秋-大学祭に行こう
第6話 秋-大学祭に行こう
1
学園都市エカテリンブルの、学園前商店街のお店は、王立魔法騎士学園や王立大学が夏休みの間は、閑古鳥が鳴く。喫茶サヴォルも例外ではない(それでもバイマックルー毎日のように来店した)。商売人にとっては辛抱の季節である。
客の入りが少なかったので、リルは、マスターから多めに休憩時間をもらえた。その間に、古本屋で買った、地理、国史、西方史の教科書を勉強することができた。それで、リルが魔界にいた200年程で、驚くほど、社会が変わっていた。
まず地理であるが、さすがに地形までは変わっていない。ただ、特にオストニア国内では、地域ごとの産業が、変化していた。耕地にはあまり向かない巨壁山脈東麓地方では、魔獣の牧畜が主な産業になっていた。飼われているのは、中部と北部では、角兎が多く、毛は紡績して織物に、肉は食用になっているらしい。南部では、偽擬蚕という、蛾型の小型魔獣も飼育されており、その繭は、擬生糸という、糸の材料になる。本物の生糸よりは若干ごわつく感じがあるが、織物にすれば、擬絹という高級生地になる。リルが人間だったころは、食用肉は高級品、動物性繊維は輸入品が当たり前だった。その原因も、魔獣に家畜が襲われるため、家畜を放牧するような広い土地が確保できないというものだった。逆転の発想で、魔獣を馴化することで、かつての常識はひっくり返っていた。バイマックルーが言うには、
「魔獣を飼っちゃうなんて、すごい発想だよね。あれ、でも空の大地でも、グリフォンを騎乗用に飼ってるんだ。じゃあ、そんなにすごくないね。」
とのことである。リルは、ぎけん、きになる、と思ったが、「人化」の魔法で人間に化けているだけなので、着替えることはできない。リルが擬絹の服を着ることはないだろう。
シバリス平原でも、近代的な灌漑設備が整備され、農業生産性は増大していた。オストニアの人口は、200年程でおおよそ5割増しになっていた(うち4割は魔の森方面や、極東植民地の住民)が、増えた国民の胃袋を、充分満たせる生産性が実現されていたのだった。バイマックルーは、
「人間は、草を育てて食べるんだね。不思議。私たちは、鳥を狩って食料にするよ。」
と言っているが、彼女が食べている茶菓子の主な原料は、小麦粉である。リルは、そういえばこむぎもくさ、と、ハッとさせられた。緑の道も、極東方面まで延長され、極東植民地まで陸路で行けるようになった。大きく変わっていないのは、北の地獄くらいだ。バイマックルーは、
「北の地獄って、何だか、道がガタガタしそうだね。」
と、よく分からないことを言っていた。リルは、さらみたい、と思った。
都市の様相も様変わりした。都市型魔力転換炉と上下水道設備が整備され、家庭用魔道具略して家魔が普及したことにより、人々の暮らしはとても便利になった。家魔は、人間だったころのリルと姉のモカイッサが作った物と、大きく変わっていないので、驚くには値しない。ただ、バイマックルーは家魔がいたく気に入ったらしく、
「これぞ、オストニアの魔法文明の真骨頂。でも家魔ばっかり使ってると、ダメな大人になるから、空の大地には持ち込んじゃダメって言われてるんだよね。」
とのことだ。リルは、だったらおねえちゃんもわたしもゆふぃちゃんもだめにんげん、と思った。リルが目を見張ったのは、上水道と水洗便所である。蛇口をひねれば水が出る。レバー一つで、トイレも流せる。リルはもちろん、モカや長兄のオルティヌスも考えつかなかった発想である。とはいえ、不死なる竜であるリルは、トイレに行かなくていいのだが。バイマックルーは、
「ねえ、なんでトイレって流さないといけないの?ボットンでよくない?」
と、食卓にふさわしくないことを言っていた。リルは、ぼっとんだと、あとでくみとるのがたいへん、と思った。
国史については、国王ハベス1世の時代以後を近代と呼び、それ以前の中世と区別するようだ。そしてオストニアの近代は、人口の増加、産業の高度化、都市環境の整備の時代であり、その背景には長く続いた平和があったようだ。オストニア軍によって死を授けられた黒竜のお姉様たちについては、何故か、教科書に記述がない。
「なんで、中世と近代なの?その前は?」
というのがバイマックルーの疑問だが、その前は、オストニアは無人地帯である。オストニアの歴史は800年弱。古代はないのだ。リルは、それはせいほうしでならう、と思った。
その反面、オストニアとグランミュールの「血の同盟」は、時代が下るに連れ疎遠になったようである。今では、東西回廊に、200年ほど前に作られた「出島」だけが、唯一グランミュールの商人が入国できる場所となっているらしい。特権を与えられた商人以外は、入国すら認められていない。
「グランミュールって、西方で1番大きい国だよね。もっと仲良くしても良くない?」
リルは、バイマックルーの意見はある意味正しいと思うのだが、たぶんこれは、じょうほうとうせい、と予想していた。
替わりに、オストニアは、東の森の民の国と、南西の翼の民と接近していて、非西方世界の盟主の様である。翼の民であるバイマックルーは、
「そう言えば、森の民ってどんな人たち?」
と、聞いてきたが、リルもあったことはない。人間だったころの両親から話を聞いただけだ。いっかいくらいはあってみたい、とリルも思った。
リルが不満だったのは、平和な時代が続いたせいか、魔導従士関連の技術革新が、ほとんどなく、今でもオストニア国王軍の主力は第4世代型魔導従士、スコピエスⅱ、ピクシス⊿と魔導車「山-01」だということである。リルも、モカほどではないが、魔導従士が好きだったので、にひゃくねんおなじきたいをつかいつづけるなんて、なさけない、と思った。翼の民は、魔導従士を使わないので、バイマックルーが魔導従士の話題を話すことはなかった。
