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異世界召喚で俺が一人だけ生き残れたのは足が速かったかららしい

作者: 緋水晶

俺は誰より走るのが速かった。

時折見かける運動部の練習風景の中にも俺より速く走れる奴はいないし、同じクラスの全国大会で二位だったという陸上部のエースですら俺にとっては鈍足に思える。

けれどそれは天賦の才や努力の賜物なんかじゃない。

そうならざるを得なかった、ただそれだけのことだった。

いや、ある意味血の滲むような努力の賜物だったと言えなくはないかもしれない。

「おいのっぱらぁ、さっさと買って来いよぉ」

「三十秒で帰ってこなかったら…わかってるよな?」

文字通り、血の滲むどころか止めどなく流れるような、そんな環境に置かれたが故の全く望まない努力の。

そんな無駄とも言える強制努力をさせられる鬱屈とした日々が、これまでと変わりなく毎日続いていく。

これからもずっとずっと永い時間、苦痛ばかりの学校と両親が遺してくれた家を往復するだけの、価値があるのかさえわからない毎日が、ずっと。

……いつか解放される時が来るのだろうか。

いや、たとえ来たとしてもまた別の苦痛が生まれるだけかもしれない。

ならば慣れた苦痛の方がマシだ。

10歳で両親と生き別れた時から俺の人生は苦痛と共にあった。

生きることがすでに苦痛だったのだから当たり前だ。

すでに人生を諦めている俺、崖野原惑(がけのはらまどい)はいつの頃からか世界と関わることをやめた。



だがある日突然、世界は一変した。

正確に言えば俺のクラスにいた人間の世界だけが変わった。

「ななな、なん、なんなんだ!?」

「ここ、どこなの!?」

さっきまで教室で授業を受けていた俺たちは体育館よりも遥かに広い大きな部屋に尻もちをついて転がっていた。

席に座った状態から突然椅子がなくなったのだから転がっても仕方がない。

唯一立っていたのは授業を行っていた現国の先生だけだ。

田仁山(たにやま)という名のこの三十代半ばの女教師は俺たちのクラス担任でもある。

その田仁山と銘々に好き勝手騒いでいる高校二年生36人がここにいる全員。

ではない。

周りに目を向ければ、俺たち37人はよくわからない恰好をした人間たちに囲まれていた。

「聞け、異界の者たちよ」

その言葉が発せられた瞬間、ワァンと不思議な波のようなものが通り過ぎたのを感じる。

同じものを感じたらしいクラスの奴らは騒ぐのをやめて、ようやく周りに得体の知れぬ人間が大勢いたことに気がついたらしい。

俺を除く36人の顔には瞬時に驚きや怯え、虚勢などの表情が貼り付けられていく。

俺の顔にもきっと驚きくらいの表情は浮かんでいただろう。

見えないので確認のしようはないが。

「異界の者たちよ。お主たちは第八十二代皇帝であるゴドウィング・デラス・フォン・ディー・エングリスム陛下の名の下ここに召喚された我が国の英雄候補である」

そんなことを考えていると先ほどとは異なる声が話し始めた。

あちらの世界では五十代くらいだろうというその声の主は男で、どうやら俺たちがここにいる経緯を教えてくれているらしいのだが、その内容はどう考えてもアレにしか思えない。

「え、それって…」

「い、今流行りの異世界召喚!?」

「マジか!なら俺らチート確定じゃん!!」

「でもでも、それってもう帰れないってことでしょ!?」

「やだ!来月のMOONの激レアチケットようやく買えたのに!!」

「俺だって昨日やっと速水川さんに告って今日OKをもらえるはずだったんだぞ!」

「いや、それは夢見すぎじゃ…」

「わかんねーじゃん!万が一って言葉があるだろ!?」

「万に一つもってのもあるけどな」

やはり俺と同じことを考えついた奴が叫ぶ。

するとクラスメイトの一団はあっという間に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

「あ、あなたたち、ちょっと落ち着きなさい!今は説明を聞くべきよ!!」

田仁山は一応先生らしくそう言って騒ぐ生徒を宥めるが、その顔は期待に満ちているように見える。

何故かと思っていれば「それに、今はアラサー女子が聖女になるっていう話も流行ってるんだからね!」と鼻息も荒く宣った。

なるほど、説明乙。

だがそれもどうでもいいことだ。

どうせ俺はこちらの世界でも変わらないだろう。

ただ足が速いだけの、取るに足らない人間にしかなれない。

「……落ち着いたかね?説明を続けても?」

こちらの様子を見て軽く咳払いをした先ほどの男が今にもため息を吐きそうな顔で再度口を開いた。

完全に呆れられていると思うのだが、クラスメイトも田仁山もそれには気がついていないらしい。

「もちろんです!お願いします」

どころか勢い込んで続きを促した。

「うむ、ではこれよりお主たちの能力を確かめるゆえ、その場を動くなよ」

ごほん、とまた咳払いをして男は手を空間に翳した。

『…繋げ、此方と彼方は遠からず』

男が言い終えると同時に今度は光が俺たちを通り抜け、フワンともホワンとも言えないような感覚が肌を滑っていく。

しかしだからと言って俺たちの肌が青くなったり毛が濃くなったりするわけではない。

でも確かに『何か』が変わった。

「…今お主たちをこの世界に繋いだ。大きな変化は感じられんだろうが、すでに向こうの世界のお主らとは異なる存在になっている。その確認も兼ねて手を前に出し、『情報開示』もしくは『ステータスオープン』と唱えてみよ」

自分の指示とは逆に掲げていた手を下げた男はやれやれと書かれた顔で俺たちに向かって顎をしゃくる。

どうでもいいが、勝手に召喚した割に態度がでかい。

跪けとまでは言わないが、そちらが依頼している立場だろうに。

それでなくても勝手に連れて来られた俺たちに一言詫びがあってもいいはずでは?

