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夏-古書店にて

 リルとエルマが、サヴォルで住み込みで働き始めてから、1週間が経った。

 この間、リルは、毎朝、マスターのお使いで、固くて長いパンと新聞を買っていた。このお使いでリルが覚えた、西方歴2982年の物価は、パン屋さんで買う固くて長いパン、20オース。新聞「本日」100オース。ちなみにサヴォルでは、紅茶、35オース、紅茶と茶菓子のセットなら50オースで出している。紅茶と茶菓子のセットは、パン屋さんの固くて長いパンの2.5倍の値段だ。つよきなねだんせってい、とリルは思った。新聞はその倍。しんぶん、たかい!とも思った。


     第5話 夏-古書店にて


 7月に入って、学園都市エカテリンブルにある王立魔法騎士学園や王立大学も、前期試験の期間に入ったようだ。この時期には、さすがに試験をサボってお茶をしている学生もいない。教職員も、試験の監督やら何やらで忙しいようで、空きコマをサヴォルに来て休憩に当てる、という姿は見なくなった。こうなると、昼休みの時間から、試験終了時間までは、客が来ず、はっきり言って暇である。

 試験期間が始まる火曜日。

「エルマ、チビも。この時間は、どうせ客も来ねえし、休んでていいぞ。」

マスターに言われた。

「それでは、お言葉に甘えて。」

エルマはエプロンをとって、2階の住居部分に行ってしまった。多分、眠るのだろう。エルマは、どういうわけか、朝起きるのも遅ければ、夜寝るのも早い。客前で眠そうな表情を見せることはないが、そうでない時は、いつも眠そうにしている。ままは、ねぼすけさん、とリルは思った。

 リルは、客席に据え付けられたラックにある、新聞(朝、リルが買ってきたものだ)の続きを読もうかとも考えたが、ちょっと思い当たることがあって、外出することにした。

「・・・おそと。」

「ん、チビは外出か。いいぞ、行ってきな。」

マスターの許可をもらい、リルは、ウェートレス姿のまま、外出した。


 リルがやって来たのは、リルが人間だったころは、貸本屋だった店だ。今は、古本屋になっている。リルは古本屋に入店すると、おそらく元学生たちが残していったと思われる、教科書や参考書が陳列されているところに、まっすぐに行った。表の世界に来てから、2週間ほど。毎日、新聞を読んでいるので、最新のニュースは目にしているが、どうにも理解が追いつかないことが多い。それが、200年以上の間、魔界に行っていた、正確には、魔界に行って帰ってくる間に、表の世界では200年以上の時間が経過していたことによる、人々の常識の変化にあるのではないかと、リルは考えたのだ。それで、その常識の土台になっている、義務教育で教えられる教養の教科書を、探しに来たのだ。見たところ、読み書きや、算数は、リルが人間だったころの知識(実際は悪魔の知識)が、今でも通用しそうだったので、リルのお目当ては、地理、国史、西方史の3科目である。

 リルが陳列されている本の山に埋もれていると、古本屋の主人が声をかけてきた。

「おや、その格好は。お嬢ちゃんが、大将のお店に新しく入った、可愛いウェートレスさんだね。お店はいいのかい?」

突然声をかけられ、リルはオドオドしてしまったが、可愛いと言われて気分は良くなった。今後もウェートレスを続けるなら、対人恐怖の克服は必須である。リルは、古本屋の店主との1対1の会話に挑戦することにした。

「・・・きゅ、きゅうけいちゅう。」

「そうか、この時期にこの時間じゃあ、客も少ないもんな。休憩中に買い物か。」

「・・・うん。」

取りあえず、第1関門はクリアした。リルは、ちゃんとおはなしできた、わたしえらい、と思った。

「それで、何を探してるんだい。」

「・・・え・・・あ・・・う。」

結局、その先が続かず、どもってしまった。リルは、まだ人間だった時、それも学園に入学する前、姉のモカイッサ(モカ)と一緒に、街中を走り回っていた時も、こんな感じでどもってしまって、言葉が出なかったのを思い出し、もっとがんばれ、たわし(おねえちゃんのまね)と思った。

 会話に変な間が空いてしまって、気まずくなったリルが店主から視線を逸らすと、ちょうど正面に、初等部の西方史の教科書(上、中、下)があった。リルは、目の前の西方史の教科書を指さし、

「・・・これ。」

と言った。

「おや、初等部の教科書だね。そういえばお嬢ちゃん、学校はどうしたんだい?」

「・・・?・・・もうそうつぎょうした。」

「おや、これは失礼。10歳くらいに見えたからね。」

「・・・ちいさいから・・・こどもに、まちがえられるけど・・・もう、おとな。」

今回は、店主と無理に目線を合わせないようにしていたら、恥ずかしさも半減して、会話が続いた。

「あれまあ。じゃあ、15歳なのかい。」

確かに、実年齢はともかく、リルの姿形は、15歳から成長していない(「人化」の魔法で再現している仮の姿だが)。ただ、リルは、若く見られすぎるとなめられているきがしたので、

