家族の時間
第16話 家族の時間
1
オストニア王国、巨壁山脈東麓地方中部にある王城ウラジオ城の3階、国王臨席専用会議室に、重鎮たちが集まっていた。
「ロターリア戦役の戦況について、参謀本部長から報告申し上げます。」
まず口を開いたのは国王軍元帥であった。
「許可する。」
1段高くなっている玉座から、他の出席者を睥睨して、国王が言った。
「帝国とイルリック国の間の戦争は、膠着状態が続いています。帝国は緒戦で切り札の『儀式魔法』を使ってしまったためか、それ以降、防衛戦に徹するイルリック国を相手に攻めあぐねています。イルリック国の方にも、帝国を押し返すだけの力がないようで、開戦から15年以上経った今でも、一進一退の攻防が続いています。」
「その程度は分かっておる。本題に入れ。」
参謀本部長の回りくどい説明が、気に食わない様子で、国王が先を促した。
「は。問題は、早々と局外中立を宣言したグランミュールの動向です。グランミュールも密かに、帝国が使用した儀式魔法の秘密を探っていたようで、この度、対策を完成させた模様です。そこで局外中立宣言を撤回して、疲弊した両国の間に割って入ることを検討しています。」
「グランミュールが参戦すると、同盟国である我が国にも協力を求めてくる可能性がある、そういうことだな。」
「陛下の仰る通りです。」
その答えを聞いた国王は、目線を参謀本部長から、総理大臣に移した。
「外交ルートでは、グランミュールから協力の打診はあるか?」
「いえ。まだございません。」
「それと、陛下。」
参謀本部長が再び口を開いた。
「グランミュールに関して、もう1つ気になる情報がございます。」
「申してみよ。」
「は。グランミュールでは『民衆の中へ』なる組織が、農村部を回って、農奴たちに何事か吹き込んでいる様です。農奴をかき集めたところで、大したことができるとは思えませんが、注意は必要でしょう。」
「そうか。その件に関しては、参謀本部に任せる。」
国王は「民衆の中へ」に関しては興味を示さなかった。
「陛下。西方世界の戦争に我が軍が介入するのは、できれば避けたいところであります。」
元帥が、軍部を預かる者として、意見を述べた。
「それが軍部の意向か。政府はどのように考える。」
「は。西方との不必要な関わりは避ける必要がありますが、条約の解釈上、グランミュールから参戦要求があった場合、無視はできません。それに、グランミュールとの、今以上の関係悪化は避けたいところです。条約の改定を今から申し込むのは難しいでしょう。」
「そうだな。できれば西方が静かなうちに攻守同盟を見直すべきだったのであろうが、過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。グランミュールからの参戦要求があった場合は、可能なあらゆる手段で、参戦を引き延ばすこととする。」
国王の決断が下され、会議は結論を得た。
「ついでと言ってはなんだが、今日ここに集まった皆には紹介しておこう。新たな騎士の中の騎士のチェストゥス・アウレリウスだ。我が妹のァレンニッサの長男で、ヴァルトフス伯爵の娘婿でもある。」
一同の視線が、元帥の隣に座る、一際小柄な少女の様な美少年に注がれる。当のチェストゥスは、騎士の中の騎士として初めて出席した御前会議に緊張気味である。
「それと、朕も譲位の準備を進めることとした。厄介な時期と重なって恐縮だが、こちらの方も、協力を頼む。」
「滅相もございません、陛下。お顔をお上げ下さい。」
枢密院議長が、臣下を代表して言った。
「では、これにて散会。」
そう宣言すると、国王は専用の出入り口を使って、会議室から退席した。国王が去ったのを見計らって、元帥が、総理大臣に喰ってかかる。
「何だ?あの答えは。陛下を惑わすようなことを言うでない。」
元帥の剣幕に泡を喰っている総理大臣だったが、枢密院議長が仲裁に入った。
「そこまでになさい。総理は、あくまで条約の解釈の話をしただけよ。政府としても、西方の戦争に巻き込まれたいなどと思っていないわ。」
「ち。まあいい。政府は政府の役目を全うしろ。間違っても軍の足を引っ張るようなことをするなよ。」
元帥は言い捨てて、参謀本部長とともに会議室を辞去した。総理大臣も、反対側の扉から出て行く。
「チェスト。騎士の中の騎士になった以上、こういう場面には何度も遭遇するから、今のうちに慣れておきなさい。それと、あなたが仲裁役に入ってはだめよ。」
枢密院議長は、最後まで一言も発することができなかった、チェストに言い残して、去って行った。
2
アテラの卒業式から間もなく。新聞を読んでいたリルは、ある記事に目を止めた。今年発足した新内閣が、行政機構を刷新するらしい。今までの七省制は維持しつつ、いくつかの外局を設けるらしい。内務省の外局として、監察庁と逓信庁、文部省の外局として、魔法技術庁、兵部省の外局として、気象庁、農商務省の外局として、林野庁と水産庁が設けられる。更に、独立行政委員会として、会計検査院も創設されるらしい。各庁の発足は2年後の予定だが、外局になる部署には、各庁発足前から、相当程度の独立性を与えるらしい。リルは、きしょうちょうのおやがひょうぶしょう?と思った。
アテラが卒業してから、正式に喫茶サヴォルのウェートレスとして働き始めたのだが、アテラは相変わらずリルにベッタリである。どんなに客が多い時も、リルと腕を組んで、離れようとしないのだ。結局、アテラは学園を卒業しても、ウェートレスとしては、店の戦力にはならないのだった。
