1-2 ヒーローの生い立ち
ツァハルトは、白に近いプラチナブロンドを長く伸ばし、宝石のトルマリンのように輝く青緑の目をした、綺麗な男の子だった。
だが、彼はただの男の子ではなかった。彼は、大変希少な竜人族の生き残りだったからだ。
幼い頃の彼は幸せだった。竜人族たちで森の中にひっそりと集落を作り、皆で助け合いながら生活していたのだ。優しかった母と過ごした記憶は、どんどん遠く朧げになっていくけれど、ツァハルトの宝物である。
しかし、彼がたった五歳の時、集落が人買い集団に襲われた。大好きな母とは、生き別れになってしまった。
それからは、過酷を極めた人生だった。ツァハルトは逃げ出したり、また売られたりしながら、劣悪な環境を転々としてきた。奴隷をまるでペットのように飼う女主人に鞭で打たれていたこともあったし、強力な魔術を使ってマフィアの鉄砲玉として働いていたこともあった。暴力は日常茶飯事だ。それにいつもお腹が空いていて、路上の草や虫を食べたりしながら、傷だらけのまま過ごしていた。人間らしい扱いなんて、受けたことがなかった。
だから最初ツァハルトは、ミリアナたち家族も自分を利用するのかと思っていた。でも、彼女らは全然違ったのだ。ツァハルトのことを人間として丁寧に扱い、懸命に治療を続けながら、話を聞いてくれた。
ミリアナが、ツァハルトのために泣いてくれた時――――ツァハルトの中で、大きく何かが変わった。その涙があんまり綺麗で、純粋で。ツァハルトは言葉を失って呆然としながら、それに見惚れていた。だって、そんな人は、母以来だったから。
だからツァハルトは、恐る恐るだったけれど、ミリアナに心を明け渡していったのだ。そしてミリアナは、それを一つも取り零さず、受け取ってくれた。その度に、ツァハルトはこれまで受けて来た傷が、少しずつ癒されるような気がした。
母の形見のハンカチを直してもらった時は、心の底から嬉しかった。それに、新しい宝物が増えた。ミリアナが自分のために、真心を込めて刺繍をしてくれたのが分かったから、ツァハルトは泣いてしまった。
そして、その時。
ミリアナが、ふにゃりと泣き笑いしたのを見て――――ツァハルトは自分が、どうしようもなく深い恋に落ちてしまったことを悟った。
このとき、ツァハルトはミリアナと、彼女の家族をずっと守っていく決意をした。
♦︎♢♦︎
ツァハルトも亜人として差別されて来たが、ミリアナの家族も似たようなものだった。『呪われた魔女の末裔』と人々は言うが、先祖が何だと言うのだろう。人間は勝手だ。大方、ミリアナの一族が持つ力が強大だから、恐れて遠ざけたのだ。昔は天下を取ったこともあった竜人族が、その力を封じられたのと一緒である。
ツァハルトの怪我が癒えると、ミリアナは宣言通り、彼に遊ぶことや勉強することを教えてくれた。
「ハルト、私に追いついてごらん!」
「待ってよ、ミリー!」
太陽の下で広い草原を駆ける彼女があんまり綺麗で、ツァハルトは夢中でそれを追い掛けた。
鬼ごっこに、魚釣り。虫取り、木登り。花を摘んで、花束や冠にすること。全て彼女が教えてくれた。
沢山遊んでへとへとになって帰ると、当たり前に温かい食事が用意されていて、家族でそれを囲む。食べることの目的が生きるためだけになっていたツァハルトは、それがいかに楽しく嬉しいものだったかを、やっと思い出すことができた。
また、ミリアナの実家には学術書や魔術書が沢山あった。ミリアナの母イレーナは家庭教師をしていたこともあったそうで、ツァハルトにも大変熱心に勉強やマナー、そしてダンスなどを教えてくれた。
「ツァハルトは、本当に優秀ね!これじゃあミリー、そのうち追い抜かされるわよ」
「ええ!そんなあ……」
「ふふ、待っててねミリー」
「わ、私も頑張るわ!」
ツァハルトはそんな風に余裕に見せかけていたが、実は夜な夜な起き上がり、小さな灯りの下で猛勉強していた。四つ上のミリアナに早く追いつきたかったのもあるし、彼女らを守れるようになりたかったからだ。
魔法はミリアナの父オーケンが、基礎からしっかり教えてくれた。これまで魔法を、人を傷つけるためにしか使ってこなかったが、きちんと勉強するととても楽しかった。竜人族であるツァハルトは、元々持っている魔力量も多く、生まれつきの祝福も優秀だった。ツァハルトはめきめきと実力を伸ばしていった。
そんな風に過ごしていた、ある日のことである。ツァハルトが眠れずにいると、隣の部屋からうめき声のようなものが聞こえて来た。ミリアナの部屋だ。ツァハルトは慌てて扉をノックしてから、部屋に入った。
「うー…………うゔ………………!!」
「ミリー。ミリー!!」
「うっ……………………。ハルト……?」
「そうだよ、俺だよ」
ミリアナが無理に起きあがろうとしたので、慌ててその身体を支える。驚くほど華奢で柔らかくて、ふわふわの髪からは花のような甘い香りがした。ツァハルトは心臓がドキドキと高鳴るのを抑えながら、ミリアナに尋ねた。
「悪夢でも見ていたの?」
「うん。時々見るの。私じゃない、もう一人の誰かの…………人生の夢」
