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幕間 トーマトゥス・アウレリウス

     幕間 トーマトゥス・アウレリウス


 お祖父様、父様、申し訳ありません。お祖父様と父様が残して下さったものを、僕は次の世代に引き継ぐことができませんでした。


 僕は、西方歴2697年、銀嶺騎士団団長オルティヌス(オッティ)・アウレリウスとその妻で、エカテリンブルフス公爵の娘であるユフェミッサ(ユフィ)の間に生まれました。1歳年下の妹、サラディッサ(サラ)がいます。

 僕は、幼少期、お祖父様であり、騎士の中の騎士(ナイト・オブ・ナイツ)竜殺しの騎士(ドラゴン・スレイヤー)であるエルヌス(エル)の英才教育を受けて育ちました。もちろんその目的は、僕がお祖父様からその愛機であり、表向き世界最強の魔導従士(マジカルスレイブ)である「ダモクレス」の魔法騎士(マジックナイト)と、騎士の中の騎士の称号を受け継ぐためでした。お祖父様の英才教育は、僕の物心がつく前から行われていて、僕は、自らの意思で騎士を目指すよう仕向けられていたようです。

 お祖父様の英才教育は、5歳の時からは魔法の訓練、7歳の時からはそれに加えて武術の訓練に及びました。

 お祖父様は、我がオストニア王国始まって以来の魔法の天才とも、噂されていて、特に魔導従士の制御系魔法が得意だったらしく、第3世代型以降の魔導従士が、背中の補助腕などの人体にない部位を動かせるのは、お祖父様の功績によるそうです。そんなお祖父様の英才教育を、幼少期から受けていたのですから、僕は、9歳になって王立魔法騎士学園の初等部騎士学科に入学するころには、同学年の児童とは比較にならない魔法能力を持っていました。というか、魔法に限っては、学園入学時点で、大人の騎士に匹敵する能力があったと思います。

 武術についても、僕が受け継ぐことになるダモクレスの装備形式に則って、銃剣型魔杖ウェラヌスを2丁、両手に構える形式で、同世代の中ではトップクラスの実力がありました。ただ、これは後にマルガリッサ(マギー)お祖母様から教えて頂いたのですが、お祖父様は、体格に恵まれず力もなかったため、武術の才能はそれほどでもなかったそうです。お祖父様に剣術を教えたのは、僕が生まれるより前に亡くなった、曾お祖父様なのですが、お祖父様やお祖母様と同時期に曾お祖父様から剣術を習い始めたランファヌス(ランファン)大伯父様の方が、剣術の才能はずっと優れていたそうです。それでもお祖父様が騎士の中の騎士と呼ばれるほどの実力を付けたのは、好きなことのためには努力を惜しまない、お祖父様の性格が理由で、お祖父様は剣も魔法も、稽古をサボるようなことは決してなかったそうです。

 余談ですが、曾お祖父様は、アウレリウス家に婿入りする以前は「剣鬼」マチウス・アストリウスと呼ばれていて、王国史上でも屈指の剣の使い手だったそうです。婿入り後、学園高等部の戦闘実技教官になったので、曾お祖父様の弟子はたくさんいるのですが、ランファン大伯父様は、曾お祖父様の数多い弟子の中でも10指に入る才能の持ち主だったそうです。そう言えば、マルセルス(マルセル)叔父様も曾お祖父様の弟子の中で10指に入る実力と言われていました。

 お祖父様の英才教育の結果、僕は同世代の子供たちの中で飛び抜けた実力の持ち主になったのですが、それでも調子に乗るようなことがなかったのは、妹のサラがいたからです。サラは、僕がすることは何でも同じようにやりたがる子でした。しかも女の子なのに、体格にも恵まれていて、初等部に入学するころには、お祖父様や父様に似て小柄な僕よりも大きく育っていました。お祖母様は長身なので、所謂隔世遺伝だと思います。結局サラは、僕より1歳幼いうちから、僕と同じ魔法や武術の訓練、果ては読み書きの勉強などをして育ったので、僕より1歳年下なのに、僕と同等の能力がありました。武術に限って言えば、体格が大きい分、僕より強かったかも知れません。僕は、お祖父様の後継者になることを、幼いころから誓っていましたから、他の部分では可愛い妹であるサラも、魔法騎士に関する部分では脅威と感じていました。

 僕もサラも、学園の中等部で1年飛び級して卒業し、14歳で父様が騎士団長を務める銀嶺騎士団に入りました。騎士団では、僕とサラのどちらがダモクレスの魔法騎士になるか、争い、結果的に僕がその地位に就くことができました。これは明確の実力差がついたと言うよりも、ダモクレスの後継者を決めるコンペティションのレギュレーションが僕に有利に働いた結果だと思います。

 その後、僕は、学園時代の同級生だった、ピルキッサ(ピッキー)・シバリウスと結婚しました。その裏に、当時の国王陛下の最側近と言われていた2人の人物、枢密院議長でピッキーの養母でもあるサリッサ(サリー)大伯母様と、国王直属騎士団である銀嶺騎士団団長の僕の父様の暗躍があったという事実は、後になって知りました。ちなみに、ピッキーは魔法騎士としても優れた実力を持っていたため、お祖母様の愛機だった「シルフィ」を受け継ぎました。ダモクレスとシルフィは合体してダモクレス・シルフィードになるため、ピッキーは、僕にとっては公私ともにパートナーということになります。

 実を言うと、僕はお祖父様の英才教育を受けた影響で、騎士団長の座を父様に譲った後も、騎士の中の騎士と呼ばれ続けるお祖父様こそ、世界最強の魔法騎士であると信じていました。もちろん世界最強の魔導従士がダモクレス・シルフィードであることも。ただ、真実は、父様とリッリッサ(リル)叔母様が乗るパンデモニウム改が最強の魔導従士であり、お2人がお祖父様さえも凌ぐ実力の魔法騎士だったそうです。僕はその事実を知った時に、驚愕しましたが、サラは知っていた様です。