リルは、姉として、アテラが自分以外に興味を示さないことを、本気で心配していた。そこで、アテラに、何か時間を潰せる趣味を作らせようと考えた。リルは、あてらはかせいがっかでちょうりとしゅげいをまなんだから、とりあえすしゅげいをさせてみよう、ふくはまほうでさいげんできるから、つくるのはふくいがい、と考え、アテラにぬいぐるみを作らせて見ようと思い立った。
「ぬいぐるみ?」
最近、アテラは、リルの表情の変化(他人が見たらいつも無表情に見える)から、リルの考えを読み取るようになった。エルマにできることなので、成長したアテラが同じことができるようになっても不思議ではない。リルは、ひゃくぶんはいっけんにしかず、と思って、アテラを、カワイイぬいぐるみを売っている雑貨屋へ連れて行くことにした。
雑貨屋は、商店街の入り口付近にある。リルが人間だったころは、この店は、カワイイ物を売る店ではなかったが、魔獣被害の減少ともに人々の嗜好も変化したのか、ファンシーな雑貨が増えた。
リルは、雑貨屋の隅の、ぬいぐるみがかたまって陳列されている所にアテラを連れていき、これがぬいぐるみ、と思った。
「うさちゃんとか、おっきなネズミとか、いろいろあるね。」
リルは、ネズミのぬいぐるみを見て、もっとくんににてる、と思った。モット君とは、リルがオクタで暮らしていたころ飼っていた森天竺鼠という小型魔獣である。ぬいぐるみに付いているタグを見ると、このネズミは山天竺鼠というらしい。
「じゃあ、お姉ちゃんが飼ってた森天竺鼠のぬいぐるみを作る。」
そんなわけで、アテラは、森天竺鼠のぬいぐるみを自作することにした。そうすると、次は材料の買い出しである。手芸用品も売っている、商店街で1番大きな服屋に向かった。
リルは、もっとくんはちゃいろとしろのまだらもようだった、と思った。
「じゃあ、針と糸はあるから、茶色と白のフェルトと。中には何を詰めたらいいの?」
リルは、脱脂綿を指さし、これ、と思った。
「ふわふわの綿だね。」
リルとアテラは、2色のフェルトと、脱脂綿を買って、帰宅した。
翌日。休憩時間を利用して、アテラのぬいぐるみ作りが始まった。
「白と茶色の斑模様って、具体的にどんな感じ?」
リルは、ちょっとまってて、と思い、徐に紙に森天竺鼠の絵を描いた。アテラがイメージし易いよう、横から見た絵と正面から見た絵、2つ描いた。
「お姉ちゃん、お絵描き上手。」
リルは、お絵描きと聞いて、長兄のオルティヌスが、魔法兵装に使う紋章の刻印のことを、お絵描きと呼んでいたのを思い出した。それはともかく、リルは手先も器用だし、モット君のことも毎日観察していたから、アテラの言う通り、とても上手に森天竺鼠の絵を描いた。
「じゃあ、この絵みたいな模様のネズミさんを作ってみる。あ、そう言えば、ミシンは?」
リルは、にしん?と思った。
「鰊じゃないよ。ミシンだよ。ダダダダダって布を縫う家魔だよ。」
リルは、はつみみ、と思ったが、実物を見てみたいと思い、家魔の店に行くことにした。
エカテリンブルで家魔の店と言えば、旧アウレリウス邸があった場所にある、マネシトゥスのお店である。
「いらっしゃいませ。おや、サヴォルのちびっ娘姉妹だね。何かお探しかな?」
「・・・」
「ミシン!」
アテラにしゃべり出すタイミングを取られた。それはともかく、店員は、
「ミシンだったら、この『スネーク・アイ』がお薦めですよ。」
と、展示されているミシンを見せてくれた。リルは、じゃのめ、と思った。それはともかく、中に回転の紋章が入っていて、クランクで上下動に変え、縫い針を動かす仕組みのようだ。それ以外の構造は、外見では理解できなかった。リルは、あてらはつかいかたわかる?と思った。
「分かるよ。学校の実習で使ったから。」
リルは、じゃあかおう、と思った。値段は3000オースとちょっとお高めだったが、リルはカワイイ妹のために、100オース札30枚、現金払いで、ミシンを買った。
「お買い上げありがとうございます。」
その翌日から、アテラは、休憩時間中、リルが読書をしている隣で、ぬいぐるみを少しずつ作っていった。まず、森天竺鼠の独特の斑模様を再現するように、2色のフェルトを裁断していく、そしてそれを両表で縫い合わせ、1枚の布のようにした。この作業を繰り返し、頭の左右、背中、左右の前足、後ろ足、ちょろりと長い尻尾になるパーツを作っていく。
パーツ作りが終わったら、やっぱり両表でそれぞれのパーツを縫い合わせ、胴体と頭を作る。最後に、脱脂綿を詰めて、頭を胴体に付けたら、ぬいぐるみの完成だ。作っている途中で、春休み期間が終わり、休憩時間も短くなったので、完成までに、2週間ほど掛かった。さすがに家政学科で手芸の実習を数々こなしてきただけあって、手際はとてもよかった。
「お姉ちゃん、出来たよ。」
アテラが作り上げた森天竺鼠のぬいぐるみは、とてもカワイかったが、リルは、カワイイけどもっとくんにはにてない、と思った。
「うーん。上手く出来たと思ったんだけどな。」
リルは、そのこのなまえ、と思った。
「そっか。私が作ったから、私が名前を付けてあげなきゃだね。」
アテラは、少し考えて、
「じゃあ、ミラージュちゃんにする。」
リルは、しんきろう?と思った。以後、アテラ作のぬいぐるみミラージュは、寝室のベッドの上に、飾られることになった。
3
