1-3:呪いの始まらない幸せな日々
1-3
穂乃華と連絡先を好感してから、しばらくは平和な日々が過ぎていった。
『古来と現在の生死観』の講義だと、相も変わらず穂乃華はワタシの隣の席に座る。
「やめてよね」
と思いっきり顔を顰めて言ってみたけど、
「え~~。友達の隣に座るのはいけない事なのですか?」
なんて面と向かって恥ずかしい台詞を、臆面も無く吐かれてしまうと、それ以上拒否出来る訳もなかった。
それ以降、ワタシはしぶしぶ最前列に座るようにした。
これまで最後尾に座っていたのは、この出席さえしていればレポート提出するだけで懇意がもらえる楽勝な講義時間中に寝るためだったけど、穂乃華が隣に座るようになってからは、講義中に寝ることは無くなった。
それに何より、最後尾から講師と向かって議論をするのは声を張り上げないといけないから疲れる。
どうせ寝れないのなら、いっそのこと最前列に行った方が楽ちんだとワタシは達観の域に達したのでした。
穂乃華と講師、そして不承不承ながらワタシも交えての『古来と現在の生死観』についての熱い議論が交わされ、講義が終わっていく。
そして、講義が終わると、穂乃華と2人で帰路について、彼女のおごりでチョコプラペチーノを頂く。
そんな日々が何時しか、ワタシの日常になっていた。
ちょっと騒がしてくて疲れると、友達と一緒に過ごせる悪くない日々。
一つ間違えは、命を落としてしまっていたかもしれない大事故を経験した後だからこそ、こんな日常がどれだけ尊いものかワタシは分かっている。
出来る事なら、こんな日常が長く続いていて欲しかったけど、ワタシの日常は、あのバス事故を境にして、既に壊れてしまっていた。
夢を見ていた。
真っ白な部屋の中で、ワタシは真っ白な止まり木にいる鴉と面を向かって立っている。
ワタシも鴉も一歩も動かず、ただ見つめ合っている。
毎日毎日、飽きることなく繰り返し続けられている夢。
今日も、これからも、何も変わらないと思っていた夢。
なのに、この日、鴉はワタシに、向かって翼を拡げた。
まるで、始りの合図を告げるように。
「はっ!」
目を開けると、見慣れた天井があった。
毎日、毎日、ずっと見てきている自分の部屋の天井だ。
ずっと変わっていないその天井を見ていることで動悸がゆっくりと落ち着いて行く。
変わらないと信じて疑わなかった夢の中で、鴉が動いた。
その事実が、ワタシにはたまらなく怖かった。
枕元の置き時計を見ると、まだ早朝の5時にもなっていなかった。
「やだっ。凄い寝汗・・・」
もうすぐ夏休みが始まろうとしている時期とは言え、こんなに寝汗をかくことは珍しい。
体中がべたべたして気持ち悪いし、目も完全に覚めてしまっている。
なんかもう、今日はこれ以上眠れそうにない。
起き上がって、パジャマを着替えようと部屋の電気をつける。
「あれ? 大っきくなっている?」
上着を脱ごうとした時、左腕に目がいった。
そこには、アヘッドバス事故以降、消える事の無い痣がある。
黒い斑点のような痣が、ワタシには少しだけ大きくなっているように見えた。
「ふわっぁ~~~」
全然、眠気が取れない。
あくびをかみ殺しながら、廊下を歩いていると、
「おはようございます、理琴ちゃん」
「だから、今更ちゃん付けはやめてよ、穂乃華」
「え~~だって、わたくし達友達ですよね?」
「友達だから、呼び捨てで良いって言いっているでしょう」
寝不足気味で気怠く歩くワタシとはうって変わって、朝から疲れなんて一切感じさせないさわやかな雰囲気をまもった穂乃華が後ろから追いついてきた。
ちなみに、この理琴ちゃんって呼ばないでよっていうのは、ついつい毎日やってしまう、ワタシ達の茶番劇。
例えはあれだけど、小学校の夏休みのラジオ体操のようなもので、これをやらないと2人の朝は始まらないという感じかな。
「はい。改めて、おはようございます、理琴。今日はまた一段と眠そうですね」
「夢見が悪くて、今日は朝の5時前起き。ふわああぁぁ。今日は、絶対に授業中に寝るわ、これ」
「もうぅ、しっかりと起きないと駄目ですよ。でも、夢見が悪いって、嫌な夢でも見たのですか?」
「夢ね。変化があるなら、夢でも大歓迎だよ」
「何ですかそれは。やっぱり、理琴ってちょっと変わっていますよね」
「その台詞。あんたにだけは絶対言われたくないわ」
二人して、たわいない話をしていると、丁度前期テストの結果が発表されている広場へやってきた。
必修科目の成績上位者が、掲示板に張り出されていて、多くの人で溢れている。
ワタシは落第するほど頭が悪いわけじゃないけど、掲示板に張り出されるほどの成績上位者でもない。
それに、そもそも他人の成績になんて興味ない。
そそくさと広場前から立ち去ろうとしたけど。
「おい、あれ。神代 穂乃華だぜ」
広場前の視線がこっちに・・・さらに言えば、ワタシの友達に集まっているように思えてしかたない。
「ねえ、なんか、あんた、目立ってない?」
「それはおそらく、掲示されているあちらが原因かと思います」
はにかみながら、白くて細い指が示した先にあるのは、学内成績上位者が張り出された掲示板。
その全ての上位5名以内に、神代 穂乃華の名前があった。
「え、穂乃華って討論マニアって訳じゃなくて、成績優等生なの?」
「ちょっと、理琴。その言い分だと、今までわたくしの事、なんだと思っていたのですか?」
「チョコプラペチーノ係」
「ひどいぃですぅ。わたくしって理琴にとっては財布扱いでしたの?」
なんて相も変わらず、バカな茶番劇をしているけど、内心だとかなり驚いていた。
穂乃華が優等生で、頭も良いことは知っていたけど、まさか全教科で上位5名以内に位置するなんて。
普段は、ワタシとこんな馬鹿げた雑談ばかりしているはずなのに・・・。
やるべき事はきっちりとやっている、このしっかり者めっっ!
「でも、成績発表されたって事は、もうすぐ夏休みになるのですね。理琴は何か予定ありますでしょうか?」
「別に何も、サークルとかも入っていないし、適当に遊ぶつもり。穂乃華は?」
「わたくしは、多分、神代本家の行事でいっぱいっぱいになりそうですね」
「そっか、残念。もし良かったら、穂乃華と一緒に沢山遊ぼうと思っていたのに・・・」
「わたくしも残念で仕方ないです。ですが、理琴さえ、よろしければ、わたくしの家に遊びに来ませんか?」
「いいじゃんそれ。面白そうだから、絶対に行く。そして、本家とやらの仕事で忙しくしている穂乃華を、クーラーの効いた部屋から見て見て、にやにやしてやる」
「ふふ。もう、何ですかそれは。でも、今年なら可愛い従妹もいますから、理琴だってきっとメロメロになること間違えないですよ」
あくびを必死にかみ殺しながら、もうすぐそこに迫った夏休みの計画を友人と進めていくこの一時がワタシにはかけがえ無い煌めいた時間だった。
その夏休みが、これから人を殺し続けていく、長い長い呪いの始まりだなんて知らないで、ただただ、未来は楽しく輝いていると信じて、夢見ていた。