「・・・もっと、おとな。」

と返した。

「なんとまあ。もっと大人なのに、こんなに若く見えるなんて。それはともかく、それなら、なんで初等部の教科書なんて探してるんだい?」

答えにくい質問が来た。リルは、細部をぼかしつつ、説明した。

「・・・がくえんでたの、かなりまえ。・・・ちしき、あっぷでーと。」

「ふーん。勉強熱心な娘さんだ。うんそれなら、とっておきがある。ちょっと待ってな。」

リルの答えに店主は納得してくれたようだ。そのうえで、店頭に陳列されていないとっておきを出してくれるようだ。店主は、店のバックヤードに下がっていった。

 待つことしばし。店主が戻ってきた。3冊の本を持っている。

「じゃーん。こっちが最新版の、西方史(上、中、下)だ。店頭に並べてると、お上に見つかった時に五月蠅いからね。普段は奥にしまってあるんだよ。」

店主が店の奥から持ってきた西方史(上、中、下)は、第14版とある。店頭に並んでいるのは、第13版だ。確かに版が新しい。

「・・・ちりと、こくしも。」

「なるほど、確かに西方史だけ勉強し直してもね。いいよ。待ってな。」

店主はまた、バックヤードに下がっていった。その間、リルは、なんとはなしに、店内に陳列してある本を見て回っていた。

 しばらくして、店主が、地理と国史の最新版と思われる教科書を持って店の奥から出て来た。

「地理に国史に西方史。8冊まとめて、200オースでどうだい?」

リルは、ふるほんだけど、はっさつで、しんぶんふつかぶん、おてごろ、と思った。

「・・・かう。」

と答えて、リルはポケットから、100オース札を2枚出した。先日、昔の金貨を換金して、大量の現金を得たので、今のリルはお金持ちである。

「毎度あり。」

 買うものも買ったので、サヴォルに帰ろうと思ったところで、紐で一括りにされた本が、リルの目に飛び込んできた。書名は「銀嶺騎士団物語(1)~6」。リルの目は、銀嶺の文字に釘付けになった。店主もその様子に気付いたらしい。声をかけてきた。

「こいつに目を付けるたあ。お嬢ちゃん、堅気じゃないね?俺もこれを集めるのには、相当苦労したもんだ。」

「銀嶺騎士団物語(1)~6」は、どれもカビ臭いハードカバーの本で、単なる古書と言うより、骨董品のような雰囲気を纏っていた。店主の口調も変わっている。明らかに子どもではなく玄人を相手にする口調だ。リルは、

「・・・これで、ぜんぶ?」

と店主に尋ねた。正直リルにとってはそこが1番気になる点だったのだ。しかし、店主は、

「何を当然のことを。お嬢ちゃん、さては、読んだことないのかい?」

と、店主の雰囲気が一瞬で元に戻った。

「・・・よんまで。」

リルが人間としてエカテリンブルで暮らしていた時は、銀嶺騎士団物語は4までしか出版されていなかった。それで正直に答えたら、店主は、

「そうかい。6までで全部だよ。中身を読みたいだけなら、最近出た復刻版の方がお買い得だよ。」

そう言うと、店主は、ソフトカバーの「銀嶺騎士団物語1~6」を本棚から取り出してくれた。まだ、新しい本のようで、紙の色も、ほとんど変色がない。

「復刻版なら、6巻セットで、1000オース。原本は、値段はつかないな。」

原本はその筋の人にしか売らないコレクターズアイテムと言うことだろうか。リルとしては、古書を集める趣味はないので、ふっこくばんで、じゅうぶん、と思った。

「・・・こっち。」

リルは、復刻版の方を指さして、100オース札10枚を出した。

「はい、毎度。それにしても、古本を1200オース分もまとめてお買い上げなんて、お嬢ちゃん、意外にお金持ちだね。」

店主に鋭い指摘をされたが、リルは持ち前の無表情でやり過ごした。買った本は全部で14冊。それをひょいと持ち上げると、リルは古本屋を後にした。


 古本屋から帰ってきたリルは、取りあえず、買った本を2階の自分たちの寝室に運び込んだ。寝室では、案の定エルマが寝ていたが、リルが戻ってきたのに気付いて、起き上がった。

「あら、リルは、本を買いに行っていたのね。でもそんなにいっぱい読める?」

「・・・?・・・もーまんたい。」

「そう、リルはやっぱりお利口さんね。」

リルは、ままはねてばっかりでたいくつしないのかな?と思った。ただ、そろそろ、学園の初等部や中等部の試験が終わる時間だ。休憩を切り上げて、リルはエルマの手を引いて、1階の厨房に降りていった。

 厨房に入るなり、

「エルマ、とチビもか。いいタイミングで戻ってくるな。そろそろ休憩終わりにして戻ってくるように、呼びに行くところだったぜ。」

と言って、マスターが、エルマにエプロンを投げてよこした。エルマもそれを受け取ると、手早くエプロンを着け、仕事モードに切り替わる。リルは着替えていないので、そのまま客席に出て、客の来店を待った。


 その日の営業後。エルマは、いつも通りさっさと寝てしまったが、リルは買ってきた本、中でも銀嶺騎士団物語シリーズが気になったので、マスターが風呂に入ったり、夕食をとっていたりする間、エルマの寝ているベッドに腰掛け、本を読んで過ごした。ちなみに「人化」していても、不死なる竜であるリルは暗闇を見通す目を持っているので、明かりを付けなくても、読書ができる。

 銀嶺騎士団物語4までの内容は、ほぼ頭に入っているので「銀嶺騎士団物語5」から読み始めた。本を開くと目次があった。それによると、この巻の山場は、前半の第1次黒竜事件と、後半の第2次黒竜事件の様である。両事件解決の功労者でもある(黒竜事件の現況でもある)、リルは、わたしのかつやく、どうかかれてるかな?とワクワクしながら、ページをめくった。

 物語は、人間だったころののリルの長兄、オルティヌス(オッティ)・アウレリウスが、騎士団に入ってくるところから始まった。オッティが騎士団に入ってから、2度の黒竜事件までにどんな功績を残したかは、リルの持っている薄い本(と言っても300ページ以上ある)ではとても書き切れないだろう。多少端折る部分があっても仕方ないと、思っていたが、読み進めていても、オッティが研究している話はほとんど出てこなかった。唯一出て来たのが、飛空船や空戦型魔導従士(マジカルスレイブ)の飛行魔法の最適化の話だった。

 その代わり、緑の道建設に関する部分が、やたらとドラマチックに描かれていて、リルが聞いたこともないような超級魔獣を「王国の紅の剣」旧第1中隊がやっつけるシーンなんかもあった。史実に沿うなら、多分この頃魔の森で最も厄介な魔獣と恐れられたのは、朱火蟻ファイア・レッド・アントだったはずだ。ふぃくしょんにしても、きゃくしょくがすぎる、とリルは思った。

 もうそろそろ第1次黒竜事件というところで、夜も更けてきたので、リルは続きは明日以降の楽しみにとっておいて、寝ることにした。ポフンと音を立てて、リルの服装が、エプロンドレスから寝間着に変わる。それから、リルはエルマが寝ているベッドに入り込んだ。


