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第50話 バレンタイン・ラプソディ② 何よ修吾の癖に!

 ()の現場を、正太郎と祐子(ふたり)が目撃したのは(まった)くの偶然(ぐうぜん)からであった。偶々(たまたま)遭遇(そうぐう)しただけに過ぎない局面(きょくめん)ではあった。(しか)し、彼らの()(まで)の行き掛かりから、(ほか)人の振りをするには(あま)りにも義理人情を欠いており、とても見過ごす訳には行かなかったのである。抑々(そもそも)の事の発端(ほったん)は、正太郎が合唱部の女子達に呼び出された(ところ)から始まる。()(ところ)の正太郎の不審(ふしん)挙動(きょどう)(すなわ)ち怪しい動きの余波(よは)であろうか、正太郎はメールに()って合唱部の部長から呼び出されたのである。


 合唱部。()れは瑰麗(かいれい)の美少女部長、森藤順子が仕切る男子禁制の女人(にょにん)(その)であり、()の様な部活が正太郎に何の用かと、(いささ)か祐子も(いぶか)ったのでもあるが、女性の嗅覚(きゅうかく)とも()うべきか、正太郎による()(ところ)の一連の動きと無関係では無いと見定(みさだ)め、正太郎に同行したい(むね)を申し出たのである。何処(どこ)か控えめで遠慮がちな、いつもの祐子らしからぬ挙動(きょどう)()っても過言(かごん)では無かった。だが、祐子にしても正太郎の公然(こうぜん)の彼女であると()自負(じふ)矜持(きょうじ)がある。()れに此処(ここ)で自己主張を躊躇(ちゅうちょ)して、中三の(ころ)の二の舞を演じていては、(まった)洒落(シャレ)にならない。何しろ、今日は2月14日なのである。()る意味、一年のうちで最も危険な日でもあるのだ。正太郎も祐子が付いて来る事を許可した。()れも彼なりの、祐子に対する謝罪を(ふく)んでいるのであろう。正太郎自身、如何(いか)なる理由があろうと此処(ここ)数日の間、祐子を焦燥(やきもき)させていたとの自覚(じかく)は持っていた。()れに、正太郎の経験則から()っても、祐子の心配する様な事は、微塵(みじん)も起こるまいと多寡(たか)(くく)っていた事もあり、祐子の同行を()りと気軽に、OKしたのである。


 (さて)、二人が合唱部の練習場である音楽室についてみたところ、予想に(たが)わず、合唱部の部員達から、大いに歓待(かんたい)を受けた。彼女たちは()の2週間お手伝いをしてくれた御礼との事で、時節柄、チョコレートやクッキーをくれたのである。(もっと)も、彼女達とて馬鹿(バカ)ではない。同行して来た祐子の意味には、当然気が付いたのであろうし、何よりも、部長である森藤が、

「高野君と()の奥様である1年の山本さんでーす」

 と、部員達に(くぎ)()す意味も(ふく)めて、多少(たしょう)おどけて紹介した(ため)に、祐子ともども歓待(かんたい)を受ける羽目(はめ)になったのである。

「高野君、いろいろありがとねー」

「わーショック! こんな、かわいい彼女が居たんだ」

「山本さんも食べてってね」

「祐子ちゃん。此処(ここ)(ところ)、正太郎君を借りちゃってごめんなさい」

 こんなコメントだけかと思えば、中には、

「高野くーん。山本さんに振られたら、またいつでも遊びに来てね」

 と、中々(きわ)どいコメントをする猛者(もさ)までもが現れる。祐子としても、内心、(おだ)やかで無いのは勿論(もちろん)なのであるが、あくまでも(きわ)どい冗談(じょうだん)心算(つもり)なのであろう。ただ彼女達も、正太郎の何についてのお礼かと()う点については、(すこぶ)る口が(かた)い。彼が合唱部に対して何の手伝いをしたかについては、(みな)一様(いちよう)に口を閉ざしてしまっている。合唱部に行けば正太郎の挙動(きょどう)(なぞ)がある程度(ていど)氷解(ひょうかい)するものと思っていた祐子にとって、少々(しょうしょう)(あて)(はず)れたと()っていいだろう。(おそ)らく部員達には何らかの緘口令(かんこうれい)()かれていたのは明白(あきらか)であった。とは()え、()れで正太郎が何らかの(くびき)から解放された事は間違いなかった。そして()の確信を得た祐子は、(すこぶ)上機嫌(じょうきげん)()っても過言(かごん)では無かった。彼らは合唱部を()して、部室に戻ろうかとも思案していた。普段(ふだん)であれば、活動後も部室で(しばら)くは蝟集(いしゅう)して、四方山話(よもやまばなし)などに(きょう)じているボストンティーパーティーのメンバーである。(しか)し、今日は何と()っても2月14日である。メンバーの全員が(つがい)となっている状況(じょうきょう)にあって、何時(いつ)までも部室で油を売っている物とも思われない。二人は相談の上、前店に寄ってジュースでも飲んだ後、もう一度部室に寄ってみようと()う事に相成(あいな)った。


