第50話 バレンタイン・ラプソディ② 何よ修吾の癖に!
其の現場を、正太郎と祐子が目撃したのは全くの偶然からであった。偶々、遭遇しただけに過ぎない局面ではあった。然し、彼らの此れ迄の行き掛かりから、他人の振りをするには余りにも義理人情を欠いており、とても見過ごす訳には行かなかったのである。抑々の事の発端は、正太郎が合唱部の女子達に呼び出された処から始まる。此の処の正太郎の不審な挙動、即ち怪しい動きの余波であろうか、正太郎はメールに因って合唱部の部長から呼び出されたのである。
合唱部。其れは瑰麗の美少女部長、森藤順子が仕切る男子禁制の女人の園であり、其の様な部活が正太郎に何の用かと、聊か祐子も訝ったのでもあるが、女性の嗅覚とも謂うべきか、正太郎による此の処の一連の動きと無関係では無いと見定め、正太郎に同行したい旨を申し出たのである。何処か控えめで遠慮がちな、いつもの祐子らしからぬ挙動と謂っても過言では無かった。だが、祐子にしても正太郎の公然の彼女であると謂う自負と矜持がある。其れに此処で自己主張を躊躇して、中三の頃の二の舞を演じていては、全く洒落にならない。何しろ、今日は2月14日なのである。或る意味、一年のうちで最も危険な日でもあるのだ。正太郎も祐子が付いて来る事を許可した。此れも彼なりの、祐子に対する謝罪を含んでいるのであろう。正太郎自身、如何なる理由があろうと此処数日の間、祐子を焦燥させていたとの自覚は持っていた。其れに、正太郎の経験則から謂っても、祐子の心配する様な事は、微塵も起こるまいと多寡を括っていた事もあり、祐子の同行を割りと気軽に、OKしたのである。
扨、二人が合唱部の練習場である音楽室についてみたところ、予想に違わず、合唱部の部員達から、大いに歓待を受けた。彼女たちは此の2週間お手伝いをしてくれた御礼との事で、時節柄、チョコレートやクッキーをくれたのである。尤も、彼女達とて馬鹿ではない。同行して来た祐子の意味には、当然気が付いたのであろうし、何よりも、部長である森藤が、
「高野君と其の奥様である1年の山本さんでーす」
と、部員達に釘を刺す意味も含めて、多少おどけて紹介した為に、祐子ともども歓待を受ける羽目になったのである。
「高野君、いろいろありがとねー」
「わーショック! こんな、かわいい彼女が居たんだ」
「山本さんも食べてってね」
「祐子ちゃん。此処ん処、正太郎君を借りちゃってごめんなさい」
こんなコメントだけかと思えば、中には、
「高野くーん。山本さんに振られたら、またいつでも遊びに来てね」
と、中々際どいコメントをする猛者までもが現れる。祐子としても、内心、穏やかで無いのは勿論なのであるが、あくまでも際どい冗談の心算なのであろう。ただ彼女達も、正太郎の何についてのお礼かと謂う点については、頗る口が堅い。彼が合唱部に対して何の手伝いをしたかについては、皆、一様に口を閉ざしてしまっている。合唱部に行けば正太郎の挙動の謎がある程度、氷解するものと思っていた祐子にとって、少々宛が外れたと謂っていいだろう。恐らく部員達には何らかの緘口令が敷かれていたのは明白であった。とは謂え、此れで正太郎が何らかの軛から解放された事は間違いなかった。そして其の確信を得た祐子は、頗る上機嫌と謂っても過言では無かった。彼らは合唱部を辞して、部室に戻ろうかとも思案していた。普段であれば、活動後も部室で暫くは蝟集して、四方山話などに興じているボストンティーパーティーのメンバーである。然し、今日は何と謂っても2月14日である。メンバーの全員が番となっている状況にあって、何時までも部室で油を売っている物とも思われない。二人は相談の上、前店に寄ってジュースでも飲んだ後、もう一度部室に寄ってみようと謂う事に相成った。