 翌日の水曜日。いつも通りリルは早起きして、寝室の窓から散歩に出掛けた。市壁の上をてくてく1周しても、まだ街は眠りの中だ。散歩から帰ると、マスターのお使いで、パン屋さんでパンを、キオスクで新聞を買ってくる。この新聞は、店の客席のラックに、客が自由に読めるように置いてある物だが、開店前に、リルとマスターが読んでいる。おちゃとおちゃがしのせっとでも、しんぶんのはんぶん、しんぶんをよむひとは、かしこい、とリルは思った。

 昼の営業を無事終え、その日の休憩時間。リルはエルマと一緒に、2階の寝室に向かった。目的は、エルマは昼寝だが、リルは読書である。エルマが寝ているベッドにちょこんと腰掛けて、リルは「銀嶺騎士団物語5」の続きを読み始めた。読んでいて、リルは、なんかおかしい、と思った。それで考えて気付いたのが、これから第1次黒竜事件だというのに、パンデモニウムが出て来ないのだ。ぱんでもにうむなしで、ふしなるりゅうのむれをおいはらうのは、むり、とリルは思った。

 その後、リルは「銀嶺騎士団物語5」を読み進め、黒竜の群れが、突如魔の森上空に現れたところまで読んで、休憩時間は終了になった。何故か、黒竜の群れは、史実では8頭だったが、4頭に減らされていた。なぜか、かしょう、とリルは思った。

 学園や大学の試験時間が終わると、昼ほどではないが、それでもちらほらとお客がやってくる。その日の試験の感想を言い合っている学生のグループだったり、喫茶店のテーブルで参考書を広げて勉強を始める生徒だったり。客の様子を見ながらリルは、そういえば、しけんのおもいで、あんまりない、と思った。それもそのはずで、リルは学園に通っていた時にはすでに悪魔の知識を持っていたから、試験勉強などしなくても、全科目ほぼ満点だった。リルの知らないところで、当時の児童、生徒たちも苦労していたのだろうか。その時に戻って確認したり、当時の話を誰かから聞いたりすることは、もうできない。

 その日最後の客からお代を受け取り見送ったら、店じまいである。その後、マスターは伝票と現金の整理、エルマは翌日出す茶菓子の仕込みをしていた。もう、エルマは厨房の仕事をほとんど任されている。さすがまま、とリルは思った。

「チビ。やることがねえんだから、先に上がっていいぞ。」

マスターから声がかかったので、リルは無言で頷いて、2階の寝室に上がった。

 寝室に戻ったら「銀嶺騎士団物語5」の続きである。物語はリルの予想もしていなかった展開になった。もちろん史実とはかけ離れている。4頭の黒竜の迎撃に出たのは、リルが人間だったころの父エルヌス(エル)と母のマルガリッサ(マギー)が乗る、ダモクレス・シルフィードだった。ダモクレス・シルフィードは、味方の戦闘艦(バトル・シップ)の援護を受けながら、激闘の末、4頭の黒竜を倒した。倒された黒竜の死骸は、黒い影に包まれて、消えてしまった。この部分だけ史実に沿っている。リルだけでなく、オッティやモカも出て来ない。なんで?とリルは思った。

 リルが頭に?を浮かべていると、エルマが寝室に入ってきた。エルマが広げている本を見るなり、

「もう、そんなに読んだのね。やっぱりリルはお利口さんね。」

と、褒めてくれた。ただ、エルマ自身は本には興味がないらしく、

「リル、明日も早いから、夜更かししないで寝るのよ。それじゃあ、おやすみ。」

と言って、寝てしまった。

「・・・おやすみ。」

リルも読んでいた本を閉じ、エルマと一緒に、ベッドに入った。

 リルは、物語の中で、自分がいなかったかの様な扱いを受けているのに、モヤモヤしたものを感じた。ただ、エルマに抱かれて寝ているうちに、なんだかどうでもいい気分になってきて、そのまま寝入ってしまった。


 翌日は氷曜日なので、定休日だ。早起きして散歩をし、マスターのお使いを済ませたら、リルは寝室に戻った。ベッドの中から、エルマが手招きをしているので、中に入ったら、いきなり口付けをされた。お互いの舌を介して、エルマの魔力が、リルに流れ込む。そういえば、エルマの魔力量の管理をしていなかった。その後、エルマは、リルを優しく、しかしいつもよりしっかりと抱きしめた。

「うみゅう・・・。」

なんだかいろいろなことがどうでもよくなって、リルはそのまま眠ってしまった。リルとエルマはそのまま、休日を寝たまま過ごしたのであった。


 翌日の風曜日も、リルはいつもと変わらぬ朝を過ごし、いつも通り開店準備をして、常連さんをいつもの席に案内し、マスターと常連さんの親しげな遣り取りを横で聞き、昼休み時間の混雑をてきぱき捌いて、客の流れが一段落したところで、マスターに休憩に入っていいと言われた。

 休憩時間には、もちろん「銀嶺騎士団物語5」の続きを読む。物語の後半の山場は、第2次黒竜事件だが、第1次黒竜事件と時間的にそれほど離れていない。物語でも、第1次黒竜事件解決からまもなく、巨壁山脈を挟んだ隣国、西方の超大国グランミュール王国から、救援要請があった。史実通り、それに応じてグランミュールに向かったのは、ダモクレス・シルフィードだった。ただ、物語では、グランミュールの王宮での滞在が、不必要に華美に描かれている。リルが人間だったころの両親から聞いた話の、5割増しくらいに、グランミュールの宮廷での歓待が豪華だった。

 エルとマギーがこれから黒竜の討伐に向かうところまで読み進めると、休憩時間もそろそろ終わりの時間になった。リルはエルマを、

「・・・まま、おきて。」

と言って起こすと、

「ん、ん。おはよう、リル。」

と言って、エルマはベッドから起き上がり、リルの頭をナデナデしてくれた。

「うみゅう・・・。」

気持ちよくて声が出てしまった。エルマは、リルの気持ちいいポイントを心得ている。ただ、あまり遅いとマスターが呼びに来るので、リルはエルマの手を引いて、1階の厨房まで降りた。

