1-8 番の奇跡
「…………!?」
体に温かなものが溢れ出す。
ぶわり。
ぶわり。
ミリアナは、自分の体が浮いていくのに気が付いた。重力を無視したみたいに、髪がふわりと舞っている。
「ミリー…………!?」
ツァハルトが手を伸ばした瞬間、カッと大きな光に包まれた。次いで、色とりどりの花びらが、ふわりふわりと沢山舞った。不思議な力で浮かんでいたミリアナは、静かにツァハルトの腕の中に戻っていった。
「あれ…………?怪我が、消えてる………………?」
服には確かに穴が空いているし、多くの血が滲んでいる。魔法で撃たれたことは間違いない。
けれどミリアナの体は、まるで何事もなかったみたいに元に戻っていた。
「番の、奇跡だ…………」
ツァハルトが呆然と呟いた。
「番の奇跡……?」
「物語なんかで、伝え聞いたことがある。竜人族の番が、真実の愛を誓い合ってキスをすると、奇跡が起きるって…………御伽噺だと、今までは思っていたけど…………」
「私、助かったの……?」
「ミリー……!ミリー……死んでしまうかと……!」
ツァハルトが震える声を出しながらぎゅっとミリアナを抱き締めると同時に、騎士がやってきた。
「ツァハルト様!医療班を連れて来ました!ミリアナ様は大丈夫ですか……!?」
ツァハルトは、自分のジャケットをサッとミリアナにかけてから言った。
「ミリアナの怪我は、魔法で治ったみたいだ。だが、念のため診察して欲しい。彼女を先に王宮へ運んでくれ」
「はっ。畏まりました」
「ミリー、後で必ず行くから…………ゆっくり、話そう」
「うん……」
ツァハルトに頭を優しく撫でられ、ミリアナは頷いた。犯人はまだ全員捕縛されていないし、事件の事後処理もあるだろう。ツァハルトは忙しい時間が続くはずだ。
「休んで待っていてね」
「分かった。絶対に、ちゃんと……待ってるから」
「うん」
そうして、ミリアナはその場所を後にしたのである。
♦︎♢♦︎
医療班に隅々まで診察してもらったが、ミリアナの体には、何も異常が残っていなかった。血が失われた形跡もなく、命が危険なほどの怪我をしたのが信じられないほどだと言われた。
しかしミリアナは、精神的な疲れもあり、その後しばらく眠ってしまった。起き上がってみるともう夜だったので、軽く夕食を済ませた。するとそこへ、ようやくツァハルトがやって来た。
「ミリー、遅くなってごめんね」
「私も眠っていたから、良いの。それより、お疲れさま。さっきはかなり魔力が枯渇していたけど、大丈夫……?」
「事後処理をしながら軽食を食べて、薬も飲んで回復させたよ。ミリーこそ、あれから具合が悪くなったりしなかった?」
「それが、全然平気なの。まるで、怪我なんてなかったみたいだって言われたわ」
二人で席につく。人払いをして、ツァハルトは手ずからお茶を淹れてくれた。
「ありがとう……」
「お茶の淹れ方は、イレーナさんに教わったからね」
「うん…………」
ミリアナの母イレーナに習いながら、ぎこちなくお茶を入れていたツァハルトの姿を思い出す。ミリアナはそれだけで、少し涙が滲んでしまった。
「あのね、ハルトに聞きたいことがあるの」
「なんでも聞いて?」
「私たちは、ちゃんと番になれたの?ハルトのお腹には、紋章がなかったから、私……番契約に失敗したんだと思ってた……」
「なれているはずだよ。ほら」
ツァハルトは立ち上がって、詰襟を外して少しめくって見せた。するとそこには、先日はなかったはずの、番の紋章が浮き上がっていた。
「本当だ……!どうして……?」
「今日、ミリーが気持ちを返してくれたからだ」
「え……」
「番契約は本来、双方向に思いを告げないと成立しないんだ。俺は、君を引き止めるために……嘘を吐いていた。ごめん……」
ミリアナはすっかり肩の力が抜けて、ふにゃりと微笑んだ。
「そうなんだ……。私、てっきり……私の血が呪われているから、番になれないんだと思ってた……」
「そんなことを、思い詰めていたの?ここに来てからずっと様子がおかしかったのは、そのせい?」
「ううん、それもあるけど……それだけじゃないの。今日は一人で逃げ出そうとして、ごめんなさい」
ミリアナが首を振ると、ツァハルトは思案げな顔で言った。
「事情があるなら、聞かせてもらっても良い?」
「うん、全部話すね」
ミリアナは姿勢を正した。お茶を一口飲んでから、少し緊張して話し始める。
「あのね……覚えてる?私、夢を見るって言ったの。もう一人の誰かの、人生の夢」
「もちろん、覚えてるよ。それも『私』なんだって、君は言っていたね」
ツァハルトは頷いた。ミリアナは野いちごみたいな赤い目でじっとツァハルトを見て、自分の秘密を告げた。
「それは、私の『前世』の夢だったの。貴方の血筋が判明したとき、私は全てを思い出した……。私はこの世界に生まれる前から、この世界のことを知っていた…………」
ツァハルトの目が驚きに見開かれる。ミリアナは順を追って説明した。
前世、日本という国で生きていたこと。