4月のある日、王立大学と王立魔法騎士学園高等部の、神闘部対抗戦で、事件は起きた。対抗戦100年以上の歴史の中で、大学側が高等部に勝利したことはなかったのだが、この年、大学が悲願の初勝利をもぎ取ったのである。ただし、対抗戦自体は大学1勝対高等部3勝で、高等部の勝利だった。と言っても、リルは、サヴォルで働いていたから、このニュースは翌日の新聞で知ったのだが。
記事によると、先鋒戦は、立ち会いの瞬間にはたき込みで、高等部が一瞬で勝利。次鋒戦も、体格に勝る高等部の力士が、大学の力士を軽々と持ち上げ、吊り落としで勝った。後がない大学だったが、実は、その年の大学神闘部のエースを中堅に温存していたのだ。大学のエースは、小柄ながら敏捷で変幻自在な取り口が持ち味だ。中堅戦は、大学のエースが立ち会いで変化し、高等部の力士の左に回り込み、とったりで高等部の中堅を倒した。今年も出番がないと思っていた両軍の副将は、大いに驚いたそうである。で、その副将戦は、高等部の副将が、右の下手からすくい投げで勝利した。
記事を読んで、リルは、とったり!と思った。
「お姉ちゃん、とったりって何?」
リルは、しんとうのきまりてのひとつ、と思った。
「何で!なの?」
リルは、めずらしいきまりて、と思った。
「そうなんだ。」
リルは、そうなんです、と思った。
5月に入ったある日。
「ごめんください。」
カランコロンカランと音を立てて、一人の男が、サヴォルに来店した。
「いらっしゃいませ。」
「・・・いらっしゃいませ。」
「いらっしゃいませ。」
エルマ、リル、アテラは、声を揃えて出迎えた、積もりだったがリルだけ遅れた。
「すみません。お客じゃないんです。私、こういう者でして。」
男は、エルマの目元しか見えない格好を訝しみながらも、名刺を差し出してきた。名刺には、サン=トリユス蒸留所エカテリンブルフス公爵領営業担当、という肩書きが付いていた。
「うちは喫茶店で、お酒は置いていませんが?」
エルマが言うと、男は、
「承知しております。ただ、この喫茶サヴォルは、路地裏の隠れ家的名店と名高く、夜の売り上げをまるっと捨てるのは勿体ない。こちらで、夜からお酒を出しませんか?というのが、こちらのご提案でして。」
と、営業トークを始めた。エルマは、
「リル、どう思う?」
と、対応をリルに丸投げした。リルは、いまのままでもうりあげはじゅうぶん、でもこのひとのいうこともいちりある、いまならあてらもいるから、よるもあけてもひとではある、と思った。営業マンは、無表情で動かないリルを不思議そうに見つめている。
「そう、あなたはそう思うのね。」
「あの、どういうことでしょう。」
「結論は任せるわ、リル。」
リルは、ひるはきっさてんで、よるはばーでもいい、思った。
「そうね。ただ、私は今まで通りの時間には寝たいから、夜の営業は2人でやることになるわよ。」
リルは、わかってる、と思った。
「こちらの結論は出ました。娘は、夜ここで、バーをやってもいいと言っています。ただ、業態を変えるには、それなりの準備期間も必要だから、準備が整った段階で、こちらからまた連絡します。」
「ありがとうございます。その節は是非、当社製品をお買い上げいただければ。」
「そちらは、娘に任せます。」
「よろしくお願いします。」
営業マンは、リルの方に向き直って、頭を下げた。リルは、
「・・・ん。」
と、答えておいた。
「では、お忙しいところご対応いただき、ありがとうございました。」
営業マンは去って行った。
母娘3人だけになったところで、
「リル、本当にいいの?」
とエルマが再度尋ねた。リルは、いろんなことをしたほうがたいくつしない、と思った。
「そういうことね。だったら任せるわ。」
リルは、まかされた、と思った。
「任された。」
アテラもリルの真似?をした。
バーを始めるなら、おつまみのメニューを考えなければならない。それから、それに合わせた器も必要だ。勿論酒器も要る。リルはメニュー作りから始めることにした。
と言っても、リルを含め、母娘には飲酒の経験がない。リルは人間だったころの記憶を頼りに、お酒を飲む人を思い出してみた。祖父母と次兄のマルセルスは、年越しの夕餉の時だけ、葡萄酒を飲んでいた。他の家族は、いつ呼び出しがかかるか分からない立場だったので、年越しの夕餉でも飲酒は控えていた。葡萄酒を飲む時、祖父母がアテにしていたのは、魔獣肉の料理だった。ただ、たしかサン=トリユス蒸留所は、ウィスキーの会社である。リルは、ゐすきーには、なにがあうんだろう?と思った。
「何が合うんだろう?」
アテラも、リルの真似?をした。
こういう時は、知っている人から情報を盗むのが、手っ取り早い。その日の営業終了後、リルは、商店街の横町に偵察に出掛けた。来ないよう言い含めたのに、アテラも着いてきた。
横町は、多くの学生や教職員の団体で賑わっていた。その中で、ひっそりと営業しているバーもある。ただ、店の外からどんなメニューを出しているか、見えない。まだ13歳のアテラがいるので、中に入ってメニューを見せてもらうのも難しい。どうしたものか、と考えていたら、閃いた。
「お姉ちゃん、閃いた。何が閃いた?」
リルは、お店の裏手に回って、裏口付近に置かれている食料品店の箱を見た。この箱は、外に出しておくと、朝、食料品店が回収してくれる。それを食材の配達に再利用するのだが、箱には店の名前と、中身を書いたメモ書きが貼ってあるのだ。サヴォルでもこのサービスを利用して、成果材料を仕入れていた。バーの裏口付近にあった箱には、ナッツやチーズと書かれている。どうやら、バーでは、本格的な料理は出さず、乾き物をアテにするらしい。