西方史に関しては「パックス・ムルス・グランディス」という長い平和が、今でも続いているようだ。ただ、これは表面上、国対国の戦争が起きなかったと言うだけで、各国水面下では、色々動きがあるようである。
「でも、オストニアって、西方に対して、ほとんど鎖国状態だよね。なんで西方の歴史にそんなに詳しいの?」
バイマックルーは納得いっていないようだが、リルは、それはちーむいえろーがじょうほうしゅうしゅうしてるから、と思った。口に出しては言わないが。壁に耳あり、である。
また、オストニアで起きた近代化は、西方に伝わらず(オストニア側が、故意に情報を遮断していたからでもある)、西方は、未だに中世的な社会のまま停滞している。
「停滞って言っても、人口は増えてるんでしょ。そのうち土地が足りなくなって、空の大地やオストニアに侵略してこないかな。心配。」
リルも、しんぱい、と思った。
2
秋になって、学園や大学の秋学期が始まると、学園前商店街も、活気を取り戻す。リルとエルマが住み込みで働いている、サヴォルは隠れた人気店なので、授業時間であっても、空きコマだったり、文字通りサボっていたりで、学生や教職員と思われる客が途絶えることはない。
ウェートレスとして、数ヶ月働いたおかげで、リルの対人恐怖も相当マシになり、人前でも、それなりに(あくまでリルの基準でだが)喋れるようになった。相変わらず、無表情なのだが。時々休憩が取れると、古本屋で物色した、本を読んで過ごした。
リルは、今の日常に、人間だったころとは違った充実感を感じていた。リルが苦手な、退屈とも無縁である。ただ、それ以上に、リルは、表の世界に戻ってきた本当の目的の方が気になっていた。だから、エルマの様子には、いつも気を配っていた。マスターに厨房を任されたり、カウンター越しに客と話しているエルマは、楽しげである。これなら、ままも…と、リルは思った。
そんなある日のことである。商店街の回覧板に「皐祭」と銘打ったチラシが、入っていた。興味を持ったリルが、中身を読んでみると、1ヶ月ほど先に、大学で開かれるイベントらしい。氷曜日休みが多い商店街の人も訪れやすいよう、週の真ん中の3日で行われる。
大学は普段は関係者以外立ち入り禁止で、門のところで身分証をチェックされる。リルなら、その気になれば、大学の周囲を囲う塀を飛び越えて、中に入ることも容易だが、悪目立ちして正体がバレるのが嫌だったので、してこなかった。
皐祭では、一般市民も自由に入構でき、大学で行っている研究の一端に触れられるらしい。以前から大学に興味があったリルは、ちゃんす、と思った。同時に、なんであきなのにさつきさいなんだろう?さつきはしょかのはななのに、と疑問も感じた。
リルが、皐祭の開催をワクワクしながら待っているころ。大学の昼休みを利用して、バイマックルーが、来店した。
「リルちゃん、いつもの。」
言うや、案内もされていないのに、いつも通りテラス席に陣取ってしまった。正直言えば、この時期の昼休み時間は、店も猫の手も借りたいほど混雑するので、バイマックルー1人に関わってばかりもいられない。それでもマスターは、リルに目配せをして、バイマックルーの相手をするように指示した。リルはいつものを持って、テラス席に行くと、バイマックルーの対面に座った。
「ねえねえ、リルちゃん。聞いた?」
「・・・?」
主語のない問いに、意図が分からず、リルは首を傾げた。
「皐祭だよ、皐祭。私の研究室でも、出し物をやるんだから。リルちゃん、来るよね。」
リルは、バイマックルーに誘われなくても行くつもりだったので、無言で頷いた。
「来るね。絶対だよ。嘘ついたら拳骨1万発して、ハリセンボンっていう魚を丸呑みさせるからね。」
リルは、はりせんぼんのます、ってそういういみ?と思った。
「ちなみに、私、研究室の出し物担当は風曜日なの。だから、氷曜日だったら、一緒に他の研究室の出し物も回れるよね。」
どうやら、バイマックルーは、リルと一緒に皐祭を回りたい様だ。大学に友達はいないのだろうか。リルとしては、大学の中に詳しい人の案内があった方がいいだろうと思い、バイマックルーと一緒に回ることにした。無言で頷く。
「うん、じゃあ、正門を入ったところにある、オ…なんだっけ?とにかく正門前の銅像のところで待ち合わせだから。あ、そろそろ戻らないと、午後の実験。」
そう言うと、バイマックルーは、バタバタと会計を済ませ、店を出て行った。
3
ある日のことである。その日は定休日の氷曜日だったので、リルは、朝の散歩とマスターのお使いを済ませた後、寝室に戻った。するといつもは寝ているエルマが、珍しくベッドから起きていて、
「ふふふ。リル、今日は何の日?」
と聞いてきた。リルは寝室に掛けてあったカレンダーに目をやると、はたと気付いた。9月20日。それは、人間だったころのリル(と双子の姉のモカ)の誕生日だ。
「・・・たんじょうび?」
そうリルが答えると、
「そう。リルの誕生日。人間は誕生日をお祝いするでしょ。だから、リルの305歳の誕生日のお祝いに、何か欲しいものを買ってあげる。」
と、エルマが誕生日プレゼントを買ってくれると言い出した。
「・・・まま、おかね?」
「その心配は要らないわ。マスターからもらったお給金は、全部貯めていたから。」
リルもエルマも、正体は不死なる竜なので、魔力さえあれば生きていける。その魔力の元も、大気中に遍在するエーテルだ。「人化」で人間に化けているので、着替えの必要もない。要するに、お金の使い道があまりないのだ。リルも、ウェートレスとしての給料は全て魔法の金庫に貯めていた。エルマもそうだったのだ。
「・・・じゃあ、ほんやさん。」
