1-9:世界を救うため、この少女を殺せ
1-9
「あいたた。はあぁぁ。もう、少しは手加減してよね」
普通ならたんこぶが出来ているであろう部位をさすりながら、目の前に正座している友人を恨めしさ全開で見る。
始宝来樹の前で再会したワタシと穂乃華。
でも、冗談が伝わらなかったワタシは、折りたたんだ炎聖扇でワタシの後頭部をフルスイングで叩いてきた。
普通ならぜったいにたんこぶが出来て、腫れ上がっている位の勢いで。
ただ、残念な事に、今のワタシは堕天鬼の呪いで不死。
たんこぶなんて一秒もせずに引いてしまった。
そんな自分の体が嫌で、嫌で、友人にワタシはもう人間じゃないって思って欲しくて無くて、こんな意味の無い演技までしている。
「もう、いつもの軽口みたいなちょっとしたおふざけだったのに。それなのに、あの勢いは、穂乃華、絶対に本気だったでしょう」
「あの場面でふざける理琴が悪いのです。それに・・・もう痛みはないでしょう。無用な演技は止めてください」
「あはは。ばれちゃってたか。うん、今のワタシは不死になって驚異の治癒力をもっているみたいだからね」
舌を出しておどけてみるけど、穂乃華は笑ってくれない。
ねえ、お願いだよ。
そんな泣きそうに強がった顔しないで、いつもの学校生活みたいに笑い合おうよ。
「ええ。理琴が堕天鬼の力でもう殺せなくなっているのは神代の一族としても想定外の事態でした。今、最長老の号令の元、本家、分家の壁を越えた超派閥で対策を協議しております。理琴、不自由で申し訳ありませんが、一族の結論が出るまでここで大人しくしていて下さい」
今、連れてこられてきているのは、殺された後に目が覚めた部屋だった。
朱と蒼の燭台の上でゆらりと輝く蝋燭だけに照らされただけの部屋。
ワタシ達以外にこの部屋にあるのは蝋燭だけで、時間を私に教えてくれるものは何処にもない。
「ねえ、今何時?」
「その答えは知らない方が、理琴のためなです」
って事は、今日が終わるまでもう余り時間がないって事か。
もうすぐ、堕天鬼が指定してきた約束の日がやってくる。
体の芯から浮き上がってくる恐怖心を無理矢理押さえ込むように深呼吸する。
蝋の溶ける香りがした。
良かった、まだ自分には人間らしい部分も残っている。
「ねえ、穂乃華はまた、ワタシを殺してくれる?」
「殺したのはわたくしではなく、最後は理琴自身の決断でした。ですが、理琴は見えていなかったでしょうけど、友達の首から血が流れ落ち、瞳から灯りが消え、わたくしの手の先で命が体から抜け墜ちる感覚が伝わってくる。わたくしはあんな悪夢もう見たくはありません」
「そっか。ごめんね、そして、ありがとう。ワタシのわがままのために、辛い思いしてくれて」
「でも、殺せませんでした。わたくしは理琴のお願いを聞き届けられませんでした。ですが、本心を言えば、またこうしてあなたとお話出来ていることはとても嬉しいのです。今なら、喜んでチョコプラペチーノを奢らせていただきますよ」
「あ~~それは残念。じゃあさ、二人でここ抜け出してお店行っちゃう?」
次の講座、一緒にサボらないって提案するような気軽さで友達に語りかける。
ああ、やっぱり、こうして友達と話している時間はたまらなく幸せ。
折角、不死になれたのだから、血に染まる辛い未来じゃなくて、こんな緩い時間が永遠と続いて欲しいけど、そんなのは叶わない夢。
「それは、とても魅力的な提案ですけど・・・出来ません」
神代の命を背負い、人々を守る業を背負っている親友はきっぱりと首を横に振ってくれた。
「でも、どうなの? 神代の一族はワタシを殺せるの?」
「最長老がどのような決断を下すかは分かりません。ですが、炎聖扇では理琴を殺せなかった。同じ事をしても無駄である事は分かっているはずなのです」
「そっか。だよね、そういえば、リンネちゃんは大丈夫?」
「凛音ちゃんの事ですか? たまたま理琴と出会って行動を共にしていただけみたいですし、今は別室に待機させれています。もっとも総山へ行くことを拒否して逃げ出したのですから、この一件が終わりましたら、最長老から手厳しいお叱りを受けることになるでしょうけど」
