1-5:呪いが動き出す刻
1-5
汚れなんて何も感じさせない真っ白な部屋にワタシはいた。
床も壁も天井も全てが白い部屋。
ここにあるものは少ない。
まずワタシがいる。
そして、前には白い止まり木の上に居る漆黒の鴉が1羽。
ワタシの体動かずに、ただ鴉と対峙しているだけの夢。
何度も、何度も、何度も、繰り返し見てきた夢。
一度だけ、夢の中で鴉が動いた事があった。
夢の中で、ワタシ祖は鴉を見る。
今日も動くのか、それとも、あの日だけ何かが違っていた、これから先も鴉は動くことなく、ワタシがずっと同じ夢を見続けていくの?
答えは、そのどちらでもなかった。
「始まりだ」
夢の中、真っ白な部屋の中で、初めて声がした。
誰?
この部屋の中にいるのは、ワタシと鴉だけ。
こんな男みたいに低い声は、ワタシのじゃない。
となると、この声は鴉の声?
それに始まりって何?
「3日後に1人だ」
鴉のくちばしが開いて、声が確かに聞こえてくる。
その数字の意味は何?
問いただしいたくても、夢の中で動けないワタシは声を出せない。
ただ、夢の中、目が覚めるその時まで、呪詛のように、
「3日後に1人だ」
という鴉の声を聞き続けることしか出来なかった。
眠気が全く取れない。
電車の中でうとうとをしてしまったけど、寝たらまた鴉の夢を見るかと思うと、怖くて瞼を閉じることが出来なくなっていた。
あくびをかみ殺しながら、駅で電車を降り、穂乃華が書いてくれた地図を頼りに歩を進めて目的地へたどり着いた。
「まじか・・・」
そこは予想以上の豪邸だった。
いや、豪邸というのは語弊があるかも知れない。
歴史を感じさせる古風な建物で、修学旅行の古都旅行でこんな雰囲気の歴史的建造物を何度も見てきた。
敷地面積にしても、個人邸の大きさを優に超えている。
朱色の塀で囲われたその広さは、学校の一つぐらい易々と建造できてしまうぐらいの広さを有している。
ここが穂乃華の実家である、神代の本家。
夏休み前、彼女は本家の用事であまり自由に過ごせないと言っていたけど、こんな建物を前にしてしまえば、それはそうだろうという感情しか沸いてこない。
神代本家の存在感に圧倒されてるように立ちすくんでいると、
「うふふ。よこうそいらしてくださいましたね、理琴。いかがでしょうか、驚いて下さいましたか?」
巫女服にも似た赤と白の和服に身を包んだ穂乃華が、笑いを堪えるようにして出迎えてくれた。
「ふわぁ、やっぱり、夏場の冷たいジュースは生き返るわ」
神代本家に通され、クーラーの効いた部屋で冷たいジュースをもらったワタシは一気に飲み干した。
「あらあら、とても良い飲みぷりですね、理琴」
「今日はすこぶる暑いでしょう。ちょっと寝不足で、危うく熱中症になるかと思いながら歩いてきたわよ」
体内に水分が行き渡った事でやっと少し体力が回復してきて、穂乃華の自室を観察する余裕も出てきた。
改めてみて感じたことは、でかい。
それに尽きる。
部屋の大きさそのものがワタシの自室の倍以上あるし、壁には図書館の一区画かと思える本棚に分厚い本が隙間無く詰まっている。
「しかし、ここが神代の本家ね。穂乃華って何処かお嬢様ぽいなって思っていたけど、予想以上に実家は大きいわよね。ここってかなり由緒なる家じゃないの?」
「はい。神代は古来より、この国のために尽力するために血を繋いできた一族です。私も神代本家の血筋を引く者として、この休暇中は色々と学ばねばならないことが多いのです」
巫女服に似た衣装の袖を拡げながら、見せびらかせてくる。
まあ、確かに見た目からして、実家で寛いでいますって恰好じゃないわよね。
「そんな中、ワタシと連日遊び回る余裕あるの?」
「正直、全くと言って良いほどありませんですの」
「それなのにどうしてワタシを、こんな立派な本家に招き入れたのよ? 外じゃ遊べないから、家の中で遊ぼうって言うの?」
いつもの軽口のつもりだったのに、穂乃華は黙って、ワタシの顔と正面から向き合った。
その姿は、どうしても夢の中での鴉を連想させ、ワタシは左手首にはめているブレスレットを握りしめた。
その下にあるのは、消えることのない黒い痣。
いや、消えるどころか、今朝もまた成長していた。
流石にそろそろワタシにも分かってきた。
きっとこの左手首にあるのは痣なんかじゃない。
「理琴、正直に答えて下さい、昨夜どんな夢を見ましたか?」
まるでワタシの夢に変化があったことを既に知っているような確信めいた問いかけだった。
「夢の中で、初めて声が聞こえた」
「ああ、やはり、始まってしまったのですね。それで声はなんと言っておりましたか?」