「ふふ。リルは最近、本当に本の虫ね。」
リルに限らず、娯楽の少ないこの時代には、本は大事だ。王都には、大きな劇場もあるそうだが、エカテリンブルには、そういった施設もなかった。
ということで、リルは305歳の誕生日プレゼントとして、本を買って貰うことになったのだが、肝心の古本屋も、サヴォルと同じで、氷曜日が定休日である。それで、翌日の昼休み時間過ぎに、リル1人で古本屋に行って、好きな本を買って来ることになった。誕生日だと言ったら、マスターも、外出する許可をすぐにくれた。
翌日の、休憩時間。リルは、ウェートレス姿のまま外出して、古本屋に来た。勉強は一通り終わったので、できれば娯楽作品がいい。店の中に、所狭しと並ぶ本棚の中を、リルは、面白そうな本はないか、物色して、歩き回った。すると、店の奥、本棚の陰に隠れて見えづらいところに、1本のひもでくくられた、立派な装丁のシリーズものの本があることに気付いた。それを見つけた瞬間、リルの目は、その書名に釘付けになった。
「それに目を付けるたあ、お嬢ちゃん、やっぱり堅気じゃねえな。」
突然、後ろから声を掛けられ、リルはビクッとなってしまった。声を掛けてきたのは、この古書店の店主だが、口調が、いつもと違う。驚いたリルは、思わずその場から飛び退くと、店主の方に向き直り、ぶんぶんと首を横に振った。
「『オルティヌス・アウレリウス著作集』。出版部数が少ねえから、俺も集めるのに、苦労したんだ。こんなもん欲しがるのは、蒐集家くれえよ。学者先生どもは、自分の研究分野に関係あるものしか欲しがらねえしな。」
リルは、兄の死後、著作集が出版されていたことを知って、驚いていただけなのだが、店主に何か勘違いされている。リルは、もう1度ぶんぶん首を振って、店主の想像を否定しようとした。
「お嬢ちゃんが、見かけによらず『分かってる』人間だってのは、理解した。でも、そのセットは、もうちょっとうちに金を落としてもらってからじゃねえと売れねえな。」
結局店主の勘違いを解くことはできなかった。リルは店主の視界から逃れるように移動し、本の物色を続けた。結局、リルは、何冊か新しめの小説を買った。
「『流刑地』に『シバリウス物語1~6』ね。お嬢ちゃん、やっぱり堅気じゃないね。いい筋してるぜ。」
店主の疑惑が深まっている気がするが、買うものも買ったので、リルは店を出た。
リルが古書店で本を物色している時、妙に存在感の薄い中年男が、リルのことをチラチラと観察していた。本探しをしていても、騎士として訓練を受けた者の性か、リルは、その男に気付いていた。リルは、こんども、まぜんだ、と思った。
リルは、サヴォルに戻ったら、厨房にいるエルマに、買った本を見せた。
「今度の本は、みんな小説ね。たくさんあるけど、ちゃんと、予算内で買えた?」
エルマは、本の中身自体に興味はなさそうだ。予算内に収まっていたので、リルは、
「・・・ん。」
と答えて、買ってきた本を、寝室に運んだ。
その日の営業時間後。リルは早速、買ってきた本の1冊を開いた。「流刑地」という題の小説である。はしがきによると、極東植民地開拓初期を舞台にした、史実を元にしたフィクションらしい。ということは、とうじょうじんぶつは、もとしけいしゅう、とリルは思った。
4
10月中旬になって、リルが待ちに待った皐祭の当日が、やって来た。1日目は氷曜日なので、サヴォルも定休日である。リルは、朝の散歩と、マスターのお使いを終えて、サヴォルの2階の住居スペースに帰ってきた。パンを受け取ったマスターは、
「大学祭に行くんだろ。好きにしな。俺はちょっと行くところがあるからよ。」
と言った。そう言えば、リルは、定休日はエルマと寝ていることが多いが、マスターが、毎週定休日にどこかに出掛けていることには気付いていた。これも騎士だったころの性か、リルは寝ていても、動くものの気配に気付くのだ。
それから寝室で、まだ寝ているエルマを起こそうとしたら、エルマは寝たまま、
「大学のお祭りに行くんでしょ。私はいつも通り寝ているから、好きに楽しんでいらっしゃい。」
と、言った。ベッドから起き上がって、一緒に来てくれる気はないようだ。そう言えば、魔界の竜王様の巣で暮らしていたころも、エルマは、外出するリルについてくることはなくて、巣で寝ていた。やっぱりままはねぼすけさん、とリルは思った。まあ、保護者のエルマがいなくても、リルは(見た目はともかく)大人だし、バイマックルーと一緒に皐祭を回る約束もしている。1人になることはない。ということで、リルは、1人で、サヴォルの2階から出て、大学に向かった。
その日は、大学の正門が開いていた。いつもは守衛のいる通用門しか開いておらず、入構する者は厳しく身分を確かめられるが、この日は身分チェックもなし。朱塗りの櫓門には、手作り感満載な「ようこそ皐祭へ」と書かれた飾りが掲げられている。
正門をくぐると、広場になっていて、その広場を囲むように、建物がいくつも建っていた。正門から入って正面の建物は、真ん中が高くなっていて、学園の時計塔に負けないくらいの大きさの大時計が時刻を刻んでいた。そこから視線を下ろすと、広場の真ん中に、円形に囲まれた植え込みがあり、クェルクという柏に似た木が聳えていた。その木の根元に、少女の銅像が立っていた。
リルは、あのどうぞうが、まちあわせばしょ、と思って、銅像に近づいた。近寄ってみると、銅像の下の台座に、字が彫られていた。「万能の天才 オルティヌス・アウレリウス」。少女に見えたが男の娘だった。リルは、銅像をじっと観察した。ハーフアップにした髪に、大きくつぶらな瞳。銀嶺騎士団の(女性ものの)制服。ニーハイソックスに、かかとの高いパンプス。大まかな特徴は捉えているが、そっくりというほどではない。微妙に似ている程度だ。こういうのは、そっくりか、かんぜんにべつじんか、りょうきょくたんがおやくそく、とリルは思った。
