時戻りの公爵令嬢は、婚約破棄を望みます。
「ベアトリーチェ・パルヴィス公爵令嬢! 貴様は身分を笠に着て、ずいぶんとニコレ嬢を虐めていたようだな!!」
夜会で突然響いた怒声に驚き、ベアトリーチェと名指しされた私の思考は、一瞬止まった。
声の主は婚約相手である、第一王子ルーベンス殿下。
貴族たちも意表を突かれたらしく、戸惑う様子でこちらを見守る中、私の正面にはルーベンス殿下と見知らぬ令嬢が立っている。
一体何が始まったの?
「虐めて……? 私はそのようなことはしていません」
身に覚えのない話に否定の声を上げたら、即座に詰られた。
「黙れ! 外面ばかりを取り繕う悪女め! 貴様の裏の顔は、すべてニコレ嬢が教えてくれた! よくも慎ましやかな淑女の仮面をかぶって、周囲を謀ってくれたな!!」
(えっ、えっ? この王子は一体、何を言っているの??)
貴族家の娘が、淑女として振舞うのは当然のことなんだけど?!
というか裏の顔って何?
あとニコレ嬢って誰?
あ、今ルーベンス殿下の腕にぶら下がってる、胸サイズの合わないドレスを着た娘のことかしら。
布から半分以上、白い胸がせり出して、いまにもこぼれ落ちそう。
あの娘なら、伯爵家の養女だと聞いたことがある。
あるけれど、それだけだ。虐めも何も、これまで会話したことすらない。
私が彼女を虐めてた? 名前さえ今日知ったのに?
「人違いでは? 私は誓って、ニコレ嬢に何もしていませんが」
私の言葉に、ニコレ嬢がワッと顔を伏せた。
「ひどいです、ベアトリーチェ様。私のことが気に入らないからと犬をけしかけ、ドレスを引き裂き、果ては池にまで突き落としていながら……」
「おお、可哀そうにニコレ……! か弱いキミにそんな非道なことを仕掛けるなんて、ベアトリーチェは悪魔としか思えない」
もしもーし。
あっけにとられる私の前で、肩を震わせ泣き出すニコレ嬢と、彼女を慰めるルーベンス殿下。
私は何を見せられているのだろう。
夜会の余興の茶番劇とか?
「ベアトリーチェ。貴様のような悪逆な女を、妻に迎えることなど出来ない。公爵家との婚約は破棄だ!」
殿下が言い放った途端、広間にざわめきが走る。
それはそうだ。
王家と公爵家の取り決めを破るなら、もっと然るべき内容が必要だ。それに。
「お待ちくださいルーベンス殿下。私がニコレ嬢に危害を加えたなど、事実無根なお話。何か証明するものはあるのですか?」
「ないから、貴様は悪辣なのだ! 証拠を隠しきる性悪さ、計画的な犯行だ!」
やばい。殿下の脳みそ終わってる説、急浮上!
前から疑惑はあったけど!
「つまり何の証拠もなく、ニコレ嬢の証言だけで私を有罪と決めつけ、婚約を破棄されるのですか? 無茶苦茶では」
「──もし本当に貴様が無罪だというのならば、身の潔白を証明してみせよ。旧オーロ王国の古城へ行け! 城の魔獣を躱し、無事生還出来たなら、言い分を聞いてやろう!!」
「なっ……!」
それは実質、"死にに行け"宣言。
旧オーロ王国の古城。
百年前。このアルジェント王国は、オーロ王国という名だった。
オーロ国王の暴政に、アルジェント大臣が立ち上がり、王家を倒して国家を建設。
そうして生まれたアルジェント王国。
けれど、かつてのオーロの王城が今なお遺る理由は、召喚された魔獣が居座っていて、誰の侵入も防いでいるから。
魔獣は旧オーロ王家の"秘宝"を守っているという話で、城を訪れた人間は全て殺されていた。
(本気で言っているの?)