 西方歴2716年春。僕は、父様が騎士を引退されるのに合わせて、銀嶺騎士団団長の地位に就きました。父様は、僕とサラ、どちらがお祖父様の後継者になっても、騎士団長の地位は僕に継がせる積もりだった様です。理由は直接伺った訳ではありませんが、サラの性格が、余りリーダー向きではないことだったのだろうと思います。お祖父様は、僕が騎士団長になる直前に、騎士の中の騎士の称号を継ぐ意志があるか、僕に確認しました。僕にその覚悟がなければ、騎士の中の騎士の称号は、墓穴に持って行くと言って。ただ、僕の中で迷いはありませんでした。人格高潔にして、実績も過去最高のまさに騎士の中の騎士であるお祖父様。知略知謀に優れ、魔法騎士としても最強である父様。お2人の築き上げてきたものを、全部まとめて引き継ぐ。困難な道かも知れませんが、それこそが僕が生まれついた時から負わされていた使命、天命だと信じていたからです。


 騎士団長の地位を継いでまだ1年も経たない時期でした。西方歴2717年初春。教導騎士として、銀嶺騎士団に所属していたお祖父様とお祖母様が亡くなりました。亡くなる前日まで、銀嶺騎士団の拠点であるスベルドロ砦に出勤し、普通に仕事をいらっしゃたのに。その翌朝、目覚めることなく、天国へと旅立たれました、お2人一緒に。

 お祖父様が騎士を目指したのも、ダモクレスを作ったのも、騎士団長を父様に承継した後も教導騎士として騎士団に残ったのも、全てはお祖父様の大好きな魔導従士のためでした。だから、人生最期の日まで、魔導従士に囲まれて過ごすことができたお祖父様は、きっと幸せだったのだと思います。ただ、騎士団長として半人前で、まだお祖父様に教わりたいことがあった僕は、お祖父様の死に、ただ呆然とすることしかできませんでした。

 お祖父様の火葬と納骨は、サラが代わりにやってくれました。サラもお祖父様にとても懐いていて、とても悲しかったはずです。でもサラは融通の利かない正確なので、

「軍人に忌引きは1日しか許されないであります。」

と言って、お祖父様たちがなくなったその日に、納骨まで終えてしまいました。サラは、その間ずっと、大声で泣いていました。ピッキーも泣いていたと思います。僕は茫然自失で、その日は涙は流れませんでしたが、それから数日は仕事が手につきませんでした。

 それから、お祖父様とお祖母様を亡くした喪失感が、本当に実感を伴ってきたころから、毎夜、寝室で泣くようになりました。僕が泣いている姿を見ていたのは、ピッキーだけのはずです。結局、お祖父様とお祖母様の命日から1ヶ月くらい経つまで、毎夜泣く日々が続いたと思います。

 オストニアには、毎年大晦日に、先祖代々の遺骨が納められた地下納骨堂に参拝する習慣があります。とりわけ、人が亡くなった年の大晦日は、死後の世界に旅立つ者を見送る最後の機会として、特別大切にされます。

 西方歴2717年の大晦日。騎士団引退後、緑の道にあるオクタの街に移住して余生を過ごしていた、父様たちもエカテリンブルの街に帰省してきて、天国へと、あるいはお祖父様が信じていたように生まれ変わりがあるのだとしたら次の人生へと、旅立つお祖父様とお祖母様の、最期のお見送りをしました。その後の年越しの席で、父様は、生来弱気な性格の僕に、騎士の中の騎士として、自信を持ってその務めを果たすよう言ってくれたのを覚えています。


 僕たちの騎士団である銀嶺騎士団は、オストニア王国においても、とても特殊な位置づけを与えられた騎士団でした。そのことをご理解頂くために、オストニアの歴史を少しだけ振り返ります。

 オストニア王国は、建国前史にあたる東方探検隊が結成された、西方歴2139年から数えても、615年の歴史しかない若い国です。そして、西方世界から見れば「世界の果ての向こう側」を見ようという野心家たちが、勝手連的に集まって結成されたのが東方探検隊ですので、彼らのフロンティア・スピリットは、オストニア国民全員に受け継がれていると言われています。オストニアの歴史は、東方拡大の歴史であり、同時に魔獣たちとの共存の歴史でもあったのです。

 西方歴2139年、東方探検隊は、当時人々に世界の東の果てと信じられていた、巨壁山脈を越えることに成功します。ただ、彼ら待っていたのは、西方ではすでに人間が生きていく上でそれほど脅威と考えられなくなっていた魔獣の群れでした。しかも、巨壁山脈東麓地方の魔獣は、その強さ、生息密度とも、西方世界では考えられない様なものだったのです。

 東方探検隊は、魔獣被害の比較的少ない場所を見繕って、開拓拠点となる砦を建設しました。これが、後の王城ウラジオ城の起源です。そして、魔獣被害を防ぐための砦を建設し、その周辺を開拓する手法で、東方探検隊は、徐々にその支配地域を広げていったのです。

 西方歴2145年、東方探検隊は、当時西方世界を統一していた「帝国」に対し独立を宣言し、帝国はこれを黙認しました。オストニア王国の始まりです。独立後もオストニアは支配地域を広げ、巨壁山脈東麓地方、その東にあるシバリス平原、そして巨壁山脈の北端から東に広がる永久凍土の大地、北の地獄へと、その版図を広げました。

 このオストニアの東方拡大を阻んだのが、シバリス平原の更に東、地平線の向こうまで広がる大樹海「魔の森」でした。魔の森の魔獣は、オストニア本土の魔獣と比べても更に凶暴、強大であり、生息密度も高いのです。その後オストニアは、巨壁山脈の稜線と魔の森の間の地域全てを版図に組み込みますが、実際に人間の活動領域として確保できたのは、街や村、それらをつなぐ街道だけで、国内に多くの魔獣の縄張りが残っていました。

 その状況を一変させたのが、お祖父様と「もう一人の天才」親方ことダレイウス(ダリゥ)が2人で完成させた第3世代型魔導従士の登場だったのです。第3世代型とは、背中の補助腕など人間にはない部位を備えた、従来型と隔絶した戦闘力を有する魔導従士のことで、その代表がオストニアの正式量産主力機だったスコピエスです。

 第2世代の魔導従士は、騎士の体の延長と言われ、人間の動きを忠実に再現できることがその最大の特徴でした。ただ、これは言い換えれば人間の動きを拡大しただけのものです。大型魔獣に対して、拡大された騎士で対抗するのですから、その力は、良くても拮抗したものにならざるを得ません。第3世代型は、人間の動きを超えた戦術すら可能にするもので、国内に棲息する大型魔獣も、第3世代型の登場によって、ほとんど脅威とは言えなくなっていました。

