1-2:いずれ命を落とすことになる彼女と友人になった日
1-2
「ふわぁぁぁ」
あくびをかみ殺しながら講義室のドアを開ける。
どうも最近は寝ても、寝ても、眠気が取れない。
寝ているはずなのに、全く眠っていない感覚がずっとワタシの中に残っている。
これも、毎日、毎日、同じ夢を見ているせい?
「あれ?」
「あら、おはようございます。え~と、確かお名前は、和泉 理琴さんでよろしかったですよね」
「うん、そうだけど・・・」
今日も、今日とて、単位のために『古来と現在の生死観』を受けに来たのだけど、講義室にいたのは学園一の優等生、神代 穂乃華だけだった。
絹のようにしなやかな長い黒髪を右肩から垂らすように赤いシュシュで結っている。
いつもは最後尾の席から後ろ姿を見ていることが多かったから、こうして面と向かうと切れ長のまつげや、瑞々しい唇を真っ正面から見ると同性ながら、ちょっとドギマギしてしまう。
こんなに端正な顔立ちしていて、さらにプロモーションも良いんだから学園中から人気を集めるのも納得。
「どうかしました。わたくしの顔に何かありますでしょうか?」
「おはよう、穂乃華。そうじゃなくて、今日は人が少ないって思っただけ」
講義開始時間ぎりぎりに着たというのに、教室にいるのが彼女1人だけだとは思わなかった。
相当な不人気講座だったけど、辛うじて二桁を超えるぐらいの生徒数はいたはずなんだけど・・・。
不思議に思いながらいつものように最後尾の席に向かおうとするけど、
「それは・・・申し訳ありません」
「どうして、あんたが謝るの?」
「実は、わたくしと先生の会話がディープ過ぎて、これ以上はついて行けないと、わたくしと理琴さんを除いた他の人はこの講座を辞めてしまいました」
衝撃の情報に思わず、足が止まってしまった。
穂乃華は桃色の頬を僅かに朱色に染めながら、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
確かに、穂乃華と講師のディープな会話にはワタシも全くついていけなくて、ほぼ毎回子守歌変わりにしていたのだけど、まさかそんな深刻な事態になっているなんて・・・。
まあ、でも、ワタシとしては受講者が減ったところで、無事に単位が取れればそれで良い話なんだけど。
「だけど、あんたは何をしているの?」
「はぃ?」
いつものように、惰眠をもらうべく最後尾に座したワタシは、さも当然とばかりに隣へ移動してきた学園一の優等生に問いかけた。
講座の受講人数を激減させた原因は、でも、猫のような可愛らしい声を上げながら、小首を傾げている。
「あんた、いつも最前列に座っているよね。それにさ、見ての通りこれだけガラガラなのに、どうしてわざわざワタシの隣に座るの?」
「だって、寂しいじゃないですか」
「それは、まったく理由になっていない」
「そうですか? わたくし的には立派な理由ですよ」
言いながら素早く教材を机の上に拡げていく。
向こうに去るつもりがないのなら、こっちから移動するまで。
だけど、運悪いことに講師が講義室に入ってきてしまった。
穂乃華が最後尾に座っていることに少し驚いていたけど、講師は何事もなかったかのように講義を始めていく。
こうしてワタシは、席を移動するタイミングを完全に逃してしまっていた。
「つ、つかれた・・・」
今日も実りある生死観について議論を交わすことが出来たとるんるん顔の講師が講義室を出て行くなり、ワタシは机の上に倒れ伏せた。
受講人数が減ったからと言って、穂乃華も教師も生死観に関する議論へ対する情熱は何も変わらなかった。
むしろ、周りを気にしなくて言い分、よりディープで熱い討論を繰り広げていた感じすらある。
しかも、2人はあろう事か、穂乃華の隣にいる素人のワタシにまで意見を求めてきた。
