1-3 俺と結婚してくれ
「貴方が国王の血を引くということが、魔術で判明しました。今後は王宮で暮らしていただきます」
この言葉を聞いた途端、ミリアナは今まで少しずつ夢に見ていた『前世』の記憶が、一気に頭の中に溢れ出すのを感じた。
――――ツァハルト。
ツァハルト・ライマールスは……乙女向けスマホゲーム、『ワンダーミストワールド』のメイン攻略キャラクター。
私、ミリアナ・ファウストは……復讐に駆られ、世界で大量殺戮を行う魔女。ラスボスの、キャラクター……。
頭にガラス片でも刺したような痛みだ。しかしそれ以上に、ミリアナの心は壊れそうなほど痛みを訴えていた。
――――王の血を引くことが判明したツァハルトは、王宮に連れ去られる。前世でやったゲームと同じだ。
ツァハルトとは、もう一緒に暮らせないんだ。
さっき、想いを通じ合わせたばかりのに。私たちは、将来一緒になることができない…………。
彼は、本来私とは縁のない…………王子様。
私は、ラスボスキャラクターなんだ……………………。
ミリアナは、母にわっと泣きついた。
お別れの挨拶すら、させてもらえなかった。ツァハルトを乗せた馬車は本当にあっという間に去っていった。
♦︎♢♦︎
それからの日々は、平坦に過ぎていった。
そこに居るはずのツァハルトが居ない生活は辛く、悲しかった。
ミリアナは心にぽっかりと空いた穴を抱えたまま、成長していった。
左手の薬指に嵌めたトルマリンの指輪は、一度も外すことがなかった。何度も見つめては、彼の瞳を一生懸命思い出した。
前世でやった原作ゲームの記憶が戻ったので、最悪のイベントは回避することができた。
魔女の一族を排斥しようとする過激団体に、家族が皆殺しにされるというイベントだ。これによりミリアナは世を恨み、世界で沢山の人間を殺めるラスボスと化してしまうのだ。
ミリアナが十八歳の時に、それは起こった。ゲームの知識を元に、事前に過激団体の動きを掴んでいたので、国に騎士を派遣してもらった。驚くほどすんなりと申請が通ったのは、もしかしたら裏でツァハルトが動いてくれたからなのかもと思い――――ミリアナはまた、途方もなく寂しくなった。
騎士団と家族と力を合わせ、ミリアナ自身の強力な祝福も使って、何とか過激団体を追い払うことに成功した。
ミリアナはそれから、幾つかあった婚約の話も全て蹴り、独身のまま二十一歳になった。
もちろん、昔した約束の通りツァハルトと結婚できるなんて、微塵も思っていない。
ただ、ミリアナはずっと変わらず、彼のことが好きだったのだ。
いつからかは分からない。でも彼に告白された時、ミリアナははっきりと自分の気持ちに気付いてしまった。
母イレーナは散らかったミリアナの部屋を見て、呆れ返った声を出した。
「ミリアナったら、また刺繍に熱中して……隈があるわ。また寝ていないんでしょう」
「ふふ。ごめんね。でもミシンを使っているから、そんなに疲れていないのよ?」
ミリアナは前世の記憶をフル活用して、自分の祝福――――【物理法則操作】を使い、魔導ミシンを自作した。思い返せば、前世でも刺繍作家をしていたのだ。どうりで裁縫が好きなはずである。
「貴方の刺繍はとても人気だから、家はとても助かってるけどね」
「嬉しいな〜。これで暮らしていけたらなって、思っているのよ」
「でも、心配だわ。貴女ったら底抜けにお人好しだし、天然というか、ちょっとうっかりなところがあるから…………しっかりした旦那さんをもらってくれたら、安心なんだけどね」
「成長するにつれて、ハルトとも立場逆転してたしね。懐かしいなぁ、ハルトのお小言…………」
「そうね…………」
イレーナの目も懐かしげに細められ、少しだけ涙を浮かべている。ツァハルトが居なくなって寂しいのは、何もミリアナだけではないのだ。
しかしそんな時、部屋に父オーケンが慌てた様子でやってきた。後ろには祖母のミレーネも付いてきていて、深刻な顔をしている。
「どうしたの?そんな顔して」
「また王宮から、迎えが来た」
「また…………?一体、誰を?」
「お前だ、ミリアナ」
「え…………」
ミリアナは呆気に取られた。しかし、王宮の文官と騎士が一緒に部屋に入ってきた。そして騎士の方が進み出てきて、挨拶をした。
「初めまして。私はフリン・ブラットリーと申します。ミリアナ・ファウスト様ですね?」
「そうですが……私に何か?」
「貴方には王太子ツァハルト様と、結婚して頂きます。ツァハルト様のご指名です」
「へ…………?」
ツァハルトが連れ去られた時のような高圧的な感じはなかったものの、拒否権は一切なかった。ミリアナは、あれよあれよという間に馬車に乗せられ、王宮に連れ去られた。
「あ、あの。私、着替えも何も、持ってきてないんですけど……」
どうしてもと言って持ち出せたのは、大切な魔導ミシンだけだ。しかしフリンと名乗った騎士は、ははっと軽く笑って言った。
「何も要りませんよ。ツァハルト様、張り切って準備してましたから」
「はあ……?」
「身一つで良いと、仰せ使っております。さあ、転移陣に入りますよ」
馬車が大きな転移陣の上に入り、御者が魔術を使ったのが分かった。周囲の景色がぐにゃりと歪み、次に見えたのは、天高くそびえ立つ立派な王宮だった。
そして、王宮の巨大な扉の前で待っていた人物を見て――――ミリアナは目を丸くした。
記憶の中の姿より一回り身長が大きくなっているが、見間違えるはずもない。
馬車のドアを開けてミリアナが降りると、その人物はすっと手を出した。
「やっと会えた…………ミリー。約束通り、俺と結婚してくれ」
ミリアナを迎えた、ツァハルトは――――すっかり声変わりした美しいテノールで、そう言ったのだった。