翌日の休憩時間、リルはアテラを連れて、新刊書店の反省堂に行った。上に、料理と書かれた本棚を探っていると「ウィスキーの嗜み」と「ウィスキーに合うつまみ50選」という本を見つけた。リルは、ここはおさえておこう、と思って「ウィスキーに合うつまみ50選」を買うことにした。定価105オースだったので、会計で、100オース札1枚と、穴の空いた5オース銅貨を支払った。いがいにやすい、とリルは思った。
その晩、翌日の仕込みを終えたリルとアテラは、早速「ウィスキーに合うつまみ50選」に載っている料理を試作してみることにした。作ったのは、ズャガ芋サラダだ。蒸した芋を軽く潰し、塩もみした輪切りのキウリと、茹でたいちょう切りの力カロット、それに、細かく刻んだ兎肉のハムを入れ、マヨネーズで和えて、塩胡椒で味を調えたら出来上がり。リルは、いがいとてまがかかる、と思ったが、アテラは、
「ズャガ芋サラダ、学校の調理実習でも作ったよ。」
と言っている。リルも、いちどにいちにちぶんつくってれいぞうこにいれておけばいいか、と思い、ズャガ芋サラダをメニューに採用することにした。味は、そこそこ美味しかった。
メニューも大体決まったので、今度は器だ。商店街の噂で、王都にある「合羽橋道具街」というところで揃えるのがいい、と聞いたので、サヴォルが定休日の日に行ってみることにした。
乗合魔導車に乗って、王都までは20分ほど。アテラは13歳なので大人料金だった。魔導車が王都に着くと、目的の合羽橋道具街まで向かう。目的地は、王都の平民街にあった。道の両側に、包丁やレードルなどの厨房用品、食器、業務用魔法コンロなど、飲食店に必要な、ありとあらゆる物の専門店がひしめき合っている。酒器だけしか売っていない店まであった。リルは、商店街の入り口にある建物の屋根を見て、おっきいこっくさん、と思った。
「すごーい。おっきいコックさん。」
アテラも同じ物に驚いたようだ。
リルは取りあえず食器の専門店に入ってみた。リルの目に止まったのは、アーリタと書かれた、白い磁器だ。統一感もあるし、余計な装飾がないシンプルなデザインで、使いやすそうだ。食器だけでなく、ティーカップもある。
「お姉ちゃん、これにしようよ。」
アテラも同じ物が気に入ったらしい。リルは、せっかくだから、きっさでもつかえるものもかっていこう、と思って、ティーカップ、ソーサー、小さめの角皿、ボウルを10セットほどまとめて買った。
「お嬢ちゃん、お店でも始めるのかい?」
「・・・ぎょうたいてんかん。」
「もうお店をやってるのか。」
「ママのお店だけどね。」
「じゃあ、お使いか。それにしちゃあ随分な大金を持ってるね。」
「・・・ちいさいからこどもにまちがわれるけど、もうおとな。」
「こりゃ失礼。」
食器店で買い物を済ませた後、酒器の専門店にも寄った。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
「・・・ゐすきーのぐらす。」
「うーん、ウィスキーなら、ショットグラスやロックグラス、それに水割りのグラスもあるけど。」
店主の話を聞いて、リルは、ゐすきーってそんなにのみかたがあるんだ、と思った。
「・・・じゃあ、ぜんぶじっこずつ。」
「たくさん買うね。お店でも始めるのかい?」
「・・・もうやってる。」
「今は喫茶店だけど、夜バーを始めることにしたんだよ。」
「昼が喫茶店で、夜がバーか。まとめてたくさん買ってくれるなら、ちょっとおまけしようか。」
そう言って、店主は算盤を見せた。予算内だったので、
「・・・」
「買う!」
アテラに台詞を取られた。
「毎度。また来てね。」
こうして、リルとアテラは、大量の磁器とグラスを持って、店を出た。予算が余っていたので、調理道具店でポテトマッシャーも買った。それから乗合魔導車で帰宅した。帰って見たら、案の定、エルマは2階のベッドで寝ていた。
翌日。
「あら、リル。ティーカップも新しくしたのね。ちょうど古くなっていたし、いい買い換え時だったわね。」
エルマも、アーリタのティーカップを気に入ってくれたようだ。それから、リルは、サン=トリユスの営業マンの名刺に書かれていた連絡先に連絡した。
「ご連絡ありがとうございます。明日、商品の提案に伺います。」
翌日。営業マンは、5種類のウィスキーを持ってやって来た。
「こちらが一番リーズナブルなトリイ。サン=トリユスのロゴだけの物は、瓶の形から通称角瓶と呼ばれています。ダルマ型の瓶がアルト。それに、我が社の蒸留所の名を冠する、ザキヤマとシラスでございます。飲食店様に人気があるのは、角瓶とザキヤマですね。それぞれ、ストレートでご用意いたしますので、味をご確認下さい。」
営業マンは、紙コップにそれぞれの銘柄のウィスキーを注いだ。リルは、色や香りを比べた後、順番に飲んでいった。
「あの、出さなくてよろしいのですか?」
営業マンは心配しているが、不死なる竜は酒に酔わないのだ。そもそも飲食が必要ない。それはそうと、どれも舌の上でビリビリする。ウィスキー初心者のリルには、味の違いはよく分からなかった。リルは価格表を見ながら、このおじさんのやつがりーずなぶる、と思った。
「この小父さんのやつにする。」
「は。トリイですね。ボトルは何本くらい納品しましょう?」
「・・・しょうみきげん?」
