1-8:未来につながるこの出会い
1-8
ワタシは白い部屋にいた。
床も、壁も、天井も全てが真っ白な部屋。
もし、これが初めてならワタシは天国へやってきたと信じていたと思う。
けれど、毎晩見ていたこの部屋が、天国じゃない事はよく知っている。
ここは死後の世界なんかじゃない。
ここは夢の中。
それも、堕天鬼が住まうワタシにとって悪夢ともいえる部屋。
「ワタシ、死んでいないの?」
変わらず白い止まり木で、羽を休めている鴉に向かって問いかけた。
・・・そう、問いかけられた。
ワタシは、今は初めて、夢の中で声を出せている。
今までは金縛りに遭ったかのように、指先すら動かすことが出来なかったのに、今は声が出せるばかりか、手足さえも自分の意志のままに動かせている。
これって、ワタシが死んだからなの?
それとも、全く別の理由があるの?
「ねえ、これはどういう事なの、堕天鬼?」
この白い部屋に、唯一ワタシと共にいる漆黒の鴉に向かって近づいていく。
鴉の方から自己紹介をされた事は無かったけど、この鴉が堕天鬼であることは、間違えない。
鴉に触れたくて、可能な限り近づいてみるけど、後1m程近づいた所で、まるで決壊に阻まれているかのように、透明な壁にあたり、それ以上進めなくなった。
「ねえ、教えて。ワタシは死んだの?」
鴉は、白の止まり木の上からこちらを見て、ゆっくりと口を開いた。
「お前の命、既にお前の物ではない。お前は我の呪いの中にある」
「呪い? それっていつからなの?」
「忘れている事に答える必要は無い。大切なことは、その命は既にお前の物ではないという事だ」
「命はワタシの物じゃない・・・つまり、命を捨てることも出来ないってこと?」
「そうだ。その命燃え尽きようとも、我が何度でもお前の命を冥界から連れ戻そう」
もう死ぬことで、堕天鬼から逃れることすら許されていない。
漆黒の鴉が紡ぐ言葉は、白い部屋の中にあって、何度も何度も呪詛のように、ワタシに絡みつくように木霊していく。
「良いか。後、1日だ。忘れるでないぞ」
目を開けると蝋燭の灯りが、瞳の奥に差し込んできた。
ゆっくりと上半身を起こして周りを見渡す。
ここは装飾品も何もない大広間だった。
特徴的な物といえば、朱色と藍色の燭台に乗せられている蝋燭ぐらい。
恐る恐るゆっくりと首元に手を伸ばす。
記憶の最後は、穂乃華が持つ炎聖扇が首を貫いた所で終わっている。
あの時死んだはずなのに、夢の中で堕天鬼に告げられたようにワタシは冥界から蘇らされてしまった。
貫通していたはずの首も傷跡1つなく元通り、繋がっている。
死んで終わらすことの出来ない呪いに、ため息が自然と漏れてしまう。
起き上がろうとして、そこでワタシは着ている服が替わっていることに気づいた。
穂乃華に殺された時の私服は誰によって着替えさせられ、死者が着るような白装束になっていた。
禁紋が刻まれている左腕も白装束に隠されている。
ワタシは殺されてどれだけの時間が経っているの?