 営業終了後、リルは、マスターの声を待つことなく、

「・・・にかい。」

と言って、寝室まで上がった。そして昼の続きを読む。

 グランミュールに現れた黒竜と、ダモクレス・シルフィードの戦いは、リルが聞かされていたものとは、全然違った。地上で、口から黒炎をまき散らす黒竜に対し、ダモクレス・シルフィードは、真正面から挑みかかり、右腕を折って、左の翼をもぎ取り、首をかき切って、残りの部位を魔法で粉々に吹き飛ばした。圧倒的で完全な勝利である。本来の黒竜の力なら、鱗の守りがある翼の付け根以外の部位には、ダモクレス・シルフィードといえども、傷一つ付けられなかったはずである。リルは、ふぃくしょんにしても、やりすぎ、と思った。

 リルが、ダモクレス・シルフィードと黒竜の戦いを読み終わったところで、エルマが、翌日の仕込みを終えて、寝室に入ってきた。

「リルは、今日も本を読んでいたのね。楽しい?」

「・・・きたいより、した。・・・でも、たのしい。」

「そう、それは良かったわ。じゃあ、私は寝るけど、リルも一緒に寝る?」

リルは無言で頷くと、エルマと一緒にベッドに入った。リルは、ままといっしょ、おちつく、と思った。リルは魔界で暮らしていた時も、エルマのお腹の下に潜り込んで寝ていたから、こうして、1つのベッドで一緒に寝るのが、落ち着くのだ。


 翌日の金曜日。客の話に耳を傾けていると、学園も大学も、いよいよ翌日の土曜日の午前で試験期間が終わりらしい。学園の方では、試験後、成績発表まで普通に授業があって、それから夏休みに入るが、大学の方は、試験終了後には授業がなく、そのまま夏休みらしい。リルは、なんとなく大学の方にも興味が出て来た。

 昼過ぎの休憩時間。リルは、エルマが昼寝をしているベッドに腰掛け、昨日の続きを読み始めた。

 第2次黒竜事件はここからが本番である。オストニア本土近くの魔の森に、黒竜が現れるのだ。現在は「魔の森の黒い穴」と呼ばれる場所らしい。ただ、その話は一向に始まらず、グランミュールに滞在している、エルとマギーの活躍ばかりが描かれるのだ。手始めは、帝国からグランミュールにやって来た使者に、救援を名乗り出る件である。リルが、生前の両親から聞かされた話では、黒竜相手にほぼ壊滅状態にあった帝国騎士団に、救援の押し売りのような形で、ダモクレス・シルフィードが参戦したはずである。が、物語では、帝国からも、魔獣退治の専門家として、諸手を挙げて歓迎され、黒竜と戦うことになった。黒竜との戦いも脚色が激しい。史実と合っているところを強いて上げれば、ダモクレス・シルフィードが黒竜の攻撃に中らなかったことくらいだろうか。物語の中では、帝国でも、ダモクレス・シルフィードは、黒竜を派手に吹き飛ばしていた。

 そこまで読んだところで、リルは読書を切り上げ、寝ているエルマを起こした。それから、エルマの手を引いて、1階の厨房に降りた。

 昼過ぎの営業では、客の学生たちからは、試験が終わった開放感が感じられた。中には、出来の悪さに落ち込んでいる者もいたが。このまま夏休みに入る大学の学生は、特に楽しげだった。よく観察すると、大学の学生は、日に焼けない青白い肌で、筋肉もあまりなく、なんだか不健康そうな学生が多かった。「騎士の国」を自称するオストニア国民らしくない。リルは、だいがくって、なにするところなんだろう?と思った。

 その日の営業が終わると、リルは、前日同様、マスターの声がかかるのを待たずに2階の寝室に上がった。どうせ店にいても、リルの仕事はない。そして、読書の続きにかかった。

 帝国に現れた黒竜を討伐した、エルとマギーは、グランミュールの王都シテに戻っていた。相変わらず、物語の中のグランミュール王宮は豪華である。そうしているうちに、南方の、イルリック独立都市連合からも、グランミュールに救援要請が来た。黒竜が現れたのだ。イルリックに現れた黒竜は、グランミュールからひょいと行って、ひょいと倒されてしまった。リルは、このきじゅつがいちばんしじつにちかい、と思った。

 そこまで読んだところで、エルマが、寝室に入ってきた。

「リルは、本当に本が好きなのね。退屈しなそうで、何よりね。あら、今リルが読んでいるのは、あの娘が、表の世界の騎士に死を授けてもらうところね。」

「・・・?・・・まま、じ、よめる?」

「読めるわよ。そんなに難しいことじゃないし、表の世界に来て、1週間くらいで覚えられたわ。」

それを聞いて、リルは、さすがまま、と思った。そうすると、書く方もできるか気になる。

「・・・かける?」

「ええ、書けるわよ。」

エルマは、当然といった雰囲気で答えた。確かめるためにリルが紙とペンを差し出すと、エルマはスラスラッと、母音字8字、子音字23字を、淀みなく順番に書いた。間違っていないだけでなく、どの時も活字のように綺麗だ。リルは、まま、いづつとしひこみたい、と思った。誰かは知らないが。


 翌日。この日の午後から大学が夏休みに入るため、普段の昼休み時間より、客の入りは少なめである。そんな中、お昼の時間に変わった見た目の客がやって来た。といっても、服装の話ではない。背中から翼が映えている。日焼けしていない青白い肌と、筋肉の少ない体型から判断するに、大学の学生だろう。ただ、背が低く、リルより少し大きいくらいだ。その客は、何故か他の客に人気がない、テラス席に座った。

