1-6 ツァハルトのプロポーズ
ミリアナは次の日も、その次の日もツァハルトを避け続けた。そして、避け始めてから十日目の日、見張りの騎士が交代する隙をついて、窓から飛び降りた。
「【物理法則操作】……」
自らの祝福の能力を使い、自分の体を浮かせる。ミリアナの部屋はかなり高い位置にあったが、難なく着地した。だが、力作の魔導ミシンを持ち出すのは泣く泣く諦めることにした。持ち歩いてはかなりの邪魔になる。
身一つで見張りの騎士の目を掻い潜りながら、王宮の敷地を駆け抜けて行った。この十日間で騎士の位置どりを地道に調べて来たのだ。
広大な庭園を突き抜けた後、巨大な城壁に直面した。通常なら到底超えられない、高く分厚い城壁だ。しかし、そこでも祝福を使い、自分を宙に浮かせて素早く乗り越えた。
「王宮を、出られたわ…………!」
さすがはラスボスの能力。チートである。あとは、行方を眩ませなければいけない。実家に戻るのでは、きっとまた連れ出されて終わりだろう。どこかで偽名を使って身を隠し、刺繍などを売りながら細々と生活するしかない。
そんなことを考えていた時、背後から美しい声で呼び止められた。
「ミリアナ」
声の主は他でもない、ツァハルトだった。ミリアナは恐る恐る振り返る。彼のプラチナブロンドは、太陽の下で燦然と光り輝いていて、まるで神様みたいに見えた。
ミリアナは呆然としながら呟いた。
「ハルト……どうしてここに……?」
「君が王宮を抜けたらすぐに分かるように、魔法をかけていた。ごめんね」
「そ、それにしたって…………!」
「俺の祝福は【空間接続】だよ。忘れたの?」
「…………っ」
確かに、ツァハルトの祝福は任意の空間を接続するという強力なものだった。だが、こんな長距離を捕捉して、特定の位置に一瞬で移動するなんて。ミリアナの知っていた頃のツァハルトよりも、ずっとずっと進化している。
「ミリー。頼むよ……どうか、俺の元を去らないで」
「…………」
「どうしても、君に見せたいものがあるんだ。ついてきてくれないか?」
「…………分かったわ」
ミリアナはしぶしぶ頷いた。ツァハルトの表情が、あまりにも切実だったからである。いずれにせよ、今日の逃走は失敗だ。仕切り直すしかない。
「連れて行きたい場所に、直接空間を繋ぐよ。王宮の、とある部屋だ。……【空間接続】」
ツァハルトの目の前に、別空間が瞬時に現れる。人一人通れる大きさの、時空の裂け目のようなものだ。繋がれた空間に導かれるまま、ミリアナは先に入った。
それから目の前に広がった光景に――――ミリアナは口を開けて、顔を輝かせた。
「わあ…………!!」
そこはアトリエのようだった。壁いっぱいにびっしりと並んだ、小さい引き出し。その下には、綺麗に並べられた、色も幅も様々なリボンとレースの巻物。さらにその下には丸めて収納された、多種多様な布。薄いオーガンジーから、分厚いリネン、キャンバス生地まで様々だった。布の収納棚は何列も続いていて、一度では到底見きれそうもない。そして真ん中には、使いやすそうな広いテーブルがあった。立って作業できる台も置いてある。
「引き出しも、全部開けていいよ」
「本当?」
ミリアナは突然大好きなものに囲まれて、浮き立つ心を抑えられなかった。言われるまま開けてみると、大小や装飾の様々なボタン類に加え、色鮮やかな無数の刺繍糸が、色の順番にびっしりと収納されていた。それに、裁縫や刺繍をするための針や枠、鋏などの道具類も、全て揃っている。
その部屋は、ミリアナがいつかこんなアトリエを持ってみたいと――――ずっと、夢見ていたような空間だった。
「この部屋は、ミリーのために、俺が作ったんだ」
「え……!?」
「君は裁縫が、何より好きだったから。王宮に招くなら、アトリエを作ってあげたいと思って。少しずつ、時間をかけて集めたんだ」
「ハルトが……?」
「うん。街のデザイナーやお針子にも意見を聞いたりしながら、勉強して、地道に作った。ミリーの好みに合うかどうかは、分からないんだけど……」
「ううん、すごく素敵よ。夢みたいな空間だわ……!!」
「それなら、良かった」
ツァハルトは、ホッと肩の力が抜けたような、穏やかな微笑みを見せた。
これだけの膨大な品数を集めるのには、一体どれだけの手間と時間がかかったことだろう。ツァハルトは会えない間も、本当にずっとミリアナを迎えることだけを考えて、懸命に動いてくれていたということに他ならないだろう。
「でも俺は、王宮内での立場を固めるために随分時間が掛かってしまった。だからミリーを迎えに行くのが遅くなったことは、本当にすまないと思ってる……」
「そんなこと……!」
「だけど。俺は、ずっとミリーだけが好きだった。君を迎えに行くことを、生きる目標にできたから……突然王宮に連れてこられても、何とか頑張って来られたんだ。俺は、ミリーしか要らないんだよ。どうか、お願いだ。俺の側にいて欲しい…………」
近づいて来たツァハルトはミリアナの左手をゆっくりと取って、そこに額を付けた。そのまま両目を閉じて、祈るように言う。
「愛しいミリアナ。俺は、ようやく君に相応しい男になったと思う。どうか、俺と結婚してください……」
あの日してくれたプロポーズをなぞるような言葉に、ミリアナの心は――――とうとう、決壊した。ポロ、ポロと大粒の涙が頬を伝っていく。
「私…………私………………」
――――私も、ハルトだけが好き。本当は、ずっと好きだった…………!
ミリアナが言いかけたその時、ドアがバンバンと勢いよく叩かれた。次いで、酷く焦った声が聞こえてくる。
「ツァハルト様!!ここにいらっしゃいますか!?」
「フリンか?どうした」
尋常でない様子に、ツァハルトは鋭く返した。入って来たのはツァハルトの右腕である、騎士のフリンだ。彼はとても慌てた様子で、こう告げた。
「反亜人を謳う団体が、暴動を起こしました……!!王都で民を人質に取られています。奴らは、ツァハルト様が王位継承権を放棄することを求めています……!!」
最初の困難は、少しも待ってはくれず――――急展開で、二人に襲いかかって来た。