「3日後までに1人と言われた」
友人の顔が醜く歪んだ。
まるで、ペットの死に立ち会った子供のように。
絶望を理解しているけど、受け入れるのをただ感情的に拒否したいと望む、悲しい顔だった。
「3日後・・・それは思った以上に時間がありませんね」
ワタシは夏休みに友達の家に遊びに来ただけつもりだった。
でも、それはワタシだけの思い込みだった。
1人考えにふける友達に問いかける。
これまでの、彼女との時間を否定なんてしたくなくて。
「ねえ、穂乃華は何者なの? 何を知っているの?」
友達は答えを語りかけてはくれなかった。
その変わりに、壁にぎっしりと並べられている本棚から分厚い本を取り出した。
映画とかで魔法使いが持っているような表紙に重厚な装飾が施され、抱きかけるようにしないと持てない程分厚い本だった。
穂乃華は最初から、見せるべきページが分かっていたかのように躊躇いなく本を開いてテーブルにのせた。
「わたくしは、陰陽術に精通する家系に産まれました。神代の一族については先程、この国のために尽力するために血を繋いできた一族言いましたが、それは誇張でもなんでもありません。神代一族の歴史は古く、古来より一族に伝わる炎と氷の聖武具を用いることで、人類の平和を守ってきていたのです」
「はあ?」
いくらなんでも突拍子のない話につい素っ頓狂な声が出てしまう。
「少し前に陰陽師ってブームがあったと聞いております。あの話の元になったは、神代の一族らしいのですよ」
「・・・・はぁぁぁ?」
「もう、理琴ぉぉ、そんな蔑んだ目でわたくしを見ないでくださいまし。実はわたくしは、その気になれば神代に代々伝わる炎の聖武具、炎聖扇をを使うことで何もないところから炎だって生み出せるのですよ」
「・・・・」
「あぅぅ。理琴の視線が一段と冷たいものに・・・。う~~わたくしは間違った事なんて何も言っていないのですよ・・」
オーバーなリアクションで穂乃華がのけぞってみせる。
この子は、たまに訳の分からないボケを見せるときがあるけど、こんな時に嘘は言わない子だって知っている。
とは言っても、祖先は陰陽師です。なんて真顔で言われちゃうと、どう反応して良いか分からないから、ついつい寒いギャグを見た時のような冷ややかな視線を送るのは許して欲しい。
一息置くためにため息をついて、先を進めるように穂乃華が開いてくれた本を指さした。
「そうですね、今は、わたくし達一族の昔話よりも、理琴の話ですよね。ねえ、ブレスレットを外して、例の痣を見せていただけないでしょうか? 夢が進んだというのなら、きっと禁紋も成長しているのですよ」
言われたとおり昨日2人で選んだブレスレットを外すとそこには、これまで円形だった黒い印の隣に今度は三日月状の印まで生まれ出ていた。
穂乃華に進められるまま、黒い印が見えるように上にして、テーブルの上に拡げられている本の上にのせる。
「もう分かっているかもしれませんが、理琴のその左手にあるのは痣なんかじゃありません」
「だったら、これはなんなの?」
「それは、堕天鬼の呪い証です。禁忌なる呪い契約を示すための紋章で、禁紋と呼ばれており、呪いの執行日に近づくにつれ成長していき、やがてその本に示された紋章の完成体へとなり、契約者を傀儡へ変えてしまうと言われています」
歴史を感じさせる古びた紙特有の匂いに誘われるように開かれているページに目を落とす。
描かれているのは、人間の腕に描かれている、どこかの先住民族文字のような幾何学模様。
その模様は腕全体に拡がっていて、私のまだ小さな黒い紋章だけだと比較することは難しい。
でも確かに、ワタシの左腕にある円形と三日月型の紋章と、同じ位置に同じ大きさで同じ模様が描かれていた。
「ねえ、その堕天鬼って何者?」
「古の時代より、人類が抱えている永遠の命題を戒めるため、地界から地上へと迷い込んだ魑魅魍魎のなれの果てと言われています」
「何それ、全然分からない。もっとわかりやすく言ってもらえる?」
「そう言われましても、その正体はわたくし達もよく分かっていません。神代の一族に伝わる文献によりますと、過去にも何度か堕天鬼は地上に出現していると伝えられています。理琴に見せているその本に書かれている禁紋は、19世紀の有名な連続殺人鬼の左腕にあった紋章で、彼にも堕天鬼の呪いが施されていたと言われております」
「じゃあ、やっぱり、この禁紋って奴がワタシの腕にあるのは、堕天鬼って奴と繋がりがあるって証拠なのね」
「はい。それに神代の一族に伝えられている情報として、堕天鬼に呪われた者には、禁紋とは別に現れる共通点があると言われているのです」