「・・・ごちゅうもん?」

リルが、件の客から注文をとろうとすると、

「あ、あなたが噂のちっちゃいウェートレスだね。私、バイマックルーって言うの。よろしくね。」

と、勝手に自己紹介を始めた。

「見ての通り、翼の民の留学生だよ。理学部の魔法学科にいるの。」

放っておくとそのまま喋り続けそうだったので、リルは再度、注文を聞いた。

「・・・ごちゅうもん?」

「あ、そうか。まだだった。お茶とお菓子のセット。」

リルは、無言で頷くと、厨房に注文を伝えに行った。

 紅茶と茶菓子のセットの準備はすぐ出来たので、テラス席に持って行くと、バイマックルーと名乗った少女は、相変わらずリルに絡んできた。

「ねえ、ちっちゃいウェートレスさん。何て名前?」

他の客もいる中で、あまり1人に時間をとられるわけには行かない。リルは、適当にやり過ごそうとした。

「・・・りる。」

リルはそう答えて、テラス席から立ち去ったが、バイマックルーは周りが見えていないのか。しゃべり続けている。

「へえ、リルちゃんって言うんだ。私より小さい人間って珍しいから、お友達になりたかったんだ。ちなみにねえ、翼の民は、人間より成長が遅いから、私こう見えても18歳なんだよ。来年の春で卒業。人間って、成長は早いし、寿命も短いのに、こんなにすごい文明、作っちゃうんだからすごいよね。って、いない。」

バイマックルーは、ようやくリルがいなくなったことに気付いたようだ。ただ、会計をして出て行く時に、

「人の話は最後まで聞かなきゃだめなんだよ。ぷんぷん。」

と言っていた。リルは、じぶんでぷんぷんっていうひと、おねえちゃんいらい、と思った。

 昼過ぎの休憩時間。リルは、前日の続きを読んだ。

 とうとう「魔の森の黒い穴」に、黒竜が現れるシーンが描かれた。その当時、まだ「魔の森の黒い穴」という地名は存在しなかったはずだが、そんなことは些細なことである。団長のエルと団長補佐のマギーが不在の中、銀嶺騎士団が総力を挙げて、黒竜に立ち向かったのである。が、何故かそこに、オッティとリルの記述がない。黒竜に止めを刺したのは、当時「王国の紅の剣」こと第1中隊長だったディオウス(ディオ)・パショヌスだった。リルは、ほんとはおにいちゃんとわたしのてがら、と思った。

 本はあと少し残っているが、休憩時間も終わりに近づいたので、リルはエルマの手を引いて、1階の厨房に降りた。

 その日の営業終了後。寝室に戻ったリルは「銀嶺騎士団物語5」の最後のワンシーンを読んだ。

 最後のシーンでは、第2次黒竜事件の論功が行われていた。「騎士の中の騎士(ナイト・オブ・ナイツ)」エルがいかに偉大な騎士であるかを褒め称える文脈が続く。それから、事件の後処理で、オストニアが西方諸国からどれほど感謝されたかも強調されている。リルは「銀嶺騎士団物語5」全体を通じて、モカや自分がいなかったかのように書かれていることや、オッティの功績が過小評価されていることに不満で、これはださく、と思った。

 それから、エルマが寝室に上がってくるのを待って、一緒に寝た。


 翌日は日曜日なので、一般的には休日だが、商売をやっている者にとっては書き入れ時である。それでも、サヴォルは11時開店だ。開店時間にはいつも通り常連さんがやって来て、マスターと世間話をしていた。そんな中、昼時になって、この日もバイマックルーが来店した。またテラス席を希望したので、リルが案内した。

「・・・ごちゅうもん?」

「リルちゃん。お友達になって。大学のみんなは夏休みで帰省しちゃってるから、新学期まで、1人なの。留学生は、国の許可がないと帰れないし。」

バイマックルーは、また注文をせずに喋り始めた。なのでリルは、

「・・・ごちゅうもん?」

と、いつもより強めに聞いた。

「あ、そだそだ。お茶とお菓子のセット。」

リルは無言で頷くと、厨房に注文を伝えに行った。この日はそれなりに盛況だったので、他の客の案内をしているうちに、紅茶が入った。茶菓子と一緒にテラス席に持って行くと、

「ありがとう、リルちゃん。それでね、私、本当は工学部に入りたかったんだけど、工学部は留学生を入れてくれないんだって。で、仕方なく、理学部の魔法学科に入ったんだよ。って、また、いない。」

リルは、勝手に話し始めるバイマックルーには付き合わず、注文の品を置いたらすぐに別の客の接客に移っていた。ただ、バイマックルーの声はまあまあ大きいし、リルも耳はいい方なので、聞こえてはいたが。バイマックルーは、この日も会計を済ませて出て行く時に、

「昨日も言ったけど、人の話は最後まで聞かなきゃだめなんだよ。ぷんぷん。」

と、言い残していった。リルは、ぷんぷん、と思った。

 その日の昼過ぎの休憩時間。リルは「銀嶺騎士団物語6」に取りかかった。表紙を開いて目次を見ると、最終巻だけあって、この巻で物語は終わりのようだ。ただ、終わり方が、リルの予想と違っていた。銀嶺騎士団解体。目次の最終項は、そのように書かれている。リルは、どういうこと?と、一瞬、その意味することが分からなかった。否、理解を拒否した。ただ、直後に我に返ると、騎士団解体に至るまでの物語を読めば、答えはあるはずと、意を決して、頁をめくった。

 物語の始まりは、銀嶺騎士団で第4世代型魔導従士が開発されるところから始まった。開発者は、史実通りオッティだったが、それが竜や黒竜に関する研究の蓄積によって、出来上がったものであることは、なんとなくぼかされていた。まあ、物語にしてもそれほど面白い部分ではないし、この物語の作者は、劇的なシーンを好み、地味な開発シーンに力を入れていない。それでも無視できないだけの存在感が第4世代型にはあったことの裏返しである。こんなものかな、とリルも納得した。それから、第4世代型が各地で活躍することも軽く触れられていた。

 休憩時間も終わるので、この先の展開が気になるが、リルはエルマとともに1階の厨房に戻った。

 日曜日だけあって、平日と違い、夕方まで客が途切れることはなかったが、その日の営業は特段のトラブルなく終わった。そうすると、リルは、まだ仕事を続けているマスターとエルマを残し、2階の寝室に上がって、読書の続きをする。