乙女向けスマホゲーム、『ワンダーミストワールド』という物語があったこと。
ツァハルトはそのゲームのヒーローで、ミリアナはラスボスのキャラクターだったのだということ。
ツァハルトに迫る危険な運命がいくつもあること。
ヒロインと一緒にならなければ、それを乗り越えられない可能性があるということ。
ツァハルトは至極真剣に、静かに聞いてくれた。
「なるほど……それと番の件があって、俺を避けていたのか」
「ごめんね……」
「いや、話してくれてありがとう。そのゲームの『ヒロイン』に当たる人物は知っている。アリス・ソノダという名前の異世界転移者だ。やたらと俺に付き纏ってくるんだけど……そこを目撃したんだね」
「うん…………」
ミリアナが俯くと、ツァハルトは悲しそうな顔で言った。
「不安が多いところに、あんな姿を目撃させてごめん。あの日は、彼女に後を付けられていたんだ。俺は彼女のことを何とも思っていないよ。いや……むしろ苦手だと思っている。彼女と俺が一緒になることは、まずないよ」
「そうなんだ……」
はっきりと断言されて、少しだけホッとしてしまう。ツァハルトに寄り添うヒロインの姿を思い出すたび、ミリアナの胸はつきつきと痛んでいた。
「ミリアナが、ラスボス化するフラグだというイベント……魔女の一族を排斥しようとする過激団体が動いた騒動のことは、覚えている。ミリアナの家から救助要請があったから、俺が手配して、すぐに信頼できる騎士たちを派遣したんだ」
「やっぱり、ハルトが動いてくれてたのね。対応が早かったから、そうじゃないかと思っていたの」
「俺は、ミリーたち家族を守ると決めているから。動くのは、当たり前だよ。本当は俺本人が行きたかったけど、あの頃はまだ王宮内での立場が不安定だったから……」
「無事に乗り越えられたんだから、大丈夫よ」
ツァハルトは腕を組み、顎に手を当てて少し考えてから言った。
「ゲームのシナリオに相当する出来事が、確かに起こっているのは分かった。けど、そもそも……そのゲームで、ミリーたち家族が俺を拾うという出来事は、起こっているのか?」
「いいえ、それはなかったはずだわ。ハルトを発見したのは、私だから……ゲームの『ミリアナ』は、ハルトを見つけなかったのか……それとも、見つけた上で拾わなかったのかも……」
「ゲームの『ミリアナ』と君には、差異があるということだね?」
「そうよ。昔から刺繍が好きだったりして、前世の影響があったから……私の行動自体が、変わっていた可能性があるわ」
「だとしたら、既にシナリオから大きく乖離した出来事が起こってしまっている。ヒロインと一緒になれば俺の困難を乗り越えられると、ミリーは言うけど……それも、どうなるか分からないよ」
「確かに、そうね…………」
ミリアナは肩を落とした。ツァハルトを心配するあまり、思い込みで暴走してしまったかもしれない。
「俺は竜人族だ。ゲームのシナリオになくても、今日みたいに……亜人をよく思わない団体の反発に遭うのは、決定事項だ。俺はそんな困難を……ミリー、君と乗り越えたいと思っている。俺は、君だけを愛してるから」
「うん……」
「苦労をかけるけど……ミリー、どうか俺と一緒になってほしい」
「うん……うん、わかった。私も、ハルトだけが好きだから……そうしたい」
ツァハルトはミリアナの顔を覗き込み、真剣に伝えてくれた。だからミリアナも、真摯に彼を見返して答えた。
「ずっと好きだったの。忘れられたことなんて、一度だってなかった。ハルトを、愛してるの……」
「ミリー……すごく、すごく嬉しいよ……」
ツァハルトの目には、少し涙が浮かんでいた。ミリアナに想いを返してもらえず、避けられて、きっと辛かったろう。ハンカチを取り出して、それを優しく拭った。
「私、色々考えすぎてた。私はゲームのラスボスかもしれないけど、シナリオなんかに負けたくない……。ラスボスとして与えられた、この強力な力も、何だって使えばいいんだ。それで、今日、そうしたみたいに……ハルトと一緒に、どんな困難でも乗り越えていきたい」
「うん。ありがとう。俺はミリーだけが居てくれたら、良いんだ。それだけで、何だってできるんだよ……」
今度はミリアナの頬に伝った涙を、ツァハルトが優しく拭った。
「今日ミリーが撃ち抜かれた時、本当に怖かった。俺は、君なしじゃ生きていけない……」
「心配かけて、ごめんね」
「番の奇跡なんてものが、本当に起こったから良かったけど……もう、あんな無茶はしないでね」
「わかった」
神妙に頷くと、ツァハルトの大きな手がミリアナの頬にそっと添えられた。そこだけ熱くて、すこしびりりとする。彼の美しいトルマリンの目が近づいて来たので、ミリアナはそっと目を閉じた。
口に柔らかなものが触れる。しばらく触れて離れた後、間近で二人で笑い合った。二人とも、目に涙が滲んだままだ。
「ハルト、大好き……」
「俺も、愛してるよ」
こうして二人はやっと、本当の番になったのである。