青ざめた私をニヤリと見つめ、ニコレ嬢が微笑んだ。
「あらぁ殿下、本当に行ったという証明が必要ではないですかぁ?」
「そうだな。では城のどこかに眠っているという"秘宝"を持ち帰ってこい! 貴様が真に無罪なら、神の加護で魔獣も道を開けようぞ!」
そんなご加護、聞いたことないけど。
私はカンテラと短剣ひとつを渡されて。
鬱屈とした森奥にある、オーロの古城に放り出された。
◇
「有り得ないでしょう!?」
暗澹たる思いで、重苦しい空気漂う古城の前に立つ。
誰ひとり、生還したことのない場所。
(その上、あるかないかもわからない"秘宝"を持ち帰れだなんて)
私の装いは、夜会のドレスのままだ。屋敷に帰る間も与えられず、そのまま連行された。
国王夫妻がご不在だとしても、誰もルーベンス殿下を止めなかったなんて大問題では。
アルジェント王国の未来が暗すぎる。
でもそれ以前に、私の人生が終わりそう。
(むしろこの扉が、開かなければいいのに)
古く大きなドアを手で押すと、軋む音とともに開いてしまった。
(くっ、残念!)
ごくりと唾を飲み込んで、中に踏み込む。
想像以上に視界が確保出来ている。天井が崩れ落ち、玄関ホールがほぼ外の状態だからだ。遮りのない月光は、葉が茂る森の中よりよほどに明るかった。
(これが、魔獣が暴れて壊れたという古城……)
一歩ずつ慎重に進む。
少しずつ、中に。ホールから廊下に、内部に、深部に。
聞こえてくるのは自分の鼓動と呼吸音。
左手にカンテラ、右手に短剣を握りしめ、静寂が永遠に続くかと思われた時。
ふいに。奥から影が、飛び出した。
「きゃああっ!」
あっさりと組み敷かれ、カンテラが転がる。
私に伸し掛かっていたのは、噂の魔獣!!
オオカミの何倍も大きな獣。
毛の代わりに燃える炎が全身で揺れ、金の瞳を細めて私を見下ろす。
四肢に手足を封じられ、短剣を突き刺すどころか身じろぎすら無理。
(終わった!!)
ぎゅっと目を閉じ、覚悟したのに。
いつまで経っても、死の瞬間が来ない。
恐る恐るそっと見ると、魔獣は私を抑えつけたまま、戸惑うように首を傾げている。
(?)
「きゃっ!!」
ふいに鼻先が接近し。
クンクンとニオイを嗅がれた。
(え────!!)
そのまま何かを確かめるように、魔獣はしきりと鼻を動かし続けている。
(何ナニなにぃぃぃ??)
「──この魂のニオイ、間違いない」
低い声が、顔前にこぼれる。
「! ま、魔獣、がっ、喋っ」
「姫殿下ぁぁぁぁぁ──」
「きゃあああああああああ──」
魔獣は、私のおヘソに鼻を突っ込んで、ぐりぐりと頭をこすりつけてきた。
(待って待って待って──!! 今何が起こってるの──?!)
私はあやうく、意識を手放しそうになった。
◇
「ええと、つまり、私がオーロ王国の王族の生まれ変わりだと言いたいの?」
「そうです」
衝撃体験の後、さらに驚きの話を、私は魔獣から聞かされていた。
伝え聞く通り、魔獣は"秘宝"を守っているという。
召喚時の契約により、城から離れられない彼だが、王族との仲は良好だったらしい。特に前世の私と魔獣の彼は、共に過ごすほど親しい間柄だったとか。
それでさっきの熱烈歓迎。
いまは横並びに座って会話しているのだけど、不思議なことに、言葉を重ねるにしたがって、私の気持ちはとても落ち着いてきた。
今日初対面だったはずの魔獣に自分がすっかり心を許し、安心していることに気づくと、前世からの仲良しと言われても頷ける気がする。
(私ってば、オーロ王国の王女殿下だったのね)
しみじみと考えていると、魔獣が疑問を口にした。
「でも転生前の記憶を思い出されたわけでないのなら、どうしてこの城に来てくださったんです?」
「あ……」
そんなわけで、アルジェント王国の夜会で起こった一部始終を話す。
聞き終えた魔獣は、怒りに弾けた。
「なんだそれは! アルジェントのやつら、姫殿下をないがしろにするにもほどがある!!」
グルルと唸り声を轟かせながら、牙を剥く魔獣。
大型犬よりずっと大きい身体で凄まれると、迫力がある。思わず身を竦ませたら、魔獣がハッとしたように謝った。
「す、すみません。姫殿下を怖がらせるつもりは毛頭なく……」
「い、いいのよ。でも"殿下"かぁ。慣れないなぁ。本当に私の前世なの?」
「はい。俺に触れても、炎が熱くなかったでしょう?」
「?」
魔獣は全身をオレンジ色の炎に包まれていたけれど、それはまるで熱を持たず、幻影のよう。
けれど彼の話によると、契約した王族以外には灼熱の炎同然、近づくだけで燃えるのだとか。
ちなみに"彼"と呼んでいるのは、魔獣が紛うことなきオスだったから。コホン。
「そうなのね……。服まで燃えないなんて、不思議……」
撫でるように、魔獣の背にそっと手を置く。
チロチロと揺れる炎は心地良く、上質の毛触りよりも柔らかく感じる。
「う~~、モフモフ~~。癒される! 炎の魔神イフリートならぬ、モフリートね」
魔獣の首にしがみつきながら炎を堪能すると、プハッと笑われた。
「やっぱり、姫殿下だ! ネーミング・センスが独特だ!!」
そのまま大笑いされてしまった。
いま"独特"って表現してたけど、違う単語に聞こえたのはナゼ?!