「連れ回したワタシが言えた義理じゃないけど、あの子まだ小さいからお手柔らかにしてあげてね。でも、あんな小さい子が穂乃華みたいに水聖扇の継承者になるの?」
「はい。神代の名前を持つ分家の人間は多く居ますが、凛音ちゃんの潜在能力は随一です。水聖扇の継承者となるため総山への修行への選出も満場一致でした。総山の修行は逃げ出したくなるほど辛い場所であることは。経験したわたくしもよく分かっています。ですが、凛音ちゃんなら、総山から戻ってきた暁には、わたくし以上に聖武具を使いこなして、魑魅魍魎を倒してくれることでしょう」
「それは期待大だね」
ワタシと凛音ちゃんは、ほんの少しだけ、神代の屋敷からの逃走劇を楽しんだだけの仲。
総山から戻ってきた凛音ちゃんは、もうワタシのことなんて忘れているはず。
だけど、成長した彼女が、凜々しく水聖扇を駆使しながら大活躍している姿は是非とも見てみたい。
ああ、駄目だな。
ついつい先の事を考えて未来を夢見てしまう。
もう、死ぬか殺人鬼になるかの二択しか残されていないワタシには、未来に希望を抱くなんて許されないというのに。
最後の晩餐ならぬ最後の談話の終わりを告げるノック音が響いて、ドアが僅かに開かれた。
隙間から神社で神主さんが着ているような狩衣姿の男性が穂乃華を手招いている。
どうやら、神代一族の結論が出たみたい。
大丈夫だから行ってどうぞとジャスチャーで伝えると、穂乃華が男性の方へ向かって、一族の決断を聞く。
「凛音ちゃんを、生け贄に使う!? 待って下さい。あの子はまだ、4歳ですよ。それに凛音ちゃんが居なくなったら、水聖扇の継承者だって。いいや、継承者なんてこの際、どうでも良いですわ。どうして、最長老は理琴に凛音ちゃんを殺させるなんて結論が出せるのですか!」
ワタシがこれまで聞いたことがないような穂乃華の怒号が蝋燭以外に何もない部屋中に響き渡る。
どうやら、神代一族の最長老さんは、目的のためには非情な決断も下すことが出来る人みたい。
穂乃華が決定に対して猛反対している仲、ワタシはそっと目を閉じて、最悪の結末を避けるために、自分のやるべき事を考える。
ワタシは、未来で殺すかもしれない誰かを守るために、別の誰かを殺せるの?
同じ神代の一族であるはずの彼の声が、とても遠くに聞こえます。
神代一族。
古来より、闇夜に紛れて暗躍してきた魑魅魍魎達からこの世界を守ってきた一族。
圧倒的な力をもつ聖武具を引き継いできたこの一族の掟として、最長老の決断は絶対です。
堕天鬼を、その内に宿した理琴。
彼女の中にいる堕天鬼が人々を殺す前に、生け贄を捧げることで今回の契約を履行させ、ひとまずの時間を稼ぐ。
炎聖扇を使っても理琴を殺すことが出来なかった現状、それが世界を救うための最善手なのかもしれません。
わたくしの手は1度、友の首を貫きました。
あのときの感触はまだ手の内側に残っています。
特別な物はなにもありませんでした。
総山の修行で野生動物を狩った時と何も変わらない感触でした。
その現実がわたくしは怖かったです。
理琴は友達なのに、まるで彼女が動物の1つであるかのように易々とその肉を切ることが出来ました。
でも、わたくしの聖武具を扱う力不足で、理琴は堕天鬼の力で蘇ってしまった。
野生動物のように理琴の肉を切ることは容易くても、彼女を堕天鬼の呪いから解放させ殺すことは出来ない。
ただただ、この手の中に友達の肉を切る感触が積算されていくだけ。
もうすぐ、今日が終わろうとしている。
悩んでいる時間さえもう残されてない。
解決策を見つけるにも、時間が必要。
時間を得るために、誰かが生け贄になって死なないといけない。
これが正しいことかは分からない。
きっと正しいことじゃない。
でも、もうこれしか残されていない。
世界を守るために、誰かかが犠牲になるのならそれは、神代の一族から選出されるべき。
そんな事は分かっています。
でも、分かりたくなんてないです。
「なんか・・・もう、疲れちゃったな」
ぽつりと口をついて出た一言が、わたくしの中で何かを切りました。
これまでのわたくしの中で絶対に繋がっていなければいけなかった何かが。
気がついた時にはわたくしは、扉から離れて、理琴を外へ連れ出すための道を作っていました。