「ウィスキーは度数が高いので、傷まないんですよ。」
「・・・じゃあ、すこしおおめに。」
「10本!」
「はは。トリイを10本納品いたします。そうだ、このポスターは、販促グッズですので、差し上げます。」
営業マンが取り出したポスターには、美人の絵と「ヰスキーがお好きでしょ。」という1文が書かれていた。
リルは、6月から、バーの営業を始めることにし、もらったポスターは、出入り口のドアの横に貼った。目立たない位置だが、喫茶の客にウィスキーがあるか聞かれたら、
「・・・ろくがつから、ばーもやる。」
と答えておいた。
月が変わって、いよいよバーの営業開始。6時までを喫茶の時間にして、1時間の休憩を挟んで7時からバーの営業にした。エルマは宣言通り、今まで通りの時間には、2階に行って寝てしまったので、リルとアテラだけで、バーをやる。大々的に宣伝していなかったので、初日の客は10人ちょっとだったが、こぢんまりした営業でいいと思っていたから、リルは満足だった。
4
学園や大学の前期試験が終わり、そろそろ夏休み期間に入ろうかというころ。朝の散歩を終え、新聞を読んでいたリルの目に、ある記事が止まった。大学王令が改正され、私立の大学も、文部大臣の認可を得れば設置できるようになったそうだ。王令公布の日に、城塞大学、丈夫大学の2校が設置申請を行ったそうだ。リルは、にこうともまもりがかたそうと思った。
さて、バーの営業を始めても、なんだかんだで夏休み期間は暇である。そして、リルの暇つぶしは1つ。読書だ。
と言うことで、いつもの古本屋にリルとアテラは、やって来た。
「そろそろだと思ったぜ。しかし20年以上の付き合いなのに、嬢ちゃんは変わんねえな。」
リルは、たぶんあと100ねんたってもかわらない、と思った。それはともかく、リルはいつも通り無言、無表情で、本の山から面白そうな本を探す。厳選した4冊を会計に持って行った。
「ふむ。『血は破る』と『新劇の巨人』『自滅の刃』に『転生したら異世界生活だった件』か。珍しくライトでポップなチョイスだな。この4冊なら、1冊10オースとして、40オースでいいぜ。」
リルは、さいごのだけなんかまざってる、と思ったが、思いのほか安く買えて、ちょっと嬉しかった。
昼の休憩時間に、リルは早速、買ってきた本を読み始めた。最初に手に取ったのは「自滅の刃」である。隣では、アテラが「暴坊天狗」を読んでいる。リルが読み終わった本だ。アテラはどうしてもリルの真似がしたいらしく、ぬいぐるみ作りも、ミラージュ1体作って、終わってしまった。
「自滅の刃」は、極東植民地の拡大が行われていた時期を舞台にしたフィクションだった。
極東に棲息する魔獣は、西からやって来た人類と、ある意味不幸な出会いをしたため(気になる方は前作「不死なる竜と使い魔の物語」第21話をご覧頂きたい)、人工物、とりわけ魔導従士や魔導車を恐怖しており、見かけたら逃げてしまう。そのため、極東植民地の開拓は、とても順調にいった。
ただ、極東の魔獣にも、生物としての生存本能はあるもので…。
自滅の刃の主人公は、第4次極東植民船団に志願して参加した少年だった。出身は、巨壁山脈東麓地方北部の寒村で、生家は蕎麦の栽培と炭焼きで生計を立てる農奴の家系だった。
寒さが厳しく、作物も余り多く採れない巨壁山脈東麓地方北部でも、第3、第4世代型魔導従士が普及するにつれ、人口増加問題が深刻になっていた。加えて、この地方には、大狼という、群れで人間を襲う、危険な大型肉食魔獣が棲息していた。大狼の縄張りに踏み込まないようにするため、不用意に耕地を広げることができなかったのである。
主人公の少年は、9人兄弟の8番目として生まれた。
「お前んとこさ、ようけ子ども、生まれような。」
「ほっとけ。おらと母ちゃんが仲いい証拠だっぺ。」
少年の住む村の人々は、無駄に子だくさんの家の口減らしをしたがっていた。そんな大人たちの空気を敏感に察知した少年は、義務教育を終えたばかりの末の妹を連れて、植民船団に志願したのだ。
「おら、東の新し村さ、行くだ。そいで、一旗上げっぺ。」
極東植民地の環境は、少年の出身地とは大違いだった。地平線の彼方まで平原が続き、雪も少なく、何より人間を襲う危険な魔獣もいない。入植当時、少年は14歳、妹は12歳だったが、新たな村に土地を貸し与えられ、農耕に集中することができた。主な作物は主食用の麦だったが、野菜を育てることもできた。同時期に入植した人々は仲間意識も強く、パンの焼き方など、いろいろなことを学んだ。
「どこの生まれでも、これからぁ、同じ村の仲間じゃけえのお。」
「左に候。」
ここまで読んで、リルは、わたしたちがおくたににゅうしょくしたころとにてる、と思った。
少年は、野心的で、成人してからは、村の外側へ耕地を広げていった。借りた農地では、植民地総督府に地代を支払わなければならないが、自分で開拓した農地なら、個人財産にすることができたためだ。
「畑さ広げて、お前にも綺麗なべべきせてやっぺ。」
「あんちゃん、頑張っぺ。」
それから少年は、身を守るため、我流ではあるが、剣術の稽古にも取り組んだ。
「おとなしいても、魔獣さ居んわけじゃねっぺ。村は、おらたちで守らな。」
オストニアには義務教育制度があるから、成人で武器の扱いに全く心得のないものはいない。当時極東植民地に駐留していた、魔の森方面軍は、余りやる気がなく、戦力的にも広大な極東植民地をカバーするには中途半端だったので、極東の村人は、自主的に剣の稽古をする者が多かったのである。