「どんな判断基準なの?!」
羞恥で真っ赤になりながら抗議すると、魔獣はひとしきり笑い転げながら返した。
「前世でも、そうおっしゃってたんですよ。でも俺、別の名前があるんですけどね」
「まあ!」
「セストって言います」
「セスト……」
耳に滑り込んできたその名前に、宝物のような尊さを感じて、口中に呟く。
「懐かしい、感じがするわ。とても大切な言葉を聞いた気分よ……」
私がそう言うと、魔獣はふいに寂し気な顔を作った。
「姫殿下の心の片隅にでも、残っていたのなら光栄です……」
(ううっ、何だか可哀そう。だけど転生前のことなんて、何も覚えてないし)
親しい相手に忘れられてるなんて、どんな気持ちなんだろう。
相手は生まれ直して姿が変わった私さえも、見分けたというのに。
つられて俯いていると、そんな空気を吹き飛ばすように魔獣が提案してきた。
「"秘宝"を使いましょう、姫殿下。姫殿下の窮状を好転させるため、オーロ王家の魔道具を今こそ活用すべきです」
「!! だ、だけど。旧王家の"秘宝"を勝手に良いのかしら」
"秘宝がどんなもので、どんな効果を持っているのかわからないけれど、セストはそれを必死に守ってきたんじゃないの?"
そう問うと、彼はきっぱりと言い切った。
「良いのです。この城に来られた時の姫殿下のお顔は、絶望に染まった、とても酷いものでした。俺は貴方のそんな状況に、耐えられません!!」
やたら私に入れ込んでくれている魔獣の案内で、私たちは隠し通路を辿り、古城の地下へと降りたのだった。
◇
「この部屋に安置されています」
魔獣に促されて入った地下室は、厳かな空気に満たされていた。
部屋奥に安置された宝箱。
正面の壁には、旧オーロ王国の紋章。そして代々の王の名前はじめ、家系図が記されているようだ。
(この名前の中に、前世の私の名前もあるのかしら。……あれ?)