 オストニア王国の社会のあり方さえ変えるほどのインパクトを持った第3世代型魔導従士ですが、現実に最前線で使用された期間は長くはありませんでした。スコピエスの量産機がロールアウトしたのが西方歴2669年、その後継機であるスコピエスⅱがロールアウトしたのが西方歴2695年。スコピエスが魔導従士の歴史を変えた名機であるのは間違いないですが、それを遙かに凌駕する性能の魔導従士が、たった26年で開発されていたことには、驚きを禁じ得ません。僕が明確に騎士になりたいと自覚したころには、スコピエスは1世代前の旧式機という位置づけでした。

 第4世代型と呼ばれるスコピエスⅱなどの機体の、強さの秘訣は、黒竜の研究から生まれた新素材、疑似竜鱗フェイク・ドラゴン・スケイル黒竜血漿結晶クリスタライズド・ドラゴニック・プラズマにあります。

 疑似竜鱗は、魔導従士の外装として使用するのですが、魔導従士の武器でも傷つけられないほどの、耐刃性、耐貫通性、耐魔法性を有し、それでいて水に浮くほど軽いのです。第3世代型までは、魔導従士の重量の4割を鋼鉄製の外装が占めると言われていましたので、比重の軽い疑似竜鱗により、魔導従士は軽量化され、その運動性能は、飛躍的に上昇しました。

 黒竜血漿結晶は、畜魔力素材の替わりに魔力(マナ)転換炉が作った魔力を貯めておく素材として使用されていますが、第3世代型に使用されていた畜魔力素材との比較で、体積当たり3倍程度の魔力を貯めることができます。これにより、量産炉単発式では不可能と言われていた、戦術級魔法の魔法兵装(マジック・アームズ)の使用すら、可能となりました。第4世代型は、まさに従来機とは攻防両面において隔絶した性能を有する機体となったのです。

 第4世代型の肝となる疑似竜鱗と黒竜血漿結晶を完成させたのは、誰であろう、僕の父様、オルティヌス・アウレリウスです。魔導従士開発において父様が残した業績は、到底書き切れるものではないのですが、その多くは軍事機密のヴェールに隠されています。息子である僕ですら、父様の業績をきちんと把握できたのは、騎士団長を継いだ後でした。父様とお祖父様は、あえて父様が世襲で騎士団長を継いだだけの者と、世間を誤解させることにより、開発、戦闘の両面でオストニアの切り札である父様に、世間の注目が集まらないようにしていたようです。その理由は、多分、父様がおよそ常人の理解の範疇を超えた感性の持ち主だったことにあると思っています。

 第4世代型の普及により、オストニアは更なる歴史の転換点を迎えます。最早、オストニア本土に棲息する魔獣は、第4世代型魔導従士の敵ではなくなっていました。そして、オストニア騎士は、魔獣災害から人間の領域を守るため存在から、耕地として有望な土地を縄張りとする魔獣を群れごと掃討する存在へ、盾から矛へとその役割を変えていったのです。

 これらの動きと並行して、オストニアは、西方歴2673年に行われた、第1次魔の森調査飛行によりその存在が明らかにされた、魔の森の先住民「森の民」の国と、オストニア本土を結ぶ街道「緑の道」の建設を進めていました。緑の道の建設が本格的に始まったのは、西方歴2676年のことだそうですが、精鋭部隊である銀嶺騎士団であれば、魔の森の魔獣とも戦うことができることが示され、ある種の停滞状態にあったオストニアの東方拡大は、再び盛り上がりを見せます。西方歴2720年には緑の道が完成しましたが、2750年には、魔の森より更に東、飛空船でしか行けなかった極東植民地への延長が決定しました。

 順番は前後しますが、西方歴2708年、移民用の大型飛空船が就航し、魔の森の東に発見された平原、極東地方の植民地化が始まりました。最初は流刑地から始まったこの極東植民地も、開拓が進むと同時に、本土での人口増加問題が深刻になったため、西方歴2720年ころから加速度的に開発が進みました。

 これまで見てきた魔導従士の世代交代や、緑の道建設と切っても切れない関係にあるのが、オストニア絶対主義の確立です。オストニアでは、建国以来長らく国王陛下は、居並ぶ貴族たちの「同輩中の主席」と言われていて、オストニウス王家の支配権が及ぶのは、国王直轄地、所謂天領に限定されていました。各貴族領には、貴族領ごとに定められる領法が適用され、地代その他租税も、それぞれの貴族のもの、守護騎士団も貴族領ごとに組織されてきました。この状況を支えた貴族の特権を「不輸不入の権」と言います。

 しかし現在は、この状況は一変しています。国内統一法典が制定され、農奴が解放されて小作人になり、貴族ですら地主として国税からは逃れられず、私的騎士団は禁止され、国王軍が発足しました。国王陛下が統治権を総覧し、統帥権を保持する体制が出現したのです。国王陛下が絶対的権力を有することから、絶対主義の文言が使われます。もちろん、絶対主義を支える官僚機構などの、近代的統治機構も整備されました。

 オストニア絶対主義の礎を築いたのが、西方歴2669年から、2695年まで26年間、国王として君臨したハベス1世と言われています。そう呼ばれることになったきっかけが緑の道建設です。緑の道は国家事業として、全土から人工を徴発して行われました。それ以前であれば、国王陛下が貴族の領民に対する支配権を破ることは考えられないことでした。それを押し通すことができたのは、ハベス1世の怜悧、冷徹な性格と、第3世代型以降の魔導従士開発等により、貴族たちが王家の協力なくして、激変する時代の流れについて行けない状況ができていたことによると、今では考えられています。何にせよ、ハベス1世が、貴族の持つ不輸の権に風穴を開けたのです。

 さらに、緑の道とは別に魔の森を開発する動きも出始めました。先代国王であるレオン4世の命で、西方歴2723年から、魔の森南部のシダ植物の森を切り開いて、新たな開発地の建設が始まりました。この開発地は、西方歴2750年に完成を迎えます。温暖で水源豊富な地域なので、先述の人口問題の解決に一役買うことが期待されています。