ここまで読んで、リルは、おくたのちゅうざいさんもやるきなかった、と思った。
ある日、新しい土地の開墾に取り組んでいた少年は、鼠の様な姿の小型魔獣を見つけた。
「こない小さい魔獣さ、おらの剣で追い払ってやっぺ。」
少年は、腰に差していた剣を抜き、魔獣を追った。魔獣が逃げたところで引き返せばよかったのだが、血気に早る少年は、
「あん魔獣、巣ごと退治すっぺ。」
と魔獣を追いかけて、未開拓の土地をずんずん進んでいってしまった。
進んだ先で、魔獣の巣を見つけた少年は、
「もう逃げれんぺ。覚悟。」
と魔獣に挑んだが、魔獣の巣には、生まれたばかりの子どもがいた。退くという選択肢を失った魔獣は、反転し、少年に襲いかかったのである。勿論、巣にいる子どもを守るためだ。
魔獣が襲いかかって来ることを予期していなかった少年は、魔獣の前歯による攻撃を、右腕にまともに受けてしまった。
「こいつ、小癪な。」
少年は、何とか魔獣を振りほどこうとするが、魔獣の前歯は少年の右腕に深々と刺さって抜けそうもない、そのうち出血が広がり、少年は弱っていった。魔獣はここぞとばかりに、少年の後ろに回り込み、脊髄を噛み砕いて、少年の息の根を止めた。
その後、行方知れずになった少年を村から離れた場所で、村人が発見した時には、少年の死体はすでに白骨化していた。少年の帰りを信じて待ち続けた妹は、その報せを聞いて絶望し、自殺してしまった。
「自滅の刃」を読み終わったリルは、きゅうそひとをかみころす、と思った。この本を、ライトでポップと評した古書店主はただ者ではない。
夏休み期間があけ、学園前商店街に賑わいが戻ってきた。そうなると、昼は喫茶店、夜はバーと、サヴォルは大忙しである。特に夜のバー営業は、リルとアテラの2人で回しているので、大変だ。好評だったズャガ芋サラダだが、季節毎に手に入る食材が変わるので、レギュラーメニューにはせず、毎日食材を卸してくれる店と相談して、日替わりで一品料理を出すことにした。調理するのは、アテラの仕事だ。このころになると、アテラもようやく少しの時間だけなら姉離れできるようになり、喫茶の営業中に、その日の一品料理を、バーの営業中には、翌日の茶菓子の仕込みをするようになった。
アテラの料理は好評で、どうやら、大学で噂になっているらしい。7時の、バーの開店時間になると、不健康そうなもやし体型の大学生の集団が、何組もやって来て、すぐに席が埋まってしまう。彼らは決まって、
「水割りと、日替わりおつまみ。」
と、注文するのだ。大学生の客が、ひとしきり騒いで、退店した後、その時間を狙った様に、年かさの客が訪れる。多分、学園や大学の教職員だろう。彼らは大抵お一人様だ。ロックに山羊のチーズやドライソーセージを頼む。そして、
「嬢ちゃんたちにはまだ分からんだろうが、大人には酒と一緒に流してしまいたいこともあるのさ。」
などと、格好付けるのである。リルは、このひとたちよりわたしのほうがながくいきてる、と思うだけだ。
5
秋が深まりそろそろ厳しい冬の気配がし始めたころ。喫茶営業を終了し、バーの開店準備をしていた時に、エルマが、
「リル。ちょっとこっちへ来て。」
と、リルを呼んだ。呼ばれていないが、アテラも着いてきた。リルは、なんだろう?と思った。
「今日から少しずつ、経営のことを教えていくわ。」
エルマが切り出した。リルは、なんで?と思った。
「あなたにこのお店を継いでもらわないと行けないでしょ。」
エルマの言葉に、リルは今まで目を背けてきたことを、とうとう先送りできない時が来たことを、痛感した。アテラが生まれる直前のことだ。エルマが「私が私でいられる時間はもう僅かしかない」と言ったのは。リルは、おみせをついだら、ままはどうなるの?と思った。
「安心して。前にも言ったけど、私はあなたとずっと一緒よ。少し形は変わってしまうけど。」
リルは、いままでままのいうとおりでうまくいった、こんかいもままのいうとおりでいい、と思った。
「リルは素直ないい子。はい。これを見て。」
エルマから差し出されたのは、手書きのノートだった。活字のように綺麗な字は、エルマが書いた証拠だ。中には、エルマが今は亡きマスターから教わった、サヴォルの経営に関する、あれやこれやが書かれていた。
「分からないことがあったらこのノートを見て。じゃあ、今日の売上金と、伝票が合っているか、確認しましょう。」
それから1週間ほど掛けて、エルマは、経理や仕入れ、納税など、サヴォルの経営に必要なことを、少しずつリルに伝えていった。リルは、バーの経営をすでに担っていたから、経営の勉強は、すんなり行った。
エルマから、サヴォルの経営のあれこれを伝授された翌朝、リルは散歩しながら、考え事をしていた。夜中までバーの営業をしている今も、リルは早起きで、日課の散歩も欠かさない。
リルが「人化」の魔法で人間に化けてまで、表の世界に戻ってきた理由は、魔界での暮らしが退屈だった、というだけではない。むしろそれは副次的な理由で、1番はエルマのためだ。リルは、退屈な暮らしが、不死なる竜の精神を蝕み、理性を捨てさせる要因になっていたと考えたのだ。表の世界での暮らしは、変化に富んでいる。少なくとも、魔界の、不死なる竜の聖域で、寝て過ごすだけよりも楽しいだろう。刺激に満ちた毎日を送れば、無限の生苦に耐えられる時間も少しは長くなるのではないか。エルマが、どれだけの時間を生きてきたのかは、リルにも分からないが、エルマがエルマでいられる時間、リルとエルマが一緒に過ごせる時間も、もうちょっと長くできるのではないか、そんな希望が、リルの中にあった。それが、エルマを連れて、表の世界に舞い戻った理由である。