 第4世代型が配備されてから、銀嶺騎士団は魔の森の更に東、極東の調査飛行に旅立った。船団の指揮を執るのはエルである。史実では、船団にエルはおらず、オッティが指揮を執ったのだが、オッティは同行しているだけで、特にこれと言った仕事をしていない。モカやリルに至っては、いなかったかのように扱われている。そういえば、このものがたりに、ぜんぜんわたしがでてこない、とリルは思った。パンデモニウム改も描かれていない。

 いよいよ極東の地に降り立ってから、オッティが拠点周辺の生態調査をしていたことは少しだけ触れられていたが、物語のメインは紅剣第1中隊と第2中隊の活躍だった。この物語を読んでいると、やけに「王国の紅の剣」が人気である。それぞれ、極東の地の未知の魔獣との激戦を制していた。リルが聞いた報告では、極東の魔獣は、ほとんどが初めて見る魔導従士や魔導車に驚いて逃げてしまったので、戦闘はあまりなかったはずである。きゃくしょく、とリルは思った。

 日中に翌日分の仕込み作業を進められなかったためか、エルマはいつもより遅く寝室に上がってきた。

「遅くなってしまったけど、今日のお仕事は終わり。リル、一緒に寝ましょう。」

エルマに言われて、リルは本を閉じ、ベッドに潜り込んだ。


 翌日の火曜日。1週間の始まりに特有の気だるさが街を覆っている。そんな中でも、サヴォルの営業はいつも通りだ。リルの調子も変わらない。

 昼になると、バイマックルーがやって来た。これで3日連続である。やはり、人気のないテラス席を希望したので、リルが案内する。

「あ、お茶とお菓子のセットね。」

バイマックルーは、リルが注文をとる前にそう言った。リルが、注文を厨房に伝えに行くと、マスターが、

「あれだけ毎日騒がしくしてんだ。相手してやれ。こっちは気にしなくていいからよ。」

と言うので、リルは、テラス席に注文の品を持って行って、バイマックルーの話を聞くことになった。

 テラス席の対面に座る。それを見たバイマックルーは満足げに話し始めた。

「リルちゃん。お友達になってくれるんだね。それでね、翼の民の留学生って、珍しいでしょ。昔、西方人の飛空船が、空の大地を発見した時に、先住民の翼の民のことを無視して、空の大地で戦争を始めたんだよ。それを鎮めてくれたのが、ウングーシュとグランミュールとオストニアの連合軍だったの。その後、空の大地は、西方世界と相互不干渉ってことになったんだよ。例外はあるけど。ウングーシュは、戦争より前から、翼の民と交友関係があって、私たちの存在を秘密にしてくれてたんだよ。それで今でも、交易は、ウングーシュとだけはしてるの。」

バイマックルーの話したことは、リルが生まれる前に、銀嶺騎士団が活躍した空の大地の事変のことである。この辺りの事情は、リルは、当事者だったエルから直接聞いているから、バイマックルーから聞かなくても知っていた。

「それで、翼の民は、しばらくオストニアとは付き合いがなかったんだけど、100年くらい前から、オストニアが留学生を受け入れ始めたの。オストニアは西方世界の外にあるから、人間の国だけど、相互不干渉の枠には入ってないんだって。何か屁理屈っぽい気もするけど、空の大地に引きこもっているだけより、人間ともちゃんと付き合った方がいいよね。」

リルは、たしかにへりくつっぽい、と思った。

「で、翼の民でも、試験に合格すれば、オストニアの大学に入れるようになったんだけど、すごいよね。言い伝えでは、翼の民の方が、人間より、魔法が得意って話だったのに、実際大学で研究している魔法は、翼の民が知らない魔法ばっかり。うちの教授は、オ…何だったけな?まあいいや。200年以上前の人が書いた魔導書を研究してるんだけど、それが、解読できれば、国王からの表彰は間違いなしって代物なんだって。でも、200年も前に、今の学者でも解読できない本を書いた人がいるって、なんか変じゃない?」

リルにはなんとなくその魔導書に心当たりがあったが、よく分からない振りをして、

「・・・?」

と答えて(?)おいた。

「ねえ、リルちゃん。さっきから一言も喋ってないよね。」

リルは、ずっとしゃべってるからきいてただけ、と思った。なので、

「・・・ひとこと。」

と言った。

「あ、今、私のことからかったでしょ。ぷんぷん。」

それから、バイマックルーは、オストニアの魔法研究がいかに進んでいるかを、まるで我が事の様に話した。ほとんど休まず一方的に喋り続けるので、リルが口を挟む余地はなかった。元々無口なリルは気にならなかったが。

 ひとしきり喋り終えた後、バイマックルーは、

「じゃあね、リルちゃん。明日も来るから。」

と言って、お会計をして出て行った。

「良かったわね、リル。お友達が出来て。」

エルマがカウンターの中で表情を綻ばせていた。

 昼過ぎの休憩時間になったので、リルは読書の続きをした。

 物語の中では、オッティが騎士団長を継いでいた。そのオッティの功績として、極東の植民地化と、緑の道完成への道筋を付けたことが紹介されたが、あまり深掘りはされなかった。その代わり、オッティの騎士団長としての仕事として、間近に迫った国王軍の発足に当たり、当時の国王ドラク1世の知恵袋としての役割を果たしたことが重点的に書かれている。何故か物語の中では、オッティは強力な魔法騎士(マジックナイト)としてではなく、インテリとしての側面ばかりが強調されている。あと、モカとリルは、いないものとして扱われていた。パンデモニウム改も出て来ない。リルは、言葉に出来ない違和感を感じた。

 休憩時間が終わるので、リルはエルマと一緒に1階の厨房に戻った。それから夕方までは、大体いつも通りの客の入りだった。大学が夏休みに入って、多くの学生が帰省しているらしいので、まずまずだろう。