答えを知ることが怖くて、左腕の白装束をまくり上げることが出来なかった。
「まるで、お葬式一歩手前って所ね」
実際の所は、そうなのかもしれない。
死んが人間が、再びの命を得て蘇るなんて、普通ならあるわけがない。
死者がそこにあれば、弔いをするのは当然。
でも実家に連れ戻された訳ではないみたいだし、葬式屋さんって感じの雰囲気でもない。
ここに流れている空気は、葬儀に流れる哀愁とはほど遠い荘厳な空気だと思う。
辺りに気を配るけど、人の気配はない。
燭台の蝋燭を手にして、扉の方へ向かって行く。
開けた扉の先には、やっぱり電灯なんてなくて、同じように朱色と藍色の燭台に乗せられている蝋燭の光だけで照らされた廊下があった。
人気がないのを確認して、ゆっくりと歩いて行く。
木張りだから、ゆっくりと歩いていないと床からギシギシと音が鳴ってしまいそうだった。
音を出さないようにゆっくりと足を進めていると、
「お姉ちゃん、何しているの?」
「!!!!」
急に話掛けられて、それこそ心臓が飛び出すかと思った。
それでもなんとか、悲鳴を上げることは抑える事が出来て、胸に手を当て荒ぶる心臓を落ち着かせる。
声のした方に振り返ると、もうすぐ小学校へ上がろうかという位の年頃の幼女が、不思議そうに見上げていた。
さらさらとした長い黒髪に、水晶のように住んだ青いつぶらな瞳がとても特徴的だ。
「本当、ワタシって何しているんだろうね」
見知らぬ場所で目覚めてしまったから、ここが怪しい場所かどうか捜索しているなんて正直に言えるわけない。
しゃがみ込んで、できる限り視線の高さを合わせることで、青い瞳の少女を必要以上に怖がらせないようにして、優しく話かける。
「はじめまして。お嬢ちゃん、お名前は? ワタシの名前は和泉 理琴。よろしくね」
「リコお姉ちゃん? りんねはね、じんだい りんねって言うの」
天真爛漫な笑顔で自己紹介くれたけど、ワタシはちゃんと笑い返されている自信はなかった。
リンネちゃんの名前に入っているジンダイの文字。
それは、世界を守るためワタシを殺すように使命を受けた親友と同じもの。
ともすれば、この屋敷は神代の一族に総本家とでも考えるのが妥当。
死んでいたワタシを屋敷に運んできたのは、死体を優しくともなってくれるつもりだったとは考えにくい。
おおかた、ワタシの死体を解剖でもして、文献に残して後生に語り継ぐために利用するつもりといった所だろう。
でも、穂乃華が貸してくれた神代の文献には、堕天鬼の呪いによって不老不死になった事例は記されていなかったから、神代の一族は、ワタシが生き返ることは思っていなかったのかもしれない。
死体だと思って疑わなかったから、警備はなく、ワタシはこうして易々と逃げ出せている。
「そっか。お名前教えてくれて、ありがとうね、リンネちゃん。ごめんね、お姉ちゃん、急いでここから逃げないといけないみたいなの」
「リコお姉ちゃんも逃げるの?」
「も? ってことはリンネちゃんも、何から逃げているの?」
「うん。りんね、もうすぐ5歳になっちゃう。5歳になると、ぶんけのりんねは、スイセイセンのけいしょうしゃになるために、そうざんって所につれていかれるの。りんね、お友達とわかれるのやなの。だから、家出するの」
スイセイセンって、神代一族に伝わる聖武具の1つ、水聖扇の事?
こんなに小さいのに聖武具を継承するために、友達と離ればなれになってまで修行に出されるって事なのね。
・・・あの子は、昔のこと語ってくれなかったけど、穂乃華も、もしかして炎聖扇を継ぐためにリンネちゃんみたいに修行に出されていたの?
「そっか、じゃあ、お姉ちゃんと一緒にここから、逃げちゃおうか」
「え? うん! いっしょに行こう。りんねが玄関まで、案内してあげるからね」
手を差し出してあげると、リンネちゃんの顔が一気に明るくなった。
それは蝋燭だけに照らされた、光量の足りない廊下の中で、向日葵が咲き乱れたかのような爛漫な笑顔だった。
「へえ、リコお姉ちゃんって、ホノカお姉ちゃんの友達なの?」
「そう。友達。あの子は面白くてね。一緒に遊んでいると全然飽きないのよね」
「そうなんだ。リコお姉ちゃんって、ほんけの人で、エンセイセンのけいしょうしゃさんですごいい人だってパパ達から聞いていたから、きびしい人かと思っていたけど、そうっか、リンネも仲良くなれるかな?」
「穂乃華が怖いお姉ちゃん? ないない。あの子は、ものすっごく・・・良い子よ」
世界の平和とワタシを天秤にかけて、ワタシを選んでくれるほどに良い子だ。
だから、最後の一歩は彼女じゃなくて、自分から踏み出すことで堕天鬼の呪いを終わりにしたかった。
なのにワタシは生き返ってしまった。
生き返らされてしまった。
残された時間は後1日。
聖武具の力でもワタシを殺せなかった。
もうすぐ、約束の時がやってくる。
その時までにワタシは、誰かを殺すの?
それとも殺せず、堕天鬼が誰かを殺すの?