エルマが、あとどのくらい、理性を保てるかは分からない。その時間が、リルの努力によって少しでも延びているかも、たらればの話で、考えても仕方ないことだ。ただ、リルは、エルマに、表の世界に来て良かったと思って欲しい。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ママ、今、とっても楽しそうだよ。」
散歩に着いてきていたアテラは、そう言ってくれた。
その時は間近に迫っている。エルマはそう感じているのだろう。ある日の営業中、最後の仕上げとして、リルをカウンターの中に呼んだ。昼過ぎのちょうど客がいない時間だった。
「リル、紅茶を淹れてみて。」
リルは、それこそエルマが亡きマスターから紅茶の淹れ方を伝授された時から、エルマのことを観察している。何も教わらなくても、エルマがしている通りに、紅茶を淹れることができた。
「いい香り。色もバッチリね。後は味だけど…合格。」
エルマから合格をもらった。これがエルマから教わる最後のことだろう。
「これで、いつ私がいなくなっても、このお店を残せるわね。」
褒められたことは嬉しいが、できればエルマからこの言葉を聞きたくはなかった。
6
それ以来、リルは、漠然とその日が来るのではないかという不安を抱えながら、毎日を過ごすことになった。
年が明けて西方歴3004年春。毎朝の散歩をしていたリルは、小さな異変に気付いた。こちらを監視している者がいる。それも2人。リルたちがエカテリンブルで暮らす条件として、チーム・マゼンダの常時監視下に置かれることは、了解済みである。今までも、常に1人は、マゼンダの調査員が、リルたちを監視していたが、2人に増えてる。気配の消し方など、共通するところが多いので、マゼンダが人員を増やしたのだろう。ただ、このタイミングでマゼンダが動く理由に、見当が付かない。リルの知らないところで、何か起きているのだろうか。
「お姉ちゃん、マゼンダって何。」
リルは、それはないしょ、と思った。
「分かった。内緒にする。」
アテラは、リルに対してはいつも素直だ。
その日の夜。リルは、バーの営業を終え、アテラを寝かしつけた後、魔法で「門」を開いて、そこに来た。スベルドロ砦の地下格納庫、そこに隣接する隠し部屋である。
「むにゃ。お姉ちゃん、ここどこ?」
突然声が聞こえたので、驚いたが、寝かしつけたはずのアテラが着いてきていた。リルは、これからすることを考えて、まあ、あてらにはみせてもいいか、と思い、アテラには、すべるどろとりでのちかそうこのかくしべや、と教えた。
「スベルドロ砦って、あの象さんが乗ってる砦だよね。その地下?」
リルは、寝ぼけても言語明瞭なアテラを余所に、隠し部屋の扉が開けられた形跡がないことを確認した。そして、この場所に眠る物も。
「これって、お姉ちゃんの魔導従士だよね。」
この隠し部屋に封印されているのは、リル専用の魔導従士ドラゴン・サーヴァントだ。リルは、あてら、あぶないからはなれてみてて、と思って、アテラを安全な距離に移動させた。
「分かった。いい子にしてる。」
リルは、ドラゴン・サーヴァントの前に立つと、精神を集中させた。リルの脳とドラゴン・サーヴァントの魔導演算器が繋がる。これで、ドラゴン・サーヴァントは、リルの体の一部になった。それから、リルは、わたしのなかに、と命じる。すると、ドラゴン・サーヴァントから、黒い魔力が吹き出し、リルの中に流れ込んだ。
「何?何が起こるの?」
アテラは慌てているが、そちらを気にする余裕はない。リルは、目の前の作業に集中する。魔力の吹き出しとともに、ドラゴン・サーヴァントは見る見る小さくなって行く。人間大に、小型魔獣サイズに、そしてリルの小指の先くらいまで小さくしたところで、リルは魔力の噴出を止めた。その間に流れ出た魔力は全て、リルの黒い血液の中に取り込むことができた。
「ちっちゃくなっちゃった。」
リルは、小指の先くらいまで小さくしたドラゴン・サーヴァントを拾い上げる。そして、それをゴクンと飲み込んでしまった。
「食べちゃって大丈夫?」
アテラは心配しているが、リルは、ドラゴン・サーヴァントを食べたのではなく、体の中に隠したのだ。ここがいちばんあんぜんなかくしばしょ、とリルは思った。
「確かに。お姉ちゃんの体の中に魔導従士が隠れてるなんて、思わない。」
リルは、まぜんだがなにをしらべてるかわからない、ここにたどりつかれたらこまるから、かくしばしょをかえることにした、と思った。
「転ばぬ先の杖だね。」
リルは、ようじはすんだ、かえる、と思った。
「うん。帰ってお休みしよう。」
リルは「門」を開き、アテラを連れて寝室に戻った。
翌日以降も、チーム・マゼンダは2人体制で、サヴォルの周辺を調査していた。敵意は感じないから純粋な調査なのだろう。リルたちにすれば(気付いているのはリルだけだが)、何の目的で周囲を嗅ぎ回られているのか分からないのは気持ちが悪い。別に後ろ暗いことはしていないし、オストニアと今更敵対する理由もないのだが。
そんなある日。昼時に、妙に存在感の薄い客が入って来た。リルは、まぜんだがしょうめんからうちにはいってくるのはひさしぶり、と思った。
「前にも来たことあるの?」