「ねえ、教えてください。理琴は死にたいのですか?」
「そんな訳ないでしょう。ワタシはまだまだこれから先もずっと、穂乃華と遊んでいたいのだから」
「そんなのわたくしだって、そうですよ」
「うん。知っている。でもね、あなたと遊べなくなるよりもっと嫌なのは、ワタシがこれから先、想像もつかない人間を殺めること。そんな事にならないためなら、死ねるし・・・きっと誰かだって殺せる」
横を通り抜けて、理琴が歩き去って行きます。
後ろから声を掛けることも、一緒についていくことも、わたくしには出来ませんでした。
凛音ちゃんを殺しに行く、友人の後ろ姿が見えなくなると、わたくしは誰も居ない部屋で1人膝を抱え、声を出さず泣き続けました。
この抗えようのない悲劇が一刻でも早く終わって欲しくて。
狩衣の男に従って、蝋燭にだけ灯らされたジンダイの廊下を歩いてく。
ああ、左腕が痛い。
禁紋の成長を告げる痛みが走る感覚がどんどんと短くなっている。
知りたくもない現実を直視したくなくて、ワタシは白装束の袖口がまくり上がらないようにぎゅっと握りしめた。
「こちらです」
案内された部屋には、神代一族の名だたる人物なのだろうと思える人達が集結していた。
その数はざっと10数人。
神代一族の血縁なんて、部外者のワタシには分からない。
でも、向かって左側にいる妙齢の女性は物腰が柔らかそうな柔和な雰囲気でありながら何処か理的な怜悧さを感じる。
あの人がお母さんかな。雰囲気が穂乃華そっくりだし、きりっとしたモデル顔負けの鼻立ちなんて穂乃華そのもの。
だとするとその隣に寄り添うように立っているのが穂乃華のお父さんって事になるのかな。こっちはあんまり穂乃華に似ていないね。
もう少し周りを見渡してみると、穂乃華が持っていた炎聖扇ととてもよく似た扇子をもつ男性がいた。
炎聖扇は朱色を基本として金色の装飾が施されていた扇子だったけど、彼が持っているのは蒼色を基本として銀色の装飾が施されている扇子。
細部はこそ違うけど、ほぼ炎聖扇と同じ形状をし、色違いであるそれが水聖扇であることは違えない。
長身で、ラグビーでもやっていそうな体躯の彼が現在の水聖扇の継承者ってことか。
ワタシに分かるのはそのぐらいだけど、後の人達も神代一族にとって影響力を有している人達のはず。
特に大広間の先にある、朱と蒼に彩られた祭壇に重々として座しているあの老人なんて、自分が一番偉いと証明しているようなものだった。
「あなたが、最長老さん?」
「そうだ、堕天使を宿し、忌み子よ」
「忌み子って、ワタシの名前は、和泉 理琴って言いますよ」
「名前など必要ない。お前は、この世に存在してはならない生命なのだから」
祭壇の上に座りながら最長老が、しがれているのに、鮮明に聞こえる不思議な声で語りかけてくる。
「そう。名前で呼んでくれないのは、残念。もう自力じゃ立ち上がれそうにないお婆さん」
皮肉を込めた発言をした瞬間、ワタシの体を水流が突き抜けた。
高圧で圧縮されていたそれは、超硬のカッターとなって体を易々と一文字に両断した。
水聖扇の継承者さんが、不躾な発言に堪忍袋の尾を切らしての行動。
熱血漢な人だろうなとは思っていたけど、思った以上に神代一族への忠誠心も高いみたい。
でも、ごめんなさいね。
ワタシは聖武具の力じゃ死ねないことはもう親友で実証済みなの。
「ば、化け物めっ」
水聖扇の攻撃で切断されたはずの体は、重力に従って肉体が崩れ落ちるより先に治癒して、ワタシは何事もなかったかのようにここに立っている。
「化け物でごめんなさいね。ワタシはこんな体になっちゃったの。ねえ、神代の一族はこんなワタシを殺せるの?」
「策はある。継承者を1人犠牲にすることになるが、炎聖扇にて、地獄の煉獄を生み出せば、その永遠に燃え続ける業火の海で殺すが出来るかもしれない。殺すことが出来ずとも、その炎の中で、お主は無限に生と死を無限に繰り返すことになり、業火の先に出てくることは叶わないだろう」
「ずっとワタシの体が燃え続ける、炎の牢獄って言った所か。死ねないけど、誰も殺さないで済むのなら、上出来だね。その術が出来るのは何時?」