それらしい王女の名前が見当たらない。変だなぁ。
とはいえ、かつての自分の名前など、まるで見当つかないのだけど。
「オーロ王家の"秘宝"とは、どういうものなの?」
過去世を覚えていないので、率直に魔獣に尋ねる。
「"時繰りの砂時計"と呼ばれる、時間を操る魔道具です。」
「時間を?!」
聞き返す私に、魔獣が頷く。
オーロ王家の祖先は、神を助けたことがあり、お礼としてそれを授かったのだとか。
けれども王家は魔道具の力に頼ることなく、真摯に政に向き合ってきた、善き国だったと彼は言う。
「えっ、でもアルジェント王国は、オーロ王が暴君だったから革命を起こして出来た国だと言われているのに?」
「それは歪められた歴史です。欲に駆られたアルジェント大臣が謀反を起こし、王位を簒奪。大臣は自身を正当化するために、嘘をでっちあげて世間に広めたのです」
「な!!」
「真実を唱える者は悉く粛清され、この百年で昔を知る者はいなくなりました」
「なんてことなの……」
「俺はそんなアルジェント王国が許せなくて」
「それでずっと古城と宝を守ってくれていたのね」
悔しさを滲ませる魔獣の表情はまるで人間のようで、私は彼を慰めたくて、ぎゅっと抱きつきながら"ありがとう"と呟いていた。
「俺のことは大丈夫ですから、姫殿下が一番幸せだと思う時間まで、時を戻してください」
「でも、私に使えるかしら」
今の私はオーロの王族ではなく、アルジェントのいち貴族の娘だ。
「おそらく、お使いになれると思います。オーロの王族の魂は、神によって厳選された力ある魂たち。でなければ、その箱自体、開けることは出来ないので」
「えっ?」
魔獣の……、セストの言葉に振り返った時には、私はもう箱を開けていた。
何の抵抗もなく蓋は開いたけど、前のめり行動がとても恥ずかしい。
箱の中には、上等なクッションに収められた、砂時計があった。
大きさは手の中に納まるくらい。
よく見かける普通の砂時計。
けれど普通と違うのは、中の砂がひとつひとつの星のようにキラキラと輝いていて、神秘的な力を発しているように見えること。
「これを使って?」
「ええ。時間を戻すのです」
「けど、いつくらいまで──」
私の記憶にあるのは、アルジェントの貴族としての人生だけ。オーロ王族だったという前世は、まるで覚えてない。
悩んでセストを見つめた時だった。
私とセスト以外の、もうひとつ、別の声が部屋に響いた。
「よくぞ箱を開けてくれたわ!! 期待通りに!!」
「なんっ──?」
セストが私を庇いながら威嚇を向けた先の空間が、ぐにゃりと歪む。
そして何もないはずの場所に切れ目が現れ、中からドレス姿の可憐な少女が出てきた。
「ニコレ嬢!」
「"銀眼の魔女"!」
私とセストの叫びは、同時だった。
(セスト、ニコレ嬢のことを今なんて? 魔女?)
「おさがりください、姫殿下。あれは"銀眼の魔女"。百年前、オーロの"秘宝"欲しさにアルジェント大臣を誑かした諸悪の根源です!!」
(ニコレ嬢が、王国を滅ぼした魔女──?)
"銀眼の魔女"の存在は、おとぎ話で聞いたことがある。でもニコレ嬢の目は、銀色ではなく桃色だ。
認知と感情処理が追いつかない私の横で、ニコレ嬢はセストに話しかけた。
「おやおや? 浅ましい姿だねぇ? オーロ王国一の騎士が、今ではしがない四つ足の獣とは」
「え」
(今なんて?)
「黙れ!」
吠えたセストを無視し、ニコレ嬢は私に向けて言葉を続けた。
「そいつの前身は人間の騎士さ。落城の最中、恋仲だった王族を逃がすために召喚魔獣と融合したけれど、恋人はあえなく命を落とし。なのに自分は魔獣としての制約に縛られ、城からも出れず、転生も出来なくなった。ふふっ、憐れな男」
心底愉快そうに、ニコレ嬢が嘲笑う。
花のような顔立ちから生まれる邪悪な笑みは、凶悪さを纏ってゾッとするような形相に見えた。
(セストが、人間の騎士だった? 恋人のために魔獣と融合?)
もしかして魔獣の名前がモフリートで、セストというのは彼自身の名前だったとしたら。
だからあの時、あんなに寂しそうな顔をしたのかも?
「しかもそうまでして守ろうとした相手には、記憶がないだなんて。不幸の塊りのような人生だ」
(! まさかその守ろうとした相手って、私のこと?)
困惑する私の前で、セストが怒りを露わにしている。
「いい加減その口を閉じろ、魔女め! 今回のこと、またも永遠の命を狙っての仕業か!」
「もちろんだとも。国ひとつ滅ぼしたのに箱は開かず、砂時計は手に入らなかった。だから開けられる者に開けて貰った。百年待つのはギリギリだったよ。魔術で底上げはしていても、私の寿命はまだ人間そのものだからねぇ」
つまり。つまり、ニコレ嬢の正体は"銀眼の魔女"と呼ばれる魔女で。
永遠の命欲しさにオーロの"秘宝"を狙い、そのために百年前、オーロ王国を滅ぼした。
そして今、オーロから転生した魂を持つ私を使って、目的を果そうとしている──?
(すべては自分の欲を叶えるためだけに?)
