夫の忘れ物 2
馬車が城門に着く。
本来であれば、ここで馬車から降りるはずだが、なぜか一時停車しただけでそのまま通過を許された。
衛兵たちが皆、こちらに向かって敬礼している。
「なぜ!?」
荷物検査すらされることがなかった。メリッサの常識では考えられないことだ。いや、メリッサでなくても王城に入る際に厳しい監査を受けるのは当然のことだろう。
しかし、馬車は城門を潜って庭園を進み、大きな建物の前まで誰にも停められることがなかった。
「……ここからどうすればいいの」
城内で勝手に歩き回るわけにはいかないだろう。御者が扉を開けてくれたが、メリッサは降りて良いものかと悩んだ。
すると大きな建物の中から、見知った男性がこちらに向かって歩いてきた。
「おや、これはお美しい。いつも可憐だとは思っておりましたが見違えました」
「ラランテス先生!」
現れたのは、ルードとリア、そしてメリッサに魔法学を教えてくれている家庭教師、ラランテスだった。
淡い紫色の髪に銀色の瞳をした彼は、モノクルを掛けた老紳士だ。
彼はとても気難しいという噂だが、ルード、リア、そしてメリッサには優しく親切だ。
「ラランテス先生、屋敷の外でお会いするのは初めてですね」
「そうですね。ロイフォルト伯爵夫人とお呼びすべきですかな?」
「まあ、いつも通りメリッサとお呼びください」
「ははは、英雄に愛される貞淑な夫人にそう言っていただけて大変光栄だ」
「――え?」
不穏な言葉が聞こえた気がした。
しかし、そんな人物像なんてあまりにメリッサと乖離しすぎている。
聞き間違いに違いない。メリッサはそう解釈した。
白い手袋をはめた手が差し出される。
メリッサが手を重ねると、ラランテスは慣れた仕草で彼女をエスコートした。
「ありがとうございます。実は、フェリオ様がお忘れになった書類を届けに来たのですが、なぜかここまで馬車から降ろされることなく通されてしまって……」
そのため衛兵に書類を渡してすぐに帰ろうという目論見は崩れ去ってしまった。
こんなに華やかで美しい場所、地味でどちらかといえば庶民的なメリッサは気後れしてしまう。
「なるほど……しかし、ロイフォルト伯爵家の馬車を停められるものなど、そうはいないだろう」
「……そうなのですか?」
「陛下の覚えめでたい英雄、その夫人が乗っているのならなおさらだ」
メリッサは今度から家紋が入ってない馬車を使おうと心に決めた。
「ラランテス先生、もしよろしければフェリオ様に書類を届けていただけませんか? 私、フェリオ様がいる場所もわからないのです」
「メリッサ君が届けた方が喜ぶだろう――おや、面倒な」
メリッサがそんなはずない、と言おうとしたとき、ラランテスの表情がわかりやすく曇った。
いつも飄々としている彼にしては珍しい。
ラランテスが視線を向けた先には、美しく着飾った年若い女性が一人いた。彼女は足早にこちらに向かって歩いてくる。
侍女が彼女に日が当たらないようについてくる様子から、彼女の地位の高さがうかがえる。
「……第八王女殿下」
メリッサがドレスの裾を摘まんで礼をすると、第八王女は目の前まで歩いてきて歩みを止めた。
「あら、庭園を散歩していたら珍しい人にお会いするものね。こんにちは、ロイフォルト夫人」
「お会いできましたこと、誠に光栄でございます、殿下」
「……その書類、もしかしてフェリオ様に届けるおつもり?」
「はい。会議に使うそうで、急ぎ届けにまいりました」
メリッサは頭を下げたままそう答えた。
パサリ、と扇子を開く音がした。
「ご存じだと思うけれど、魔術師団の本部は部外者の立ち入りが禁止されているの」
「……」
困ったことになった、と思いながらメリッサは押し黙る。メリッサだって衛兵に依頼して去るつもりだったのだ。
ラランテスもメリッサの横で黙って頭を下げている。
「私が届けて差し上げるわ」
「……それは」
いくら王族とはいっても、フェリオの許しなく渡して良いものか、と悩んでいると、馬車のほうからガタガタバダンッと激しい音がした。
続いてトトトッと軽やかな足音が聞こえてくる。メリッサはその足音に聞き覚えがあった。
だって、毎日聞いているのだから。
「あら……あなたたちは」
「ルード・ロイフォルトでございます」
「リア・ロイフォルトでございます」
これから何が起こるか予想もできず、かといって二人を止めることもできず、メリッサはハラハラとしながら頭を上げた。二人は可愛らしくも完璧な礼をしてから頭を上げた。
「「この通り、許可証はあります」」
二人が差し出したのは、王座と虎が描かれた金貨だった。それは恐れ多くもこの国の王を表す紋章だ。
「……確かに本物ね」
「殿下にお会いできてこうえいでした」
ルードが微笑む。精霊のように愛らしい。
「残念ですが、急いで届けなくてはなりません」
リアも微笑む、こちらは妖精のように愛らしい。
「「行きましょう、お母さま」」
「えっ」
「「もう、早くお父さまに会いたいよ! 行こうよお母さま!」」
「……そ、そうね」
双子がメリッサを母と呼ぶのはこの三年で初めてのことだ。もちろん、フェリオを父と呼ぶのを聞くのも初めてだ。
二人は両側からメリッサの手を握りしめて走り始める。
一度にたくさんのことが起こりすぎて思考が追いつかないまま、メリッサは二人についていくのだった。
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双子可愛い、と思った皆さま。
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