「術式は既にある。穂乃華には荷が重いかもしれないが、先代と水聖扇の継承者が術式の補助に回れば、不可能な術ではない」
「だったら、今すぐ穂乃華を呼んできて、ワタシをその地獄の煉獄って奴で包み込んでよ。もう時間がないんでしょう、最長老さん?」
「そうだ。時間が無いのだ。その術式を起動させた場合は街1つが業火で包み込まれてしまう。しかし、そなたが生き返ってしまった今、堕天鬼との八束の時間までに街の人々を全員安全圏にまで避難させるのは不可。後は時間さえあれば良いのだ」
最長老の声を聞きながら、ワタシは大広間の中央に目をやる。
そこにいるのはさらさらとした長い黒髪が特徴的な幼い少女。
「忌み子よ、人々のためを思い、堕天鬼による虐殺を避けたいのなら、今そこでその娘を殺せ。それは、神代より選出された生け贄である」
両足と手は後ろで縛られ、目は布で被われているけど、この子が凛音ちゃんであることは明確。
泣き出したいのだろうけど強いあの子は必死に涙を堪えながら、大人達に囲まれ、ワタシと最長老の話を聞いている。
堕天鬼から言われたのは1人。
私が1人、殺せばそれだけで救える命がある。
穂乃華と別れたあのときに、ワタシは心を決めていた。
この部屋に案内してくれた男性がそっと近づいてきて、短剣を差し出してくれる。
包丁よりも少し長い刀身が、蝋燭の灯りだけの薄暗い部屋にあっても妖しく輝いている。
柄をぎゅっと握りしめて、大広間の中央に1人身動きが取れない状態で、取り残されている凛音ちゃんへ近づいていく。
「リコお姉ちゃん?」
「そうだよ、凛音ちゃん」
「リコお姉ちゃん・・・りんねを・・殺すの?」
「そうだよ、ごめんね」
「どうして、りんねは殺されないといけないの?」
「・・・・・」
純粋なその問いかけにワタシは答えられない。
凛音ちゃんは、彼女ではない誰かを堕天鬼の虐殺から救うための生け贄。
自己犠牲の精神を、こんな幼い子に理解してなんて言えない。
ほんの少しだけ一緒に過ごしただけだけど、凛音ちゃんが優しくて、強くて、良い子なのはよく分かる。
この子は何も悪いことしていないのに、死ななくてはいけない。
本当、投げ出したくなるぐらい理不尽な現実。
「・・・りんね、死ぬの、嫌だよ」
真っ直ぐな言葉にワタシの決意が鈍った。
この罪なき少女に刃を振り起こすことを躊躇ってしまった。
その躊躇が取り返しのつかない最悪の結末を引き起こすことになる。
「ねえ、死にたくないよ」
水滴が落ちる音がした。
この部屋に不釣り合いな音に、ワタシを含めた全員が音の出所を探した。
答えは簡単だった。
体躯の良いあの継承者がもつ水聖扇から水がしたたり落ちている。
水を司る水聖扇は無から水を生み出す事が可能。
この現象事態は、不思議なことじゃない。
ただ、水聖具をもつ彼も、何が起きたか分からないという顔で手にする蒼と銀の扇子を眺めている事が、事態の異常さを示していた。
「嫌だよ。りんねは、りんねは生きて、もっとたくさんいろんな人と遊びたいだよ!」
その純粋無垢な願いに呼応するように聖武具から水があふれだしてきた。
穂乃華は、凛音の潜在能力は目を見張る物があると称賛していたけど、継承者になる前から水聖扇を使える程だったとは聞いていない。
水聖扇からこぼれ落ちた水はやがて1つに集まっていき、命をもっているかのように龍の姿を形作っていく。
それは凛音ちゃんの生存本能が具現化した姿なのか、水の龍は少女の命を奪おうとするワタシの足に絡みついてきた。
堕天鬼の呪いはこの体を不死にしたけど、力を強化した訳ではない。
ワタシの力はあくまで人並みしかなく、絡みついてきた水の龍を振り払うことができない。
「止めるのだ、凛音。その忌み子を捕らえはならぬ。もう時間が無いのだ。お主も神代の血を引く者なら、この国の民のために、死ぬのじゃ!」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
神代一族にとって絶対と言われている最長老の命を否定する少女。
その悲鳴にも似た拒絶の言葉が大広間に響き渡った、その時、時が来た。
堕天鬼の傀儡と化した理琴によって、この地が殺戮に染め上げた、その日が。