状況を把握した途端、身体中からカッと熱が噴き出しそうになる。
「砂時計は渡さない!! 貴方の望みが叶えられることはないわ!!」
「殿下、早くそれを使ってください! 魔女が悪さを働く前の、"平和な時間まで戻れ"と願うのです!」
「させると思うかい?!」
私に掴みかかろうとする魔女。
魔女に飛び掛かるセスト。
"秘宝"を使うため、砂時計を逆さまにする私。
私たちは揉み合うようにぶつかって。
"時繰りの砂時計"はパリンと音を立てて、割れた。
私の目の前で、ひょうたん型のガラスから砂がこぼれ、セストと魔女の双方にかかっていく。
「──!!!」
そして私にも少し。
輝く砂粒を浴びて、私の意識は暗転した。
◇
「ベアトリーチェ。貴様のような悪逆な女を、妻に迎えることなど出来ない」
はっと気がつくと、ルーベンス殿下が憎々し気に私を睨みつけていた。
(ここは?)
きょときょとと辺りを見回す。
着飾った人々。王宮の広間。
(ここは、あの時の夜会)
「っつ!」
(セストはどうなったの? そうだ、魔女は──?!)
見ると、ルーベンス殿下の腕に顔を隠し、伏し目がちにこちらの様子を窺っているニコレ嬢。
繊細な伯爵令嬢の演技中、の、ように見える。
つまり丸ごと巻き戻ったということだろうか。
(よりにもよって、こんな場面に! もっとたくさん、時間が戻れば良かったのに!)
そうすれば、ルーベンス殿下との婚約自体なかったことに。
いえ、アルジェント国の建国さえ阻めるくらい前なら、魔女を阻止することだって──。
(セスト。セストは?!)
今の私は、ルーベンス殿下や夜会どころではなかった。
古城で別れたセストの姿が忘れられない。
砂がかかった瞬間に、セストが私を見た眼差しが切なくて。
金色の虹彩が、蜜のように私の心を絡めとった。
百年間の情愛が、瞳を通じて伝わった。
(私はセストが、好きだったのだわ)
今はもう、確信していた。
セストとは互いに慕い合っていた。だからオーロが滅びる日、彼は私を逃がそうと魔獣の力を得て、人の姿を失った。
私の、ために。
(すぐにセストに、会いに行きたい!!)
古城に行けば、彼に会える? まだ彼は無事? なら、こんな時間はもったいない。
「公爵家との婚約は破棄だ!」
ルーベンス殿下が声高に宣言する。
シンと静まりかえる広間をよそに、私は口早に応じた。
「婚約破棄ですね? 承知しました。お受けします!」
「……は?」
「では仔細は後日ということで、私は退席させていただいてよろしいでしょうか?」
ルーベンス殿下とニコレ嬢があっけにとられたように目を丸くしているが、そんなことはどうでもいい。
私は古城に戻るため、走り出す勢いでドレスの裾を摘み上げた。
と、ひとつの声が騒ぎを遮る。
「突然申し訳ないが! ベアトリーチェ嬢の先約が消えたなら、ぜひ彼女に婚約の申し込みをさせていただきたい」
(はいィィ??)
前回はなかった展開に驚いて声のほうを見ると、貴族たちの中から長身の青年が歩み出て来る。
壮麗な身なりの美形。落ち着いた雰囲気が好ましい。
アルジェント王室より何段も上質な絹と宝石で仕立てた礼装を着こなしている貴公子は、この国の貴族ではない。
(? 誰?)
外国からのお客様?
訝る私をよそに、ルーベンス殿下が慌てている。
「これは……、ディアマンテの王陛下……!」
(大国ディアマンテの王って)
アルジェント国を囲みこむように成る大国から、賓客まで招いていたらしい。
正直、こんな小さな夜会に参席されるような立場の相手ではないはずなのに、来てた?