リルが銅像を観察していると、男の声で、後ろから声を掛けられた。
「各研究室がいろいろ出し物をやっている中で、最初にその銅像に注目するとは。お嬢さん、見る目がある。」
リルは知らない人から声を掛けられ、驚いたので、振り向いて身構えた。
「これは、いきなり声を掛けて驚かせてしまったようだね。失礼。僕はこの大学の学生だよ。皐祭の実行委員の1人だよ。」
そう言って、男は、大学の学生証を見せた。背は高いが、生白い肌にガリガリの体はいかにも不健康そうだ。
「この、万能の天才オルティヌス・アウレリウス像は、この大学の象徴なんだ。大学の前身は、王立アカデミーという学者の組織だったんだけど、オルティヌスは、アカデミーで多大な功績を残したのみならず、後進の研究者の育成にも取り組んだんだ。それで、国王ハベス2世の時代だから、今から200年余り前に、単なる学者の組織ではなく、教育と研究の両方を担う組織が構想されたんだ。それで、アカデミーが発展的改組して、出来たのがこの大学なんだ。」
ハベス2世の時代だと、もしかしたらギリギリ、リルが魔界に戻る前かも知れない。ただ、リルはアカデミーと関係がなかったので、仮にリルが魔界に旅立つ前に大学が出来ていたとしても、知らなくても仕方ない。
「オルティヌスは、文字通り万能の天才でね。専門分野にとらわれず、色々な領域で業績を残したんだ。僕は、文学部の国学科で、オストニア近代の経済、社会史を専攻しているけど、この分野でも、彼の業績なしには歴史を語れないと言っても過言ではないんだ。」
リルは、学生の話を聞いて、おにいちゃん、きしだったのに、そんなぶんやにまでえいきょうをあたえてるなんて、ごいすー(おねえちゃんのまね)、と思った。
「この大学は、7つの学部があるけど、その全てがオルティヌスの影響を受けていると言っていいんじゃないかな。」
そこまで学生の熱の籠もった語りを聞いていると、聞き覚えのある声が割り込んできた。
「あ、リルちゃん。誰?その人。」
「げ、羽根アリ。お嬢さん、僕はこれにて。楽しんでいってね。」
「羽根アリ言うな。待てー。行っちゃった。リルちゃん、あのナンパ野郎に、変なことされてない?」
リルは、バイマックルーが言うところのナンパ野郎から、オッティの話を聞いていただけだったので、首を横に振った。
「それなら、良かった。じゃ、順番に回ろうか。」
そう言ってさっさと歩き始めたバイマックルーに、リルはついて行った。
大学祭と言っても、学生が模擬店などを出しているわけではない。大学が普段から行っている、教育研究活動の、広報がこのイベントの目的だ。
「ここは、文学部と法学部、商学部の文系3学部が入っている、法商文棟だよ。どの学部も、大がかりな実験設備とか必要ないから、1つにまとめられてるの。で、この場所は、文学部のスペースだよ。」
そう説明しながら、バイマックルーは、手近な教室に入った。リルもついて行く。
入った教室では、文学部の人文地理学科の研究室が「オストニアの産業地図」と題された、展示を行っていた。説明担当の学生もいる。
「羽根アリとチビッ娘ウェートレス。意外な組み合わせ。」
「そんな意外でもないでしょ。あと羽根アリ言うな。」
「まあ、気を悪くするな。俺がこの産業地図について説明してやる。今のオストニアでは、農業と鉱業の第1次産業が基幹産業だが、工業化も随分進んでいる。角兎の牧畜が盛んな巨壁山脈東麓地方北中部では、紡績や織物などの、繊維産業の工場もちらほらある。角兎の繁殖の研究は、万能の天才オルティヌスの功績だな。魔獣の研究で、産業構造や、国民の着る服まで変えたんだから、万能の天才の異名は伊達じゃない。」
説明担当の学生は、地図の該当箇所を指し示しながら説明した。
「へー。その、オなんとかって人、魔法の研究者だと思ってたけど、そんなこともやってたんだ。」
「オルティヌスだ。毎日銅像を見るだろう。覚えろ。」
リルは、人間だったころ、オッティがしていた、角兎の繁殖の研究を、少しだけ手伝ったので、ちょっと誇らしかった。
「巨壁山脈東麓地方南部では、鉱業が盛んだな。何と言っても、工房都市カメンスクがあるからな。ただ、ラボで作られている物は、軍事機密だから、大学では研究対象にできない。」
工房都市は、リルの記憶通りの場所にあった。今でも、第4世代型魔導従士の量産を担っているはずだが、その後継機の開発も進んでいるだろう。
「シバリス平原は、別名オストニアの食料庫とも言われていて、麦や稲などの主食用穀物の栽培が盛んだ。それ以外だと、シバリス平原南部では、甜菜の栽培もされてて、加工して砂糖にしている。甘いお菓子が食べられるのも、砂糖の供給が増えたからだな。」
「ふーん。お砂糖って、そうやって作るんだ。」
「後、南方大洋沿いには、漁業で発展した街もあって、今なら冷蔵庫もあるから、全土で海の幸が食べられる。」
学園前商店街にも、南方の海の幸を売りにしている飲食店がある。ちなみに魔法の冷蔵庫を作ったのはリルなので、えっへん、と思った。
「それに、何と言っても、経済首都ヴァルトフ郊外にある、家魔の工場群だな。マネシトゥス家魔産業が、一番有名だが、どうやってあんなにうち中何でもマネシトゥスにできるほど、アイディアを思いついたんだろうな。企業秘密って奴で、教えてくれん。」
リルは、おねえちゃんとわたしのあいでぃあ、まねした、と思ったが、バイマックルーは、
「いいよね、家魔。いかにも文明って感じ。」
と、感動している。
「ここは、国学科の研究室だね。」
その教室では、国学科の研究室が「オストニア近代史の概略」という展示を行っていた。