扨、二人が下駄箱の前の入口を出たところである。事件はグランドで起こっていた。
二人が学生用玄関を出た処で、血相を変えた女生徒が、グランドの外れから、此方に走ってくるのを認めた。血相を変えたと謂うのは聊か表現に語弊がある。彼女は明らかに号泣し乍ら走っていたのである。正太郎、祐子、共に、其の女生徒が誰であるかは瞬時に認識した。彼らは子供の時分からの付き合いである。判らない方が如何かしている。のみならず、何が起きたのかも、二人は一瞬の内に理解した。其のきっかけは、恐らくは年末の山梨旅行であろう。泣き乍ら走って来ている女生徒はヤスベエである。彼女は、いつも何処か飄々と世間を斜め上から俯瞰して生きている様な処があり(其の点は正太郎とも極めて似ているとも謂えた)、此の様に取り乱した姿は人前で見せる事は、抑々、彼女の父の件以外では記憶に無かった。ヤスベエも玄関前に佇む正太郎と祐子を認めた瞬間に、
「あっ」
と謂う、小さな叫び声を発すると、くるりと90度向きを変え、自転車置き場の方向へと、一目散に走って行ったのである。彼女も其の端ない姿を幼馴染達に見られたくなかったに相違ない。一瞬、顔を見合わせる正太郎と祐子。然し次の瞬間、祐子は慌ててヤスベエの後を追い掛け始めたのである。
「待って。康代ちゃん」
正太郎は其処に残され乍らも、祐子の気持ちも良く判った。そして、何が起きたのか頭の中で整理し始めた。舞台はグランドの外れである。状況から鑑みるに、恐らく、ヤスベエが一平にチョコを渡そうとしたのであろう。ヤスベエは此れ迄も毎年、義理チョコと称して一平にチョコを渡していた。故に一平にチョコを渡す行為自体、然程、不自然で特別な行為ではあるまい。
だが。
恐らく、一平は今年に限っては、其の受け取りを拒絶したのであろう。義理堅い一平の事である。其の理由も自ずから明白である。いや、正太郎ばかりでは無い。ヤスベエにも其の理由は薄々、感づいていた筈である。ヤスベエは都合が合わず、件の山梨旅行には参加していなかった。然し、此の情報通の少女の事である。一平の心の動きを、ある程度把握していたのかもしれない。或いは新年会の時に、何気ない場の気配や雰囲気から、自身の甘受すべきを運命を覚悟していたのかもしれない。正太郎はそう断じた。正太郎は深い溜息を吐きつつ、頓て何処かへとメールを始めた。
其の頃、グランドを均し乍ら、六助が一平に重たい口を開いていた。其の口調には何処か批判的な色彩を帯びていたのは、間違い無かった。
「なあ、何も彼処迄、徹底して拒絶しなくても良かったんじゃあ無いか…?」
「…」
「流石に、知らない間柄じゃあないんだ。あれじゃあ、いくらなんでもヤスが可愛そうだろ」
「…だったら、他に遣り様があったか?」
「其れはそうかもしれないけど…」
一平は、今年のバレンタインに於いて全ての義理チョコを拒絶した。不器用な迄の徹底振りである。今年初めて一平に挑戦しようとした子達の衝撃は然程でも無いかもしれない。彼が禁欲的な男だと認識し、其れだけに留まるであろう。然し、毎年義理チョコを渡し続けていたヤスベエにとっては、意味合いが少し違って来る。其れは、今年は受け取れない理由が出来たからと謂う解釈に他ならない。ある意味、ヤスベエにとっては、受け入れがたい運命の強要であり、其れは余命宣告とも同義なのである。六助は思う。
(もう少し器用に生きても良いんじゃあないのか?)