アテラが小声で尋ねてきたが、リルは、しー、と思って、アテラにいつも通り、可能な限り自然に振る舞わせた。それにしても、一般客に紛れ込む不自然さのない振る舞いや、いかにも普通の人の様に気配を消さないで、しかしそれとなく周囲に気を配る技術は、見事である。数々の修羅場をくぐった騎士だったリルだからこそ、気付けたのであって、他の人(リルはすでに人ではないが)では、見逃していただろう。男はメニューを見て紅茶と茶菓子のセットを注文すると、新聞を読みながら、時折厨房の中を伺っていた。
また別の日。今度は、バー営業の時間に、マゼンダの調査員が現れた。大学生の団体の波が去った後、年齢層高めの客が多い時間である。男は、カウンター席に座り、ロックと山羊のチーズを注文した。この時間帯の客はお一人様が多く、皆言葉少なにグラスを傾けている。その中に自然に溶け込みながら、時折厨房の中を伺うのだ。その瞬間だけ、特別な訓練を受けた調査員の顔が覗く。リルは、あのめはかたぎじゃない、と思ったが、努めて自然に振る舞った。アテラが小声で、
「お姉ちゃん、堅気じゃないって、結局どういう意味?」
と聞いてきたので、くろうとのたとえ、と返しておいた。
1ヶ月ほど、マゼンダによる謎の調査が続いたが、その間何事もなく、いつの間にか、1人体制に戻っていた。リルは、けっきょくなにをしらべてたんだろう、と思った。
「お姉ちゃんの若さの秘訣とか。」
アテラは脳天気なことを言っているが、多分違うだろう。
7
夏の気配が少しずつ感じられる6月。バーの営業を始めて1年になるタイミングで、サン=トリユスの営業マンがやって来た。
「1周年おめでとうございます。粗品ですが、記念にお納め下さい。」
記念品は、陶器製の人形だった。トリイの瓶に描かれている小父さんを象ったものだ。人形の底をひっくり返して見てみると、小父さんは、トリイ叔父さんという名前らしい。リルは、それならおいかめいがいる、と思った。
「ところで、バーの営業は好調でしょうか?何か、弊社にお力になれることはございませんか?」
リルは、このひと、とおまわしにもっとたかいめいがらをしいれろっていってる、と思った。
「好調だよ。お客さんもトリイ、美味しいって。」
「左様ですか。トリイ以外の銘柄もご入り用でしたら、遠慮なく申しつけ下さい。」
リルは、えんりょはしてない、と思った。
「遠慮してないよ。お客さんはトリイ、美味しいって。」
「弊社製品をお褒め頂きありがとうございます。それでは私めはこれにて。」
脈なしと判断したのか、営業マンは去って行った。実際、バーの売り上げは順調で、利益もちゃんと出ている。ただ好調の要因は、主に金のない大学生たちが、安く酔える店と噂していることと、アテラが作る日替わりおつまみが値段の割に美味しいことである。
ある日。朝の散歩を終え、サヴォルの2階のダイニングでリルが新聞を広げていると、無視できない記事が目に止まった。アテラはいつも通り、リルの隣で、新聞を覗いている。現国王であるドラク2世が、王太子ヒュドラゥス・オストニウスに譲位するというのである。譲位の時期は、翌年の4月1日とする方向で話が進められているらしい。絶対主義のオストニアでは、国王の譲位は、政策の大きな転換点になることも少なくない。次期国王が、現国王の様に、不死なる竜であるリルたち母娘に寛容な態度を取るとは限らない。リルは、これはちゅういがひつよう、と思った。
「お姉ちゃん、王様が変わるのって、そんなに大変なことなの?」
リルは、たいへんなことになるばあいもある、と思った。リルは、オクタで暮らしていたころ、甥のトーマトゥスたちと連絡が取れなくなった時のことを思い出していた。
例年通り暇な夏休みのあと、学園と大学の秋学期が始まると、商店街は再び活気を取り戻す。サヴォルも、喫茶、バーともに順調だったが、リルには、エルマが厨房の中で、立ったまま居眠りする機会が増えたことが気がかりだった。
「ママ、今日も眠そうだね。」
アテラも心配そうだ。リルは、まま、つらいならやすんでいい、しごとはわたしがやる、と思った。
「あら、また寝てたのね。ごめんなさい、リル、アテラ。心配掛けて。」
リルは、まま、むりしちゃだめ、と思った。
「ありがとう、リル。でも、このカウンターに立つことが、今の私の生きがいなの。」
リルは、だったら、せめてきっさえいぎょうしゅうりょうごのさぎょうはわたしがかわりに、と思った。
「そうね。じゃあ、そこだけは、リルに甘えるわ。」
結局、妥協点として、レジ締めや仕入れ作業など、営業時間外にやる仕事は、リルが引き継ぐことになった。リルとしては、どうしても、その時の訪れを意識せざるを得ない。リルは、何にということではないが、エルマとアテラと3人の時間、家族の時間が少しでも続いて欲しいと、祈らずにはいられなかった。
エルマの不調は続いていたが、サヴォル自体の営業は順調で、季節も秋から冬へと進んでいく。リルは、1日1日と、家族の時間が続いていることに、祖先の霊に感謝した。残念ながら、アウレリウス家代々の遺骨を納めた骨壺は、エカテリンブルの地下納骨堂から、おそらくカメンスクに移されているので、お参りには行けない。そうして、年末の仕事納めを迎えることができた。年末年始の休暇は、エルマの体調のこともあるので、例年通り寝て過ごすことにした。
明けて西方歴3005年。リルにとっては、人間から不死なる竜に生まれ変わった時に匹敵する転機が訪れる。
〈第4章完〉