その共通点が何であるかは、流石に聞かずとも分かっていた。
この紋章がワタシの腕に現れたときから、続いているもう一つの異変。
「鴉の夢ね」
「正解です。皆、夢の中で漆黒の鴉からある指令を受けていたと伝えられているのです」
3日後に1人。
それが、夢の中で鴉から告げられた指令。
具体的に何かをしろとは言われていない。
ただ、期日と人数だけが伝えられた指令。
何をすべきかは伝えるまでもない決定事項という事なのだろう。
それも19世紀に私と同じ禁紋を持っていた人間は有名な連続殺人鬼とあれば、生やさしい指令じゃない事位、嫌でも想像がつく。
「・・・理琴は、堕天鬼からの指令が何を意味しているのか聞かないのですね」
「その顔を見ていれば想像つくからね。ワタシ、誰かを殺さないといけないの?」
友人はゆっくりと首を縦に振ってくれた。
ありがとう。ちゃんと真実を教えてくれて。
「もし、ワタシがその、堕天鬼の指令を無視したら?」
「本当はどうなるのかはワタシにも分かりません。ですが、文献には堕天鬼との契約を反故にした場合は、その呪いによって体を傀儡にされ、堕天鬼の意志のまま、人間を殺すことになると書かれております」
それは結局、自分の意志か、他人の意思かの違いだけで、ワタシが誰かを殺すことは変わらないってことか。
ワタシはもう一度、左手を見る。
そこに刻まれている呪いの証である禁紋がまた少し成長したように見えた。
「ねえ、穂乃華、どうしたら、これはなくなるの?」
「それも分かりません。文献に残っているのは、生涯を終えるまで腕に禁紋が残っていた者達だけです。生きながらえ、禁紋が消えた事例はこれまで確認されておりません」
穂乃華がしなやかで長い黒髪を揺らしながら申し訳なさそうに頭を下げている。
そんな顔しなくても、これはワタシが堕天使に呪われたのが原因なんだよ。
あれ?
でも、ワタシはいつ呪われた?
この腕にある禁紋はアヘッドバス事故の時に刻まれたもの。
あの事故の時、ワタシは何をした?
事故から生き延びている。
でも、ワタシはどうして生き延びたの?
思い出そうとしても、あの日の記憶はもやがかかったみたいに上手く思い出せない。
カウンセラーの先生は、心的外傷から身を守るためにあの悲惨な現場を思い出すのを心が拒んでいるのでしょう。それは正常な事ですよとアドバイスしてくれたけど。
思い出せないのは、心的外傷からじゃなくて、堕天鬼と出会ったせい?。
だとしたら、あの日、ワタシは堕天鬼と何を話したというの?
静寂を通り越して、時が止まっているかのような感覚にわたくしは包まれています。
本当に時が止まっている訳ではないですが。
最長老の間に立ちこめる特有の緊張感がわたくしにそんな錯覚を起こさせています。
ここは小さな運動場ぐらいはある広い空間ですけれど、部屋を彩る装飾物は殆どありません。
あるのは、光を僅かに灯す蝋燭が置かれている朱色と藍色の燭台程度です。
わたくしは正座のまま、ただ静かに最長老がやってこられる、その時を待ちます。
扉が空く音がしましたが、振り返ることなど、わたくしには許されていません。
幼少の折より教わってたように、最長老に向かって頭を垂れます。
「あの娘が、宿し子なのか、穂乃華?」
「はい。仰せの通りです」
しわがれたた声に、わたくしはおでこを床にこすりつけるほど低い姿勢のまま答えます。
わたくしの前にいるのは神代一族の長である、最長老。
神代一族にとって最長老の命令は絶対。
生まれた時からわたくしは一族全員に最長老の言葉は神の言葉にも等しいと教育されてきました。
一族が代々受け継ぐ聖武具を操れる力が間違った方向に使われないため、わたくしの体には絶対的な掟が幾重にも絡みついているのです。
「そうであるか。本日、見た所ではまだ、堕天鬼が出てきてはいないな」
「はい。そうですが、既に命は下されております。残された時間は後3日。いえ、まもなく日が変わりますので、あと2日です」
「・・・・・」
大長老はそれ以上、何も言いませんでした。
再び、扉が開く音がして、大長老の間から他人の気配が消えていきます。
1人になった事を察したわたくしは、ゆっくりと頭を上げ、
「・・そ、そんな・・・」
言葉を失いました。
大長老の間には金色の装飾が施された深紅の扇子が1本残されていたのです。
神代の一族にとって、その深紅の扇子-炎の聖武具-炎聖扇が示す意味は戦の始り。
大長老は語らずともわたくしに命を下したのです。
「和泉 理琴の首を取れ」
と。