などとどうでもいいことを考えているのは俺だけだったようで、クラスメイトや担任は口々に「ステータスオープン」と唱えている。

揃いも揃ってそちらの言葉を選んだのは単純に馴染み深いからだろうな。

「……ステータスオープン」

俺も期待せずその言葉を口にする。

相変わらず陰気臭い、カビの生えたような声だと自分でも思う。

すると俺の手の先の宙に四角いウィンドウが現れ、つらつらと文字が浮かんでいく。

名前、性別、年齢、所属。

そしてよく見る『体力』や『魔力』、『攻撃力』、『防御力』などが続き、その下には『特性』というあまり見慣れない項目が表示されていた。

「……韋駄天、鋼心…厭世?隠士…ってなんだ?」

俺の特性に書かれていたのはこの4つだが、隠士ってなんだ?

と思ったら頭の中に答えが浮かんだ。

『隠士とは世俗を離れ静かに暮らす者、もしくはそのような態度をとる者を指す。類語として隠者、世捨て人』

誰が世捨て人だ、と言いたいところだがまあ、わからないでもない。

俺の人生を諦めた思考が厭世であり学校と家を往復するだけの生活態度が隠士なのだろう。

あまり嬉しくない特性だが、そう評されるのが紛れもなく『俺』という人間だ。

「おうのっぱらぁ、お前のステータス見してみろよ」

「どうせゴミみてぇなもんだろ」

突然後ろから肩に衝撃が齎される。

クラス一の問題児にして普段俺をいいように使っている男、郷馬(ごうば)と相棒の丸鹿(まるか)の2人だ。

その後ろにはいつも後ろをついて歩いているだけの和金(わがね)もいる。

三人はにやにやとした厭らしい笑みを浮かべて俺のステータスを覗き込んだ。

「ごほん、各自確認は済んだな?ではお主らを特性によって分けるぞ」

だがタイミングよく男から指示があったため、俺の画面は覗かれずに済んだ。

本人たちはすでに俺に対してステータスがゴミだろうと勝手に判断をしていたから別に見ないでいいとでも思ったのか、素直に引いていく。

それにどうせ今から全員の特性が明かされるのだ、その時に俺のしょぼい特性が全員の前に晒されている様を見て大いに嘲笑いたいとでも考えているのだろう。

尤も、自分を最底辺の人間に位置付けている俺にもその未来しか見えないから文句も出ない。

「まず特性が一つから三つだった者、そこに記されている特性が『剛力』『堅固』『俊敏』のみだった者はこちらへ」

男がそう言うと、クラスの大半の人間がそちらへ移動する。

こちら側に残っているのは俺を含めて……11人か。

担任と郷馬たち3人、陸上部のエースに委員長、あとなんか頭が良いらしい双子とギャルとバレー部員だってことしか覚えてない奴。

委員長とギャルとバレー部員はなんとなくなのか女子同士先生の横に集まっている。

「……ふむ、ではそちらの者、お主の特性はなんであった?」

男に最初にそう聞かれたのは委員長だった。

丁度俺と正反対の位置にいるから、あのままいけば最後に質問をされるのは俺になる。

それに気がついたのだろう丸鹿が俺を見てにやりと嗤ったあと郷馬の肩を叩き、何事か囁くと郷馬も俺を見て歯を剥き出して嗤った。

こんな時に言っては何だが、あいつのあの顔は人間というよりオランウータンのような類人猿の笑い方に似ているな。

「えっと、俊敏の他に先導者っていうのがあります」

委員長が答えると男は「そうか」とだけ言って委員長にも他のクラスメイトの方へ行くように手で示した。

「ではお主は?」

次に問われたのはギャルで、彼女は「器用と独創、だけど」と答え、次いで問われたバレー部員は「俊敏と跳躍があります」と答えて、2人とも他のクラスメイトに混ぜられた。

その次は担任の番だった。

というか田仁山は男に問われる前に自分から「私には教育者と指導者、そして聖女の項目があります!」と胸を張って告げた。

瞬間、周りから言葉にならない騒めきが広がった。

顰められた声がそこかしこから聞こえてきて、その全てが田仁山に向いているのが感じられる。

当然向けられている田仁山は俺よりも強くそれを感じていて、本来なら生徒たちには見せられないほど得意満面になっていた。

「左様か。そう言えばお主だけが他の者より年嵩のようだが」

「ええ、私はこの子たちの担任の先生ですので」

田仁山を見た男が思案するように顎を擦りながら言えば田仁山はやはり堂々と答える。

恐らくこの異世界召喚が自分を招くためだったと信じているのだろう。

特性に聖女とあってさらにこの騒めきだからか、すでに彼女の中でそれは確定事項となっているようだ。

「わかった。ではお主もそちら側へ行け」

けれど男の方は彼女を特別視していないように感じる。

あちらにいるクラスメイトを見る時同様、興味が失せた目をしているように俺には見えた。

「次はお主だ。特性は?」

次に聞かれたのは頭が良い双子の片割れだった。

この双子は一卵性で、俺は2人の名前も知らないが、知っていたとしてもどっちがどっちだか見分けることはできないだろうと思うほどそっくりだ。

2人はちらりと視線を交わすと同時に男を見上げる。