 以上の歴史の中で、銀嶺騎士団がどのような任務を果たしてきたのかが、銀嶺騎士団の特殊性という問いの答えになります。

 銀嶺騎士団は、国王レオン3世の時代である、西方歴2666年末に結成されました。実はこの年の秋、お祖父様と親方が、当時ですら第一線を退いた、旧式機だった「サロンペス」という機体をベースに、極めて画期的な機体を制作しました。サロンペスは、その当時、学園高等部魔法騎士学科の実習機として配備されたものだったのですが、学園の野外行動実習中に、魔の森から迷い出て来た(ドラゴン)の攻撃を受け、修理が必要な状態だったそうです。余談ですが、その竜を退治したのがお祖父様で、その事件こそ竜殺しの騎士の由来なのです。

 親方は、サロンペスを修理する際、ただ直すだけでは芸がないからと、それまで暖めていた2つのアイディアをサロンペス修復に組み込んだそうです。1つは、人口筋肉(アーティ・マッスル)の編み方を工夫して、機体出力を上げること。今ひとつが、背中に補助腕を増やして、肩部砲(ショルダー・カノン)を支持させることでした。何を隠そう、このサロンペスの修復機こそ、後の第3世代型の元になった機体だったのです。ただ、新型は高出力過ぎる上に、人間にない部位を持っているので、その制御に問題を抱えていました。この問題を解決したのが、制御系魔法の天才である、お祖父様でした。その当時、親方は高等部3年生、お祖父様は中等部の1年生だったはずなので、お2人の天才ぶりには目を見張るばかりです。この機体は、魔力供給などの問題が解決できず、完成に至らなかったので、名前はありませんが、当時を振り返る必要があるときは、便宜上「テスト・ヘッド」と呼ばれます。

 竜退治とテスト・ヘッド開発の功績を、当時の国王陛下に認められたお祖父様は、国王陛下直属特務騎士団銀嶺騎士団の結成を命じられ、その団長に就任します。中等部の生徒と騎士団長の2足のわらじでした。国王陛下の意図としては、当時、魔導従士開発は「王立魔導従士研究所」通称ラボに専属していましたが、ラボとは異質な開発集団を組織し、ラボと競い合わせることによって、停滞していた魔導従士開発が進展する、それと同時に、開発車集団を守る盾の役目を果たせる者たちも必要となる、というものでした。

 果たして、お祖父様と親方は陛下の期待に応え、魔導車や魔導従士用選択装備(オプション)などの新技術を次々実用化していきました。お祖父様と親方の役割分担は、親方が制御系に問題があって実用化に至らなかったアイディアを実際に物として作り、お祖父様が制御用魔法を考えるという方法だったそうです。これは、お祖父様が亡くなり、親方が銀嶺騎士団を去るまで、基本的には変わりませんでした。

 レオン3世がハベス1世に譲位をした西方歴2669年、お祖父様は、長年魔の森近くにある村々の脅威であり続けた、朱火蟻ファイア・レッド・アントの巣分けの時期に、朱火蟻の女王、朱火女王ファイア・レッド・クィーンを駆除することに成功しました。それまでの功績と合わせて、お祖父様は特別な魔導従士を作る許可を国王陛下から賜りました。そして「竜の心臓」と「女王蟻の心臓」を用いて作られた、銀嶺騎士団の最高傑作こそ、初の双発大出力機であり、初の空陸型でもあるダモクレスだったのです。

 魔導従士を動かすのに必要な魔力は、魔力転換炉という部品で、大気中に遍在するエーテルを原料に作られるのですが、魔力転換炉の核には、魔獣から採取した、魔力結晶が使われています。そして、この魔力結晶が大きく高純度であるほど、魔力転換炉の出力は高くなります。量産炉には中型魔獣から採取した魔力結晶が使われているのですが、大型以上の魔獣から採取した魔力結晶を用いれば、魔力転換炉の出力を上げることができることは以前から分かっていました。ただ、高出力炉の制御方法が確立されておらず、下手をすれば暴走しかねない危険な物であるため、現在も実用化には至っていません。高出力炉を安定して動かす唯一の方法は、直接操縦ダイレクト・コントロールという、一種の思考制御で、極めて高い魔法能力を身につけていないと、不可能です。お祖父様は直接操縦という方法を完成させた人物でもあり、超級魔獣である竜と、中型魔獣ながら、多数の卵を産むために超級魔獣並みの大型、高純度の魔力結晶をもつ朱火女王の心臓から採取した魔力結晶で、大出力炉を2つ作り、ダモクレスに乗せたのです。

 このような結成前後の経緯があるため、銀嶺騎士団は、開発集団であると同時に、国内最高戦力を動かす戦闘集団という二重の位置づけを与えられてきました。戦闘集団としては、西方大戦への参戦、魔の森調査飛行や緑の道建設の護衛、2次に渡る黒竜事件の解決、開発集団としては、魔導従士や魔導車、飛空船に関する数え切れないほどの発明をこなしました。この流れは、世間には知られていませんが、お祖父様から父様へ騎士団長が代替わりした後も続き、その最終到達点とも言えるのが、第4世代型魔導従士の開発と、極東の植民地化でした。

 ところでオストニア絶対主義が、確立する過程で、国王軍が設立されます。その際、それまで二重の位置づけを与えられていた銀嶺騎士団は、戦闘集団としての機能を、総司令部直轄の2個大隊に譲り、開発チームのみ残されました。これには複雑な経緯があるのですが、まず国王軍発足により、国王の自由にできる戦力を特別に用意する必要がなくなったことがあります。同時に、開発部門ではラボを尻目に数多くの実績を上げてきた銀嶺騎士団の開発能力は、国王軍発足後も不可欠と考えられていました。ただ、騎士団禁止王令が国王軍発足と同時に施行されていたので、本来なら、銀嶺の開発チームは、ラボ内に、独立した開発工房を設け、そこに組み入れられる段取りであったようです。それでも「令外の騎士団」と呼ばれ、開発チームだけの騎士団として残ったのは、国王軍の編成について、当時の国王陛下だったドラク1世の相談に乗っていた、父様の権棒術数によるのだそうです。ただ、僕が父様の策略を認識したときには…。

 話を急ぎすぎたようです。開発チームだけになった銀嶺騎士団には、表には出されていない、もう1つの役割があります。それが、ダモクレス・シルフィードを始めとする、特化戦力の運用です。オストニアの軍人は、対人戦闘より圧倒的に対魔獣戦闘の方を多く経験します。そして、今後も、黒竜の様な、通常戦力では対処が難しい魔獣が出現することは、可能性としては否定できません。そういった超級魔獣相手の切り札として、オストニアには、規格に収まらない戦力を運用できる力が求められるのです。それこそが、銀嶺騎士団が残された理由の一つだと思います。