 (さて)、二人が下駄箱(げたばこ)の前の入口を出たところである。事件はグランドで起こっていた。


 二人が学生用玄関を出た(ところ)で、血相(けっそう)を変えた女生徒が、グランドの(はず)れから、此方(こっち)に走ってくるのを(みと)めた。血相(けっそう)を変えたと()うのは(いささ)か表現に語弊(ごへい)がある。彼女は明らかに号泣(ごうきゅう)(なが)ら走っていたのである。正太郎、祐子、共に、()の女生徒が誰であるかは瞬時(しゅんじ)認識(にんしき)した。彼らは子供の時分からの付き合いである。判らない方が如何(どう)かしている。のみならず、何が起きたのかも、二人は一瞬(いっしゅん)の内に理解した。()のきっかけは、(おそ)らくは年末の山梨旅行であろう。泣き(なが)ら走って来ている女生徒はヤスベエである。彼女は、いつも何処(どこ)飄々(ひょうひょう)と世間を斜め上から俯瞰(ふかん)して生きている様な(ところ)があり(()の点は正太郎とも極めて似ているとも()えた)、()の様に取り乱した姿は人前で見せる事は、抑々(そもそも)、彼女の父の(くだり)以外では記憶に無かった。ヤスベエも玄関前に(たたず)む正太郎と祐子を(みと)めた瞬間(しゅんかん)に、

「あっ」

 と()う、小さな(さけ)び声を発すると、くるりと90度向きを変え、自転車置き場の方向へと、一目散(いちもくさん)に走って行ったのである。彼女も()(はした)ない姿を幼馴染(おさななじみ)達に見られたくなかったに相違(そうい)ない。一瞬(いっしゅん)、顔を見合わせる正太郎と祐子。(しか)し次の瞬間(しゅんかん)、祐子は(あわ)ててヤスベエの後を追い掛け始めたのである。

「待って。康代ちゃん」

 正太郎は其処(そこ)に残され(なが)らも、祐子の気持ちも良く判った。そして、何が起きたのか頭の中で整理し始めた。舞台(ぶたい)はグランドの(はず)れである。状況(じょうきょう)から(かんが)みるに、(おそ)らく、ヤスベエが一平にチョコを渡そうとしたのであろう。ヤスベエは()(まで)も毎年、義理チョコと(しょう)して一平にチョコを渡していた。(ゆえ)に一平にチョコを渡す行為(こうい)自体(じたい)然程(さほど)、不自然で特別な行為(こうい)ではあるまい。


 だが。


 (おそ)らく、一平は今年に限っては、()の受け取りを拒絶(きょぜつ)したのであろう。義理堅い一平の事である。()理由(りゆう)(おの)ずから明白(あきらか)である。いや、正太郎ばかりでは無い。ヤスベエにも()理由(ワケ)薄々(うすうす)、感づいていた(はず)である。ヤスベエは都合(つごう)が合わず、(くだん)の山梨旅行には参加していなかった。(しか)し、()の情報通の少女の事である。一平の心の動きを、ある程度(ていど)把握(はあく)していたのかもしれない。(ある)いは新年会の時に、何気(なにげ)ない場の気配(けはい)雰囲気(ふんいき)から、自身の甘受(かんじゅ)すべきを運命(さだめ)を覚悟していたのかもしれない。正太郎はそう断じた。正太郎は深い溜息(ためいき)()きつつ、(やが)何処(どこ)かへとメールを始めた。