「オストニア近代はハベス1世統治時代から始まるとされているが、本当にエポックメイキングだったのは、緑の道の普請に、全土から人工を徴発したことと、その普請を渋った、ブロッケヌス伯爵家を取り潰したことだね。」
この辺りは、リルはリアルタイムで体験したことであるから、しゃかにせっぽう、と思った。ついでに、ブロッケヌス伯爵家取り潰しのときは、母方の祖父のシバリウス侯爵とともに、リルも現場に踏み込んだ。
「それって、そんなにすごいことなの?」
「ちゃんと勉強しろよ、羽根アリ。もはや国王が貴族たちの『同輩中の主席』でないことを示した重要な事件だぞ。」
「ぶー。私にとっては余所の国の歴史だし、そんなに詳しくないよ。あと羽根アリ言うな。」
別の学生が、今度は経済史に関して説明を始めた。
「オストニア近代初期は、まだ、魔獣の縄張りが多かったから、経済力は今ほど豊かじゃなかったんだよ。それが、第4世代型魔導従士の登場で、状況が一変したんだ。その第4世代型の生みの親も、万能の天才オルティヌスらしい。詳細は軍事機密なので、公表はされてないが。」
リルは、当時のオッティの研究を手伝っていたので、しょうさいはしってる、と思った。バイマックルーは、魔導従士に興味がないらしく、長い髪をいじって、退屈そうにしている。
「説明してるんだから、ちゃんと聞いて下さい、羽根アリさん。」
「だって、私たち、魔導従士なんて使わないし。あと羽根アリ言うな。」
別の学生が文化史についての解説もした。
「経済が変われば文化も変わる。食文化が充実したのは知ってると思うけど、見落とされがちなのは、衣服だね。魔獣の縄張りが多かったころは、綿や麻などの植物性繊維が、オストニア人の衣服だったんだけど、南北に長い国土には不向きな場所もあったんだよ。今なら寒い地域は、兎毛の織物があるし、暑い地域は、それまで通り、綿や麻でいいから、着る物の地域差が出て来たんだ。お嬢ちゃんも可愛い格好してるけど、そのうち、ファッションを楽しむ文化も芽生えるかもね。お前も見てくれは可愛いんだから、いつも同じ服着てないで、着る物にも気を遣えよ、羽根アリ。」
「これは翼の民の民族衣装なの。あと羽根アリ言うな。」
バイマックルーは、いつもホルターネックの白いワンピースを着ている。翼の動きを邪魔しないように、背中が大きく開いているのが特徴だ。それはそうと、リルは、ふぁっしょんはカワイイがいちばん、と思った。
少し移動して、別の教室に入った。
「こっからが、商学部のスペースだよ。」
その教室では「わかりやすい商業の基本」と題した展示を行っていた。商業の仕組みを図解で説明しているのだが、描かれている絵が、イラスト屋っぽい。展示を眺めていると、説明役の学生が現れた。
「その昔、西方では、商業は卑しい行為と考えられていたんだ。生産的労働じゃないのに、もうけているのがけしからん、ってね。だけど、例えば、おチビちゃんが、麦をたくさん持っていて、100オース以上で売りたがっている。羽根アリさんが、100オース持っていて、麦を欲しがっている。これで売買が成立すれば、おチビちゃんは100オース手に入って嬉しい。羽根アリさんは麦が手に入って嬉しい。こういうのを僕たちは、ちょっと難しい言葉だけど、主観的価値の増大って言うんだ。おチビちゃんにとっては、麦<100オース。羽根アリさんにとっては、麦>100オースなら、この売買で、主観的価値の総和は増えている。商人は、ある商品が余っている、換言すれば主観的価値が低い地域で商品を仕入れ、その商品が足りない、主観的価値が大きい地域で売っている。このように、商業は、地域間で商品を動かすことで、主観的価値の総和を増大させるという、立派な社会的機能を担っているんだ。決して卑しい行為じゃないんだよ。」
「ほえー。何か難しい。それと羽根アリ言うな。」
リルは、しゅかんてきかち、むずかしい、と思った。この2人に経済の話はまだ早かったようである。
その隣の教室では、商学部経営学科が「経営学事始め」という展示がされていた。
「売り上げ-経費=利益だ。利益として手元に残るお金を増やすには、売り上げを上げるか、経費を削るしかない。これが経営の鉄則。お嬢ちゃんの喫茶店を例にすると、売り上げを上げるなら、2つ方法があって、1つは、客単価を上げること。サヴォルのお客さんは、大体セットを頼むから、この値段を上げるか、紅茶以外の、もっと高級な飲み物を取り扱うことになるよね。」
リルは経営学科の学生の話を聞いて、もともとつよきなねだんせってい、ねあげはむり、あとますたーはこうちゃにこだわってるから、ほかのしょうひんかいはつもたぶんしない、と、おもった。
「もう1つが、お客さん自体を増やすこと。そのためには、回転率を上げるか、隙間を埋めることだね。そこの羽根アリさんは、夏休みも毎日、来てくれてたんだろ。繁盛店でも、客の入らない隙間は、意外とあるものだよ。」
「ふむふむ。てか羽根アリ言うな。」
リルは、それができたらくろうしないし、そもそもいまいじょうにりえきをだすひつようはないきがする、と思った。
「経費を削る方法は、まあ、材料の仕入れ値を下げるか、従業員の給料を下げるくらいだね。お嬢ちゃんには悪いけど。」
「えー、リルちゃんは頑張ってるんだから、給料下げちゃ、可哀想だよ。」
「仮の話です。」
リルは、むりなかいたたきをしないのが、しょうばいをながくつづけるこつ、と思った。
また少し移動した。
「こっからが、法学部だよ。」
法学科の展示はどれも難しそうだったので、素通りし、政治学科の教室に入った。やっていたのは「近代オストニア統治機構」という展示だった。
「この三角錐すごい。これ作ったの?」