だが、そう思う六助とて、決して器用な方ではない。二人には判っている。此れも良くも悪くも、青春の蹉跌の一つなのであると。話の継ぎ穂を失い、黙り込んだ六助と一平は、手持ち無沙汰に再びトンボでグランドを均し始めた。
其の頃、正太郎が送ったメールの相手が鬼の形相で清水高校へ全速力で向っていた。メールを受けたときには、彼もまた、グランド整備中であった。然し、メールを見るや否や、其の男は同級生に事情を話し、説得(或いは強要し)早めに部活を切り上げ、清水高校に乗り込まんとしている。彼の襲撃を眼前で受けた不運な男は、サッカー部主将白坂守である。彼は部活動の部長会が終わり部室に向っている最中であった。何とか例年並みの予算確保は出来たが、色々と注文をつけられた。実に世知辛い世の中である。
(全くついてねえ。主将なんて態の良い使い走りだ。引き受けるもんじゃあねえな)
そう思わざるを得ない。清水高校サッカー部の主将は代々上級生部員たちの指名により決定される。岡中で生徒会長を勤め、砕けている様で何処か生真面目な白坂に、白羽の矢がぶっ刺さったのも、無理は無い。満場一致で次期主将に任命された。白坂にしてみれば、実に有難迷惑な話でもあった。そんな白坂が一瞬、慄然として、たじろいだ。
(なんだ?)
サッカー部の部室のそう遠く無い処に、見慣れない巨漢が佇立している。身長2mはあろうかと謂う大男である。
(あのジャージは確か梅高だが?)
白坂はおずおずと尋ねてみる。
「何か、サッカー部に御用ですか?」
其の大男はぎょろりと白坂を睥睨する。
「…」
「若し、御用がなければ…」
話を遮って、大男が一言、吠えた。
「一平に用がある。野郎を此処に連れて来い」
「なっ」
「奴に、梅高のゴリラが挨拶に来たと伝えろ」
想像より1オクターブは低い、押し殺した様な響きだが、抗い難いオーラで包まれ、威圧的で凄まじい剣幕である。2mもの巨漢が腕組みの儘、微動だにしない。白坂は何とか尋ね返す。
「…一体、何の御用です」
自らゴリラと名乗った漢は、遂に切れた。
「四の五の謂わずに、とっとと連れて来い。一年坊」
白坂は完全に気圧された。気がついたら、部室に向って走っていた。
(くそっ、俺の方が先輩なのに)
白坂には其の大男に見覚えがあった。中学時代に県代表の合宿に参加した際、DFの傍若無人で乱暴な男だ。其の男は常に先発であり、白坂とは対極の立ち位置にいた。彼は其の時思った。
(俺とは物が違うな)
全てに於いてである。技術も精神性もあらゆる点に於いてである。だが、傍若無人な見かけとは裏腹に、守備は頭脳的で、緻密其の物だった。名前は確か岩井修吾。そうだ、六助や一平と同級生だった筈だ。
部室に戻った白坂は、其処で一平と六助を見つけると、たった今の件を話した。
「おい、何か表に梅高の一年が、凄まじい形相でお前に用があると…」
一平と六助は思わず顔を見合わせた。
「修吾だ…」
六助が呻く様に呟く。
「だが、何で…」
知ったのだろう?
言葉の後には其の言葉が省略されていた。
「…正太だろう」
一平が呟いた。そして暫し、間を擱くと、
「彼奴ら仲が良かったからな…」
と続けた。一平は思い出した。先程の一幕の際に、昇降口の辺りに正太郎と祐子が居た事を。一平は立ち上がると、徐に白坂に告げた。何か牛が反芻する様な、愚鈍な物腰である。
「自分が行って来ます」
「おい、ちょっと待て。俺が望月に連絡するわ。奴に来て貰おう…」
白坂は其処で梅高の主将の名前を持ち出した。望月なら多少の面識がある。頼めば来てくれるであろう。猛り狂った後輩を諌めてくれるかもしれない。何れに、こんな下らない騒ぎで両校出場停止になる様な事態はなんとしても避けたかった。六助が呟く。
「いや、多分、大丈夫でしょ。修吾は其処迄馬鹿じゃあ無い。愈々となったら、自分が止めに入ります」
「一平!」
厳冬期の頻闇が迫る中、まず、修吾が吠えた。