(えっ、あれ? でも前回の婚約破棄の場には、いらしてなかったような)
目をしばたたく私に、優雅な足取りでディアマンテの王が並び立つ。
「私はかねてよりベアトリーチェ・パルヴィス公爵令嬢に惹かれていました。けれど貴国の王子妃になる方ゆえ、思いを告げることなく諦めていた。その婚約がなくなったのなら、私が彼女に申し込んでも何ら問題はないはず」
「いやっ、あの、しかし、ベアトリーチェは」
当惑した様子のルーベンス殿下。
私にもわけがわからない。
「あの……?」
小さな声で見上げたら、初めて会ったはずのディアマンテの王にウィンクされた。
そのままひそりと耳打ちされる。
「姫殿下、再び見えて光栄です」
(! 私を"姫殿下"と呼ぶ、彼は)
茶目っ気たっぷりな金色の目。それにこの口調。
「まさか、セスト?!?」
思わず声が出た。
「こ! こらベアトリーチェ!! ディアマンテ王を呼び捨てるなど不敬が過ぎる!!」
「構いませんよ。彼女にはそれが許されています」
慌てたように飛ぶルーベンス殿下からの叱責は、セストにあっさりいなされる。
(えっえっ、待って。何がどうなってるの??)
目を白黒させている私に、セストが囁く。
「砂時計の効果で、魔獣と切り離されて時を逆行し、ディアマンテ国に転生したのです。詳しくは後ほど。今はこの場を片付けましょう」
短く告げられた説明に、コクリと頷くものの、頭の中はぐるぐると回っていた。
転生したのに、名前、同じなのね。自分で改名したとか?
(でも、セストが時を遡ったとしたら、魔女は?)
疑念が浮かんだ時、誰かの悲鳴が広間を引き裂いた。
「きゃああああああ! ニコレ様が!!」
ニコレ嬢が立っていた場所には、枯れ木のような老婆がいた。
老婆は、繊細なレースに、淡いシフォンのドレス姿をしている。ニコレ嬢が着ていたドレスで、けれど開いた胸元からは、萎れくすんだ肌がのぞく。
「な!! ニコレ嬢? これは一体!?」
言いながらルーベンス殿下は、老婆が寄りかかる腕を力任せに振りほどき、相手はべしゃりと床に倒れた。
セストの冷静な目が、老婆を見下ろす。
「ルーベンス王子。その令嬢の正体は、魔女です。自らの行いで、時を送る砂を被ったがため、魔力がつき、本来の姿を晒しただけに過ぎません」
「ま、魔女?」
「ええ。"銀眼の魔女"。伯爵家には暗示をかけて、"養女"だと思い込ませていたのでしょう。術が解ければ目の色も、あの通り」
(あっ、ニコレ嬢の桃色の瞳が)
加齢で濁ってはいるが、鈍い銀色へと変わっている。
(この老婆が、ニコレ嬢?)
信じられない思いが飛来するが、もともと年齢を隠していた魔女なら、これが真実の姿ということなのだろう。
「"銀眼の魔女"と言えば、悪名高い魔女じゃないか」
誰かが叫んだ。
それを受けて、セストが頷く。
「魔女は欲をかいて、少し先の未来で、時間を操る魔道具に手を出しました。未来の彼女は塵と化したのですが、その影響が出たようです」
「未、来?」
ルーベンス殿下は"意味が分からない"という顔をしているが、私には分かってしまった。
砂時計は、ふたつの球体からなる。
それぞれ"時送り"と"時戻り"の効果を持っていると、地下室でセストから説明を受けた。
おそらく魔女には"時送り"の砂が、セストには"時戻り"の砂がかかったのだろう。
"銀眼の魔女"は計算上、既に百歳を過ぎている。
それが"時送り"で骨に塵にと進んでしまい、未来では土に還ったのか……。
魔女は自力で起き上がることも出来ないようで、抜けた歯により発声すら不明瞭。
定まらない焦点のままルーベンス殿下に向かい、必死に手を伸ばしていた。
「ひぃう……あ……、ルーベンスさ……ま」
「ひぃぃっ、よ、寄るな!!」
(わあ、酷い)
さっきまでの最愛の彼女を足蹴にする勢いで、追い払っているルーベンス殿下。殿下の様子に数回目の幻滅を覚えていると、セストが言った。
「災厄をもたらす魔女です。判明して何よりでしたね。もうすぐ命尽きるはずですが、即刻捕らえ、厳重に監視するようお勧めします」
そんなセストは私の片手を探り、しっかりと絡めてくる。
私の指の間に、平然と彼の指が入ってくるんだけど、ううううん??
困惑しながら顔を見ると、嬉しそうに微笑まれてしまった。
(!!)
好みど真ん中のイケメンの笑み、眩し過ぎる!