 西方歴2723年2月下旬、僕が25歳の時の出来事でした。

 当時の国王レオン4世陛下から、王城ウラジオ城に参じるよう、命令が下されました。僕は指定された日時に王城に参内しました。年度の変わり目も近く、陛下の即位からもうすぐ2年が経とうとしていた時です。レオン4世陛下は、先代のドラク1世陛下(その時はまだご存命で院と呼ばれていました)の敷いた路線を継承し、対外的には東方への拡大を進めつつ、内にはより合理的でより近代的な統治機構の確立を目指していらっしゃいました。このような時期にお呼び出しを頂いたことに少し疑問を感じなかったわけではありませんが、その時は、深く考えてはいませんでした。思い返すと、心配性な僕らしくなかったと思います。

 陛下との謁見は、いつも王城の2階の隅にある会議室で行われます。何でも、お祖父様が初めてレオン3世陛下のお目にかかった時からの慣習だそうです。そしてこの会議室は、表沙汰にしにくい様々な密談の舞台になった場所でもあります。

 先に入室して陛下をお待ちしていると、ちょうど指定された時刻に、会議室の扉が開き、陛下が入室されました。護衛の近衛騎士は伴っていらっしゃいません。陛下が護衛を連れずに銀嶺の騎士団長にお会いになるのは、他言無用の要件がある時が多いと父様から聞かされていましたので、少し緊張しました。ただ、それを表に出さないよう注意しながら、慣例に従い、座ったまま略式の礼で陛下を迎えました。

「お呼びに従い参上いたしました。」

「大儀である。本題に入る前に、少々確認したい。父上より王位を継いでもうすぐ2年。朕は王の務めを充分果たせているだろうか。令外の騎士団長として父上にも仕えていた其方に確認したい。」

先代陛下は、緑の道完成と、森の民の国との友好条約締結という大業を成し遂げられ、それを機に譲位をなさったので、時を同じくして、多くの重臣が、隠居しました。サリー大伯母様も、枢密院議長を後進(戸籍上はピッキーの従姉に当たる方です)に譲っていました。それで、少しの間ですが先代陛下に仕えた僕に、ご質問なさったのでしょう。

「もちろんです。院が陛下に託された使命を、充分に果たされていらっしゃいます。」

「左様か。朕は、今のままでは父上の後追いに過ぎぬのだな。」

自覚なく、失言をしていたようです。陛下の御心は、偉大なる賢王ドラク1世の敷いた路線を継承するだけの王ではなく、御自ら新たな道を切り開く王であらせられようというところだったのでしょう。僕は慌てて、言葉を継ぎました。

「陛下は即位されてまだ2年足らずです。陛下の道を行くのは、これから充分に時間があります。」

「ふむ。其方の言う通りだ。我が覇道を征くは、これからのこと。」

僕の答えに陛下は満足されたようですが、覇道という言葉が気にかかります。

「して本題だ。銀嶺の今後のことであるよ。」

正直、この時の僕には、近いうちに銀嶺騎士団に何か変化があるとは思っていませんでした。なので、陛下がお話になろうとしていることに心当たりはありません。

「僕たちの、今後、ですか?」

「うむ。父上が其方らを令外の騎士団として残したのは、其方の父、オルティヌスの術策であろう。国王軍発足発表前後の時期に、父上は頻繁にあの小娘もどきと会っておったからな。」

初耳でしたが、国王軍の発足が発表されたのは西方歴2711年の初めで、そのころ僕はまだ、学園中等部の生徒でした。父様はああ見えて口が堅く、家族であっても機密を漏らすような人ではなかったので、僕がその当時のことを知らなかったこと自体は、不思議ではありません。むしろ陛下が父様のことを「小娘もどき」と呼んだことが引っかかりました。父様はそう呼ばれることを嫌っていましたから。

「しかるにだ、トーマトゥスよ。朕はあの小娘もどきが気に食わん。父上は頼りにしておったが、彼奴の掌の上というのは、我慢ならぬのだ。」

「陛下?」

いかに父様のように頭の良くない僕でも、この先に続くであろうお言葉が予想できてしまいました。それが、お祖父様や父様が、僕たちに残してくれたものを失う結果につながっていることも。

「亡き祖父、征森王ハベス1世は、国王軍発足前に、銀嶺の開発部門を、ラボに統合するつもりであったと聞く。そこでな、トーマトゥスよ。銀嶺はそっくりそのままラボに移ってもらおうと思っておる。」

「な。」

予想はしていましたし、覚悟もしていたつもりでしたが、言葉が出てきませんでした。騎士団廃止は既定路線であって、その中で銀嶺騎士団だけを例外として残すために、父様がどれだけ骨を折ったか、ただ世襲で今の地位にいるだけの僕には想像もつきません。そうまでして父様が残して下さった騎士団を、陛下の好悪の念ひとつで失う。それが絶対主義というものなのでしょうが、理解はできても、納得はできませんでした。

「令外の騎士団を廃止するならば、それこそが我が覇道の始まりとなろう。もちろん其方らの責めによって、銀嶺をなくすのではないから、ラボの工房を1つ増やし、其方らが今まで通り働けることを約束しよう。」

この時僕の胸の内にあったのは、納得できないという戸惑いと、陛下の決定を覆すだけの力がない自分に対する情けなさでした。それでも言葉を振り絞ります。そうしないと、アウレリウス家を継いだ自分の存在価値が見いだせなくなる気がしたからです。

「ご再考願えませんか?僕の実績が足りないならこれから作ります。」

「勘違いをするでない。そも銀嶺の存在は、王令に反しておる。王たるものが自ら定めた令に反すべきでない。それを正すだけのこと。」

父様だったら、それでも何かしらの方法で、横紙破りを通したのでしょう。でも、僕には無理です。陛下に言い返す気力さえありませんでした。

「それとな、ラボに移ってもらう以上、其方らの住む家も、カメンスクに用意させる。」

「何ですって?」

それは、アウレリウス家が代々受け継いできたエカテリンブルの家を出ることを意味します。いえ、本当はもっと重大な意味があったのですが、その時の僕には分からないことでした。

