渡しそびれたクッキー
屋敷にたどり着くと、ラランテスは当然のように白い手袋をはめた手を差し出してメリッサをエスコートしてくれた。
ラランテス・ウェイアードは、陛下から子爵位を賜った自由気ままな魔術研究者、という立ち位置だ。
しかし魔術師団本部の地下室の専有を許されていることからもわかる通り彼の功績は偉大だ。
彼がいなければこのティアレイラ王国の魔術は未だ周辺諸国に後れを取っていたかもしれない。
ただし、周囲の彼に対する評価は『天才』と『変人』が同数だ。
研究のことになれば興味津々留まることを知らず、人間関係に興味がない。
しかし、そんな彼もルードとリア、そしてメリッサには興味があるようだ。
「ラランテス先生、ありがとうございました」
「いやいや、気にすることはない」
「――これ、よろしければ」
それは屋敷を出る前になぜか侍女が押し付けてきたクッキーだった。
可愛い紙で包まれたクッキーは、小さなドライフルーツが飾られて見た目にも可愛らしい。
家庭教師として月二回屋敷に訪れるラランテスは、コーヒーと一緒に出されたお菓子を残すことがない。案外甘い物好きなのだ。
「おや、良いのかな?」
「今日のお礼です」
「――そう、それならいただくとしようか」
ラランテスはクッキーの包みを大事そうにしまい込むと、代わりに懐から小瓶を一つ取り出した。
小瓶の中には先ほどルードとリアがお土産にもらった星屑が入っていた。
「この星屑はピンク色なのですね?」
「そう……色が違うことについてどう思う?」
ルードとリアのお土産は金色の星屑だった。メリッサはピンク色が好きなので、素直に可愛いと感じた。
けれど、ラランテスの質問への答えはそうではないだろう。
「色が違うことで時に希少になりますし、時に価値が下がってしまいます」
「なかなか良い答えだ」
ニヤリ、とラランテスは笑みを浮かべ、小瓶をメリッサの手に押しつけた。
「正解した褒美として差し上げよう」
「良いのですか?」
「部屋にいる間も、馬車の中でも君の視線は瓶の中の星に釘付けだったからな。可愛らしいことだ」
「もう、子ども扱いするのはやめてくださいませ」
「くくっ、では失礼する」
ラランテスは忍び笑いを打ち消すように優雅に礼をして、飄々と去って行った。
* * *
そして、フェリオは昨日と違い夕方に帰宅した。
メリッサは着替える間もなく慌てて出迎えた。
「旦那様、ずいぶんお早いお帰りですわね」
「良いことですけど、きっと昨夜のことを根に持っておられるのね」
「次の作戦を決行しましょう」
侍女三人はコソコソと内緒話をしていたが、話がまとまったのかすぐに和やかな笑顔でフェリオを出迎えた。
王国でも上位に位置する美貌を持ちスタイルも良いフェリオは、侍女にロングコートを預けている姿すら絵になる。
「フェリオ様、お帰りなさいませ」
「ああ、ただいまメリッサ」
「……は、はい」
メリッサが見蕩れているとフェリオはツカツカと彼女に近づいてきた。
「君が出迎えてくれるのは、良いものだな」
メリッサは思わず口をぽかんと開けてしまう。
だって、先ほどまでの怜悧な美貌が一転、嬉しそうな笑みを浮かべたフェリオはルードとリアが笑ったときにそっくりで可愛いかったのだ。
「それにしても似ているわ……」
「どうした、メリッサ」
「いいえ、こちらの話ですわ」
ルードとリアは銀髪にアイスブルーの瞳をしていて、黙って微笑んでいれば精霊や妖精のように幻想的な美しさだ。
一方、フェリオは普段厳しい表情を浮かべていることが多く、黒髪に金色の瞳も相まってしなやかな野生の猛禽類のようだ。
けれど、三人は寝顔と笑顔がそっくりだ。
そんな共通点にほんの少し楽しい気分になりながら、思わずメリッサは微笑みを浮かべる。
「ところで、ルードとリアは?」
「今日は外国語の授業を受けています」
「そうか」
ロイフォルト家の次期後継者として二人が学ぶことは多い。
外国語に領地経営、立ち居振る舞いに社交に必要なスキル。そういえば、明日はダンスの授業もあるはずだ。
二人が一緒に踊る姿はとても可愛い。
フェリオはまだ見たことがない。見せてあげたいな、とメリッサは思った。
「そういえば、何かしている途中だったのか?」
「……えっと、その」
モジモジとしているメリッサを見て、フェリオは一歩距離を詰めてきた。
現在メリッサはシンプルな淡いピンクのドレスに大きなリボンがポイントのフリフリのエプロン、髪の毛は三つ編みにしている。
フェリオがあまりに見つめてくるものだから、メリッサは照れつつ口を開く。
「クッキーを焼いていました。マーサたちからフェリオ様が甘いものがお好きだと聞いたものですから。でもこんなに早くお戻りになるなんて……まだ焼き上がっておりませんの」
「――クッキーを君にもらったとラランテスが散々自慢してきた」
「まあ、ラランテス先生が? お恥ずかしいです……」
「俺の分も作ってくれたのか」
「ええ、素朴な味ですが」
「嬉しいな」
フェリオが微笑む。
その微笑みはクッキーどころかチョコレートよりも甘い……。
「もうすぐ焼けるはずなので」
「そうか、俺も行っても良いか?」
「――っ、もちろんです」
フェリオの笑みを見たメリッサは、急に恥ずかしくなってしまい、足早に玄関ホールから調理場へと向かう。
幸せそうな笑みを浮かべて、メリッサのあとについていくフェリオ。
「これはこれで……ありなのでは」
「麗しの夫婦愛ですわね」
「可愛いエプロンをもっと用意いたしましょう」
三人の侍女は感極まったようにハンカチを取り出し、二人の姿を見送るのだった。
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