「そこを見て欲しいんじゃなくて中身なんだけど。羽根アリさん、この頂点の王冠のマークが、国王陛下。オストニアの統治権は陛下が総覧してるの。」
「トーチケンをソーラン?てか羽根アリ言うな。」
「で、この面を見て。枢密院は、王令上は組閣についての陛下の諮問に、答申するだけの組織だけど、慣習上、予決算案の縦覧、法規性のある王令制定の協賛といった具合に、政治面での陛下の権限をお扶けする組織なのよ。歴代枢密院議長は、シバリウス侯爵家の女性が務めていて、国政の実質的トップと言われているわ。」
「ずっと、同じ家の人なの。すごーい。」
バイマックルーは、感心しているが、リルは、こうしゃくけによるこくせいのしぶつか、と思った。
「次の面が政府ね。さっきも言ったけど、閣僚の人事は、枢密院の答申で決まるの。それで、政府は、王令や予算の執行を担っているのね。政府の下には、7つの省があって、それぞれの専門家である官僚が、大臣の手足になって動くのよ。7省全部合わせると、官僚の数は1000人くらいかしら。」
「そんなにいるの!やっぱりオストニアってすごい。」
リルは、人間だったころから7省制が続いていることに、あんていしてる、と思った。
「最後の面が、司法ね。私人同士のもめ事を裁判したり、罪人に刑を言い渡したりするの。ちなみに、司法府で国王陛下に直属するのは、高等法院以上で、地方裁判所は、貴族領ごとに、各貴族が設置する義務があるわ。不入の権があったころの名残ね。」
「罪人に刑って、打ち首とか獄門とか?」
「さすがに獄門はないけど、重い順に、死刑、流刑、杖刑、笞刑、罰金刑ね。死刑の執行方法も、磔と断頭台があるわよ。」
「ゾー。」
バイマックルーは、自分が磔になる姿を想像してしまったようだ。リルは、むかしは、さらしくびもあったのに、と思った。
法商文棟も大方回ってしまったので、次の建物に移動した。
「じゃーん。ここがいつも私がいる理学部棟だよ。」
バイマックルーの案内で最初に入ったのは、地学科の研究室が展示をやっている教室だった。「風」というシンプル過ぎるタイトルの展示だ。
「僕たちは、風がどのように吹くか研究している。今のところ、気圧の差、おおむね高気圧のところから低気圧のところに向かって風が吹くことまでは分かっているんだ。水銀気圧計が開発されて、分かった事実だよ。それで、風を起こす原因を、気圧傾度力と名付けたんだ。ただ、どういうわけか、風は、気圧傾度力の働く方向から、右に曲がって吹くんだ。それで、気圧の分布も時々刻々変わるから、風は直進しない。羽根アリさんたち翼の民でも、風は気紛れ、って言うんじゃない?」
「うん、言うよ。でも羽根アリ言うな。」
リルは、悪魔の知識で、地面が回っていることによって起こる見かけの力が、風向きに関係していることを知っていたが、知らない振りをした。
その隣の教室では同じ地学科の天文学の研究室が「大地は動くか」という展示をやっていた。
「ニコルス・ペルニクスの地動説では、我々の大地も、太陽の周りを回る惑星の1つとうことになっている。対して、チコ・ブラエゥスは、大地は不動で、太陽が大地の周りを回り、惑星が太陽の周りを回る新天動説を唱えた。で、今、この論争では、新天動説が、理があると言うことで有力になっているんだ。もし、大地が動くなら、近くの恒星が、遠くの恒星に比べて大地の動きに合わせてずれて見えないといけないけど、1度の60分の1、つまり1分まではかれる六分器でも、そんな現象は観測できなかったんだ。ただ、恒星が僕たちの想像以上に遠くにあって、しかももっと細かい角度を測れる六分器が開発されたら、地動説が正しかったと、証明される可能性は残っているんだ。」
「それって、そんなに大事なこと?あと羽根アリ言うな。」
「言ってないぞ。」
「あれ、ホントだ。」
リルは、ばいまっくるーは、はねありいうな、がくちぐせ、と思った。
その隣では、物理学科が「鳥は何故飛べるのか」という展示をやっていたが、2人とも興味がなかったのでスルーした。
その隣の教室では、錬金学科が「完成。超合金60分の1スコピエスⅱ」という展示をやっていた。
「金属製の人形?これが魔導従士の模型なの?」
「羽根アリにしては、分かってるじゃないか。これが俺たちの努力の結晶だよ。」
「でも、どの辺が超合金?あと羽根アリ言うな。」
「超合金こそ男の浪漫、女の夢。」
「全然、分かんない。」
リルは、がいそうがきんぞくならすこぴえす、だいさんせだいがた、と思った。
次の教室では、生物学科が「よく分かるミジンコ」という展示をやっていたが、ここも興味がなかったのでスルーした。
次はいよいよ、魔法学科の教室である。中に入ると「万能の天才オルティヌス・アウレリウスの魔法」という展示の名前と、机の上に置かれた本の頁が、ひとりでにめくられる、という光景が見える予定だったのであろう。しかしリルの不死なる竜の目には、タネが見えていた。「不可視化」の魔法で姿を隠している男子学生が、本の頁をめくっている。リルは、いんう゛ぃじぶる、ふしなるりゅうのめはごまかせないんだ、と思った。バイマックルーはタネを知っているから、ニヤニヤとリルの反応を伺っている。リルはいつも通りの無表情。その後、「不可視化」で消えていた学生が、本を閉じて、離れた位置に戻ると、
「ばあ。」
と言って「不可視化」を解いた。
「これがオルティヌスの魔導書から最近解読された『不可視化』です。」
「あれ。これならリルちゃんの驚いてる顔が見られると思ったのに。」
「羽根アリ先輩。それでこんな出し物にしたんですか?」
「ぎく。違うよ、新しい魔法の広報が目的だよ。あと羽根アリ言うな。」
バイマックルーが後輩と言い合っている間に、リルは「不可視化」で消えてみた。
「あれ、羽根アリ先輩。一緒にいたちびっ娘がいません。」