「エカテリンブルからラボに通うのは無理であろう。新しい家は朕が用意させる故、その方の心配は無用よ。」

言葉、というより思いが完全にすれ違っています。僕は代々受け継いできた家を離れなければならないことに驚いているのに、陛下は、僕が新居を下賜されることに驚いたと受け取ったようです。ただ、そのすれ違いを指摘しても、何にもなりません。僕には、これ以上陛下に対して抵抗する気力は残っていませんでした。居心地の良かった騎士団と住み慣れた家、2つを同時に失うことになります。

「承りました。」

そう答えましたが、無念でした。


 陛下の御聖断を伝えられた僕は、疲れ切っていました。この決定を騎士団のみんなに伝えなければなりません。でも、それはその時の僕には、とてつもなく高いハードルに思えました。時間も少し遅かったので、砦に戻らず、エカテリンブルの自宅に直帰しました。

 家に帰ると、上の子のアムスィッサ(アムジー)と下の子のマレウス(マレ)が揃って迎えてくれました。この年、子ども2人は5歳と4歳だったはずです。僕とピッキーはお互いが17歳の時に結婚しましたが、その当時、司法省民事局長通達で、10代での婚姻は望ましくないというものが出ていました。人口抑制政策の一環です。僕たちはそれでも結婚を強行しましたが、子作りは20歳になってからということで、ピッキーに納得してもらったのです。

「お父様、お帰りなさいませ。」

「ただ今帰りました、アムジー、マレ。」

それを聞きつけたのか、台所からお手伝いさんのメリリッサ(メリル)・マネシトゥスさんが出て来ました。

「旦那様、お帰りなさいませ。」

「ただ今帰りました。時間も遅かったので、砦に戻らず直帰しました。」

メリルさんはこの時18歳でした。マネシトゥス商会という小さな行商人の家の子で、義務教育を終えてすぐに奉公に出されたそうです。うちは妻のピッキーも騎士団の一員で、専業主婦がいないので、僕たちが仕事に行っている間に、子どもたちを見てもらうため、お手伝いさんを雇いました。

 それから程なくして、ピッキーとサラも帰ってきました。サラはこの時、すでにヤマルフス男爵家に嫁入りしていたのですが、

「嫁入りしても実家から砦に通うであります。単身赴任であります。」

と言って、この家に住み着いていました。男爵家のある北の地獄に行くのは、年末年始の休みだけです。

 僕は、銀嶺騎士団廃止という、決定を、騎士団みんなに一斉に伝える勇気がなかったので、まず家族である、ピッキーとサラに聞いてもらうことにしました。と言っても、2人とも帰宅してくるなり台所に行ってしまうので、夕食の支度が出来るまでは、子どもたちの相手をします。

「お父様、今日の魔法の練習で、初めて『炎の矢(ファイア・ボルト)』に成功しました。」

「アムジーの練習は順調に進んでいますね。それでこそ、次の騎士の中の騎士です。」

「姉様が羨ましいです。僕も早く魔法の練習がしたいです。」

「マレも、5歳になったら魔法を教えます。それまでは我慢して下さい。それより、読み書きの勉強は順調ですか?」

「はい、お父様。私もマレも、もう31文字全部書けるようになりました。メリルさんも、こんなに早く読み書きを覚えるなんて、賢い子だって、褒めて下さるんですよ。」

「姉様の言う通りです。」

「分かりました。この調子で、難しい単語も覚えれば、本を読めるようになりますからね。そうしたら、僕の蔵書は、好きなだけ読んでいいですよ。」

そんな遣り取りをしているうちに、夕食の準備が整ったようで、ピッキーが僕と子どもたちを呼びに来ます。

「そろそろ夕食だよ、トーマ君。アムジーとマレもおいで。」

そうしたら家族5人での食卓です。メリルさんは一緒には食べません。ちなみに父様がオクタに移住してしまった後は、サラが、

「魔獣狩りであります。たくさん練習して、お父様の様に強くなるであります。」

と言って、毎日狩りに出掛けるようになったので、夕食には相変わらず肉が出ます。

「ピッキー、サラ、驚かずに聞いて下さい。」

「突然何でありますか、お兄様。」

「分かった。今日陛下に呼び出されたことだね。」

「はい、その通りです。陛下は銀嶺騎士団を廃止するご意向です。」

その瞬間、ガタッと椅子の倒れる音がして、サラが立ち上がりました。

「何ですって、であります。」

「サラ、落ち着いて下さい。騎士団は廃止になりますが、僕たちはラボに新設される工房にそっくりそのまま移籍することになります。」

「そういう問題ではないであります。お兄様は銀嶺騎士団を残す意味が分かっていないでありますか。」

「残念ながら、僕たちには陛下のご決断を覆すものが、ありません。」

「お兄様は腰抜けであります。お父様なら、手練手管でも何でも使って、陛下の意思でも何でもひっくり返したであります。」

「サラちゃん…。」

ピッキーがサラのことを気遣わしげな目で見ていました。見回すと、子どもたちも不安そうな顔をしています。

「サラ、これは相談ではありません。命令です。君も軍人なら、分かって下さい。」

「分かっているであります。本職も軍人である以上、命令なら従うしかないであります。」

サラは、矛を収め、倒れた椅子を起こして座り直しました。

「ラボに移籍するのはいいとして、家はどうなるの?さすがに通えないよね。」

ピッキーに痛いところを突かれました。

「陛下が、工房都市に新しい家を用意して下さるそうです。そこに、引っ越すことになります。」

「騎士団だけでなく、この家からも出て行かなければならないでありますか。」

サラは、先ほどの様に激高はしませんでしたが、苛ついているのが顔に出ていました。

「サラ、これは僕の力不足です。恨むなら、恨んでくれていいです。ただ、陛下は、騎士団廃止王令がある以上、令外の騎士団を存続させるのは、王が自ら王令に背くことで、それは正さなければならないと、言っていました。」

「分かっているであります。お兄様を恨むなんてこともないであります。」

サラは、すねたような態度をとりました。その日の食卓で、他にどんな話題が出たかは、覚えていません。ただ、とても重い雰囲気で、子どもたちもあまり喋らなかった気がします。