「テメエ、何故…、ヤスを泣かせた!」
「…」
「手前だってヤスの気持ち位、気がついていただろう…」
「…ああ」
「だったら何故だ!」
修吾は吠える。
「なら、受け取ればおまえは満足だったのか?」
「そんなこたあ、謂っちゃあいねえ。だが、おめえはヤスを泣かせた。そして…、其れが全てだ」
其処で修吾は言葉を切る。
「今迄、ヤスを泣かせた奴を俺が如何して来たか、お前は、知っている筈だな?」
「…ああ」
再び、修吾が吠えた。
「本来なら、此の場で貴様をぶちのめしてやる処だが…。いいか?一平忘れるな!次にうちと当った時が手前の命日だ。首を洗って、楽しみに待っていろ!」
其処迄謂うと修吾は、くるりと踵を返し、静かに去って行った。
「行っちまったぞ、おい」
其の様子を物陰で見ていた白坂が呆れる。
「だから、心配無いって謂ったっしょ」
六助が今更乍ら請合う。
「馬鹿野郎。そんな事が判るか?普通に考えても、如何見ても暴力沙汰は必至だったろうが…、抑々、おめえら、あのゴリラに、一体何を仕出かした?」
白坂もよもや、バレンタインのチョコレートが、事の発端だとは夢にも思わなかったが、白坂は溜息混じりに安堵した。
其の頃、康代は祐子の家にいた。当たり前の話ではあるが、矢張り、いつもの康代と違い、聊か元気が無い。其れでも康代の中でも急速に整理をつけて行ったのであろう。多少の冗談も出る様にはなっていた。ヤスベエはいつもの飄々とした少女に戻りつつある。ヤスベエの家は、昭和の昔、清水保健所があった辺りの西側にあたる。昔、合板会社の専用軌道の橋、通称トロッコ橋が架かっていた辺りの東側に位置する木造アパートである。此の辺りは、其の昔、貯木場があり、巴川の氾濫の名残の三日月湖や沼を埋め立てた様な処であり、余り上品な住宅地とは謂えぬ地域であった(尤も、其れを謂い出せば祐子や正太郎の住む地域も其れに該当するのではあるが)。ヤスベエのアパートの西側は土建屋の資材置き場となっており、所謂、空き地であった。空き地を挟んで反対側には土建屋の自宅があり、良く其の場所で土建屋の三男坊がサッカーの練習をしていた。岩井修吾である。修吾にとって康代はいつだって見上げれば、其処に居た。読書が好きな康代は、2階建てのアパートの西向きの部屋で机に向って読書をするのが常だった。木造2階建ての安アパートではあったが、修吾にとって康代は、文字通り深窓の佳人であったのだ。
扨、其の日の21時頃、祐子はヤスベエを家迄送って行った。もう、危険は無い。ヤスベエに何時もの様な、多少皮相的な笑顔が、其のそばかすだらけの顔に戻った。普段よりも言葉少なであったが、紛れも無くいつものヤスベエであった。川沿いの道を冬の銀河を仰ぎ乍ら、とぼとぼと歩く二人の少女。ヤスベエのアパートの傍まで来た其の時、ヤスベエの家の前の空き地から、俄かに音が聞こえた。
ポーン、ボン、バシン。
ボールの弾む音である。ヤスベエにとって、懐かしくも多少不快な、散々、聞き慣れた音であった。また、向いの土建屋の息子が壁相手にボールを蹴っているのだろう。ボールの蹴り手は気配に気がつくと笑顔を向けた。ホッとした様な子供の其れだった。
「やあ、祐子ちゃん。久し振り」
其の土建屋の息子が祐子に声を掛けた。祐子も笑顔を返す。
「修ちゃん。お久しぶり。じゃあ、修ちゃん。あとは宜しくね」
そう謂うと祐子は辞して行った。
「祐子、いろいろ、ありがとね」
祐子は其れに手を挙げて応えていた。
「おいコラ、不良娘」
突然、修吾が呼び掛けた。
「一体、何時だと思ってんだ。あんまし、親に心配を掛けるんじゃねえ」
康代は小さく肩を聳やかし、真っ向から反発した。
「何よ、修吾の癖に」
此の返しは、いつものヤスベエの返しであった。ヤスベエが無分別で乱暴者の修吾を諌める際の口癖である。
「母ちゃんや、蒼や紅が心配している。兎に角、まずは、荷物を置いて来い。其の後、…少し話がある。其れ迄、俺は此処にいる」