「だから羽根アリ言うな。」
バイマックルーと後輩の死角に移動して「不可視化」を解く。そして、ひょこっと現れて、
「・・・?」
と、首を傾げて見せた。
「いつの間にそんなところに!リルちゃん、思ってたよりすごい。」
リルは、ばいまっくるー、いじられきゃら、と思った。
理学部棟をあらかた回ったところで、隣の建物に移動した。理学部棟よりかなり規模の大きい建物である。
「うふふ。ここが、工学部棟。今年はどんな出し物が見られるのかな。わくわく。」
バイマックルーは、明らかにそれまでよりテンションが上がっていた。
最初の教室に入ると、材料工学科の研究室が「縁の下の力持ち。マテリアルの最前線」という展示を行っていた。
「一言で材料の性能と言っても、強度だけじゃなくて、加工のしやすさとか、耐久性とか、経済性とか、重さ軽さとか、考えることはいろいろあるんだよ。そんな中で、ベストなバランスの材料を、実験を繰り返して、探すんだ。ここに展示されているのは、木材や金属材が主だけど、錬金術で、それ以外の素材も作るよ。」
学生が説明してくれるが、展示されているのは、短く切った角材や、金属の塊である。説明書きもあるが、正直この塊だけ見せられても、それが使われるイメージは湧かない。
「うーん、地味。」
バイマックルーは、明らかにテンションが下がっている。
「地味とは何だ。トラブルメーカーの羽根アリのくせに。」
「地味は地味。あと羽根アリ言うな。」
リルは、とらぶるめーかーはひていしないんだ、と思った。
次の教室では、基礎工学科が「設計の失敗101選」と題した展示を行っていた。設計図が壁中に貼られているが、展示のタイトル通りなら、これが全部失敗作ということになる。
「設計図だけだと分かんないよー。」
「何だ?大きな声出して。何だ、羽根アリか。」
「私、設計なんて勉強してないもん。それと羽根アリ言うな。」
「まあ、仕事だから説明してやる。失敗のタネっていうのは、設計段階にはもう存在していることが圧倒的に多い。例えばこれだ。自動でお湯を沸かしてくれる、魔法のやかんの試作品なんだが、蓋の密閉性が良すぎたせいで、実際お湯を沸かしたときに、蒸気の圧力で、蓋が吹き飛んだ。幸い怪我人はいなかったがな。設計の失敗って言うのは、圧力とか、疲労とか、ある程度予想できる危険を見落とすことから起きる。今回の企画は、そういう失敗をする人への戒めだな。」
「説明聞いても、分かんないよー。」
リルは、ばいまっくるーは、おなじしっぱいをくりかえすたいぷ、と思った。
次の教室では、応用物理工学科の学生が、熱気球のミニチュアのようなものを浮かべていたが、2人とも興味がなかったのでスルーした。
その次は、建築学科の教室である。「オストニアを代表する建築物」と題した展示では、様々な特徴ある建築物のスケッチが飾られていた。
「このお城、絵本に出てくるお城みたい。」
「それは、カルガソク城だな。今はカルガソクス公爵の居城だが、昔は首なし伯爵のもので、見栄っ張りな首なし伯爵は、外面だけ綺麗に居城を飾ったせいで、こうなったって話だ。外面だけいいとか、どこかの羽根アリみたいだな。」
「いーだ。どうせ私は見た目だけのお転婆娘ですよ。あと羽根アリ言うな。」
その他にも、エカテリンブル城やスベルドロ砦、王都ウラジオの4重構造の市壁などのスケッチがあった。何故か大学の正門のスケッチもある。リルはスベルドロ砦のスケッチを見て、ぞうさん、と思った。
次は土木工学科の展示だ。「エカテリンブルの下水道の迷宮」と題した展示は、立体模型で、エカテリンブルの街の地下にある下水道網を再現していたが、確かに迷宮のように入り組んでいる。
「すごーい。地面の下に、こんなに穴が掘ってあるんだ。」
「そうだぞ、羽根アリ。お前がトイレを流せるのも、先人たちがこの下水道網を作ってくれたからなのだ。感謝しろ。」
「自分の手柄みたいに。あと羽根アリ言うな。」
リルは、下水道の模型を見て、下水が流れていく先が気になった。が、この展示ではそこまでは触れられていなかった。そういえば、リルが人間だったころ、便所から汲み取った物は、周囲の農村で、肥料として使われていたらしい。いまもそうなのかな?とリルは思った。
隣の教室に移動した。
「うふふ。次はいよいよ魔導工学科の展示だよ。何が出てくるかな。わくわく。」
中に入ると「学生が作った家魔(試作品)」と題する展示をやっていた。
「これ。ぐるぐる回って風が出てるよ。扇風機?って言う名前なんだ。」
「これで、暑い日でも涼しい風を、ってアイディアだね。」
近くにいた学生が説明してくれたが、バイマックルーは、すでに次の家魔に目を移している。
「これ、塵を吸い込むの?掃除機って名前なんだ。でも箒と塵取りで良くない?」
「確かに、重いし、中に吸い込んだゴミを捨てる手間がかかるから、あんまり便利じゃないかもね。」
「全自動割卵機って、用途狭すぎ。」
「まあそうだけど、お店とかやってる人は、1日に何個も卵を割るからね。」
「トースター?焼いたパンをまた焼くの?変な料理。」
「基本肉食の羽根アリには必要ないだろうけど、オストニアにはそういう料理があるんだよ。」
「羽根アリ言うな。それにしても、学生の作った試作品だけあって、何か足りないって感じの物が多いね。マネシトゥスとかの製品には敵わないか。」
「そりゃそうだ。すぐ製品化できるアイディアがあるんだったら、大学で勉強なんてしてないで、事業を興す方がいい。」
リルは、まねしとぅすは、おねえちゃんとわたしのまねした、と思った。
工学部棟の展示は、バイマックルーの満足いく内容ではなかったらしく、不満げだったが、次の農学部等に移動した。最初は、園芸学科である。
「これは学部の演習農園で採れた秋野菜だよ。」