 夕食後、僕は1人で使用人部屋にいる、メリルさんに、

「暇を出さなければいけないかも知れません。理由は話せるときが来たら話します。」

と伝えました。メリルさんは無言で頷いたのを覚えています。使用人室の隣の、サラの部屋からは、

「おたんこなすであります。」

と聞こえました。意味は分かりませんが。


 その翌日、砦に出勤した僕は、騎士団の団員全員を集めました。この時の団員は、魔法騎士が3人、僕、ピッキー、サラと、鍛冶士隊5人の8人だけです。

「昨日伝えられた、陛下の御聖断です。銀嶺騎士団は廃止、僕たちは、ラボに新設される工房にそのまま移籍することになりました。」

事前に伝えてあったピッキーとサラは特にこれと言った反応はありません。鍛冶士隊の方からは、一瞬どよめきがありましたが、すぐに静かになりました。みんな、覚悟はしていたのでしょう。お祖父様が亡くなって、親方が去った後、銀嶺騎士団はまともな成果を残せていませんでした。

「引っ越しの準備をしておいて下さい。機材や素材も、持って行けるだけ、持って行きたいので。」

僕やサラも、及ばずながら、父様の残していって下さった本で、開発の勉強を進めている途中でした。ただ、結局、父様の本は難しすぎて、僕もサラも引退までに全て読み解くことはできませんでした。ただ、この時は、いずれ父様に追いついて、お祖父様や父様が残して下さった素材の研究に着手するつもりでいたのです。

 騎士団の団員に陛下のご決定を伝えた後、僕は、1人で砦の会議室に行きました。どうしても会わせられない来客だったので、いつもは僕と行動を共にしているピッキーにも、工房で待っていてもらいました。

 来客は、情報調査室員のコード・シアン11さんです。シアンさんは、無言で書状を差し出しました。書状には陛下の勅命であることを示すオストニアの国章が描かれていました。勅命の内容は、銀嶺騎士団団員のラボへの移籍は、3月1日付とすること、それまでに引っ越しを済ませること、引っ越しは極秘で行うこと、以上でした。シアンさんは、陛下の書状を僕に渡すと、音もなく砦を去って行きました。

 国王軍発足の経緯から、スベルドロ砦は、総司令部直轄の2個大隊と共用している状態でした。彼らにも悟られないようにラボへの引っ越しの準備を進めたため、結局スベルドロ砦からラボの工房へ持って行けたのは、最低限すぐ必要になる機材や資料だけでした。

 それから家の引っ越しも、行き先を悟られないように、2月30日の夜に行いました。アウレリウス家は魔導車を所有しているので、1晩走れば、ラボのある工房都市カメンスクにつきます。なんだか夜逃げしているような気分でした。直前に、メリルさんには、暇を出しました。理由は結局話せませんでした。


 工房都市カメンスクのある巨壁山脈東麓地方南部は、エカテリンブルのあった中部より、山あり谷ありの地形で、カメンスクも、街の西半分が斜面に張り付く様になっています。街を南北に突っ切る大通りがあり、西側が住宅地、東側が王立魔導従士研究所の工房群です。

 3月1日、正式にラボの所属となった僕は、所長室に呼び出されました。

「君が、あの御曹司の息子ね。いや、もう引退した騎士を、御曹司と呼ぶのはおかしいね。陛下に倣って小娘もどきと呼んだ方がいいかな。」

ラボのオルヴェウス所長は、オストニア王国にはほとんど住んでいないエルフという長命の亜人です。100年以上現職に居座っていて「ラボの(ぬし)」と呼ばれています。

「所長、父様はその呼び方を嫌っていました。訂正を求めます。」

「何、ほんの冗談だよ。彼にはこちらとしても、えらく苦労させられたのでね、その子どもの君が僕の部下になってくれるとは、嬉しい限りだよ。」

正直に言えば、僕は所長のことが苦手です。彼は権力を笠に着るタイプの人間です。訂正します、人間ではなくエルフです。

「では、トーマトゥス・アウレリウス君、君を今日から第0開発工房長兼専属試験騎士(テスト・ナイト)に任命する。新設された工房に第0を付けるのは、君たちのこれまでの実績に敬意を表してのもので、陛下のご意向でもある。それから第0と第1はこれまで通り競争し合う関係を維持するよ。第0の名に恥じぬ活躍を期待しているよ。」

「了解しました。全霊を尽くします。」

「軍人ぽさは抜けないね。ラボは軍の組織ではないから、そういうのは不要だよ。まあ、おいおい慣れてくれればいい。」

「分かりました。では失礼します。」

そう言って、僕は所長室から、工房に向かいました。

 工房に向かうと、総司令部付の尉官と、鍛冶士隊長が打ち合わせをしていました。銀嶺騎士団廃止が当日付で発表になったので、スベルドロ砦は、総司令部直轄の2個大隊が専用することになります。まだ残っている銀嶺騎士団時代の僕たちの機材の搬出について、打ち合わせていたようです。

「お兄様、お疲れ様であります。」

「トーマ君、お疲れ。」

サラとピッキーが僕を見つけてやって来ました。前日の晩にエカテリンブルを出て、朝到着するなり、所長室に呼び出されたので、新居にはまだ行っていません。睡眠もとっていませんが、騎士の中の騎士として、この程度の強行軍で音を上げてはいられません。

「僕の方は、大丈夫です。それよりも、僕の代わりに魔導従士の搬入に立ち会ってもらってありがとうございます。」

「それが本職の務めであります。お兄様にお礼を言われるほどのことではありません。」

「サラちゃんの言う通りだよ、トーマ君。」

「そうですね。それはそうと、サラ、もう軍人ではないのに、一人称は本職のままなのですね。」

「本職の職業軍人としての誇りは、この程度のことでは消せないであります。」

らしいと言えばらしい答えが返ってきました。サラはまだ、騎士団がなくなってしまったことを吹っ切れていない様子です。多分この時は僕もそうだったのでしょう。

 新しい工房は、非常に充実した設備が揃っていました。スベルドロ砦の工房にある機材は、そのほとんどが親方かモカイッサ(モカ)叔母様の手作りでしたから、素人の僕が見てもその差は歴然です。ただ、鍛冶士隊のみんなは、使い慣れた手作りの機材がないことを残念がっていました。


 その日の仕事が終わり、いよいよ新居に向かいました。引っ越しの荷物の搬入は、どういうわけか、ラボで雇ってくれていた新しいお手伝いさんにやってもらいました。新しいお手伝いさんには、子どもたちのことも見ていてもらいました。