言葉はないが今のが何某かの会話になったことは明白で、流石は双子だと変なところに関心を抱いてしまった。

「僕たちのステータスはほぼ同じでした。特性も一緒です」

「僕たちの特性は以心伝心、一心同体と叡智です」

そして彼らの特性もまた頭の良い双子らしいものだと納得する。

しかも彼らは男にとって有益だったようだ。

「なんと、その年で叡智を得るか。実に素晴らしい!」

そう言うと満面の笑みで彼らを手招き、自らの傍らにと侍らせた。

その反応を見るに、やはりクラスメイトが集められているあちら側はその他大勢、もしかしたら不要の烙印を押されている側なのだろう。

見る見る間に田仁山の顔色が変わっていく。

自分こそが選ばれた者だと思い込んでいたが、自分が実はその他大勢扱いされていたのだと今になって気がついたようだ。

「して、お主は?」

双子という大いなる収穫があったせいか、期待に満ちた目で男が次に問うたのは陸上部のエースだった。

「はい、俺の特性は剛力と走破です」

こいつは別に何の含みもなく、というか特に何も考えずに自分の特性を言ったのだろう。

言っちゃなんだが爽やかな外見で誤魔化しているだけのただの脳筋だしな。

それが伝わったからではないと思うが、エースの返答を聞いた男は眉間に皺を寄せ、やや渋面を作りながら背後を振り返る。

そこには厳つい鎧を着た四十代くらいの大男がいたが、彼は静かに首を横に振った。

どうやらエースの特性はお眼鏡に適わなかったらしい。

男は顔を正面に戻すと「あちらへ」とエースを暗い顔をしているクラスメイトたちの方へと向かわせた。

「次、お主はなんだ」

残りは郷馬たち3人と俺だけだが、男が声をかけた相手は和金だった。

「俺はえっと、俊敏と策略と悪知恵、です」

和金は郷馬たちに押され前に出ながらおずおずと言う。

それは今までの誰とも違うものだったが、周りにいた人間たちの反応も今までとは違っていた。

「プッ」

「おい、聞いたかよ、悪知恵だって」

「ちょ、笑うなよ、耐えてんだから」

クスクスクス、と周囲にいる人間たちから忍び笑いが漏れてくる。

それは明らかに見下した笑いで、確かにあまりいい特性ではないだろうがそこまでされるようなものなのかと思っていると、

「なるほどな」

男は笑いもせずに、むしろ冷たさを感じるくらいの絶対零度の瞳で和金を見ていた。

「その特性であればお主、卑怯も持っているだろう。何故隠した?」

「ひぃっ!」

和金は男にギロリと鋭い眼光で睨まれ、飛び跳ねんばかりに震え上がる。

嘘を吐いていたことが速攻でバレて冷や汗が止まらない様子だ。

助けを求めるように後ろに立つ郷馬と丸鹿を見る。

「だから言ったんだよ、隠すことねーって」

「第一お前から卑怯を取ったらなんも残んねーだろ」

だがこいつらがこの場面で自分を助けてくれるような人間ではないことなど、いつも2人にくっついているお前が一番よく知っているだろう。

周囲に笑われ蔑まれた和金は男に目線だけでクラスメイト側へ行くように指示された。

「さて、次はお主らだが、お主らは先ほどの卑怯者の仲間か」

男は先の和金の様子から郷馬と丸鹿も友達というか仲間だと思ったようだ。

しかし2人は「そんなわけねーじゃん」と鼻で笑う。

「あいつはただ俺らの後をついてただけの役立たずだ」

「のっぱらがいねー時の予備ってやつだな。もしくは財布?」

一緒にされちゃたまんねーよ、とこんな状況なのに2人はゲヒャゲヒャと馬鹿みたいに大声で笑った。

わかってはいたが聞いていて気分のいいものではない。

「……まあいい。して、お主らの特性はなんだ?」

男は2人の態度に眉を顰めたが2人にそれを察せられるはずもなく、彼らは田仁山のように胸を張って自身の特性を答える。

「俺は剛腕と堅固、あと蹴術だ」

「俺は怪力と堅牢と拳闘?だとよ」

なるほど、蹴りが得意な丸鹿と馬鹿力が自慢の郷馬らしい特性だ。

陸上部のエースの時とは違い、鎧の大男も「ほう」と声を漏らす。

どうやらいいものだったらしい。

「あと俺とこいつで共通してんのがもう一個あんだけどな、なんて書いてあんのかわかんねーんだよ」

「見たこともねー漢字だからな、すげぇことが書いてんだとは思うんだけどよ」

そしてその言葉に男の目の色も変わる。

双子の後エースと和金によって消された希望の光が再び宿ったのだ。

「なんと。ではお主たち、確認してきてくれまいか」

男はすでに双子を身内扱いしているのか、そう言って双子を2人の元へと向かわせた。

同じクラスにいながら、もしかしたら彼らが初めて接点を持ったかもしれない瞬間だった。

「……見せてもらうよ」

「おう」

双子はそれぞれ郷馬と丸鹿のステータスを覗き込む。

今更だがこれはいつ消えるのだろうか。

まさかもう消えないなんてことないよな。

俺が自分のステータスをちらりと見た時、「んふっ!!」「っふぅ!!」という声が耳に届いた。

何事かと思って声がした方を見れば、双子があいつらのステータスを見たまま口を押さえて震えている。

なんだ、そんなに凄いことが書かれていたのか?