 営業終了後は、2階の寝室で読書の続きである。「銀嶺騎士団物語6」は、娯楽作品として面白いとは言えないが、それでもリルは続きが気になってしょうがなかった。

 オッティの助言に従い、ドラク1世が国王軍の編成を決めて、国王軍の発足が民衆に発表された。ただ、軍の編成は、ぼかされている。機密漏洩防止だろうか。リルが人間だった時代も、この時代も、オストニアでは出版物の検閲は当然なので、それに引っかかったのだろう。記述が中途半端だ。史実ではそれからそれなりの時間をかけて、各貴族領ごとに組織されていた守護騎士団を、国王軍に統合していくのだが、その辺りの動きは娯楽性に欠けるので、ほとんど触れられなかった。代わりに極東植民地化のための戦いがドラマチックに描かれていた。「毛深象(マンモス)」も、実際よりずっと獰猛な魔獣として描かれている。スベルドロ砦の屋根を飾る毛深象の剥製は、その時の戦利品という扱いになっていた。本当は、第1次極東調査飛行の時に、オッティとリルのパンデモニウム改が、ほぼ一瞬で仕留めたものなのだが。

 そこまで読んだところで、エルマが翌日の仕込みを終えて、寝室に上がってきた。

「最近、リルは本の虫ね。もう寝ましょう。」

エルマに言われて、リルも、ほんはにげてかない、と思い、エルマと一緒にベッドに入った。


 翌日。リルはいつも通り、朝の散歩とマスターのお使いを終えて、新聞を読んだ。近々、新内閣の組閣が行われるらしい。それに関して、事情通みたいな人が、ああだこうだと書いていた。

 この日も、昼頃にバイマックルーがやって来た。これだけ連続してくると、もう常連である。マスターは目配せで、リルに相手をするように、伝えてきた。

「こんちわ、リルちゃん。お茶とお菓子のセットね。」

厨房に注文を伝え、お茶が入るまでは、他の客も捌いた。そして、紅茶と茶菓子のセットを、テラス席まで持って行く。注文の品を出すと、リルはお盆を持ったまま、バイマックルーの対面に座った。

「ありがとー。でね、夏休みになると、大学の友達は帰省しちゃって、会えないでしょ。だから、明日、一緒に遊びに行こ。リルちゃんお休みでしょ。」

翌日は氷曜日だから確かに定休日だが、休日までつきまとわれてはたまらない。リルは首を横に振った。

「えー、つまんない。アパートで一人遊びしてるのって、意外としんどいんだよ。」

リルは、それならけんきゅうをすればいいのに、と思った。

「まあいいや。それでね、これは噂で聞いた話なんだけど、オストニアには、帰化って制度があるんだって。外国出身、私みたいな子でも、オストニア国民になれるんだって。それで、翼の民で、オストニア国民になった人もいるらしいよ。空の大地も、いいところだったけど、一生この文明に囲まれた生活ができるならそれもありかなって思うの。リルちゃんどう思う?」

今のオストニアの便利な生活を支えている家庭用魔道具略して家魔は、ほとんどがモカかリルの設計であり、リルが人間だったころと基本的に変わっていない。その気になれば、空の大地でも同じくらい便利な暮らしもできる気がするし、それならふるさとをだいじにしたほうがいい、とリルは思ったので、

「・・・?」

と首をかしげた。

「前から思ってたけど、リルちゃんってほとんど喋らないよね。表情も変わらないし。なんでそれでウェートレスが務まるの?」

「・・・?」

「もしかしてリルちゃん自身、分かってない?だとしたら、今、教授が研究している魔導書以上の謎かも。それでね…。」

以下、バイマックルーの魔法談義が続いたが、話の内容を聞く限り、オッティが生前に研究していた魔法の後追いに過ぎないようだ。オッティの魔導書は、悪魔の知識を持つリルでも、読み解くのに苦労した難解な書ではあるが、200年以上経った今でも、研究の対象になっているのなら、だいがく、たいしたことないかも、とリルは思った。

 ひとしきり話して、バイマックルーは、

「じゃあね、リルちゃん。明後日も来るから。」

と言って、会計を済ませて出て行った。

「ふふ。リルの新しい友達は、とっても賑やかね。モカもそうだったけど、リルは、ああいう賑やかな子に好かれやすいのかもね。」

エルマは、カウンターの中で、楽しそうにしている。

 バイマックルーが帰ったら程なく、昼過ぎの休憩時間になった。リルがやることはもちろん読書の続きである。

 物語の中では、いよいよ国王軍が発足していたが、銀嶺騎士団が「令外の騎士団」と呼ばれ、存続したのは、史実通り。物語の見せ場は、騎士団長であるオッティの2人の子ども、トーマトゥス(トーマ)サラディッサ(サラ)が、銀嶺騎士団の象徴である、ダモクレスの魔法騎士と、2代目騎士の中の騎士を駆けて勝負する件である。ただ、仮想操縦席(シミュレーター)は、影も形も出て来ず、2人の勝負も、スコピエスⅱでの模擬戦形式で、行われることになった。あとサラが普通に喋っている。違和感が大きすぎる。

 そんなところで、休憩時間も終わるので、リルは読書を中断した。

 午後の営業は、なんだか人の入りが少なかった。そろそろ学園の方でも前期試験の成績発表が近づいている。通りを歩く学生たちはそわそわしていたが、路地の奥にあるサヴォルにまではその雰囲気は伝わって来なかった。

 その日の営業後、リルは寝室で読書の続きである。エルマは、翌日は定休日だが、その翌日の風曜日に出す茶菓子の仕込みをしている。

 物語の中では、エルの決定で、西方歴2713年末に、トーマとサラの模擬戦の本番が行われることになった。それまで、トーマとサラは、それぞれ訓練に励んでいた。サラが普通に喋っているのに、やっぱり違和感がある。あとこの物語の作者は判官贔屓なのか、サラについての描写に、妙に熱が入っていた。史実では、仮想操縦席でルーチェの映像を見て、