 ()(ころ)、グランドを(なら)(なが)ら、六助が一平に重たい口を開いていた。()口調(くちょう)には何処(どこ)批判的(ひはんてき)色彩(しきさい)()びていたのは、間違い無かった。

「なあ、何も彼処(あそこ)(まで)徹底(てってい)して拒絶し(こばま)なくても良かったんじゃあ無いか…?」

「…」

流石(さすが)に、知らない間柄(あいだがら)じゃあないんだ。あれじゃあ、いくらなんでもヤスが可愛(かわい)そうだろ」

「…だったら、(ほか)()り様があったか?」

()れはそうかもしれないけど…」

 一平は、今年のバレンタインに()いて(すべ)ての義理チョコを拒絶(きょぜつ)した。不器用(ぶきよう)(まで)徹底(てってい)振りである。今年初めて一平に挑戦しようとした子達の衝撃(ショック)然程(さほど)でも無いかもしれない。彼が禁欲的(ストイック)な男だと認識(にんしき)し、()れだけに(とど)まるであろう。(しか)し、毎年義理チョコを渡し続けていたヤスベエにとっては、意味合いが少し違って来る。()れは、今年は受け取れない理由が出来(でき)たからと()う解釈に(ほか)ならない。ある意味、ヤスベエにとっては、受け入れがたい運命(さだめ)の強要であり、()れは余命宣告とも同義なのである。六助は思う。

(もう少し器用に生きても()いんじゃあないのか?)

 だが、そう思う六助とて、決して器用な方ではない。二人には判っている。()れも良くも悪くも、青春の蹉跌(さてつ)の一つなのであると。話の()()を失い、黙り込んだ六助と一平は、手持ち無沙汰(ぶさた)に再びトンボでグランドを(なら)し始めた。


 ()(ころ)、正太郎が送ったメールの相手が鬼の形相(ぎょうそう)で清水高校へ全速力で向っていた。メールを受けたときには、彼もまた、グランド整備中であった。(しか)し、メールを見るや(いな)や、()の男は同級生に事情を話し、説得((ある)いは強要し)早めに部活を切り上げ、清水高校に乗り込まんとしている。彼の襲撃を眼前で受けた不運な男は、サッカー部主将(キャプテン)白坂守である。彼は部活動の部長会が終わり部室に向っている最中であった。何とか例年並みの予算確保は出来(でき)たが、色々と注文をつけられた。実に世知辛(せちがら)い世の中である。

(まった)くついてねえ。主将(キャプテン)なんて(てい)()い使い走りだ。引き受けるもんじゃあねえな)

 そう思わざるを得ない。清水高校サッカー部の主将(キャプテン)は代々上級生部員たちの指名により決定される。岡中で生徒会長を(つと)め、(くだ)けている様で何処(どこ)生真面目(きまじめ)な白坂に、白羽(しらは)()がぶっ()さったのも、無理は無い。満場一致で次期主将(キャプテン)に任命された。白坂にしてみれば、実に有難迷惑(ありがためいわく)な話でもあった。そんな白坂が一瞬(いっしゅん)慄然(ギョッ)として、たじろいだ。


(なんだ?)


 サッカー部の部室のそう遠く無い(ところ)に、見慣れない巨漢が佇立(ちょりつ)している。身長2mはあろうかと()う大男である。

(あのジャージは確か梅高だが?)

 白坂はおずおずと(たず)ねてみる。

「何か、サッカー部に御用(ごよう)ですか?」

 ()の大男はぎょろりと白坂を睥睨(へいげい)する。

「…」

()し、御用(ごよう)がなければ…」

 話を(さえぎ)って、大男が一言(ひとこと)()えた。

「一平に用がある。野郎(やろう)此処(ここ)()れて来い」

「なっ」

(やつ)に、梅高のゴリラが挨拶(あいさつ)に来たと伝えろ」

 想像より1オクターブは低い、押し殺した様な響きだが、(あらが)(がた)いオーラで包まれ、威圧的(いあつてき)で凄まじい剣幕(けんまく)である。2mもの巨漢が腕組みの(まま)微動(びどう)だにしない。白坂は何とか(たず)ね返す。

「…一体、何の御用(ごよう)です」

 (みずか)らゴリラと名乗った(おとこ)は、(つい)に切れた。


「四の五の()わずに、とっとと()れて来い。一年坊」

 白坂は完全に気圧(けお)された。気がついたら、部室に向って走っていた。

(くそっ、(オレ)の方が先輩(せんぱい)なのに)