そう思ったのは俺だけではないようで、2人も双子の反応にかなり凄いことが書かれていたのだと思ったようだ。

いつにも増して顔が厭らしいことになっている。

「どうした、何が書いてあった?」

当然男も気になったのだろう。

前のめりになりながら双子に問う。

しかし双子は答えない。

口元を抑えたままふるふると肩を震わすだけだ。

そんなに恐れ慄くことが書かれていたのか、と思ったところで俺は気がついた。

違う、この震えは驚きや恐れじゃない。

「ん、ふふ、ふ、ふはは!はははははっ!!」

「あっははははは!!あーはっはっは!!!」

堪えなきゃいけないのに堪えられない笑いのせいだ。

「ちょ、見た!?んふふふふっ」

「見た見た!なにあれ、あんなこと書かれちゃうのぉ!?」

双子は互いの肩を叩き合ってひいひい言いながら笑っている。

それはクールというか、お互い以外に興味がないという態度を崩さない2人にしては珍しい感情表現で、恐らく俺は初めて双子の笑い声を聞いた。

けれど双子は、自分たちのためを思うなら絶対にその笑いを堪えなければならなかった。

「……あぁ?」

「てめぇら、雑魚の分際でなに笑ってんだよ」

でももう遅い。

双子の笑いが自分たちを馬鹿にしてのものだと気がついた2人はそれぞれ自分の近くにいた双子を掴む。

そして男の「待て、やめろ!」という制止の声はキレている2人には届かず、

「一遍痛い目見ろや」

と言って郷馬は拳で、丸鹿は蹴りで双子を吹っ飛ばした。

「……え?」

それはもう、人間業とはとても思えない勢いで以って。

双子はそのまま声も無くクラスメイトたちがいるすぐ横の壁まで吹っ飛び、ドガァンと大きな音を立てて激突する。

何製かわからない壁には大きな罅が入り、そこには変な角度に折れ曲がった人形のような姿に変わってしまった2人が背後の壁を赤くして張り付いていた。

「っきゃー!!!!」

「うわああああ!!!」

一瞬にして起きた惨劇に、間近でそれを見てしまった何人かは嘔吐し、一部しか見えなかった者たちですら阿鼻叫喚の騒ぎになった。

とはいえついさっきまで一緒に授業を受けていた人間が同じく授業を受けていた人間に殺されれば誰だってそうなって当たり前だ。

……あれ、じゃあそうなってない俺はなんなんだ?

ふと気づいた違和感を探る前に「この戯け者がぁ!!」という男の大声が響いた。

「待てと言っただろうに、なんてことを!ああ、あの者たちは十年に一度の逸材であったのに!!」

グゴゴゴゴ、という低い音とともに、あっという間に男の周りに何かが渦巻く。

恐らく俺たちを通り抜けていった波や光と同じものだろうと思うが、その密度は桁違いだと感じた。

あれに触れたら死ぬ。

何故かはわからないが明確にそう理解できた。

「たかが数百人に一人程度の才でそれを害するとは…、もうよい、貴様らなどいらぬ」

『消え去れ』

そして俺がそう思った通り、男にそれを向けられた2人は呆気なく死んだ。

ちなみに俺の立ち位置は3人に絡まれた時から動いていないので、実は2人の真横だったりする。

つまり4人の見知った人間の命が俺のすぐ目の前でなくなったということだ。

なのにやはり俺はなんとも思わない。

「…あ」

むしろ主を失ったからか消えかけているステータスウィンドウの方が気になった。

というか、あの双子が何を見てあそこまで笑って命を落とすことになったのかが知りたかった。

「どれ」

ひょいと覗き込めばその瞬間にステータスのウィンドウは崩れた。

それでも俺はちゃんと読み取ったぞ。

郷馬の特性、怪力と堅牢と拳闘の横に書かれた『蒙昧』の文字を。

『蒙昧とは知識が低く道理に暗いこと。無知蒙昧』

そして隠士の意味を理解した時同様、その言葉の意味が脳裏に現れる。

まるで国語辞典みたいだ。

……けど蒙昧の意味くらい、俺だって知ってたぞ?

いやホントに。

誰に言っているか自分でもわからないが、なんとなくそんな言い訳をしておく。

勿論何の応えもないが、それが無言の圧に感じて少々座りが悪い。

一人気まずさを感じていると「さて」と少しだけ怒りを収めた男が最後に残った俺を見た。

「残りはお主だが、その前に」

「はい?」

「今、あやつのステータスを見たか?」

だが怒りを減らした分だけ悲しみが滲んできたような男が俺に問うたのは双子の死の原因についてだった。

余程期待をかけていたのだろう、男は憔悴したようにさえ見える。

「ああ、見ました」

ならば彼の気持ちを立ち直らせるためにも俺は彼に真実を伝える必要がある。

なにせこの男が俺の命運を握っていると言っても過言ではないのだから。

「何と書いてあったのだ?」

だから勢い込んで訊ねる男に俺は静かに返す。

「蒙昧、と」

ただ一言、真実だけを。

「もうまい、だと?」

俺の返答を聞いた男はぶり返した憤りに目を見開き、ゆっくりと自嘲するような笑みを浮かべるとそっと目元を拭った。

「蒙昧、蒙昧か、なるほど、それは確かにその通りであろうよ…!!」

くう、と隠し切れなかった嗚咽が一度だけその口から小さく漏れる。

……実はあの双子、この男の10年来の弟子か何かだったのだろうか。

そう言いたくなるほど男の悲しみは深かった。

「……すまんな。ではお主の特性を聞こうか」

ややしてそう言った男の顔にはまだ多分に悲しみが残っていたが、さりとてそれは俺にはどうしようもできない。

ならばと俺は自身のステータスに書いてある特性を口にする。

「えー、まず『韋駄天』、あと『こ」

「韋駄天だとぉーぅ!!?」

「うぇ?」

うわ、びっくりした。

突然の大音声が俺の言葉を遮ったのだ。

ちょっと、まだ俺が喋ってる途中でしょうが!