「もう一人の…………?」
「うん……。うまく言えないけど、それも多分『私』なの……。ごめんね、こんな、意味の分からない話をして……」
「そんなことない」
ツァハルトが懸命に首を振ると、ミリアナは力無く笑った。
「一人で寝ているとね、時々その夢を見ることがあって。こうしてうなされるの」
「それなら、俺が一緒に寝るよ」
「え?ハルトが?迷惑じゃない……?」
むしろ役得だ。ツァハルトはするりとミリアナのベッドに入り込み、その細い肢体を抱き締めた。小さな藍色の頭をゆっくりと撫でる。立っていると二人にはまだ身長差があるが、横になってしまえば関係ない。
「こうしていると、落ち着かない?」
「すごく、落ち着く…………ありがとう…………」
「うん。おやすみ、ミリアナ」
「おやすみ…………ハルト」
優しく頭を撫でていると、ミリアナは再び眠りに落ちた。そして、それからは悪夢にうなされなかったようだった。
この日から二人は、毎晩一緒に寝るようになった。ミリアナの家族も、特にそれを咎めなかった。
ミリアナの身体がどんどん女性らしいラインに変化しても、ツァハルトの身長がミリアナに追いついても、二人は毎晩抱きしめあって眠った。ツァハルトは好きな女性の体温を感じ、年相応に劣情を抱くこともあったが、しっかりと耐えたので何事も起こらなかった。
そうして月日が流れ、ミリアナの十七歳の誕生日がやってきた。
ツァハルトはもうすぐ十三歳になる。この日彼は、勝負を仕掛けることを決めていた。まずは丘の上の、一番景色の良い場所にミリアナを連れ出した。
「ミリー、目を瞑って?」
「なあに?」
警戒心の欠片もなく、両目をしっかりと瞑るミリアナ。その姿を心の底から可愛いなと思いながら、ツァハルトは彼女の片手をそっと取った。そして左手の薬指に、あるものをゆっくりと嵌めていく。サイズはぴったりだ。
「目を開けていいよ」
「何かしら…………わあ!!」
ミリアナは赤い目をまん丸にして、手を空にかざした。
「指輪…………!嵌っているのは、トルマリン?青緑で、ハルトの瞳みたい……」
「そう、トルマリンだよ。オーケンさんに習って、錬金術で作ったんだ」
「父さんに習って?すごい……!」
「竜人族はね、プロポーズする時に、左手の薬指に嵌める指輪を渡すんだ」
「ぷろ、ぽーず…………」
ツァハルトはミリアナの左手を恭しく取って、ゆっくりと口づけをした。そして彼女の美しい赤い目を射抜いて、ゆっくりと言った。
「愛しいミリアナ。俺は必ず、君に相応しい男になる。どうか将来、俺と結婚してください」
「…………!」
ツァハルトの告白に、ミリアナは林檎よりも真っ赤になった。そしてうろうろと視線を彷徨わせてから、目に少し涙を浮かべながら笑った。それは、あの日と同じ――――とびきり可愛い、泣き笑いの表情だった。
「…………はい!私も、ハルトが大好き……」
「ミリー!嬉しい!」
ツァハルトは自分も泣き笑いながら、ミリアナを抱き締めた。もう身長は追い抜いて、ツァハルトの方が少し高い。これからもっと差がつくだろう。この人を一生守っていくのだと、誓いを新たにした。
「実は家族の皆は、このことを知ってるんだ」
「そうなの?」
「うん。帰って報告しよう」
二人で微笑み合いながら家路に着く。人生で最も幸福で、記憶に残る日になったと思っていた。
しかし、家に帰ると……今まで見たこともないような、上等な馬車が玄関に停まっていた。
この国、ライマールス王国の紋章が大きく付いている。王宮の馬車だ。一体何事だろうかと二人で顔を見合わせ、中に入った。
「父さん!母さん!どうしたの?」
「二人とも、こっちへ来るな!!」
父オーケンが慌てて静止したが、遅かった。二人は騎士と思われる男たちにあっという間に囲まれ、引き裂かれてしまった。文官服を着た偉そうな人物がニコリともせず、淡々とツァハルトに告げた。
「ツァハルト様ですね?」
「だったら、なんだ?」
「貴方が国王の血を引くということが、魔術で判明しました。今後は、王宮で暮らしていただきます」
「は………………?」
ツァハルトは、頭が真っ白になった。国王?王宮?まるで理解が追いつかない。
確かに記憶の中の母親はツァハルトの父親について、一度も言及したことはなかった。だが、まさか国王だなんて。
しかし、相手はツァハルトの心が追いつくのなんか相手は待ってくれず――――彼は強引に馬車に詰め込まれた。
「待ってくれ!嫌だ!俺はここで、一生暮らす…………!!」
「この度、王太子殿下が病でお亡くなりになられました。この国で王位継承権を持つ者は、貴方様だけです。ですので、貴方には王位を継いでもらいます」
「そんな……!!ミリー!ミリー……!!」
窓から顔を出すと、泣き崩れるミリアナが母イレーナに支えられているのが、少しだけ見えた。馬車はすぐに動き出し、ツァハルトの大好きな家はあっという間に見えなくなってしまった。
「そんな………………」
ツァハルトはそれから二度と、あの恋しい家に帰れることはなかった。