 白坂には()の大男に見覚えがあった。中学時代に県代表の合宿に参加した(さい)、DFの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)乱暴(らんぼう)な男だ。()の男は(つね)先発(レギュラー)であり、白坂とは対極の立ち位置にいた。彼は()の時思った。

(オレ)とは物が違うな)

 (すべ)てに()いてである。技術(テクニック)精神性(メンタリティ)もあらゆる点に()いてである。だが、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な見かけとは裏腹に、守備は頭脳的(クレバー)で、緻密(ちみつ)()の物だった。名前は確か岩井修吾。そうだ、六助や一平と同級生だった(はず)だ。


 部室に戻った白坂は、其処(そこ)で一平と六助を見つけると、たった今の(くだり)を話した。

「おい、何か表に梅高の一年が、凄まじい形相(ぎょうそう)でお前に用があると…」

 一平と六助は思わず顔を見合わせた。

「修吾だ…」

 六助が(うめ)く様に(つぶや)く。

「だが、何で…」

 知ったのだろう?

 言葉の後には()の言葉が省略されていた。

「…正太だろう」

 一平が(つぶや)いた。そして(しば)し、間を()くと、

彼奴(あいつ)ら仲が良かったからな…」

 と続けた。一平は思い出した。先程の一幕(ひとまく)(さい)に、昇降口の(あた)りに正太郎と祐子が居た事を。一平は立ち上がると、(おもむろ)に白坂に告げた。何か牛が反芻(はんすう)する様な、愚鈍(ぐどん)な物腰である。

「自分が行って来ます」

「おい、ちょっと待て。(オレ)が望月に連絡するわ。(やつ)に来て(もら)おう…」

 白坂は其処(そこ)で梅高の主将(キャプテン)の名前を持ち出した。望月なら多少(たしょう)の面識がある。頼めば来てくれるであろう。(たけ)り狂った後輩を(いさ)めてくれるかもしれない。(いず)れに、こんな下らない騒ぎで両校出場停止になる様な事態はなんとしても避けたかった。六助が(つぶや)く。

「いや、多分(たぶん)大丈夫(だいじょうぶ)でしょ。修吾は其処(そこ)(まで)馬鹿(バカ)じゃあ無い。愈々(いよいよ)となったら、自分が止めに入ります」


「一平!」

 厳冬期(げんとうき)頻闇(しきやみ)が迫る中、まず、修吾が()えた。

「テメエ、何故(なぜ)…、ヤスを泣かせた!」

「…」

「手前だってヤスの気持ち位、気がついていただろう…」

「…ああ」

「だったら何故(なぜ)だ!」

 修吾は()える。

「なら、受け取ればおまえは満足だったのか?」

「そんなこたあ、()っちゃあいねえ。だが、おめえはヤスを泣かせた。そして…、()れが(すべ)てだ」

 其処(そこ)で修吾は言葉を切る。

今迄(いままで)、ヤスを泣かせた(ヤツ)(オレ)如何(どう)して来たか、お前は、知っている(はず)だな?」

「…ああ」

 再び、修吾が()えた。

本来(ほんらい)なら、()の場で貴様(きさま)をぶちのめしてやる(ところ)だが…。いいか?一平忘れるな!次にうちと当った時が手前の命日だ。首を洗って、楽しみに待っていろ!」

 其処(そこ)(まで)()うと修吾は、くるりと(きびす)を返し、静かに去って行った。

「行っちまったぞ、おい」

 ()の様子を物陰で見ていた白坂が(あき)れる。

「だから、心配無いって()ったっしょ」

 六助が今更(いまさら)(なが)ら請合う。

馬鹿(バカ)野郎(やろう)。そんな事が判るか?普通に考えても、如何(どう)見ても暴力沙汰(ぼうりょくざた)必至(ひっし)だったろうが…、抑々(そもそも)、おめえら、あのゴリラに、一体(いったい)何を仕出(しで)かした?」