声を上げたのがあの鎧の大男でなければそう言っていたかもしれない。

「お主、本当に韋駄天だというのか!?」

だが実際にはそうなので、俺はその言葉を飲み込み、代わりに大男の問いに答えた。

というか疑うなら聞かないでほしい。

「え、ええと、ステータスによればそうなっていますが」

「なんてことだ」

大男はまるで神に祈るかのように天を仰ぐ。

それに倣ってなのか、周りの人たちも何故か同じように天を仰ぎ出した。

「え、なにこれ」

俺が説明を求めて男を見れば、男はまた目元に手を当てていた。

「十年に一度の逸材は失ったが、神は我らを見捨ててはいなかった…!!」

どころかそう呟くと大男のように天を仰いでしまう。

待って、お願いだから誰か説明して。

けれど俺の願いは届かず、クラスメイトも立て続けの事態になにがなんやらという顔をする中、俺は五分以上もそのままで待たされた。

「いやはや、まさか神の名を冠する特性を得るものが出ようとは夢にも思わなんだ」

「はあ」

ようやく視線をこちらに戻した男は、実に満足そうに俺を見てそう言った。

その顔にはすでに双子を失った悲しみは残っていない。

それはそれで思うところがないわけではないが、4人が死んだ時に何も思わなかった俺にそれを言う資格はないだろう。

だからそこには触れず、自分の特性について訊ねることにした。

「珍しいものなんですか?」

「珍しいどころではないな」

すると男はすぐに肯定し、「おほん」と一つわざとらしい咳払いをしてから徐に口を開いた。

「韋駄天とは神の名である。総じて適性とは言葉の意味合い通りの効果があり、その強さは言葉の強さに比例する。例えば『俊敏』は普通の者よりは早く動けるという特性だ。その上に『敏捷』、『疾風』などがある。先ほど『走破』を持つ者がおったが、あれも『俊敏』の上位亜種だ」

「へえ」

「そしてお主の『韋駄天』、恐らくこれが『俊敏』系特性の最上位だろう。誰よりも疾く駆け悪しきを挫く。それが韋駄天という神だ」

「……へ、へぇ」

「異世界から召喚された者たちの特性は元の世界の能力に由来するらしいが、お主は相当足が速かったらしい。そして悪には屈しない、もしくは対抗する心があるということだな」

マジか。

確かに俺は誰よりも足が速い自負も自信もあるが、まさかそれがこんな特性になるとは。

多分悪に屈しないというのは郷馬たちに少なからず反抗心を抱いていたからだ。

それが喜んでいいことなのかはわからないが、少なくともこの世界で俺は有用ということが証明された。

クラスで生き残っている奴は全員無用と言われた中で、クラスで無用扱いされていたこの俺が。

……ほんの少しだが、胸の蟠りが解けたような気がする。

「して、お主はまだ何か言いかけていたように思うのだが、もしや他にも特性があるのか?」

「ああ、ありますよ」

ちょっとした感慨に耽っていると男が思い出したように再度俺に特性を問うた。

俺は首肯を返し、先ほど言わなかった三つの特性を告げる。

「他には鋼心、厭世、隠士、ですね」

「ほう」

俺の回答を聞いた男は僅かに目を見開く。

その顔は面白がっているようにも見えるし、意外なものを見たようにも見えるし、憐れんでいるようにも見えた。

「その若さで厭世と隠士か。なるほど、お主のその妙な落ち着きようも納得できる」

さらには「フッ」とでも言いそうな悟った顔も見せる。

いや、一人で納得してないでできれば俺にも教えてほしい。

隠士の意味を知った時に自分の生を諦めた思考が厭世であり隠士とされた原因なのだろうと当たりはつけたが、実際はどうなのか。

「その前にまず鋼心だが、まあこれは読んで字の如し、鋼のような心という意味だ」

「でしょうね」

「その特性もわかりやすく、折れない心と強固な意志を持つことを意味する。こういった者が国に仕え忠誠心を抱いた場合は恐ろしい兵士と化かすことがままあるが、同時に反旗を翻した場合はその意思を完遂するまで止まらぬ反逆者となり国家を滅ぼすこともある。その性質上、国の要人にするには諸刃の剣であるな」

「なるほど?」

つまり俺は喉から手が出るほど欲しい特性を持っているが、忠誠を誓っていない状態で抱えるには国に危険性があるということか。

確かに強制的に召喚された俺が反意を持つ可能性は高いと思っているだろうし。

さて、じゃあこの男は、そしてこの国は俺をどうする気なのだろう。

「厭世も概ねそのままの意味だ。自分を見捨てた世界に見切りをつけ関わりを断った者が持っている。通常であれば特性は凡そ十五歳程度で揃うが、厭世や叡智などは三十を過ぎてようやく現れるかどうかといったところだ。つまりそれらの特性をすでに身につけていたお主たちは、以前の世界では生きにくかったであろうと容易に想像できるよ」

ふと細められた男の目に、俺が合わせたのはどんな目だったのだろう。

ふいに向けられた大人からの理解ある言葉だったからか、何故かその時だけ俺は年端もいかないような子供になってしまったような気がした。

「最後に隠士だが、異世界から来た者がこの特性を持つと精神面に影響が出ることがわかっている」

「精神面?」

「左様。理由は正に『特性』というもののせいだ」

男の言葉に俺は首を傾げる。

確かに元の世界には特性という言葉はあっても、それが直接影響を及ぼすことはない。

だがこの世界では違う、ということだろうか?

