「私は問題ありませんが……フェリオ様の方こそ大変なことになってます。あの……魔法でご自分のことも元に戻せるのですよね?」
「大丈夫だ、それより君は二人のことを頼む」
「……フェリオ様、ありがとうございました」
「当然のことだ」
メリッサはフェリオの横をすり抜けて、双子のそばに駆け寄った。
二人はひどくショックを受けた表情で目に涙を溜めている。
悪戯にしては様子がおかしい。
双子は今まで一度も、魔法を使ったり誰かを傷つけたりするような悪戯をしたことはなかったのだ。
「……メリッサ、ごめんなさい。でもいなくならないで」
「ルード……」
「メリッサ、ごめんなさい。いいこにするから行かないで」
「リアまで……」
メリッサは膝をつき、ルードとリアを抱きしめた。
「私のほうこそごめんなさい。そばにいるわ」
「「でも、メリッサはしろいけっこんだから、叔父さまが帰ってきたらいなくなっちゃうんでしょう?」」
「……っ、大丈夫どこにも行かないわっ!!」
「「本当に?」」
「本当よ!」
メリッサは離婚してもここに侍女として置いてもらえるようフェリオに頼み込もうと決めた。
「でも、その前に叔父様に謝らなくてはいけないわ」
「うん……謝るよ」
「ごめんなさいする」
メリッサが微笑みかけると、二人はホッとしたように笑った。
意を決して振り返る。
しかし予想外の光景にメリッサは唖然とした。
なぜか、いまだフェリオはずぶ濡れのまま、手の平も傷だらけのままだった。
「あの……どうして」
「俺のことは気にするな、戦場では雨に濡れるなどいつものことだ」
「えっ、でも」
「もう夜も遅い、二人が謝ったら寝かせたほうが良いだろう」
「え、ええ……」
メリッサがそっと背中を押すと、二人は怖ず怖ずとフェリオの前に歩み出た。
「「叔父さまごめんなさい」」
「ああ、許そう。しかしこれから先、こういったことに魔法を使うことは許さない。間違った使い方をした魔法は、巡り巡って君たちの大切な人を傷つけることになるだろう」
「「はい!!」」
「君たちはいいこに育ったな。メリッサのことが好きか」
「「うん、大好き!!」」
二人は笑顔になった。
フェリオの余裕ある対応にメリッサは感心した。
「侍女を呼んで二人を寝かしつけさせよう」
「あっ……」
「ん? どうした」
「侍女たちはもう寝ました」
「は? どうしてだ」
「だって、皆さまお年を召されてますもの。私が寝かしつけてまいります」
「なぜ、高齢の侍女しかいない」
「……それは」
メリッサは手紙でキチンと相談していたはずだ。けれど、フェリオは不思議そうにしている。
「その前にお風呂を沸かしますわ」
「だから君がなぜ……。いや、湯を沸かすくらい自分でできる。君は子どもたちを寝かせてくれ」
「……ええ」
メリッサは二人の手を引いて子ども部屋へと向かう。
そういえば、契約結婚についてまだ話せていないな……と首をかしげながら。