 白坂もよもや、バレンタインのチョコレートが、事の発端(ほったん)だとは夢にも思わなかったが、白坂は溜息(ためいき)混じりに安堵(あんど)した。


 ()(ころ)、康代は祐子の家にいた。当たり前の話ではあるが、矢張(やは)り、いつもの康代と違い、(いささ)か元気が無い。()れでも康代の中でも急速に整理をつけて行ったのであろう。多少(たしょう)冗談(じょうだん)も出る様にはなっていた。ヤスベエはいつもの飄々(ひょうひょう)とした少女に戻りつつある。ヤスベエの家は、昭和の昔、清水保健所があった(あた)りの西側にあたる。昔、合板会社の専用軌道(トロッコ)の橋、通称トロッコ橋が架かっていた(あた)りの東側に位置する木造アパートである。()(あた)りは、()の昔、貯木場があり、巴川の氾濫(はんらん)名残(なごり)の三日月湖や沼を埋め立てた様な(ところ)であり、(あま)り上品な住宅地とは()えぬ地域であった((もっと)も、()れを()い出せば祐子や正太郎の住む地域も()れに該当(がいとう)するのではあるが)。ヤスベエのアパートの西側は土建屋の資材置き場となっており、所謂(いわゆる)、空き地であった。空き地を(はさ)んで反対側には土建屋の自宅があり、良く()の場所で土建屋の三男坊がサッカーの練習をしていた。岩井修吾である。修吾にとって康代はいつだって見上げれば、其処(そこ)に居た。読書が好きな康代は、2階建てのアパートの西向きの部屋で机に向って読書をするのが常だった。木造2階建ての安アパートではあったが、修吾にとって康代は、文字通り深窓(しんそう)佳人(かじん)であったのだ。


 (さて)()の日の21時(ころ)、祐子はヤスベエを家(まで)送って行った。もう、危険は無い。ヤスベエに何時(いつ)もの様な、多少(たしょう)皮相的(アイロニカル)な笑顔が、()のそばかすだらけの顔に戻った。普段(ふだん)よりも言葉少なであったが、(まぎ)れも無くいつものヤスベエであった。川沿いの道を冬の銀河(あまのがわ)(あお)(なが)ら、とぼとぼと歩く二人の少女。ヤスベエのアパートの(そば)まで来た()の時、ヤスベエの家の前の空き地から、(にわ)かに音が聞こえた。


 ポーン、ボン、バシン。


 ボールの弾む音である。ヤスベエにとって、懐かしくも多少(たしょう)不快な、散々、聞き慣れた音であった。また、向いの土建屋の息子が壁相手にボールを蹴っているのだろう。ボールの蹴り手は気配(けはい)に気がつくと笑顔を向けた。ホッとした様な子供の()れだった。

「やあ、祐子ちゃん。久し振り」

 ()の土建屋の息子が祐子に声を掛けた。祐子も笑顔を返す。

「修ちゃん。お久しぶり。じゃあ、修ちゃん。あとは(よろ)しくね」

 そう()うと祐子は()して行った。

「祐子、いろいろ、ありがとね」

 祐子は()れに手を挙げて(こた)えていた。


「おいコラ、不良娘」

 突然(とつぜん)、修吾が呼び掛けた。

一体(いったい)何時(なんじ)だと思ってんだ。あんまし、親に心配を掛けるんじゃねえ」

 康代は小さく肩を(そび)やかし、真っ向から反発した。

「何よ、修吾の(くせ)に」

 ()の返しは、いつものヤスベエの返しであった。ヤスベエが無分別(むふんべつ)乱暴者(らんぼうもの)の修吾を(いさ)める(さい)口癖(くちぐせ)である。

「母ちゃんや、(あお)(あか)が心配している。()(かく)、まずは、荷物を置いて来い。()の後、…少し話がある。()(まで)(オレ)此処(ここ)にいる」

 修吾が少し口篭(くちごも)(なが)らも、決然と()った。


 修吾は無分別(むふんべつ)乱暴者(らんぼうもの)ではあったが、無頓着(むとんちゃく)では無かった。一見(いっけん)粗雑(ガサツ)な様に見えて、()の実、(すこぶ)繊細(せんさい)な男であった。そして、誰よりも優しい。()の昔、正太郎がサッカー部で苦労していた時にも、いつも影になり日向(ひなた)になり、正太郎をサポートしていた。そんなお節介焼きの男でもあった。今日、正太郎がヤスベエの窮状(きゅうじょう)(みと)めて、修吾に連絡をすると()う余計な世話を焼いたのも、子供の(ころ)に修吾に受けた、(ささ)やかな恩義のお礼かもしれなかった。ヤスベエが約束どおり表に出て来た。流石(さすが)に制服を着替えて、上下ジャージ姿で何処(どこ)かモジモジしている。そうだ、ヤスベエには判っていた。ヤスベエが帰宅する時には、(おそ)らく、()乱暴者(らんぼうもの)が空き地でボールを蹴っているであろう事は。例え、()れが何時(なんじ)であっても。