一目見た瞬間、素敵だと思った容姿なのに。
セストだと知ったら、到底思いが止められない。
慌てて目を逸らした。
(にっ、肉球だったら出来なかったからね!!)
バクバク高鳴る心臓を落ち着かせるように、魔獣姿を思い出すと、余計なことまで思い出した。
(そういえば、おヘソに顔つっこまれたんだったわ──!)
ぷしゅうううう……。
茹で上がったエビのように、私は真っ赤になってしまった。湯気が出てなきゃ良いけど。
衛兵により"銀眼の魔女"が引き立てられ、安心したのだろう。
気を取り直したようにルーベンス殿下が言った。
「恐ろしい魔女に騙されるところだった。ディアマンテ王には礼を申し上げる。しかし、そういうことならば、ニコレの証言は虚偽であった可能性が高い。良かったな、ベアトリーチェ。貴様の嫌疑は晴れたぞ。婚約破棄は取り消し、再び我が婚約者に取り立ててやろう」
「はあ?!」
思い切り、声が出た。
「お言葉ですが、私はもうセスト……陛下と婚約しています」
「"申し込んで良いか"と言う話だったはずだ。まだ成立していない」
「!!」
嫌悪と苛立ちが、私の全身を駆け巡る。
セストからも憤りが、無言で噴き出しているよう。
無意識に強張った私の手を、セストは強く握り返してくれた。
"どんな時でも味方だ"と力づけてくれている彼を感じ、私はキッとルーベンス殿下を見据える。
「先ほどセスト陛下は私の耳元で囁かれ、私は頷き返しました。ご覧になられていた方も多かったと思います」
私の言葉に広間のあちこちから「そういえば」「見ましたな」という声が漏れてくる。
よし。
「その会話がまさに、婚約の申し込みと承諾のお返事でした。ですので、ルーベンス殿下との婚約には応じられません」
嘘だけど!
これ以上、ルーベンス殿下の身勝手に振り回されたくない。
(セストならきっと、話を合わせてくれる)
私の信頼は、すぐに報われた。
迫力ある重い声で、セストが言う。
「彼女の言う通り、婚約は成立済みです。ベアトリーチェ嬢はディアマンテ国の王妃として、連れ帰らせていただく」
大国ディアマンテの名で言い切られては、強くも出れないのだろう。
ルーベンス殿下はウダウダと口ごもった。
「いや、そんなわけには。そもそも父王やパルヴィス公爵も何と言うか……」
(知らないわ。最初にご自分が、両家の婚約を破棄したことから弁明なさって)
きっとルーベンス殿下は、一連の責を負うことになるだろう。
"銀眼の魔女"を身近に置き、遇していただけでも大問題だ。
"次期国王の資格無し"と、放逐される未来もあるかも知れないけど。
(私は今後、オーロ王国を滅ぼしたアルジェント王室とは、縁を切りますから!)
後はどうぞ、ご自由に。
セストのエスコートで颯爽と風を切り、振り返ることなく広間を後にした。
◇
「浮かないお顔ですね。俺との婚約はお嫌でしょうか。やはり強引過ぎましたか……?」
王宮の庭を進みつつ、ショボンと声を落とすセストに、うなだれたワンコの耳が見える(気がする)!