留年しないためには、もう単位の一つさえ無駄に出来ないワタシは、講師の問いかけを無視することも出来なかった。
結果、ワタシはいつも以上に神経を研ぎ澄まして、穂乃華達が言っていることをなんとか理解しようと、講義時間中ずっと脳内をフル稼働させていた。
「ふふふ、ごめんなさいね、理琴さん。わたくし、今日もついついヒートアップしてしまいました」
「・・・チョコプラペチーノ」
「え?」
「悪いと思っているのなら、チョコプラペチーノぐらい奢りなさい。あんたのせいで、今日のワタシの脳は、ものすごく糖分を欲しているのだから」
「・・・・」
「ちょっと黙ってないで、何か言いなさいよ」
机から顔を上げたワタシも思わず言葉を失ってしまった。
だって、いきなり、穂乃華がワタシに抱きついてきたんだ、びっくりもするって。
「はい。是非に奢らせて下さい。わたくし、一度友達と買い食いってものをやってみたかったのです」
「はあ? ちょっと待ってよ。いつからワタシとあんたが友達になったのよ?」
「今日からですよ、理琴ちゃん」
そんな堂々と言い切られたら、いちいち訂正する気にもなれない。
あきらめのため息をつきながらも、奢らせるプラペチーノにどれだけ高いトッピングをつけてやろうかと、ワタシは頭をもう一働きさせていた。
「え? 理琴ちゃんってアヘッドバス事故の関係者なのですか?」
「そうよ。一時期、大学中で噂になっていたのに、逆に知らない人がいた方がワタシは驚きよ。後、ちゃん付けはむず痒いから止めて、呼び捨てで良いよ」
「あの事故の時は、わたくしも家庭の事情で学校にこない日が多かったですから・・・アヘッドバス事故の事はニュースで知っていた位でして・・・怪我とか大丈夫でしたか?」
約束通り、トッピングメガ盛りのチョコプラペチーノを穂乃華は笑顔で奢ってくれ、ワタシ達は、オープンテラスに移動して雑談に興じている。
同じ講義を受けていたとはいえ、学園一の優等生とこうして面と向かって話すことはほぼ無かった。
まずは自己紹介に絡めて、自虐的にアヘッドバス自己の生き残りだと宣言した所、ちょっと変わったこの優等生が、まるでサンタクロースを見た子どのように目を大きく見開いたのが、今し方の出来事。
「座っていた場所が奇跡的に良かったらしく、軽傷で済んでいる。残っている傷跡と言っても、小さな痣ぐらいよ」
「痣?」
「そう。この痣なんだけどね。小さくて目立たないからあんまり気にしていないけど、これだけは、全然消えないのよね」
時計を外して、左手首をテーブルの上に置く。
そこにあるの小指の先ぐらいの小さな黒い痣。
普段は時計で隠せているから、気づかれることもないけど、アヘッドバス事故からすでに4ヶ月以上が経過しているのに、この痣だけは一向に聞ける気配を見せない。
まるで、あの日の出来事の真実を刻み込む証のように残り続けている。
「これって、まさか・・・」
「どうしたの、穂乃華? 痣見ただけで、そんな蒼白な顔しちゃって。もしかして、こう言うのって苦手だった?」
「いえ。そういう訳ではないのです・・・ねえ、理琴ちゃん。わたくし達、連絡先を交換しましょう!」
「え? まあいいけど、なんか急ね」
「そんな事無いのです。2人でチョコプラペチーノをこうして飲んでいる仲じゃないですか。なら、わたくし達はもう友達です」
「もうなによ、その理論。あんたやっぱちょっと変わっているね~~」
不思議な理論を熱弁する優等生がなんだかおかしくて、ワタシは笑い出してしまった。
つられて、穂乃華も柔らかそうな口元に手を当てながら微笑んでいた。
それから、連絡先を交換しあって、チョコプラペチーノを飲みながら、ワタシは友人と日が暮れるまで他愛ない雑談を繰り広げていた。
これが、いずれワタシの目の前で命を落とすことになる彼女と友人になった日の出来事だった。