(いつだってそうだった。学校で喧嘩(けんか)した時も、父さんが()った時も)


「何よ話って」

「…」

 ()の男とて器用な方ではない。話すべき事など有ろう(はず)が無い事に、率爾(そつじ)として気がついたのであった。たった一つを除いては。だが、()の男は()のたった一つの言葉を、逡巡(しゅんじゅん)()てに()ってのけた。


(オレ)はお前の事が好きだ。子供の(ころ)からずっと…」


「何よ、修吾の(くせ)に」

「…」

 修吾は()れには応えなかった。子供の(ころ)から何度と無く聞かされた()のフレーズは、何故(なぜ)か今日は不思議と居心地(いごこち)が良かった。ヤスベエはモジモジし(なが)ら、(おもむろ)に語り出した。

「あたしね。今日、一平に振られちゃったんだよ」

 (しば)しの間を()くと、修吾が愚鈍(ぐどん)にもモゴモゴと口の中で(つぶや)いた。

「知ってる」

「何で」

「正太に聞いた…」

「そう…」

 沈黙が続いた。

()れでも、先刻(さっき)の言葉()うの?」

「…ああ」

「本当にぶれないんだね」

 ヤスベエは(しば)しの間を()くと、溜息(ためいき)混じりに(つぶや)いた。

「あーあ、あたしも、ぶれなかったんだけどな…」

「…知ってる」

 言葉の無い無為(むい)な時間が経過した。時刻にして22時を回っている。ヤスベエは昼から何も食べていない自分を思い出した。(しか)し天の配剤(はいざい)か、偶々(たまたま)不要になったチョコがあった。

「そうだ。修吾。一平にあげそっけた()れ、二人で食べちゃおうか?」

「…()いのか?」

()いの、()いの。あたしにはもう無用のものだから…」

 何か含羞(はにか)んだ様な笑みを浮かべる修吾、だが、ヤスベエの(ひとみ)(うる)んでいる事に気がついた。(しか)し、()の表情は(すぐ)に消え、少しいたずらっ子の様な顔付きになると、彼女は()かさず(くぎ)()す。

「あっ、でも、()れあくまでも義理チョコだからね。間違えないでね」

「ああ、知ってるよ」

 だが、流石(さすが)の修吾も気がついている。康代は着替えてきているのだ。()の場で食べる気が無ければ、こんな(ところ)にチョコレートなど持って来る(はず)が無いのだ。


(さようなら。私の初恋)


 二人してチョコを口にした。途端(とたん)、二人とも少し、ケホケホと()せ始めた。

「おい、ヤス。おめえ()の中に何を入れた?」

「えっ、…お酒を少々(しょうしょう)

「酒は判ってらあ。一体、()()入れたんだ?」

「父さんの好きだった芋焼酎(いもじょうちゅう)

「あのなあ。()る意味、一平に渡さなくて正解だったぜ。被害者が(オレ)だけで済んだんだ。感謝しろよ」

「何よ、修吾の(くせ)に!」

 ヤスベエがそう(さけ)んだ時、修吾が再び先刻(さっき)台詞(せりふ)を口にした。

「だが、そんなヤスが、大好きだ」

「何よ、修吾の(くせ)に…」


 (やが)て二人の唇は重なった。〽幼馴染(おさななじみ)の想い出は青い檸檬(レモン)の味がする。高山康代ことヤスベエのファーストキスの味は、甘いチョコレートの香りと強烈な芋焼酎(いもじょうちゅう)の香りに、少々(しょうしょう)、塩味が効いた味わいだった事は間違いなかった。

バレンタイン・ラプソディのラストエピソード。年に一度のバレンタインデーに踏んだり蹴ったりの少女と少年のお話。バレンタインデーの夜の壮絶なばばぬきの結果、jokerを手にしたのは? 次回、『第51話 バレンタイン・ラプソディ③ 此処では、やるな。』お楽しみに。

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