「みぎゃあああ、であります。」

と言って、パニックになってばかりいたのだが。

 いよいよ本番というところまで読み進めたところで、エルマが寝室に上がってきた。

「リルに趣味と友達が出来て、退屈しない毎日を送れるみたいで、私も幸せ。でも、夜更かししないで、寝ましょうね。」

と言われ、リルも素直に、エルマと一緒にベッドに入った。


 翌日。早起きして散歩をしていたリルは、見慣れない老人を見かけた。この時間に人を見かけるのは珍しい。その老人は、リルが自分のことを見ているのに気付いたのか、サッと物陰に隠れてしまった。リルが追いかけてその物陰を覗いても、老人の姿はない。あのいろは、まぜんだ、とリルは思った。

 マスターのお使いを済ませたら、リルは寝室に戻った。ベッドの中から、エルマが手招きをしているので、中に入ったら、1週間前と同様、口付けをされた。お互いの舌を介して、エルマの魔力が、リルに流れ込む。その後、エルマは、リルを優しく、しかしいつもよりしっかりと抱きしめた。

「うみゅう・・・。」

なんだかいろいろなことがどうでもよくなって、リルはそのまま眠ってしまった。リルとエルマはそのまま、休日を寝たまま過ごしたのであった。


 翌日。リルは努めていつも通り過ごしたが、前日に見た老人は見かけなかった。

 宣言通り、昼頃に、バイマックルーが来店した。マスターはまた、目配せで、相手をするよう伝えてきた。

「こんちわ、リルちゃん。お茶とお菓子のセット。」

そう言うと、バイマックルーは、案内されてもいないのに空いているテラス席に陣取った。まあ人気のない席なので、問題はないが。リルは、茶が出来たところで、セットを持って、テラス席に向かった。

「リルちゃん、やっぱり1日ひとりぼっちは寂しいよう。1人のときはね、フリーセル・ソリティアっていう1人でできるカードで遊ぶんだけど、最近、フリーセルをやり過ぎて、どんなカードセットでも、絶対にクリアできるようになっちゃって。そうすると、なんかゲームっていうより、作業みたくなるよね。」

フリーセル・ソリティアがどんなゲームかは知らないが、絶対クリアできる程の達人になったのなら、こう見えてバイマックルーは案外頭がいいのかも知れない。あるいはただの中毒か。

「リルちゃんは、何してたの?大事な用事?」

リルは、朝の散歩をしてその後は寝ていただけなのだが、なんとなくそれを言うのが憚られる気がしたので、

「・・・?」

と、首を傾げて、とぼけて見せた。

「昨日のことなのに、覚えてないの?分かった。ここでは言えないことしてたんだ。いいなあ。することがあって。でね、うちの教授は、そのオなんとかって言う人の本が大好きで、今研究してる魔導書以外にも、色々研究室に置いてるの。でも、そのオなんとかって人は、魔法以外の研究もしてたらしくて、大学の経理部に、なんで魔法学科の教授が魔獣生態学の本を買うんだ、って怒られるんだって。…。」

以下、バイマックルーの指導教授の、嘘か真か分からない話か続いた。リルは、おなんとかはおにいちゃん、と思ったが、指摘はしないでおいた。正体がバレて、街にいられなくなったら、また退屈な日々に逆戻りだ。

 昼過ぎの休憩時間、リルは読書の続きをした。エルマは相変わらず昼寝中だ。

 物語の中では、トーマとサラは、それぞれスコピエスⅱに乗り、死闘を繰り広げていた。トーマ機は左腕を、サラ機は右腕を失いながらも、トーマ機が、サラ機の胸部に、剣を突きつけ寸止めした。トーマの勝ちだ。リルは、ふぇいく・どらごん・すけいるがふつうのまじかるすれいぶのぶきできれるのはおかしい、と思った。話を劇的にするために、現実を無視している。リルは正直、不満だった。

 休憩が終わり、午後の営業に戻った。妙に存在感の薄い客が来店し、カウンター席に座った。エルマの正面だ。世間話をしながら一般市民を装っているが、明らかにその手の訓練を受けた人物だと、リルは見抜いた。また、まぜんだ、とリルは思った。

 営業終了後、リルは読書の続きをした。

 ダモクレスの魔法騎士に選ばれたトーマは、エルから騎士の中の騎士の称号を、オッティからは騎士団長の地位を譲り受けた。その後、1年を経ずに、エルが亡くなった。この辺りは史実通りだ。エルが亡くなった後、物語の中では、初代騎士の中の騎士が、いかに騎士として高い実力を保持し、人格高潔であったかについての賛辞が、これでもかと書き続けられていた。本の残り頁を考えると、それで物語が終わってしまいそうなほどだ。

 リルが「銀嶺騎士団物語6」を読んでいるうちに、エルマが翌日分の茶菓子の仕込みを終えて、寝室に上がってきた。

「リル、そろそろ寝ましょう。」

エルマは言うのだが、リルは、あとちょっと、と読書を続けた。

「あと少しで読み終わるのね。読み終わったらちゃんと寝るのよ。」

そう言って、エルマは先にベッドに入った。

 亡くなったエルへの賛辞が終わり「銀嶺騎士団物語6」も最後の1ページになった。めくると衝撃の1節が、リルの目に飛び込んできた。

「国王レオン4世に代替わりして3年目の西方歴2723年3月。銀嶺騎士団は、令外の騎士団としての役目を終えて、解体された。以後、騎士の中の騎士とダモクレスは、我が国の切り札として、その所在を公にされないことになった。」

物語は、この1節で結ばれていた。西方歴2723年なら、リルたちがみんな元気にオクタの街で暮らしていたころのことである。トーマがリルたちに自分の所在を教えない理由は考えられない。なにせ、リルはトーマの両親と一緒にいたのだから。この記述が真実なら、騎士の中の騎士とダモクレス、オストニアの切り札の場所を隠すために、トーマたちの居所も隠されていたことになる。まだ人間だったころのリルが、トーマたちと連絡が取れなかったのはそういうことだったのだ。じょうほうちょうさしつ、とリルは思った。

「銀嶺騎士団物語」シリーズを読み終えても、トーマたちのその後は分からなかった。リルは、モヤモヤしたものを抱えたまま、エルマが寝ているベッドに潜り込んだ。

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