「この世界で『特性』として表されるもの、それ即ちその者が持つ能力を言語化したものだ。だから足が速かったお主には『韋駄天』という特性が現れた。ここまではよいな?」

「はい」

「うむ。お主は足が速い。だが向こうの世界ではただそれだけだっただろう。しかしこちらの世界に渡りそれが特性となって現れた時、そこには別の意味、いや、能力と言い換えるべきかな、それが加わる」

「能力?」

「そう、確か別の召喚者はこう言っていた。『まるでスキルのようだ』と」

「ああ、スキルか!」

そう言われて俺はようやくこの男の言わんとしていることがわかった。

この世界で言う『特性』とは元の世界のゲームや漫画で出てきた『スキル』に該当するのだ。

つまり足が速いという俺の特技が『韋駄天』というスキルになったわけで、もしゲームと同じだとすればそこにはただ足が速いということ以上の能力があるということになるのではないか。

例えば風魔法が使えるようになっている、とか?

ああ、だから多分攻撃力に関係している『拳闘』と『蹴術』を持っている郷馬と丸鹿が、防御力に関係ありそうな『堅固』すら持っていなかった双子を攻撃した結果、ああなったのか。

特性がスキルだという説明をされていなかったのだから仕方がないかもしれないが、あいつらも殺すつもりまではなかっただろうし、まあ不幸な事故だったな。

「おお、これで通じるか。ならば話は早い」

男は説明が面倒な概念がすぐに理解されて嬉しそうだ。

確かにスキルというものを知らない人間に言葉だけで伝えるのは骨だと思う。

「であればこの言葉の意味もわかるのではないか?あやつらは『隠士』については『称号のようだ』と言っておった。『厭世』も同じであったが」

「……あー、まあ、なんとなく、言いたいことはわかったと思います」

男はこの方法なら楽だと判断したのか、同じ世界の人間の言葉で説明をした。

そしてその予想通り、俺にはその説明で通じた。

確かに称号というのは持っているとそれに応じた恩恵を受けられるというもので、スキルのように自分の力で使うものではない気がする。

そう、『運』に近いようなものだと思う。

ということは、厭世と隠士というのは『何かができるようになるもの』ではなく、『何らかの効果が得られるもの』ということなのだろう。

そして隠士の場合、その『効果』というのがきっと精神面に影響が出るものなのだ。

さて、そこまで理解したところで本題だ。

「隠士が称号だというのなら、その効果とはどんなものでしょう?」

男は「うむ」と重々しく頷くと、

「隠士とは世界を捨てた者、世界との関わりを断った者という意味だ。それが特性として現れた時、その者は特性の効果として『自分以外の者への関心が薄れる』というのがある」

「………はい?」

「まあそれだけではないのだが、精神面に影響が出ると言われているのはこの効果のせいだ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ん?」

俺は「そういうわけだ」と言った顔で話し終えた気になっていそうな男に詰め寄る。

「それって要は他人への関心が薄れるってだけのことでしょう?それがどうしたっていうんです?」

「どうした、とは?」

「いや、だってそんなの、どうでもいいことでしょう!?」

その言葉を聞いた男はまた憐れむように俺を見た。

まるで俺が誰かの妄言に惑わされている様を見ているような、そんな目に思えた。

俺は何か、変なことを言っているのだろうか?

「どうでもいい、か」

「……え?」

「他人への関心が薄れることは、どうでもいいことなのか?」

思いの外強い目で真っ直ぐに見られて俺はたじろぐ。

だって、どうでもいいだろう?

他人がどこでどうなろうが俺には関係ない。

今までだってそうだった。

俺に何があろうと誰も気にしない。

だから俺も気にしない。

それの何がいけないんだ?

「例えば先ほどお主と一緒に来た者が4人も死んだ。それについてもお主は何も感じないのか?」

「いや、それは」

男の言葉に反射的に否定を返そうとするが、そこで言葉が止まってしまう。

さっき俺はどう思っていたか、気づいてしまったからだ。

「……嘘だろ、まさか、そう言うことなのか?」

俺は愕然とする。

確かに俺はさっき感じたのだ。

言葉にはならないまでも、頭の片隅に引っ掛かるような違和感を。

双子が死んでクラスメイトたちは騒いでいた。

でも俺は何も思わなかった。

けれどそれはただ単に関わりが薄かったからだと思っていた。

では郷馬と丸鹿の時はどうだっただろうか。

元の世界では毎日俺を顎で使っていた奴ら。

恨みがないなんて言えない。

むしろ恨みしかない相手だ。

なのに。

「なんで、俺は何も思わなかった……?」

悲しみがないのは当然かもしれない。

でも普通、自分を虐げていた人間が死んだら、悲しまないほど嫌っている人間が死んだら。

「お主は悲しみも、そして喜びも、何も感じなかっただろう?」

「ああ…」

喜びもなければ解放感もなかった。

それこそ異常なほど何も感じなかったのだ。

あいつらは俺に何もしなかった奴らじゃないのに。

「それが隠士の効果だ。誰に対しても特別な感情を抱けず、興味を持つこともない。それゆえ時に誰のことも理解できず、誰にも理解されず、その内それが苦痛となり、ただただ孤独の内に閉じこもり生を終える」