修吾が少し口篭り乍らも、決然と謂った。
修吾は無分別な乱暴者ではあったが、無頓着では無かった。一見、粗雑な様に見えて、其の実、頗る繊細な男であった。そして、誰よりも優しい。其の昔、正太郎がサッカー部で苦労していた時にも、いつも影になり日向になり、正太郎をサポートしていた。そんなお節介焼きの男でもあった。今日、正太郎がヤスベエの窮状を認めて、修吾に連絡をすると謂う余計な世話を焼いたのも、子供の頃に修吾に受けた、細やかな恩義のお礼かもしれなかった。ヤスベエが約束どおり表に出て来た。流石に制服を着替えて、上下ジャージ姿で何処かモジモジしている。そうだ、ヤスベエには判っていた。ヤスベエが帰宅する時には、恐らく、此の乱暴者が空き地でボールを蹴っているであろう事は。例え、其れが何時であっても。
(いつだってそうだった。学校で喧嘩した時も、父さんが逝った時も)
「何よ話って」
「…」
此の男とて器用な方ではない。話すべき事など有ろう筈が無い事に、率爾として気がついたのであった。たった一つを除いては。だが、此の男は其のたった一つの言葉を、逡巡の果てに謂ってのけた。
「俺はお前の事が好きだ。子供の頃からずっと…」
「何よ、修吾の癖に」
「…」
修吾は此れには応えなかった。子供の頃から何度と無く聞かされた此のフレーズは、何故か今日は不思議と居心地が良かった。ヤスベエはモジモジし乍ら、徐に語り出した。
「あたしね。今日、一平に振られちゃったんだよ」
暫しの間を擱くと、修吾が愚鈍にもモゴモゴと口の中で呟いた。
「知ってる」
「何で」
「正太に聞いた…」
「そう…」
沈黙が続いた。
「其れでも、先刻の言葉謂うの?」
「…ああ」
「本当にぶれないんだね」
ヤスベエは暫しの間を擱くと、溜息混じりに呟いた。
「あーあ、あたしも、ぶれなかったんだけどな…」
「…知ってる」
言葉の無い無為な時間が経過した。時刻にして22時を回っている。ヤスベエは昼から何も食べていない自分を思い出した。然し天の配剤か、偶々不要になったチョコがあった。
「そうだ。修吾。一平にあげそっけた此れ、二人で食べちゃおうか?」
「…良いのか?」
「良いの、良いの。あたしにはもう無用のものだから…」
何か含羞んだ様な笑みを浮かべる修吾、だが、ヤスベエの瞳が潤んでいる事に気がついた。然し、其の表情は直に消え、少しいたずらっ子の様な顔付きになると、彼女は透かさず釘を刺す。
「あっ、でも、此れあくまでも義理チョコだからね。間違えないでね」
「ああ、知ってるよ」
だが、流石の修吾も気がついている。康代は着替えてきているのだ。此の場で食べる気が無ければ、こんな処にチョコレートなど持って来る筈が無いのだ。
(さようなら。私の初恋)
二人してチョコを口にした。途端、二人とも少し、ケホケホと噎せ始めた。
「おい、ヤス。おめえ此の中に何を入れた?」
「えっ、…お酒を少々」
「酒は判ってらあ。一体、何を入れたんだ?」
「父さんの好きだった芋焼酎」
「あのなあ。或る意味、一平に渡さなくて正解だったぜ。被害者が俺だけで済んだんだ。感謝しろよ」
「何よ、修吾の癖に!」
ヤスベエがそう叫んだ時、修吾が再び先刻の台詞を口にした。
「だが、そんなヤスが、大好きだ」
「何よ、修吾の癖に…」
頓て二人の唇は重なった。〽幼馴染の想い出は青い檸檬の味がする。高山康代ことヤスベエのファーストキスの味は、甘いチョコレートの香りと強烈な芋焼酎の香りに、少々、塩味が効いた味わいだった事は間違いなかった。
バレンタイン・ラプソディのラストエピソード。年に一度のバレンタインデーに踏んだり蹴ったりの少女と少年のお話。バレンタインデーの夜の壮絶なばばぬきの結果、jokerを手にしたのは? 次回、『第51話 バレンタイン・ラプソディ③ 此処では、やるな。』お楽しみに。