どちらにしても、神代の本家に居たら、穂乃華に迷惑を掛けることになる。
一刻も早く、ここから逃げ出して、自分の生き様を、自分で決断しないと。
「え?」
なのに、どうしてだか、足が止まってしまった。
何かに呼ばれたような気がした。
三つ叉の廊下。
リンネちゃんは右側に進んでいるのに、ワタシは行き止まりとなって壁になっている左側の道を吸い込まれるように見ていた。
「どうしたの、リコお姉ちゃん。玄関はこっちだよ」
立ち止まったワタシの元まで惑ってきてくれたリンネちゃんの頭を、大丈夫だよと伝えるように優しく撫でてあげる。
確信なんて何もなかった。
行き止まりなっている壁に手を振れ、押し込んでみる。
「やっぱり、隠し扉」
壁がドアのように開き、行き止まりだったはずの道に先が現れる。
「わぁ~~。すごい、すごい。リコお姉ちゃん、どうしてわかったの?」
不安そうだったリンネちゃんの顔が一変。
探検好きな子供の表情になって、我先にと隠し扉の向こう側へ入っていった。
「ちょっと、リンネちゃん。いきなり走り出すと危ないよ~~」
隠し扉の先には、ワタシ達以外誰も居ないことを確認して、リンネちゃんの後を追う。
少し進んで先で、リンネちゃんが何を見上げるように立ち尽くしていた。
隣に立って、リンネちゃんが見ているものを目にした瞬間、ワタシも言葉を失った。
これまで歩いてきた廊下とは違って、この部屋には蝋燭の光はない。
変わりにあるのは大樹。
樹齢数百年はあろうかという大樹が、部屋の中央に座している。
部屋の天井もこれまでの廊下とは違って、吹き抜けのようなっていて、大樹を包み込むように10m以上もの高さを有していた。
部屋の中に突如として会わされた事自体でも異彩なのに、あろう事かこの大樹は自ら淡い光を放っていた。
それが、蝋燭がなくなっても、この部屋が明るい理由。
「これって、しほうらいじゅ様?」
始宝来樹。
その名前は穂乃華から借りた本に記されていた。
始宝来樹は世界創造の大樹の枝が地球に根付いたものと言われており、始宝来樹の加護を受けているため、神代一族は炎聖扇と水聖具を扱えるようになっている。
書物の中に、始宝来樹の姿については記されていなかっけど、この大樹が抱く圧倒的な神秘性を前にすると、これが始宝来樹だと認めざるを得ない。
「っっつ!」
左腕に痛みが走り抜けた。
この感覚は知っている。
堕天鬼の呪いの証である禁紋が、またしても成長した証だ。
「リコお姉ちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。でも、ごめんね、リンネちゃん。少しだけ、ここで待っていてくれるかな?」
神代一族に聖武具をもたらしたと言われている始宝来樹。
この樹なら、もしかしてワタシを堕天鬼から救い出してくれるかも知れない。
かすかな希望を抱き、淡く光り輝く大樹へ歩み寄って、そっと掌を重ねた。
「っ!!!!!」
瞬間、始宝来樹は堕天鬼を宿したワタシという存在を忌み嫌うように強く光り出した。
ワタシの体は光の渦に飲み込まれて、為す術もなく始宝来樹から拒絶され、部屋の壁に叩きつけられた。
「リコお姉ちゃん!」
「そんな泣きそうな顔しなくて、大丈夫、リンネちゃん。ほらこの通り、怪我はしてないから、脅かしてごめんね」
駆け寄ってくる青い瞳の少女に笑顔を向けながら、ゆっくりと立ち上がる。
始宝来樹に触れた左手には特に違和感を感じない。
ただ、白装束の袖口からから除く手首には、穂乃華に殺される前とは比較ならない程、乱雑な模様を描いている禁紋が見え隠れしている。
勇気を振り絞って、白装束の袖口を握りしめたけど、やっぱりワタシはそれをまくり上げることは出来なかった。
そして、始宝来樹は神代の一族にとっては、象徴であり心臓とも言える存在。
そんな場所においそれと迷い込んで、放っておかれる程、この一族は優しくはない。
「そこまでです、始宝来樹への侵入者!・・・っえ、理琴なのですかっ!?」
一族の者達を連れて、始宝来樹の部屋に先陣を切って入ってきたのは、ワタシがもっともよく知る人物だった。
絹絹のようにしなやかな長い黒髪を右肩から垂らすように赤いシュシュで結っている彼女は、今も深紅の扇子、炎聖扇を握りしめている。
でも、丸くて可愛らしい瞳は幽霊でも見たかのようにいつも以上に大きく見開いていた。
そんな素っ頓狂な顔をしている親友を前にして、ちょっとしたイタズラ心が沸いてきたワタシは精一杯の憎たらしさを込めて言ってやったんだ。
「うらめしや~~~、穂乃華~~~~~」