「孤独…」

「そう、他人に煩わされることがないということはそういうことだ。お主は『厭世』も持っていたな。恐らく向こうの世界では世界を恨み、孤独でいることを好んだのかもしれない。だがこちらの世界ではそれが時に強制的に起こされることになる。お主が望もうと望むまいと、世界はお主を孤独にする」

「そんな……」

俺は頭を抱えた。

なんだそれ、いじめられっ子が異世界転移したらその先でも孤独になるって。

そんなの、虐めてくる相手が人間から世界に変わっただけじゃないか。

ああ、やっぱりこの世界にも俺の居場所はないんだ。

神の名を冠する特性が与えられようと、人と関われないなら俺の存在はやっぱり意味がないものなんじゃないのか?

「なに、そう悲観することもなかろう」

悲嘆に暮れる俺に男は一転朗らかに言う。

「その内その悲しみすら忘れるのだから」

「なに…?」

「そうであろう?今はまだ前の世界の記憶や感情に引っ張られているが、それがなくなればお主が恐れるのは孤独だけだ」

男の言葉にハッとする。

確かにそうかもしれない。

そう思えば悲嘆に暮れていたなんて言っていた重い気持ちがすうっと消えていく。

「別に心が動かされないからと言って絶対に孤独に過ごさなければならないわけではない…?」

「そうだ」

男が静かに笑って頷く。

って、アンタが世界が俺を孤独にするって言った張本人じゃなかったか?

あれは精神とか感性の話だって言われたらそこまでだけどさ。

俺は何となく自分の心臓、『心』と言われる部分を見つめ、ぎゅっと握る。

お前はもう動かないらしいぞ、と胸の内で語りかけてみたりする。

それに胸が痛む気がするこの気持ちも、きっと気のせいなんだ。

「そして大事なことは、お主自身の感情が消えたわけではないということだ」

「………ん?」

男の言葉に俺は再び顔を上げて男を見た。

「お主は他人に心動かされることがないだけで、自分から動かすことはできる。それにその年であれば前の世界の記憶が反応して反射的に『相手は今こう思っているはずだ』という思いが出ることもあるだろう」

確かに俺の心や感情は消えたわけではない。

なんだ、心が動かないと言われて悲嘆に暮れた気持ちや今痛んだと思った気持ちはちゃんとあったのか。

「最終的には慣れだと隠士を持つ者は言っておったぞ」

「慣れ…」

またこの男の言葉のせいで惑わされてしまったんだな。

でも結局慣れだというなら、これからは自分が感じたままに過ごそうと思う。

なんとも思えなくても、俺は解放されたんだから。

そう思うと途端に胸のすく思いが広がる。

なるほど、自分で動かすとはこういうことか。

「ところでお主、名は何と申す?」

「あ、崖野原惑です。惑が名前で崖野原が名字です」

男の問いにそういえば名乗っていなかったと思い自分の名前を告げる。

初見の人は必ず笑う、『惑ってこそ人間』というよくわからない由来でつけられた、それでも両親からの数少ない贈り物であり、俺が唯一大切にしているその名を。

「そうか、では惑、お主はこの世界で我らに力を貸してくれる気はあるか?」

恐らくこの世界で『惑う』という言葉の発音は向こうの世界とは異なるのだろう。

今言葉が通じているのは多分男か誰かの魔法のお陰だろうが、人の名前などは意味ではなく音で届くから、彼らに俺の名前の意味は伝わってないのだと思う。

だから笑われたり不思議そうな顔をされなかっただけかもしれないが、俺にはそれが心地よかった。

「……ない場合はどうなるのか聞いても?」

だからというわけではないが、ここで元の世界に帰れると言われても帰る気はあまりない。

けれどとりあえずお約束かと思い聞いてみる。

「そうだな、残念ながらそこの者たちと共に帰ってもらうことになる」

「元の世界へ?」

「ああ。……魂だけで、だがな」

男は質問にはっきりした声で答えた後、俺にだけ聞こえるように小さく付け加えた。

なるほど、つまり殺すわけね。

そりゃ役立たずをこのまま置いておいたら邪魔だし、召喚の度に負債を背負うことになるもんな。

だからいらないと判断した郷馬と丸鹿をすぐに殺しても問題なかったわけだ。

元の世界に帰せないというのは漫画なんかでは当たり前だったし、そうするのは考えてみれば明白だったかもしれない。

俺はそれに関して、きっと隠士がなくても「ふーん」としか思わなかっただろう。

関わりの薄い、むしろ郷馬たちへの人身御供として俺を差し出していた節さえあるクラスメイトたちがどうなろうと知ったことではない。

和金は同じような扱いを受けていた人間として思うところがないわけではないが、あいつは望んで郷馬たちにくっついていたし、時々あいつらと一緒になって俺のことを虐げていたので同情する気持ちは微塵もない。