 初めて新居に入った時、なんとも言えない違和感を感じて、家の中を隅々まで確認しました。それで気付いた違和感の正体は、間取りから家具の配置に至るまで、エカテリンブルのアウレリウス邸が、寸分の狂いなく再現されていることでした。まるで、家ごと引っ越してきたような感覚で。誰かが家の中を覗き見していたのでしょうか?ただ、モカ叔母様とリル叔母様が作った、家庭用魔道具だけは、再現されていませんでした。あれは、その存在自体、まだ当時はほとんどの人が知らない最新技術でした。

 もし、以前から家の中まで監視されていたとしたら、今も監視がついている可能性が高いです。でも、その時は、それが何を意味するか、具体的に思い至りませんでした。僕の感じた薄気味悪さを、ピッキーやサラも感じていたようで、その日の夕食は、会話が少なかったように感じます。

 夕食後、居間に家族で集まり、オクタの街にいる父様たちへの手紙を書きました。

「銀嶺騎士団がなくなることは、極秘扱いにするよう命じられていましたから、事後報告になってしまいますが、父様にそのことを伝えなければなりません。エカテリンブルの家を出て、カメンスクに移り住んだことも。」

「アムジーとマレがカワイく育ってることもね。」

「手紙の文面は、お兄様に任せるであります。それにしても、今までお父様は手紙の返事を、1度もくれないであります。何かがおかしい気がするであります。」

確かに、僕はあまり筆まめな方ではありませんが、アムジーやマレが生まれた時など、年に1度は、父様宛に手紙を送っています。父様の性格からして、無視することはないはずですし、父様はとても筆まめで、文通相手もたくさんいた方なので、おかしな気はしていました。

 それでも、今回のことは確実に父様に報せなくてはいけません。色々と文面を悩んで、何とか手紙を完成させました。手紙に封をし、封蝋にアウレリウス家の紋を押して、確実に僕からの手紙であることが分かるようにしました。

 この時代の手紙は、商人さんたちのネットワークに頼って送られます。カメンスクに行商人さんが来る日を待って、手紙を発送しました。


 手紙を発送した翌日、僕が第0工房で父様が書いた魔導書に苦戦している時に、所長室へ来るよう、呼び出しがかかりました。何の要件かは見当もつきませんでしたが、無視するわけにもいかないので、所長室に出頭しました。

「困るね、トーマトゥス君。こういう手紙で、私の手を煩わせないでくれ。」

所長が持っていたのは、前日に僕が出した手紙でした。封が破られています。

「所長、その手紙は。」

「騎士の中の騎士及びその乗機ダモクレスがこの工房都市にあることは、ッッッ指定の機密なんだよ。」

「な、そんな話は聞いていません。」

「そうだろうね。今初めて話したから。」

ッッッ指定とは、この年から用いられるようになった国家機密の開示範囲に関する指定で、機密情報の当事者以外では、軍であれば元帥のみ、政府であれば首相や枢密院議長など、限られた重臣にしか開示されない最高レベルの機密指定です。僕も騎士の中の騎士として、ッッッ指定の機密に触れることができます。

「そんな、僕とダモクレスの居場所がそのレベルの機密になるなんて。」

「君は、自分とあの機体の価値を正しく理解していないね。騎士の中の騎士とダモクレス・シルフィードがあれば、我が国は、どこと戦っても負けないよ。」

「それは、所長の仰る通りです。」

「それだけの戦略的価値があるんだ。もしどこか馬鹿な国が我が国を攻めようなどと考えたら?」

「真っ先に僕とダモクレスが狙われます。」

「そういうこと。だから、その在処は、隠されることになったんだよ。」

騎士の中の騎士の戦略的価値、分かっているつもりでしたが、考えが甘かったと痛感しました。

「それでも、その手紙の宛先は、僕の父様です。間違っても利敵行為をするような方ではありません。」

「まあ、御曹司ならそうだろうね。問題は御曹司に手紙が渡るまでの過程だよ。どこぞの商人が、君の手紙の封を開いて見ないと言い切れるかい?」

「いえ、見られるかも知れません。」

「そういうことだ。ちなみにこの工房都市から発送する手紙は全て検閲対象だから、御曹司と連絡を取ることは諦めるんだね。」

「もし、もう1度手紙を出したら、」

「私の仕事が増える。もちろん御曹司には届かないよ。」

父様に、僕の居場所を報せることさえできないなんて。ただ、騎士の中の騎士の称号に、当時の国王レオン4世陛下は、本人の僕が考えていた以上の価値を見ていたようです。カメンスクに移住させられ、閉じ込めておく。必要な時だけ使えればいい。いえ、もしかしたら、騎士の中の騎士が存在すること自体が、抑止力になるとすら考えていたかも知れません。

 工房に戻って、僕は、手紙が検閲対象で、父様たちには届かないことを、ピッキーとサラに説明しました。

「あんまりであります。でも、そうだとしたら、以前からお兄様の手紙は検閲されていたかも知れないであります。」

「うん。お義父様が、トーマ君の手紙に返事をくれないなんて、考えられないもん。」

「そうですね。そう考えれば、腑に落ちます。」

僕たちにこのような仕打ちをするのが陛下の意思だとしたら。僕は、あの日、陛下が口にしていた、覇道と言う言葉に、寒気を覚えました。


 西方歴2754年8月の初め。すでにアムジーに騎士の中の騎士の称号を譲っていた僕は、先月父様が亡くなったことを知りました。昨年母様が亡くなっていたことも。教えてくれたのは、情報調査室員のコード・シアン11さんでした。正確には、当代騎士の中の騎士であるアムジーに連絡が入り、それを僕に教えてくれたのです。シアン11は、かつて銀嶺騎士団との連絡役を務めていた方が使っていたコードネームです。

 カメンスクを出られない僕たちは、母様の最期の分かれに立ち会えないばかりか、母様の最期すら知りませんでした。父様とのお別れにも立ち会えないでしょう。


 お祖父様。お祖父様の騎士団を僕の代で潰してしまいました。幼いころから僕を可愛がってくれたお祖父様に、言い訳のしようもありません。

 母様。天国に旅立たれた母様のお見送りにすら行けない親不孝な僕をお許し下さい。

 父様。僕にもっと力があれば、父様のように騎士団を残せたのでしょうか。僕を信じて騎士団を託してくれた父様に、不甲斐ない姿を晒してしまいます。ごめんなさい。

〈完〉

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