「ち、違うのよ。セストが迎えに来てくれて、私はすごく嬉しいから!」
「では、お父上であるパルヴィス公爵のことが気がかりで?」
「あ、それは……」
(確かに反対されたら、面倒なことになるかも)
父は私を王家に、嫁がせたがっていた。
そんな私に、セストが驚きの発言をする。
「お父上には根回し済です」
「え゛っ?」
「それにアルジェント王国は長くありません。我が国に多額の借金がありますから、間もなく国名は地図から消えます。その時こそ、オーロ王国の名誉を回復しましょう」
「────!!」
転生したセストは周到に、状況を整えていたようだ。
想像を超えた言葉に、あんぐりと口が開く。
その後セストは、砂を浴びた後のことを話してくれた。
"時送り"の砂で魔女が塵になったことは前述の通り。
セスト自身も強力で強烈な"時の流れ"に翻弄され、消滅しそうになったらしい。
やはり直接砂を、被ったせいか。
「そんなっ!」
「けれどモフリートが助けてくれたのです」
セストと融合していた魔獣は、彼と長く意識を共有することで、すっかり彼に情が沸いていたらしい。
自身の全魔力で結界を作り、セストの魂を守った。
結果、魔獣は力を失い、セストとの融合が解除され、セストは時を遡ってディアマンテの国に落ちた。
気がつくと王家の嫡男として生まれていた彼は、私が同時代に生きていると気づき、この日のために必死に努力を重ねてきたという。名前が同名だったのは、嬉しい偶然だったのだとか。
「セスト……!!」
感謝の涙がこみあげてくる。
こんなにも私だけを見つめてくれる人を、私は知らない。
「でも、じゃあモフリートは消えてしまったのね……」
再会を手放しで喜べない、一抹の悲しみ。
そんな私を見て、セストが口元を緩ませた。
「俺もそう思ったのですが……」
「キャウン!」
「えっ?」
セストの肩から、ひょっこりと小さな顔がのぞく。
「モフリート?!」
それは古城で見た魔獣を、リスほどに小さくしたオオカミだった。
「力を使い小さくなってしまったけれど、この通り元気ですよ。魔力がたまったら、いずれ元の姿に戻りそうです」
これでも大きくなったのだとか。
「まあ……! まあ……! 良かった! 良かったわ、セスト! モフリート!」
ひとりと一匹に抱き着いて、私はとうとう泣いてしまった。
そんな私をセストはしっかりと抱き留めてくれて、私たちはしばらく喜びを噛み締め合った。
充分な時間が経ってから。
すっとセストが膝をつく。
それから真剣な眼差しで、私を見つめた。
「姫殿……、いえ、ベアトリーチェ嬢。改めて、俺の求婚を受けていただけますか? 俺の全てを貴方に捧げ、生涯大切にすると誓います」
セストの言葉に嘘はない。
だってこれまでも彼は、言葉だけでなく態度でずっと示してくれた。
月明りよりもまっすぐに、金の瞳が私の心を射貫いてくる。
「ええ。ええ。私で良ければ、喜んで!!」
百年の時を超え、私はセストの胸に飛び込んだのだった。
─おしまい─
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◇おまけ◇
「あの、あのね、セスト。さっき何を憂いているのかって、聞いてくれたでしょう?」
「え、はい」
「それなんだけどね。私、今世では女の子だけど、いいのかなって」
「??? すみません、おっしゃっている意味がよく……」
「地下室の家系図で見たの! 王家につながる子孫の名前、全部男性名だった! 前世の私は男の子で、セストもそんな私を好きになってくれたんだとしたら──」
「まっ、待ってください。ベアトリーチェ嬢! 姫殿下の前世は間違いなく女性でしたよ? というか俺、ずっと"姫"殿下ってお呼びしてましたよね?」
「で、でも、愛称か何かかと……。だって家系図の名前……」
「間違いなく王女殿下でした! オーロ王家では直系に、男性名をつける習慣があったのです。それにアンドレア様は、男性にも女性にも通じる名で、なんらおかしなことはありません! 俺はノーマルです!」
「アンドレア……。そう、アンドレアという名前だったのね」
「ベアトリーチェ嬢……。もしかして俺は、とんでもない誤解をされていたということでしょうか……?」
「…………。大好きよ、セスト!! 魔獣でも王陛下でも、どんな姿でもあなたが好き!!」
「! 俺もです、ベアトリーチェ嬢! どんな貴方でも大好きです!!」
めでたし、めでたし。なのでした。
お読みいただき有難うございました!
"おまけ部分"を足すか消すかで迷った短編(笑) せっかく仕込んでいたので、出してしまいました。
それにしてもベアトリーチェの手の平の上で転がされるチョロイン、じゃないチョロいヒーローが見える…! ベアトリーチェからちょっと嬉しいこと言われたら、ぱあああぁぁってしっぽ振っちゃうとか、良いよね♪
あと、ずっとやってみたかった"婚約破棄されたら突然大国の権力者が登場して、ヒロインをかっさらう"という名パターンを実現することが出来ました(笑)
夏休みということでスペクタクル風を目指したのですが、楽しんでいただけましたら嬉しいです!!
今回のネーミングはモフリート以外イタリア・ベースでした。
物語をお気に召してくださいましたら、ぜひ下にある☆を★に変えてお知らせくださいませ! 大喜びします! ではでは、良い一日を!