「そうですか。まあ俺は向こうの世界に何の未練もないですから、この世界で貴方たちに力を貸してもいいですよ」

俺がそう言うと男はホッとした表情で「助かる」と言った。

俺が残らなければ今回の召喚で得られるものがゼロだったことを思えば、むしろこの男にこそ同情を感じる。

「それではこれからよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ頼む」

俺は男と握手を交わした。

そしてその場でクラスメイトと『お別れ』をして、一人国王の元へ案内される。

と言っても数十歩移動しただけだ。

「結局残ったのはお主だけか」

その声はここに来たばかりの時に聞いた「聞け、異界の者たちよ」と言った声と同じだった。

なんと国王はずっと近くにいたのだ。

「はい。ですが神の名を冠する特性を持つ者。10人の秀才は1人の天才に勝てません」

得たものは少ないと言いたげな国王に男は量より質だと返す。

国王に直接口を利けるところを見ると、この男はやはりかなり位が高いのだろう。

もしかしたら宰相、とか?

「それに特性も4つありました。鋼心は注意が必要かもしれませんが、厭世と隠士も使いようによっては強力な力になります。今回は大当たりと言っていいかと」

ということはきっとこの鎧の大男は騎士団長とかだろう。

騎士の地位がどのくらいなのかはよくわからないが、少なくとも国王という存在は雑兵が話し掛けていい相手ではないのは異世界も一緒だろう。

「セオドアとガイオスにここまで言わせるか、いいだろう、此度の召喚の儀は成功と触れを出せ」

「「ははっ!」」

国王はセオドアというらしい男とガイオスというらしい大男に言うと俺を見る。

「惑と言ったか、厭世隠士の鋼心韋駄天がどのような働きをしてくれるか皆目見当もつかないが、お主の価値はお主が決められるのがこの世界だ。せめてこの召喚を賄えるだけの働きは見せてくれ」

そしてフレンドリーにも俺の肩を叩くと踵を返した。

「……努めます」

その背にそう言うと「はっはっは、そうか、精々励め」と言い残し去って行く。

何だったんだと思うが、斯くして俺の異世界生活はスタートを切った。


この先自分がどうなるのかはわからない。

だが全てを諦めていたあの頃よりはいい人生が送れそうな気がして、俺の口角は無意識に上がっていた。



なお、余談だが後日確認すると一回の召喚にかかる費用は一兆グァン(この国の通貨の単位だそうだ)だと言われた。

「マジか、一兆円…」

「あ、ちなみにこの国の通貨の単位はあちらの世界だとドルという単位と同じらしいぞ」

「……はぁ!?一兆ドル!!?」

そして追加された有難くない情報により、俺に期待されているのは宝くじを当てたところで到底払えないような金額の働きだと発覚した。


そしてもう一つ気になっていたことも聞いてみた。

「そういえば『聖女』ってどういう特性なんですか?」

「ぶっ!!」

「おま、何つーことを大声で!!」

「は?」

聞いた相手は俺の指導係に任命されたガイオス元帥(各騎士団の団長の上司)の部下のヒースクリフ特務師団副団長(長い)だったのだが、横にいたケニス副団長補佐と共に慌てて俺の口を塞ごうとする。

なんで?

「ていうかそんな特性どこで聞いた!?」

「あまり公言する特性でもないと思うが…」

「いや、本人は堂々と、ってか誇らしげに言ってましたけど」

2人の質問に俺が答えると、2人は信じられないと頭を振った。

「マジかよ…」

「ちなみに、それは誰が?」

ヒースクリフ特務師団副団長が恐る恐ると言った体で言うと、ケニス副団長補佐が厭そうな顔をする。

「聞くのか」

「一応?」

ちなみに補佐とはなっているが、この2人は階級的には同じらしい。

肩書の差は役割の差で、副団長は戦専門、副団長補佐は事務専門なんだとか。

「ああ、俺と一緒にこの世界に召喚されて『帰った』担任教師です」

俺が再び答えると2人は「「ああ」」と異口同音に呟き、額に手を当てて天を仰いだ。

「なるほど、知らなければそうなるか」

「そういや前に来た奴が言うには、向こうの世界では聖なる力を持った特別な女性をそう言うって言ってたな」

それでは仕方ないかと乾いた笑いを発する2人に今度は俺が問うた。

「ってことはこっちでは意味が違うと?」

「ああ」

そう肯定を返したケニス副団長補佐はちょいちょいと俺を手招くと、

「こっちの世界で『聖女』って言うのは清らかなままの女性という意味だ」

と耳打ちしてきた。

「え?」

だからどうしたと俺が聞き返すと、「あーと」とケニス副団長補佐は頭に人差し指を当て、

「そっちの世界だと似た言葉に『魔法使い』ってのがあるって言ってたな」

名言を避けるように言った。

「魔法使い……?」

俺の頭の中では鍔が広いとんがり帽子を被った白いひげのお爺ちゃんが杖を持って雷を落としている。

だが不意に「お前の未来は魔法使いだな」「いや賢者だろ」と言う郷馬と丸鹿の声が脳裏に蘇り、ケニス副団長補佐が言わんとしていたことがようやくわかった。

そら普通言えないわ。

俺は言葉の違いの恐怖に頬を引き攣らせながら、不用意な単語を口にしないよう気を付けようと思った。

誰か異世界国語辞典ください。

読了ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 異世界転移をさせられる側の惑たちにとってもたまったものではないですが、召喚する側は召喚する側で、苦労があるんだなと感じずにはいられませんでした。 郷馬と丸鹿が顕著な特性のどストレートっぷり…
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