展示ではなくて、野菜を売っていた。リルは食事が必要ないし、バイマックルーはあまり野菜を食べないらしいので、ここはスルーした。
その次は、林業学科の展示だが、短く切った角材が、何種類も並べられていて、木材の種類ごとに、特徴が説明されている。工学部の材料工学科と、展示内容がもろにかぶっていた。よって、ここもスルーした。
その次は畜産学科だった。実習農場で育てている「大山山羊」という魔獣の乳を売っていた。ただし容器持参でないと、買えないらしい。かなり人気があるようだったが、リルもバイマックルーも容器を持ってきていなかったので、スルーした。
農学部最後は、応用生物学科の教室である。「微生物が変える人類の未来」と題した展示をやっていた。
「僕たちは、微生物に、生活排水に含まれる有機物を分解させて、水質を浄化する研究をやっているんだ。もうすでに、エカテリンブルの下水処理場で、試験的にこの方法が取り入れられているよ。」
「下水処理場って、街と川の間にある、臭いとこ?」
「確かに臭うけど、処理場を汚物みたいに言うな、羽根アリ。」
「別に汚物扱いなんてしてないよ。あと羽根アリ言うな。」
リルは、げすいしょりじょう、きづかなかった、と思った。
農学部棟の隣には、医薬学部棟がある。その隣には、入院患者用の病棟もあるが、大学病院に入院する人は、ただの患者ではなく、臨床研究に同意した人だけである。
最初の教室は、薬学科の研究室が「化学と製薬」という展示を行っていた。
「錬金学の影に隠れて目立たないけど、化学も大事なんだよ。大学も化学科を作るべきだね。それはそうと、化学で作れる物質の中に、薬として効果があるものがあってね、僕たちの研究室では、その研究をしている。たとえば、酸化マグネシウムは便秘に効くんだ。」
「便秘?」
「お通じが悪くなることだよ。」
「ふーん。人間はそんなことで悩むんだね。」
「今、人間を見下しただろ、羽根アリ。翼の民が人間より長生きだからって、種として優れてるって訳じゃないぞ。」
「見下してなんてない。あと羽根アリ言うな。」
リルは、人間だったころもお通じが悪くなったことはないので、おつうじがわるいと、なにがこまるんだろう?と思った。
その隣の教室では看護学科が「救命救急実践」という企画をやっていた。どうやら人形に、人工呼吸や心臓マッサージをする体験コーナーの様だったが、2人とも興味がなかったので、スルーした。
本日最後の展示は、医学科の研究室のものであった。その名も「万能の天才オルティヌス・アウレリウスの謎」である。説明役の学生が、話しかけてきた。
「壁に貼ってある紙に書かれた呪紋、分かる?あれは『抗生物質』って名付けられることになった、呪紋なんだけど、作られた経緯に謎が多いんだ。」
リルはその呪紋に見覚えがあった。人間だったっころ、病気になった義姉のユフェミッサの治療のために、兄のオッティが即興で作った魔法だったからだ。
「この呪紋はオルティヌスが書いたメモに残っていたものだから、開発者はオルティヌスで間違いない。ただ、その効果が、細菌の増殖を抑えて殺すというものなんだ。細菌の存在が判明したのは、5年ほど前、倍率の高い顕微鏡が開発された後だから、オルティヌスの時代には、細菌の存在は知られていなかったはず。オルティヌスの他の文献にも出て来ない。そうすると、何でこんな魔法を作ることができたのか謎なのさ。というか、ほんの最近まで、あの魔法がどういう魔法か、全く分かっていなかったんだ。」
「うーん、確かに不思議。あ、例えばオなんとかは、未来人で、時間を遡ってやって来たとか。」
「相変わらす荒唐無稽なことを言うな、羽根アリ。」
「例えばの話にそこまで言わないでよ。あと羽根アリ言うな。」
リルは、オッティがどのようにして、その細菌とやらにたどり着いたか、現場で見ていたので知っているが、いつもの無表情でやり過ごした。
「ただ、この魔法の使い方が分かったおかげで、細菌性の病気の治療は、格段に進歩することになるよ。」
「へー。やっぱり人間の魔法文明はすごい。」
リルも、おにいちゃん、てんさい、と思った。
5
皐祭を回り終え、正門前広場に戻る途中、リルの視界の端に、知っている人が写った。マスターが、大学病院の病棟から出て来たのだ。リルは、毎週マスターが外出していることには気付いていたが、意図せずその行き先を知ってしまった。ますたーはなにかのびょうき、だいがくびょういんでちりょうしてる、とリルは思った。
正門から出たところで、バイマックルーとは分かれた。
「じゃあね、リルちゃん。また時間があるときに、お店に行くから。」
そう言って、バイマックルーは、大学の向かいの、アパートの階段を上って行った。
リルも、通りをてくてく歩いて、自宅を目指す。大学祭を楽しんだので、そろそろ日も暮れようという時間になってしまった。街道から商店街に入り、さらに路地の奥の、喫茶サヴォルの2階へ。
自宅に帰り着くと、マスターは台所で、夕食の支度をしていた。大学病院でマスターを見かけたことは言わずに、
「・・・ただいま。」
とだけ言った。
「おう、遅かったな。」
マスターの返答もあっさりしたものだった。
寝室に入ると、エルマは寝ていたが、リルに気付いて起き上がって出迎えてくれた。
「・・・ただいま。」
「お帰り、リル。こんな遅くまでいたんだから、大学祭は楽しかったのね。」
リルは無言で頷いた。
「何か心配なことでもあるの?」
エルマに内心を言い当てられたが、それはいつものことだ。隠し事をする気もない。
「・・・ますたー、びょうき。」
「そう、やっぱりそうだったのね。」
エルマには、予想がついていたらしい。
その日もリルは、エルマに抱かれて眠りについたのだった。




